スノーデイズ
大家一元
*
コーラス部新部長・二年生の
純子は同時に、あるバンドに入れ込んでいる。中高生に流行りでいて、同時に中二病好みだとか、ミーハーだとか言って馬鹿にされてもいるバンドのボーカル・
繊細で内省的な歌詞と、荒削りな音楽が好きだった。表情の窺えない長髪と、そこから覗く細い一重瞼、スッキリとした鼻筋に、優しげに、恥ずかしげに常に上げられた口角。如何にも不器用そうで、それ故に弱者の怒りを代弁したり、時に弱者を怒鳴りつけたりもする。いずれも歌う相手は弱者。つまり、彼も弱者。そんな彼の全てが好きだった。というか、崇拝に近い感情を抱いていた。
そんな純子が、なぜ弘樹を気になるのか。理由は単純。ある日無遠慮に女子用部室に入ってきて、同じ一年生の女子部員と話している最中に「俺、操さんの歌詞好きなんだよね」と言っていたのに、純子が食いついたのだ。二人の交流はそうして始まった。
♦︎
放課後、部活終わり。校門を出ると、もう日はとっぷり暮れていた。冬の寒さが純子の肌を刺す。マフラーに口元まで埋め、凍える肩を自分で撫でる。
しかし悪い気はしない。冬の寒さは操くんの声を思い出させる。どこか儚げで、優しくて……そう言えば操くんは、「冬は厚着してでも外にいたい」と言っていたっけ。分かるなぁ、その気持ち……
「冬と言えば『スノーデイズ』ですよね」
当たり前のように肩を並べて歩く弘樹が、操くんの曲を口にする。何だか無性に腹がたつと同時に、共鳴する感覚に嬉しくもなる。
「うん、そうだね。あたしも『スノーデイズ』が流れてたの」
「頭ん中で?」
「そう、分かる?」
「分かりますよ、あー、嬉しいなぁなんか……」
そう言って弘樹は俯きながら照れくさそうにニコリと笑い、足元の小石を蹴飛ばす。
「なんか、歌詞にあるようなことしてんじゃん」
「歌詞だと落ち葉っすよ。蹴飛ばしたのは」
「どっちにしろ、今の……」
「なんすか?」
言いかけて黙り込んだ私を、弘樹はいやらしく笑って追求する。私は耳まで真っ赤にして、プイとそっぽを向いた。
「操くんみたいだって?」
「そんなわけないじゃん!」
「いーや、そう言いかけたんすよ、純子さん! いやぁー、うっれしいなぁー!」
弘樹は私の心中を言い当てた喜びを、ケタケタと笑って素直に現した。こういうところが、操くんとは違う。きっと違う。
操くんなら、きっと「何?」とだけ聞いて、「いえ……」と黙る私を優しくあの細い目で見守って、やがて小さく「そっか」と、呟くように、俯きながら言うに違いない。そんなことを弘樹がしたら、一発で好きになるのに。私は素直に、こいつのノリについて行きたくなかった。大体、年下だし。
校門前の階段は、暗くなると見え辛い。とは言えお金のない高校なので、ずっと照明を点けておくわけにもいかない。
だからこの階段、人が近づくと自動的に、階段に沿って取り付けられた照明がパッ、パッと点灯して、足元を照らしてくれるようになっている。
私たちはそんな階段を降りた。一段一段、ほぼ同時に階段を降りると同時に、両隣の照明が私たちを照らす。冷たい空気が肌を刺す。頭に流れるのは「スノーデイズ」。
ふと、隣を歩く弘樹に目をやった。弘樹はいつものように、ヘラヘラと笑ってはいなかった。代わりにトロンとした目つきで、私の顔を見つめていた。
「な、何よ」
思わずまた顔を赤くして俯く私を、今度は追求してこなかった。そして、呟くように言った。
「雪でも降ってれば、もっと良かったんですけどね」
「スノーデイズ」の一節。なんて白々しい! 私は思い切り突っ込んで、いやいっそ張り倒してやろうかと思った。……けど、やめた。
「そう思い通りにはいかないでしょ……」
続く歌詞を口にする。不思議と、全然恥ずかしくはなかった。だけど、恥ずかしいことをしている自覚はあった。
お互いに俯き、クスクスと笑い、足元に気をつけながら、順番に点灯する照明が私たちを照らすたび、チラチラとお互いの横顔を見た。
階段を降り切ると、なだらかな下り坂になる。そこを少し降りて、右手の田んぼ道から駅へ行くのが私。住宅街をまっすぐ突っ切って、そのまま歩いてウチへ帰るのが弘樹。
坂道が残り僅かになった頃、弘樹が私の手を掴んだ。冷たくて、綺麗で、すべすべしていて、意外と大きな手だった。手だけは、操くんにちょっと似てるかも。
私はニッコリ笑って、弘樹の方を見た。弘樹は頬を赤く染めて、恥ずかしそうに口をすぼめて私を見ている。
田んぼ道と住宅街の交差点で、冬の寒さを少しでも温め合いたくて、私たちは抱き合った。そして、軽くキスをした。お互いにとって、初めてのキス。あったかくて、少し口元が濡れた。冷気ですぐ乾いた。それだけ。
私たちはすぐに体を離し、暫く見つめあった後、一度微笑みを交わして別れた。信じられないほどに、ポカポカと暖かくなった体で、田んぼ道を歩く。一度振り返り、住宅街に消えてゆく弘樹の後ろ姿を見た。
頭にはもう、「スノーデイズ」は流れていなかった。私は冬空に向かって叫び出したい気分を抑えて、田んぼ道を駅まで、一気に走り抜けた。冷たい風が肌を切る。
スノーデイズ 大家一元 @ichigen
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