エリストマスク
伏潮朱遺
第1話 不治山富士
0
「おネイサン?」
線路の高架下のトンネルを行くお姉さんを呼び止める。
たいがいは呼び止まってくれない。手当たり次第というわけじゃない。可能性がありそうなお姉さんなら、それこそ手当たり次第。
このお姉さんは呼び止まってくれた。
第一関門突破。て、とこ。
「おネイサン?」僕はお姉さんに近寄って。
見上げる。
オレンジ色の外灯が。
お姉さんを黒く縁取り。この暗さでもはっきりわかる。
細身の体型。その手のロングドレス。つやつやと光る。
「お仕事の帰りですか?」
お姉さんは僕を見下ろして。
「塾の帰り? 駄目だよ。こんなところ迷いこんじゃあ」
意外と声が低くてビックリする。
僕がガキだと思って油断したんだろう。
駄目ですよ。営業用の声を作らなくちゃ。
「テストばっかでやんなっちゃいますよ」
僕はわざと、重そうな鞄を見せつける。
中にたんまりと教科書とかノートとかが詰まってると思わせる必要があった。もっともっと油断してくれるように。
「君くらいの年の子は勉強が仕事だからね」お姉さんはケータイをちら見する。「ごめんね。行かないと」
「僕のほうこそすみません。あんまりにもおネイサンが綺麗だったので、つい」
僕は嘘は言っていない。
「気を遣わなくていいよ」
お姉さんは本気にしてない。
これが僕の気紛れだったら物語はここまで。終幕。
だけど、僕は別に。
気紛れや衝動でお姉さんに声をかけたわけじゃない。
計算して計画して。
ここで待ち伏せてた。
ターゲットになりそうなお姉さんが通るのを。
じっと。
ずっと。
塾なんかご免だ。初日で嫌になった。
僕が、
僕らがやりたいのはもっとずっと。
刺激的で。
非日常の。
僕はお姉さんに気づかれないように合図を出す。
「早く帰ったほうがいいよ。お巡りさんにご厄介になる前に」
「そうですね」
おマワリサン?
そんなの僕らの敵じゃない。
おマワリサンは、僕らを捕まえる権限を持たない。
誰も僕らを裁くことはできない。
「さようなら」お姉さんが歩みを再開する。
僕らも、
狩りを。
開始する。
「服は破んないように」
ようやく秋らしくなってきた。昼と夜で倍くらい気温が違う。
裸で置き去りにして風邪でも引いたら可哀相だ。
これは僕なりの優しさ。
みんなが変な顔をするのでお姉さんに近寄る。なんと、
お姉さんには。
穴が一つしかなかった。
0リン5
Minor 〉 ホンモノだったって?
女にしか見えない。
肩甲骨を覆うストレイトの黒髪。くりくりと大きな眼。
短いスカートから太ももが延びて。
カウガール。と言ったらいいのかその格好は。
こいつが、
斬り込み隊長。
Minor 〉女じゃあ、ねえ?せーてんかんしちゃったってこと?
Recorder 〉 外だけだ
男でしかない。
前髪を下せば年相応に見えるのだが。
周囲よりも少しばかり身長が高いお陰で。
他の奴らより少しばかり上の視線を獲得できる。ヤンキー。
こいつが、
現リーダ。
Recorder 〉 抱きついて確かめたんだからよ
Phobos 〉 次の手だけど
女のほかあり得ない。
肩に掛かるややくせ毛の黒髪。芯の通った眼差し。
この国の生粋とは言い難い、褐色の肌。
一番小柄だが、彼女の本体は頭蓋に収まっている。
南国リゾートで路上ダンスでもしそうな風体だが。
こいつが、
策略中枢。
Phobos 〉思い出させるんだ、もっと強く強烈に
そんなことくらいで、あの人が。
どうこうなるもんでもないだろうが。
Phobos 〉僕らは復讐する。僕らを搾取する大人たちに。その犠牲になったトヲルのために
Minor 〉トヲルくん
Recorder 〉トヲルさん
三人が、
俺を見る。
Stomachache 〉無駄だって
それに、トールってのは。
あの人が引き継いでくれたわけだし。それはすなわち、
あの人がまだ、
俺を憶えてくれているという。なんという、
甘美な。
忘れてくれてない。忘れてくれていい。
Stomachache 〉俺じゃないって
トールは、
死んだんだ。少なくともあの人は、
そう思っている。それでいい。そのほうが、
あの人の中に、
残れる。強くつよく強烈に。
第1章 不治山富士フジヤマフジ
1
「わたくし、実家に帰らさせていただきますわ」スーザちゃんは朝からこんな感じで。
正直僕は、どうにでもしてほしい。
煮るなり焼くなり、それこそスーザちゃんのお気に召すように。
トレードマークとも言えるシンプルな単色ワンピースだが、肌寒くなってきたのでカーディガンを羽織っている。白に白を重ねているのでどうにも不穏な連想に結びついてしまっていけない。
いやいやいやいや。
そんなことに屈する僕ではないぞと。
「今度は何やったのさ」殿様出勤甚だしい
もはやこの常軌を逸した危篤な(断じて奇特ではない)格好に何の疑問を持たなくなった僕の順応性の高さ或いは感覚の麻痺っぷりに頭痛が痛い。
むしろこの格好でないと異様に思えて仕様がない。ところからしてこの環境に毒されつつあると意識したところでとっくに手遅れの致命傷を負っている。大脳あたりに。
ついこの間、衣替えをした。架空の女子高生を模した。
中身は何の変哲もない変態なのだが。
「何もしてないですって」僕は一応弁明をしておく。
「何もしていないからいけませんのですわよ」スーザちゃんが胡子栗を睨みつける。「ヤる気満々などなたかのせいで」
「へえ、誰だろ」胡子栗がとばっちりを避けて席を立つ。
何しに来たんだ一体。こんな夕暮れ時に。
17時02分。
そしてまたも僕が針のむしろ。
「聞いていますの? ムダさん」
スーザちゃんが所有するビルに引っ越して二ヶ月あまりが経過した。
胡子栗
僕が左遷させられてすぐに立ち会った最初の事件以来。
特に何もしていない。
したことと言えば、
県警本部の間借りを脱して。県内で一番の繁華街かつ歓楽街なこの場所に事務所を移したくらいのもので。
しかしそれも夏の事件の開催中にすったもんだがあったようななかったような雰囲気でそれとなく移動を余儀なくされただけなのだが。
ああ、やはり僕は。
天下の警察組織を追い出されたんだなあと。
感慨に耽る間もなく。秋の夜長は更けていく。
対策課の担当領域からして暇なことに越したことはないのだが。こんなにも何もないのはかえって不安になる。
何か起きてほしいと不届きなことを思っているわけではない。
果たして本当に何も起きていないのか。
起こってはいるが対策課までお株が回って来ないのか。
この二つにはだいぶ隔たりがある。
こんなに何もしなくても給与はきちんと振り込まれているし。あくまで民間委託の実験的事業としての体裁は保たれているのだろうと。勝手に想像してはいるが。
いいのだろうか。
こんなに平和で。
「先生元気かなあ」
スーザちゃんが僕の微細な呟きを一対のパラボラアンテナで拾い上げてなにぞ文句をぶつけようとしたまさにそのとき。
そそくさと退場したはずの胡子栗が血相変えて戻ってきた。
「よーかい露出狂呼んで!」細っこいその腕に。
ぐったりした少女を抱えて。
19時42分。
妖怪露出狂というのは、ちょうどタイミングよろしく僕が思い浮かべていた魅惑の美脚精神科医・
僕に言わせれば、胡子栗も露出に関して五十歩百歩の域を出ないのだが。
少女の介抱はスーザちゃんが。
胡子栗がどこぞへ消えてしまったので、必然的に僕が先生を呼ぶ役割に。声が聞きたかったので役得といえる。
「にやけている場合ではございませんのよ? ムダさん」
「失礼しました」
先生は「はい」も「うん」もなくすぐに来てくれた。
19時58分。
いまだ気を失ったままの少女の全身を視界に入れ、僕に向けて顎をしゃくった。外で待て、ということだ。もしくは出ていけ。二度と戻ってくるな。
「甘味料は? どこほっつき歩いてる」
「行ってきます」
引きずってでも連れて来いという意味だったらしい。
対策課課長・胡子栗茫を。
本当にどこ行きやがったのだ。どこぞから攫ってきた意識も覚束ないいたいけな少女を置き逃げして。
胡子栗の寝城は、ビルのB2。
そこにはいない気がする。
ビルの入り口を守護してくれてる屈強な人たちの目撃情報によれば、すぐ戻ると言い捨て足早に走り去ったとのことだが。
駅方面に。
「何しに行ったんですかね」と門兵に投げかけたところで門や塀に話しかけるのと大差ない。
ケータイに掛けてもつながらない。ことは掛ける前からわかって。
「いたか」窓から先生が身を乗り出している。2Fの。
対策課本部はそこにある。
「すぐ戻るそうですが」
「遅かったか」先生は苦々しい表情で言う。「わかった。無駄足を踏ませたな。すまない」
「いいえ」
どうせ僕はムダくんですし。
対策課本部内に少女の姿はなかった。
エレベータからスーザちゃんが降りてくる。上のフロア、つまりは最上階に行っていたようだ。
スーザちゃんはそこの二代目店主。
「大丈夫?」僕は少女の容態を尋ねた。
「いま体を温めていただいてますわ」スーザちゃんの口調は重々しかった。「着替えを用意してきましたから、あとはセキさんにお任せするしかありませんわね」
対策課本部の固定電話でもう一度胡子栗を呼んでみたが、案の定不通。この短時間で電波が届かないようなところに行けるわけがないので、電源を切っているのだろう。
呼び戻されることが予測できていたうえで。
逃亡を図ったことになる。
「さっきの子て」
「ええ、残念ながら」被害者。スーザちゃんは言葉を濁した。
我らが対策課の対策対象。
性犯罪。
殊に少年の。加害者だろうが被害者だろうが。
そのどちらかに少年が関われば出動と相成る。
「わたくしのお庭で拾ってきたことは間違いないのでしょうけれど」
「身元は?」生徒手帳とか。おそらくは十代。
「わかるようなものをお持ちでなかったのです」スーザちゃんはソファにちょこんと腰掛ける。
対策課課長のデスクを見遣って溜息。
「何か知っていますわね」
「隠してるのかな」
「隠す動機が、あるとするならば」スーザちゃんが口元に手を。「心当たりがございますのでしょうね。その心当たりに単身乗り込んでいったと」
「んな無茶な」女装で?歩く犯罪だ。「この近くだとしたら」
「捜せないこともございませんけれど」逃亡者を捜すよりももっと重要なことがある。スーザちゃんはそうゆう含みを持たせ。「ムダさんは、以前どちらにいらっしゃったの?」
「飛ばされる前ってこと? ううん、どこだろ」国内と国外を行ったり来たり。「それがなあに?」
「ではご存じありませんわね。五年ほど前になりますかしら。わたくしのお庭で屯っていた非行少年グループのことですわ」
フライングエイジヤ
スーザちゃんがご丁寧にホワイトボードに記してくれた。
「五年前じゃ」スーザちゃんは店主じゃなかったはず。
当時スーザちゃんは13歳。
初代の祝多さんが店主だった頃の。
その祝多さんの正体こそが、僕が長年追い続けていた悪の巣窟だったわけなんだけど。
死んだ。
スーザちゃんによるなら、邪魔だから殺した。
店主の座を欲しいばかりに。
そして、僕に追いかけてもらいたいばっかりに。
殺された。祝多さんは。
育てられの娘だと主張するスーザちゃんに。
「細かいことはよろしいのですわよ」スーザちゃんは僕の回想を掻き消すように言い放った。おそらくは確実に見えていた。
僕の頭の中なんて。
「お見通しですわよ、ムダさんの考えそうなことなど。眼の前の事件に集中なさって?」
「そのフライングエイジヤがなんだって?」
「五年前に解散を余儀なくされまして。解体と申しましょうか。虞犯少年の集まりということで手が入ったのです」
誰の。と言おうと思って愚問だったことに気づく。
そんなところに手を入れるえげつない集団は一つしかない。
「で、どうなったの?」解散後。というか解体後。「水面下でまだ活動してたとか」
「わかりませんわ。ですが」スーザちゃんは、課長デスクにもたれかかる。白く鋭利な指先を載せて。「そのフライングエイジヤが、復活したということなのでしょうね。何も言わずに飛び出したとなると」
「まさか入ってたとか言わないよね?」逃走課長。たった五年前じゃ、少年とは認定されないだろうが。「もしくは創始者とか」
「ボーくんが以前、どこでなにをしていたのかご存じ?」ボーくんというのは、胡子栗のあだ名。スーザちゃんが名付け親の。
暴君。
「立ちんぼ?」
「それは現在の状況ですわね」
「最初っから祝多さんの下僕じゃなかったんだ?」
「ボーくんはわたくしの所有物ですのよ。ママは関係ございませんの。もう、ムダさんはいち早くそこから立ち直ってくださいまし」
立ち直るも何も。
そのために僕は甘んじて対策課なんかにいて、
最重要マークのスーザちゃんを探っているわけなんだけど。
「少年課におりましたのよ」
「誰が」
「ですから、ボーくんが」スーザちゃんが口を尖らせる。「もうまったくお話を聴いてくださらない。頭を切り替えていただかないと」
「そうだぞムダくん」
20時20分。
瀬勿関先生、ご再登場。
純白の白衣を翻して。前のボタンをまったく留めもしないその大胆さ。肌や下着の色が透けそうな薄手のブラウスに、マイクロミニのタイトスカート。エナメルのハイヒールを鳴らしながら。
「今度こそ殉職だ」
メガネのフレームが前と違うことに目敏く気づく僕も僕だが。
「誰がです?」
先生とスーザちゃんが顔を見合わせる。
駄目だこりゃの眼線のやり取り。
「すっかり牙が抜けてるじゃないか。どうした? そんな腑抜けはうちには要らないが」うち、というのは先生が所長の任に就いている収容施設。
国立更生研究所。
性犯罪者の更生を目指しているとのことだが。実際は、更生不可能な性犯罪者を使ってなにやら如何わしい人道的とはほど遠い研究を推進しているとんでもない施設のようだ。詳しくは知らないが。知らないほうがいいのだが。
僕は、そこの副所長の座を誘われている。勿論断った。
「あげませんわよ」スーザちゃんが異を唱える。「そんなところに行かないと仰って? ねえ、ムダさん」
「それは大丈夫」行きたくもない。
あんなところ、二度と。
「そうか。残念だ」先生は首を振ってスーザちゃんを見る。「黒だよ。真っ黒だ」
「そうですの」スーザちゃんがぎゅうと唇を噛締める。
「この五年何をやっていたんだと問い質したいが、殉職してたんだ無理もないか」
「あの、何が起こってるんですか」僕にはまったくわからない。
非行少年グループ・フライングエイジヤ。
元少年課にいたという胡子栗。
この二つが交わるところは。
「結成させたのが甘味料だ。で、同じく五年前の解体に携わったのも」
胡子栗。
「創っといて壊したんですか」
「創ったから壊したんだろう。出した奴が片付ける。何もおかしいところはない」先生は平然とそう言うが。
何かがおかしい。
まだ情報が足りない。
「止めに行ったってことですか」フライングエイジヤを。「これ以上犯行を重ねないように」
「何か感づいたか、
スーザちゃんの本名。先生はそう呼ぶ。
「先ほどの少女ですけれど、内部抗争に巻き込まれた可能性はございますかしら」
「分裂しているということか」先生が腕を組む。
「そうではなくて、何と申しましょうか。本当に復活したのかとそちらの点なのですけれど」
「それこそ甘味料に訊けと言いたいが」
いない。不在。
先生が課長デスクを見据える。
「これでは五年前の二の舞だ。本当に何も変わっていないな」
真っ先に真相を突き止めるべきは、
再結成のフライングエイジヤ。それとも、
現在逃走中の胡子栗茫。あるいは、
身元不明の被害者少女。
これを見誤るとすべてが手遅れになってしまいかねない。
そんな気がする。
だいたい当たる。
2
生きていると思いたくない。
もし万一生きているとするなら、
肉体以外。
肉はこの下に埋まっている。灰となって。だからこそ、
フライングエイジヤは解体させられたし、
償い。違う。
自己満足。違う。
弔い合戦なんかまっぴらだ。終わったあと何が残る。
彼の遺志を継ぐ者が再びフライングエイジヤを結集させ、
俺に復讐しようとしているのか。
わからない。
わからないから走るしかない。
奴らの屯しそうな場所はほぼ回った。
ここいらでは未成年は根こそぎ締め出される時間帯。だからいないとは考え難い。
いる。確実に。
どこだ。
ひとつ。
捜していない場所が。しかし、
そこには行きたくない。罪悪感でやりきれなくなる。
久永幕透の死んだ場所。
しかし、彼の遺志を継いでいるというのなら。
そこをアジトにするだろう。行くか。
行くしかない。
途中で公園を横切る。
敷地の中央に大きな噴水があり、昼間は家族連れや二人連れの憩いの場所となる。
夜は不法な輩が滞在しないよう、出入り口という出入り口にロープが張り巡らされるのだが。
これがあまり意味を成さない。どこにも抜け穴というのは存在するわけで。
やはり、いた。
ガキ集団。七人。
制服を着ていない。私服学校かと思ったが違う。
若すぎる。
どうやら帰るところのようだ。じゃあな、またな、という声が聞こえた。
優しく補導してやる義理もないし、当時のフライングエイジヤは中学生以上という加入条件があったのでそいつらは無関係だろう。
久永幕透の遺志を継ぐ者という点でもあり得ない。五年前に中学以上ならいまは高校でないと計算が合わない。
ただし、当時のフライングエイジヤならば、だ。
新しく集まったフライングエイジヤが年齢制限を取っ払っていたとしたら。
知らない。
声を掛けようとしたが、去り際の奴らの発言が引っかかった。
「生意気なんだよ」
「女のくせに」
「ざまあみろ」
「オレらに命令するからだ」
「フライングエイジヤだかなんだか知らねえが」
フライングエイジヤだかなんだか知らねえが?
「オレらはオレらの楽しいことをオレらでやるっての」
「口出しすんじゃねえよ」
ガキどもは、それをある一定の方向に向かって吐き捨てている。
まさか。嫌な予感だらけ。
ガキどもの姿が捕捉できなくなってから駆ける。
やめろ。
イヤだ。もうあんな思いは。
少女が倒れていた。
木立の合間に。
ぱっと見では気づかれないところにわざと。
捨てられていた。衣服のほとんどを剥ぎ取られて。
見たところ外傷はないが、
他の傷だ。息はある。
間に合う。
あのときとは違う。
ポケットからケータイだけ抜いて。
対策課へ。
少女の様子で一目瞭然だろう。手当や介抱は専門家に任せて。
俺がすべき仕事は、
集団暴行のガキどもを一刻も早く取り押さえて。
フライングエイジヤがどうなっているのか。現状把握。
五年も放っておいたツケがこれだとするなら。
片を付ける。
小頭梨英は殉職してしまったが、
胡子栗茫は殉職していない。
死体の山から俺を拾い上げてくれたスーザちゃんに誓って。
ケータイのメール履歴を漁るに、
被害者の少女は、
当時のフライングエイジヤに所属していた。
文面にちらほらと。
トヲルくん
久永幕透のことだろう。
主に二名とやり取りをしている。
リーダ
ボス
どちらが偉いのか、つなげてみればわかる。親切にも番号も登録されている。
アドレス帳に、この二件しか名前がないという時点で。
罠だと気づくべきだったが、そこまでの余裕がなかった。とにかく早く手掛かりが欲しかった。
なんでもいい。
久永幕透が確かに生きていないという物証なら。
「遅えじゃねえかよ」リーダは男だった。「待ちくたびれてイカれちまいそうだ。なあ、オズさんよお」
やはり当時の関係者だ。ばっちり名前が割れている。
「長えこと死んだフリしてくれちまってよお、そんなんでトヲルさんの無念が晴れるとでも思ってんのか?あ?」
「どこに行けば会えるかな」
「地獄で待ってんぜ」リーダは高らかに嗤う。
「君の仲間がガキどもに襲われたんだけどさ、知ってる?」
「あ?それがなんだって?」
「知らない? その子のケータイから掛けてるんだよね。とっくに気づいてるもんだと思ってたけど」
「んなこたあ俺が知ったことかよ」
「俺が、てことは。君以外なら知ってると、そうゆうことかな」
偉いのは、
ボスのほう。
「代わってくれる? 隣にいんじゃないかな」
「だとよ、ほら」リーダの声が遠ざかる。
「こんばんは」知らない声でほっとした半面。
ボスが、
久永幕透でなかったという。すでに彼は、
ボスを降りている。
リーダを降りている。揺るぎない事実。
「話ができてうれしいです」ボスは女だ。「あなたがトヲルによくしてくれたこと、ちゃんとわかってますから。責任を感じないでというのも無理でしょうけど」
嫌味か。
「こっちが聞きたいのは一個」
久永幕透は確かに死んだのか。
違う。
「君らの仲間を襲ったガキどもについて知ってることがあるよね?」
「あの野蛮ぶりには僕らもほとほと困り果てています」
「無関係ってことでいいわけね?」
「あんな思慮のない野蛮人と一緒にしないでもらいたいですけど」
「気を悪くしないでもらいたいんだけどさ、もともと君らの仲間だったんだけどいろいろ方針が違っちゃって分裂したとかあり得ないかなーって」
「まさかあなたに疑われているなんて」ボスが悲しそうな声を出す。「いくらなんでもそれは」
「違うんだね?」
「信じてください。僕らがあなたに仇なす理由が見当たらない」
お前らのだいじな、
久永幕透を見殺しにした。それ以上の理由があろうか。
「ガキどもの出没ポイントとかわかる?」
出現時刻も聞いた。あとは、
罠にかかるのを待つ。
「まさかおひとりで?」ボスが言う。「僕らにできることがあれば」
「何ができるのか具体的に言ってくれる?」
何もできない。
それは俺だって同じ。
「陰からこっそり見ててくれるだけでいーよ」
「トヲルは生きています」
君らの心の中に。
「あなたは死んで、トヲルは生き残った」
「ごめんね。掃除とか苦手だからさ、早いこと段取り付けないと」
「オズさん」
久しぶりす。
久永幕透の声。
「生きてるって信じてました」
悪夢だ。
「また会えて」
嬉しい?
冗談だろ。
復讐の機会ができて。
「あんまりからかわないでくれる? こー見えてけっこー弱っちぃから」
切った。
電話越しの声というのは至極本人とはかけ離れている。
そうゆう心許ない呪文に頼るほか。
リーダかボスが、
久永幕透を演じている。
もしくはほかの。そうでなければ、
幽霊。
ないね。夏はとっくに終わってる。
3
被害者少女の身元が判明した。
20時30分。
瀬勿関先生のカルテに残っていた。のを先生本人が思い出した。
イブン・シェルタ。
性犯罪被害者の支援団体。
先生はそこの顧問医を務めている。
「三年前だ。できた当初の」
当時15歳。
「ではいまは」18歳。少女とちょうど同い年のスーザちゃんが続けるが。
「生きていれば、だがな」先生はパソコンのモニタを向ける。「生きていたらしい。現状から判断するに」
診療記録。
そこの最後の文章だけ色が変わっており。ここを見ろとばかりに。
自室にて死亡を確認。
「これ、確認したのは」
死因は首吊り。
「私以外にいるか」先生は、無意味な質問をするなとばかりに僕を見上げる。「甘味料のやつはまだ見つからないのか」
「捜していませんわ」
「朱咲。いい加減に甘やかすのは」
「お言葉ですけれど先生。わたくしたちがいますべきは、逃亡中の当時最重要関係者をぐぐいと追いまくることではございません」
先生が、一時停止する。
思考はフル回転しているが。
「私がすることじゃないな」
「ええ、結構ですわ。セキさんはセキさんがすべきことをなさって?」スーザちゃんがにっこりと微笑む。
僕に向けて。
「いざ対策課、出動ですわ」
「具体的に何するんだろう」
「おわかりになりませんの? 対策課の仕事といったら」
なんだっけ。
ブランクがありすぎて。
「もう、行きますわよ」
「どこへ?」
ドア直前で振り返ったスーザちゃんが、僕の眼を射抜く。
「ムダさん? そろそろ覚醒してくださいな。お目覚めのキスが必要ですかしら」
「いんや、平気」
兵器だ。そんな唇は。
スーザちゃんナビで辿り着いたのは。
ここいらで一番敷地面積の大きな公園。
20時45分。
「現場百遍と申しますでしょう?」
「それは別に対策課のモットーじゃないよね」
警察組織から追い出されて久しい。いや、むしろ創設されたまさにそのとき以前から警察組織の中にはなかった。
「あら、昨日観たケージドラマで仰ってましたわよ?」
「それたぶん再放送だよね。てゆうか現場?知ってるの?」
「わたくしのお庭においてわたくしが知らないことなどあってはなりませんもの」と微笑みながら、スーザちゃんは。
ケータイの画面を見せてくれる。
監視カメラの映像。
人工林の合間から、
どこぞで見憶えのある変態的女装が。
ぐったりした少女を抱えて。
「知ってたわけ?」
ああ、そうだった。そうなのだ。
スーザちゃんは、
胡子栗の首紐を握っている。主人として。所有者として。
道理で。
甘んじて奴隷の逃走を許すわけだ。
なんだか疲れた。
「さあさ、参りますわよ」
夜中によからぬ者がよからぬことをおっ始めないように、立ち入り禁止のロープが張られているが、あまり意味をなしておらず。車両通行止めくらいにしか効果を発揮していない。スーザちゃんは躊躇いもなくそのロープをくぐって行った。
公園のシンボルともいえる、大きな噴水。
そこに少年たちが集っていた。計七名ほど。
20時53分。
全員が私服。
そこから導き出される、彼らの年齢は。
十代。それ以下。
彼らのうちの一人が僕らを見つけて、侃々諤々の話題をごっそりすり替える。
視線がスーザちゃんに集った。
「ちょっと聞きたいんだけどね」僕はスーザちゃんを自分の影に入れつつ。「君たちは塾の帰りなの? じゃなくてサボってる?」
「おっさん何?」手前の少年が言う。好戦的な眼差し。
「なんなわけ?」口火を切った少年に同調する形で。
視線がスーザちゃん以外に集う。
「そうだね。なんだろう」
対策課の権限はどこからどこまでなのか。
言われてみれば、線引きを知らない。
熟知しているであろう課長が逃走してしまったために。
彼らは知っているのだろうか。
対策課課長の居所を。
いやいやいやいや、そうじゃない。そうではないのだ。
対策課がすべきことは。
「何か落としもの? それとも捜しものかな」僕は背後にしっかりとスーザちゃんがいるのを気配で感じながら。「かわいい女の子を捨ててったよね。やるんならもっとうまくやらなきゃ。甘いよ、隠し方が。徹底的にやらないと」
捕まっちゃうよ?
僕がわざと省略したのが伝わった。
ひとり。
七名中最も大きい。態度が。
「捕まえられるんスか」
捕まえられるもんなら、
捕まえてみろと。
「捕まえてくださいスよ」
おまわりさん。
彼がわざと省略したのが伝わった。
ふたり。
七名に取り囲まれて。
「捕まえられないスよね」
「そうなんだ。困ったことに」対策課には、
そうゆう権限は与えられていない。
僕らの職務は、
逮捕以外のところにある。
「よく知ってるね」スーザちゃんを守ろうと僕が手を伸ばしたその位置に。
ない。
いない。振り返る。
「あ! あちらにまさかあのような」スーザちゃんの声がどういうわけか。
脳天のあたりから響いて。
脳天?
スーザちゃんの頭は僕の肩よりも下に。肩よりも下のはずなのに。
次にスーザちゃんの姿が目視できたとき。
僕らの周囲を塞いでいたはずの七つの人間は、僕の足元で一時的に物体と化していた。
「ごめん。何やったか聞いていい?」
「まあ、大変。お迎えを呼ばなくては」
ドップラ効果で近づいてきた音が若干幻聴じゃないかなと思ったけど。
ここで聞こえて然るべきなのは、
うーーーーーーーーーーーーーーーーーだよね?
ぴーーーぽーーーぴーーーぽーーーじゃなくって。
「もしものことがあってからではいけませんもの。石橋を叩きすぎてうっかり破壊してしまっただけのことですわ」とか満面の笑顔で言われても。
スーザちゃん。
もしかしなくても、ものすんごい強い?
4
風俗と予備校が同じ区画にあるのは如何なものかと。
何もかもを呑みこんで丸めこんでしまうスーザちゃんのお庭らしいと言えばそれまでなのだが。この街は滅茶苦茶だ。善い意味でも悪い意味でも。
お得意の立ちんぼよろしく夜通し張る覚悟はあったのだが。
ガキどもは現れなかった。代わりに、
リーダと名乗る少年が。
「待ちくたびれたぜ、オズさんよお」
頭ごなしな現状に逆らおうと、髪の流れも色でさえも共犯にして。黒地にピンクラインのジャージ。煌々と明るい自販機を光源に、ヤンキー座りを。
見覚えがあった。
殉職する前じゃない。
殉職した後。もっと、最近。
「君がけしかけてるってことになっちゃうね」
ガキども。
リーダは鼻で嗤う。
「だったら何だって?」顎で合図する。
建物の陰に隠れている何者かに。
ボスか。
或いは。
「こっちとしては信じてあげたかったんだけどさ」
愛すべきフライングエイジヤの残党なら。
「死んじまったらこっちのほうもおかしくなんのか?あ」
「確かめたでしょ。こないだ」
いつだったか。憶えてないわけじゃなくて。
憶えているほど。
思い出すほどの価値がない。その程度の。
いつぞやの立ちんぼのときの。
「リーダなら新入りのきょーいくとかきちんとやっといてくれないとさあ」
「ばっちりだろうがよ。体験学習してんだからよ」
「そーゆーことゆってんじゃないんだけどね」
性教育は、ガキ製造法のいろはを教えることじゃない。
性衝動を如何にして他人に迷惑かけない形でやりくりするか。それを教えるのが。
「教えてくれんだろ? そうゆうセンジョー的なカッコしてやがんのはよ」リーダが言う。俺を見上げる形で。「知ってんだぜ。あんたが」
女装なんかしてる理由。
そんなの、
「こっちが知りたいね」
リーダが立ち上がって。
両腕。
抱きつく。立ち上がると存外大きい。
「何のつもり?」
「俺があいつならこうしてた」
久永幕透。
「どうかな。抱きついたふりしてずぶり、かもよ」
いっそ殺してくれたほうが楽だ。
1不死
暴君なんて呼ばれていた。
事実、暴君だった。暴君以外の何者でもなかった。
暴君以外になる気もなかった。
俺は、暴君だった。
あいつに、あの人に。
会うまでは。
皆に暴君だと暴言を吐かれたところで暴君なのは。
わかっている。
好きで暴君をやっている。とでも思ったか。
お前らが、てめえらのその足りない頭が。
好き勝手なことしねえためだよ。
俺が暴君になってお前らをコントロールしねえと。
てめえらは、
クズ以下だ。クズですらねえ。
「解散させるつもりはない?」あの人はこう言った。「君が暴君として君臨してるなら君の命令は絶対なはずだよ? 従わなかったらここにいられない。最も恐れていることは居場所を失うことじゃない? 違うかな」
あの人の言うことはもっともだ。俺だってできればそうしたい。
でも、解散なんかしたら。あいつらは、
どうすりゃいい?
どこ行きゃいい?
そもそも行くあてもないような奴らが寄ってたかって。気づいたらこんだけデケェ集まりになってた。
これは結果だ。集まろうとして集まったんじゃない。
こいつらの、俺の、
フライングエイジヤは。
「君の手で終わらせてあげないと。だって君は」
暴君だから。
「ある日突然終わらせたところで暴君なのは変わらない。暴君なら最後まで暴君で演じきって見せてよ。君が選んだのはそうゆう末路だよ」
そうして俺は、あの人の言うとおり、
あいつらを。
全員集めて。全員だ。本当に全員集めた。
集まってくれたのだ。
この俺のために。
暴君でしかなかった、俺の話を。
聞くために。
ああ、やっと。
今日、この時をもって俺は、
暴君を、
降りれる。
集まったところで俺の。
記憶が途切れてる。
Phobos 〉思い出してた?
ヨルヒコの声でこの世を意識しなおす。
此岸を。
Stomachache 〉幽霊にだって回想する権利くらいあるよ
Phobos 〉何度言えばわかってくれる? トヲルは死んでなんか
生きている。
君ら三人の中にだけ。
ああ、あと。
案外強く、あの人の中に残ってたみたいで。
嬉しいやら悲しいやら。
忘れてなかった。
死んだ甲斐があった。
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