スノーデイズ

大家一元

 コーラス部新部長・二年生の純子じゅんこは、最近助っ人として仮入部してきている一年生の弘樹ひろきが気になっていた。甘ったるい童顔で、眠たげな二重瞼で、低い身長。なんでも小器用で、何をやらせても出来るらしく、悩みなんてなさそうな、淡白そうな、生意気な後輩。何もかも純子のタイプとは正反対だった。


 純子は同時に、あるバンドに入れ込んでいる。中高生に流行りでいて、同時に中二病好みだとか、ミーハーだとか言って馬鹿にされてもいるバンドのボーカル・みさおくん。

 繊細で内省的な歌詞と、荒削りな音楽が好きだった。表情の窺えない長髪と、そこから覗く細い一重瞼、スッキリとした鼻筋に、優しげに、恥ずかしげに常に上げられた口角。如何にも不器用そうで、それ故に弱者の怒りを代弁したり、時に弱者を怒鳴りつけたりもする。いずれも歌う相手は弱者。つまり、彼も弱者。そんな彼の全てが好きだった。というか、崇拝に近い感情を抱いていた。


 そんな純子が、なぜ弘樹を気になるのか。理由は単純。ある日無遠慮に女子用部室に入ってきて、同じ一年生の女子部員と話している最中に「俺、操さんの歌詞好きなんだよね」と言っていたのに、純子が食いついたのだ。二人の交流はそうして始まった。



 ♦︎



 放課後、部活終わり。校門を出ると、もう日はとっぷり暮れていた。冬の寒さが純子の肌を刺す。マフラーに口元まで埋め、凍える肩を自分で撫でる。

 しかし悪い気はしない。冬の寒さは操くんの声を思い出させる。どこか儚げで、優しくて……そう言えば操くんは、「冬は厚着してでも外にいたい」と言っていたっけ。分かるなぁ、その気持ち……


「冬と言えば『スノーデイズ』ですよね」


 当たり前のように肩を並べて歩く弘樹が、操くんの曲を口にする。何だか無性に腹がたつと同時に、共鳴する感覚に嬉しくもなる。


「うん、そうだね。あたしも『スノーデイズ』が流れてたの」

「頭ん中で?」

「そう、分かる?」

「分かりますよ、あー、嬉しいなぁなんか……」


 そう言って弘樹は俯きながら照れくさそうにニコリと笑い、足元の小石を蹴飛ばす。


「なんか、歌詞にあるようなことしてんじゃん」

「歌詞だと落ち葉っすよ。蹴飛ばしたのは」

「どっちにしろ、今の……」

「なんすか?」


 言いかけて黙り込んだ私を、弘樹はいやらしく笑って追求する。私は耳まで真っ赤にして、プイとそっぽを向いた。


「操くんみたいだって?」

「そんなわけないじゃん!」

「いーや、そう言いかけたんすよ、純子さん! いやぁー、うっれしいなぁー!」


 弘樹は私の心中を言い当てた喜びを、ケタケタと笑って素直に現した。こういうところが、操くんとは違う。きっと違う。

 操くんなら、きっと「何?」とだけ聞いて、「いえ……」と黙る私を優しくあの細い目で見守って、やがて小さく「そっか」と、呟くように、俯きながら言うに違いない。そんなことを弘樹がしたら、一発で好きになるのに。私は素直に、こいつのノリについて行きたくなかった。大体、年下だし。


 校門前の階段は、暗くなると見え辛い。とは言えお金のない高校なので、ずっと照明を点けておくわけにもいかない。

 だからこの階段、人が近づくと自動的に、階段に沿って取り付けられた照明がパッ、パッと点灯して、足元を照らしてくれるようになっている。


 私たちはそんな階段を降りた。一段一段、ほぼ同時に階段を降りると同時に、両隣の照明が私たちを照らす。冷たい空気が肌を刺す。頭に流れるのは「スノーデイズ」。


 ふと、隣を歩く弘樹に目をやった。弘樹はいつものように、ヘラヘラと笑ってはいなかった。代わりにトロンとした目つきで、私の顔を見つめていた。


「な、何よ」


 思わずまた顔を赤くして俯く私を、今度は追求してこなかった。そして、呟くように言った。


「雪でも降ってれば、もっと良かったんですけどね」


「スノーデイズ」の一節。なんて白々しい! 私は思い切り突っ込んで、いやいっそ張り倒してやろうかと思った。……けど、やめた。


「そう思い通りにはいかないでしょ……」


 続く歌詞を口にする。不思議と、全然恥ずかしくはなかった。だけど、恥ずかしいことをしている自覚はあった。

 お互いに俯き、クスクスと笑い、足元に気をつけながら、順番に点灯する照明が私たちを照らすたび、チラチラとお互いの横顔を見た。


 階段を降り切ると、なだらかな下り坂になる。そこを少し降りて、右手の田んぼ道から駅へ行くのが私。住宅街をまっすぐ突っ切って、そのまま歩いてウチへ帰るのが弘樹。


 坂道が残り僅かになった頃、弘樹が私の手を掴んだ。冷たくて、綺麗で、すべすべしていて、意外と大きな手だった。手だけは、操くんにちょっと似てるかも。


 私はニッコリ笑って、弘樹の方を見た。弘樹は頬を赤く染めて、恥ずかしそうに口をすぼめて私を見ている。


 田んぼ道と住宅街の交差点で、冬の寒さを少しでも温め合いたくて、私たちは抱き合った。そして、軽くキスをした。お互いにとって、初めてのキス。あったかくて、少し口元が濡れた。冷気ですぐ乾いた。それだけ。


 私たちはすぐに体を離し、暫く見つめあった後、一度微笑みを交わして別れた。信じられないほどに、ポカポカと暖かくなった体で、田んぼ道を歩く。一度振り返り、住宅街に消えてゆく弘樹の後ろ姿を見た。


 頭にはもう、「スノーデイズ」は流れていなかった。私は冬空に向かって叫び出したい気分を抑えて、田んぼ道を駅まで、一気に走り抜けた。冷たい風が肌を切る。

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