最後の願い 下

 一人で考える事には慣れている。

 ただ、今までの短い間だけ、たまたまそばに別の人間が居ただけの話だ。

 それなのに徐々に沈み始める夕日を見ながらのこの時間は、心が張り裂けそうな程寂しくてならない。

 「拓斗……」

 フォスは体育座りのまま膝をぎゅっと握り、視線を少し抱け上げて真っ赤な夕日を見つめる。

 彼女にかけられた魔法はこの夕日が沈んだ瞬間発動し、問答無用で彼女の存在はこちらの世界の記憶から抹消され、彼女自身も魔界へと強制的に連れ去られてしまう。

 もう時間は殆ど残されては居ないのだが、どうあがいたところで、先ほど彼女が口にした相手が戻ってくるとは思えなかった。

 時間にしてはついさっきの事だ、彼はかけられた呪いの『ホッサ』を起こし、『キュウキュウシャ』と呼ばれる乗り物に乗せられ何処かへ行った。

 フォス自身も付き添いをしたかったのだが、こちらの世界にあまり詳しくない彼女の言葉を信じてくれる人は居らず、彼女は唯一人この場所に残されてしまったのだ。

 「何処へ行ったの? ねぇ……」

 一人母国の言葉で呟くが、当たり前の話として誰も耳を貸してはくれない。

 「ちゃんとお別れを言いたかったのに」

 そう呟いた彼女の背後で帰路を急ぐ自転車が走り抜け、遠くからは楽しげに会話をする子供の声が響く。

 そんな当たり前の日常が奏でる音が、当てつけに思えてしまい、フォスはきゅっと目を閉じる。

 こんなのいつもの事だ。

 そう強く思い、彼女はその姿勢のまま感情すらも閉ざそうと、きゅっと心の紐を縛ろうと意識を向ける。

 今までだって、幾度となく繰り返してきたその行為だが、何故かこのときばかりは上手くいかない。

 余計な感情に飲まれない様心に封をする行為は、彼女にとっては日常的に行ってきた防御行為であり、呼吸をするのと同じくらい容易な筈だった。

 それなのに……

 「拓斗……」

 そんな名を持つ魔法使われの顔が意識に引っかかり、思い通りに感情を追いやれない。

 早くその魔法使われの願いを叶えないと自分は魔法使いとして出来損ないと言う烙印を押されてしまう、だがそんな事以上に彼女はもう二度と彼と会えない事が怖く、いっそ今までの記憶さら捨ててしまいたいとばかりに、彼女は耳を両手で塞ぐ。

 瞼で視界を塞がれ、掌で音も聞こえなくなり。

 彼女の意識は河川敷の中、真っ暗な世界に沈み様々な感情を拒絶する。

 そこに――

 「?」

 視覚では無い、ましてや音でも無い。

 背中に、はっきりとした感触が広がり、フォスは驚き目を開ける。

 「フォス!」

 耳に当てていた手を離した瞬間、その声がフォスの耳に飛び込んだ。

 「……拓……斗?」

 間違い様が無い、その声は自身の魔法使われである音無の物だった。

 彼は顔中に沢山の汗の滴を付け、息を切らせ、くたくたになった膝を震わせながら、息も絶え絶えにフォス背中に手を当てて必死にその名前を呼んだ。

 「ごめん! 遅くなった」

 彼の顔は夕暮れ時のオレンジ色の光に照らされてはいるが、丁度逆光になっているためにはっきりとした表情までは見えない。

 「拓斗……」

 相変わらず子供にしか見えないその表情をくしゃりと崩し、フォスは音無の懐に飛び込み、ぎゅっと手を回す。

 その時彼女の被っていた大きな帽子が風に舞い飛んでゆくが、そんな事気にも留めずに言葉を繋げる。

 「馬鹿! お前は私の魔法使われなんだぞ! 勝手に……居なくなるな」

 それは薄っぺらな強がりか、それとも純然とした本音か。

 暴言とも取れる言葉回しを多用しながら、彼女は回していた両腕に更に力を込める。

 「ちょっ……あのさ、フォス、苦しいから……」

 「慌てる位なら、居なくなるな……馬鹿、膝が笑ってるじゃないか」

 「あー、初めて正しくその言葉使えたね」

 後数分もしたら彼女は消えて無くなると言うのにも関わらず、音無はフォスの頭に手を乗せ、そって自分のそばから離れる様に促す。

 どんな考えがあるのかは不明だ、だが、彼の行動からして、何かしらの考えがあるのは明かだった。

 「単刀直入に言うと、僕の願いはフォスに魔法使い失格になってもらうことだ」

 「……何を?」

 突然の本音に、フォスが面食らって目を点にしたのを見て笑うと、音無は小さくその言葉を訂正して言葉を繋いだ。

 「だから、これから六つ目のお願いを言うよ。

 良いよね? フォスは僕の魔法使いなんだから」

 「だから、何を言ってるのだ? 拓斗」

 状況が読めず、あたふたしている彼女を余所に、音無は遠慮容赦無く言葉を投げていた。

 「だから、六つ目の願い、これから言うけどちゃんと叶えるって約束して」

 「……承知した」

 状況が一切判らないフォスは、この期に及んでも目を丸くしたまま答え、その事を確認した音無は短く深呼吸をする。

 「『人間になれ』」

 「……な? 何を……」

 「だから、これが僕の最後のお願い。

 僕は、フォスが魔法の使えない唯の人間になる事を望む」

 魔法使いは、こちらの世界に延々居座る事が出来ない。

 それは、あちらの世界でも魔法使いは貴重な存在である事、そしてこちらの世界に与える事があまりにも大きい事が理由だ。

 結局の所、魔法使いにかけられた呪いは魔法使いという特殊な存在を保護し同時に拡散防止をするための安全装置である。

 つまりは――

 「拓斗、お前はやっぱり馬鹿であるな……」

 そう言い、フォスは俯く。

 魔法使いが魔法使いを辞めると言うこと、それは魔法使いが魔法の使えない唯の人間に成り下がるという意味であり、普通は望まれる自体ではない。

 だがそれは同時に、呪いの意味を無くすという意味でもある。

 握りしめた魔法使いである権利を捨てたその瞬間、掌には人間としてこちらの世界に居座れる権利が生まれるという意味でもあるのだ。

 おそらくこれが、魔法使いをこちらの世界に止まらせる唯一の裏技なのだろう、魔法使いが実在しており、彼らに関する情報があるのにも関わらずそれを照明する根拠が無いのは、こちらの世界に居る魔法使いは皆唯の人間に成ってしまったからだ。

 「馬鹿とは失礼な」

 「だが、そんな馬鹿も嫌いでは無いぞ」

 フォスは、オレンジ色に染まった世界の中、ゆっくりと立ち上がると、懐からいつものマッチ箱を取り出し、その中から一本のマッチを取り出す。

 「私は能無しだ、何をやっても上手くいかない、だからこちらの世界でも上手くやっているかは不明だ。

 だから拓斗、色々と教えてくれるのだろうな?」

 「勿論」

 躊躇も無く帰ってきたその言葉に、フォスはにぃっと精一杯の笑みを浮かべた後、一筋の涙を流してから口を開く。

 「拓斗、お前は馬鹿ではない、とっておきの阿呆だ」

 フォスが持ったマッチが真っ赤な炎を放ったのは、次の瞬間だった。






 押豆町。

 この町は何処にでもあると言ってはあれだが、よく見かけるごく普通の町だ。

 殊更に大きな商業施設がある訳も無ければ、特別に寂れている訳でも無い。

 一応は海沿いに面している為夏の時期は観光客が増えはするが、だからといって誰もが思い描く様な南国気取りの町でも無い、だが、おかげで単に住むだけならこれと言って不満が出ないのも事実である。

 そんな町の一角、大通りから少しだけ離れた位置にある集合住宅、その一室が、音無拓斗の自宅兼仕事場だ。

 「……あれ?」

 そんな家の中、彼は仕事の合間に飲んでいたコーヒーの粉が切れていることに気がつくと、空になった瓶を片手に詰め替え用が無いかを探して棚を開く。

 延々椅子に座ってキーボードを叩くのが仕事の彼にとって、この手の嗜好品は彼にとっての楽しみであり、同時に気分転換の材料でもあった。

 彼は、相変わらずの何処か頼りない顔を動かし、眉を少し抱け寄せて肝心の物が入って居ない棚の中を見て溜息を吐く。

 代わりの物を飲むにしても、残念な事に冷蔵庫の中には牛乳とミネラルウォーター位しか入っておらず、今感じている口寂しさを誤魔化すには何かと不満が多い。

 彼は小さく溜息を吐くと壁に掛けていた時計を確認し、室内着として利用していたフリースを脱ぎながら寝室へと向かう。

 仕事が煮詰まりアイデアを上手く練れない時は体を動かすに限る、それは彼がこの仕事をする様になってから感じる様になった事だ。

 家の外は雪こそ降ってはいないが、それでも気温は低く、息を鼻らか一気に吸い込むと、鼻のてっぺんを弾かれた様な痛みが走る。

 「ちょっと薄着過ぎたかな……」

 家を出て少し歩いたところでそんな事を呟き、音無は身に纏っていたダッフルコートの端を揺らして足を速める。

 もう少ししたらやってくるクリスマスシーズンに備え、街の至る所には赤と白、そして緑色を基調とした装飾が設けられ、耳を澄ませば商店の中で流れるクリスマスソングが耳に届く。

 だが、そういう点も含め、この町は平凡な町である。

 だが、音無はこの町が一言に平凡と呼ぶのには、幾つか語弊がある。

 勿論、その事を知っているのは、ごく一部の限られた人間だけなのだが。

 「こんなに寒いのなら家に籠もってりゃ良かった……」

 河川敷は一段と冷える。

 骨の髄まで凍らせ様とする冷気に震えながら、彼は懐かしい思い出のある川を見て、曖昧な表情を浮かべ、そのずっと奥の方に見える服屋の看板を見て更に微妙な表情を作る。

 これらの場所で起きた超常現象、それこそがこの町を非平凡たらしめている理由の一つだ。

 「まぁ……いっか」

 思い出すだけで笑いがこみ上げる騒動を胸中に仕舞い直すと、音無は目の前に迫ってきたコンビニを見て、小さく溜息を吐き足早にその店の扉を開く。

 「いらっしゃいませ」

 そう告げる店員に対して軽い相づちで答えると、音無は店の中央付近にあるインスタントコーヒーを手に取り、レジへと向かう。

 家からほど近かったもののこの店は今まであまり利用した事がなかったのだが、その理由は簡単で、この手の店舗の商品は何かと値段が高くあまりこの手の店を利用していては生活費が嵩んでしょうがないからだ。

 だが、最近ではこの店はすっかりと馴染みの物となってしまい、店員並みにこの店について詳しくなったのも事実。

 何故彼がこの店を利用する様になったのかは簡単だ。

 「八百円です」

 そんな店員の言葉に応え、彼は財布から千円札を取り出して手渡す。

 やはりコンビニは物価が何かと高い、だがそれでもこの店を利用する理由、それは目の前の店員にあった。

 「仕事は暇なのか?」

 「暇じゃ無いよ、煮詰まってるだけ」

 「煮詰まる? つまり今夜は煮込み料理か?」

 「相変わらず食欲だけは……」

 妙な勘違いをする店員に対し、音無は苦笑い込みで皮肉を吐くと、帰ってきた小銭を財布へ仕舞いレジ袋に入れられたそれを受け取る。

 「兎に角、今夜はスパゲティだから」

 「本当か!?」

 「本当だからそっちも仕事頑張ってね」

 「そんなの簡単だ、何故なら――」

 仕事中なのにも関わらず、そんな事と言い始めた相手に対し、音無はかぶせる様に言葉を吐いた。

 「『元』魔法使いだからね」

 そんな音無の言葉に対し、店の制服を着て、慣れないながらも一生懸命に働いていたフォスは小さく笑う。

 ありふれた日常にも、非日常は隠されている。

 元魔法使いのフォスと、元魔法使われの音無、そんな二人の日常もまた、この町に隠された非日常と言えるだろう。


 ただ一つ異論を唱えるのなら、本来非日常と言う言葉は、二人の関係の様にこれから先もずっと続く様な物を指す言葉では無い事だろう。

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押豆の魔法使い @nekonohige_37

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