第3話 ルビィ姐さん

     1


 本部長は伝家の宝刀の、人でも殺しそうな眼差しと、人でも殺せそうな声色で。

 金魚のフンなのか腰巾着なのかを一瞬で蹴散らして。

 スーザちゃんに向き直る。

「オズ君は?」

「生存率を上げたいのならば、何度も申し上げました通り」

 すべてを話せ。

 真実をさらせ。

「捜査資料は何者かによって持ち去られた。データも何者かによって消された形跡がある。疑いたくはないが」

 当時の担当は、

 小頭梨英。殉職。

「ええ、疑うのは濡れ衣というものですわ。まったくの無実ですのよ」

「では誰が」

 捜査資料を持ち去りデータを消すことで得をするのか。

 隠蔽工作をすることで、何を隠そうとしたのか。

 むしろ庇ったのか。何を。

 庇うために、持ち去って消したのか。担当者がやるだろうか。

 殉職に関する一切合財を隠匿することで、

 殉職者が得をするだろうか。いや、

 首謀者はいまも生き残っている。からこそ、

 いまも捜査資料が見つからない。

「ママでなければ、一人しかおりませんわ」スーザちゃんが言う。「ママがそのような小賢しい真似をするわけがありませんもの。ママはボーくんを憎んでおりますの。トロツキを寝取られたことでそれこそ八つ裂きにしても足りないほどに」

 殉職した(させられた、と胡子栗談だが)小頭梨英を庇いそうな人間が、一人だけ心に当たった。僕はその疑い濃厚な人物を見ながら言う。

「あなたじゃないんですか」

 本部長。

「わたくしですわ」

「はい?」

 確認したいことがある。との本部長の締めで、踊りまくり深夜パーティは散開。

 5時53分。

 夜も明けた。

「ですからわたくしですのよ?」捜査資料隠蔽の首謀者。「大王さまもこのわたくしをねちねちと問い詰めずに一体全体どなたになにを確認しようと」

「えっと、何しに来たんだっけね」

 わからなくなってきた。

 スーザちゃんはしぶしぶといった様子だったが、散開してしまったものは仕方ない。

 対策課本部に帰る。県警本部からそう距離はないが。

 2Fの入り口に。

 ストレイトの長い髪を、後ろで一つに結わえて銀行員みたいな制服を着た女性が立っていた。

 ぱっと見誰かわからなかったが。

「天罰を下してください」

 樫武射月かしむイルナ

 なんでよりにもよって。この夏の事件で、

 殺人を犯した。

 自分の勤めていた歯科クリニックの院長をめった刺しにした彼女が。

「天罰を」

「上ですわ」祝多出張サービスの事務所は。スーザちゃんが指を一本立てる。「ところでリハビリプログラムはおよろしいの? セキさんはご存じ?」

 彼女は事件後イブンシェルタにてそんなプログラムを受けているはずだが。

「リフラが搾取されて」彼女の言う搾取とは、

 被害に遭ったと。

 そうゆうことだ。友人の地場李花じばリフラが。

「ご無事ですの?」スーザちゃんが心配そうな声で尋ねる。

「いま先生のところで」

 徹夜組は僕らだけじゃなかったようだ。また、

 被害者。

 スーザちゃんが一網打尽にしたガキども以外にも。

 小グループがぽこぽこ存在するということか。一体、

 何人のガキを病院送りにすればいいのだ。

「いても立ってもいられず。プログラムも放棄してこちらへ駆け込んだと」スーザちゃんが状況説明をしてくれる。

「ソドウヨルヒコがやったんです。ヨウヒも姿が見えなくて」

「まず落ち着いてくださいな。詳しいお話は」上で。スーザちゃんが案内しようとしたが。

 樫武射月は、スーザちゃんの両肩をがっしりとつかんで。

「天罰を下してください。そうでないと」

 私が。

 やってしまいかねない。だから、

 やらないために。

 二度と繰り返さないために。スーザちゃんの元へ、祝多出張サービスに助けを求めに来たと。自ら犯罪的手法に手を染めることなく。それだけでもう、

 瀬勿関先生のリハビリプログラムは成功している。と思われる。

 さすがは。

 彼女たちを逮捕したって裁判したところで駄目だったことがここで証明された。

「いま全力を挙げて首謀者を網にかけていますわ。ですから安心なさって?」スーザちゃんが女神の微笑みをくれる。

「ソドウヨルヒコなんですよ?」首謀者は。

「お知り合いですの?」

「ヨウヒが」

 砂宇土夜妃さうどヨウヒ

 この夏、

 樫武射月と共犯して院長殺害の偽装工作を行なった。地場李花とともに。

 三人は、天罰と称して。

 男を殺した。

「ヨウヒかもしれなくて」

「とにかく、ここでは落ち着いてお話もできませんわ」スーザちゃんがちらりと僕を見る。

 付き添え?

 ここで待て?

「別に僕は」

 どっちでも。

 相手は、性犯罪被害者支援施設の利用者だし。

「あのときのケージさんはいないんですか?」樫武射月が言う。「女の」

「そもそも女性の刑事はここにはおりませんわ」

「ケージさんじゃないんですか」

「刑事でもありませんし、況してや女性でもありませんのよ」

 胡子栗茫のことだろう。

 標準装備が女装だからこうゆうあらぬ勘違いを生む。

「そちらの方は?」刑事ではないのか。そういう意味合いを滲ませつつ、樫武射月が困った顔で僕を見る。

「対策課の徒村あだむらといいます。いちお、初対面ではないんですが」

 この夏、

 有谷ありたに歯科クリニックに、行方不明になった院長の娘の件で聞き込みに行ったときに。

 樫武射月はそこで働いていた。

 地場李花、砂宇土夜妃とともに。

「ごめんなさい。憶えてなくて」樫武射月が申し訳なさそうに俯く。

「いえ、印象薄いですし」大して言葉も交わしてないし。

 こういう没個性は強みでもあるのだ。

 すべての事象はいいように捉えよう。人生が明るくなる。

「この方は」スーザちゃんが言う。「信用に値しますわ。同席を許可していただける?」

 3F。祝多出張サービスの事務所。

 二代目店主は僕を顎で使ってお茶を用意させた。紅茶にしようか煎茶にすべきか迷ったが、もたもたしていたらすでに話が始まっていた。

「ヨウヒというのは」スーザちゃんが切り出す。「あの砂宇土ヨウヒさんでお間違いない?」

「本名を知ってますか」樫武射月が聞く。

「知らない。ということにしましょう」

「ごめんなさい。どこから話したらいいのか」

 僕はお茶をテーブルに置いて座る。スーザちゃんの隣。

 向かいに樫武射月。

「お茶一つ淹れるのに随分とお時間がかかりますのね?」スーザちゃんの皮肉。

「じっくり蒸らしてたからね」紅茶にした。朝にはちょうどいいだろう。「どこまで進んだ?」

「ソドウヨルヒコという方が首謀者だと睨んでいますのね?」

「知らないんですね?」樫武射月が言う。「ヨウヒは」

「フライングエイジヤをご存じ?」スーザちゃんが言う。「たしか、その初期メンバに同じ名前があったと記憶していますわ」

 ソドウヨルヒコ。

 樫武射月が頷く。

「ヨウヒの本名です」

「同じ名前を騙った別人という可能性もありますでしょう?」スーザちゃんが言う。

 僕の放った替え玉説。

「先週から連絡が取れなくて」樫武射月が言う。

「お友だちのあなたにも言えないようなことをしている」僕の説だから僕が口を挟む。「だから連絡がないと?」

「リフラが搾取されたんです。それが証拠です」

「次はあなただと?」

「自分の身は自分で守ります。ですが、ヨウヒは。ソドウヨルヒコは」

 スーザちゃんが紅茶に手をつける。

「悪くありませんわね」

「それはよかった」内心ホッと一息。

「どうぞ? 落ち着きますわよ」

 樫武射月はカップに眼もくれない。

「ヨウヒは戻ってくるんでしょうか」

「もし」スーザちゃんがカップを置いてから言う。「砂宇土ヨウヒさんがその首謀者的ソドウヨルヒコと同一人物としまして。地場リフラさんやあなたを搾取する動機はなんですの?」

「生ぬるいと言ってました。私やリフラのやり方が。気に入らないんです」

「でしたらあなたがたと別行動をお取りになってお好き勝手にやられればおよろしいのに。なぜそのように思い知らせる必要がありますの?」

「思い知らせたいんです。自分が一番搾取されているんだと」

「まあ、逆恨みですわね」スーザちゃんはあっさり言いのける。「そのようなご自分が一番不幸だと酔いしれている悲劇のヒロイン気取りのお子様は徹底的な教育が必要ですわね」

「ヨウヒを助けてあげてください」樫武射月が言う。凄まじい眼力で。

「そのソドウヨルヒコさんと同一人物だった場合には? あなたがたの大嫌いな搾取男の典型例ですけれど」

「それでも、ヨウヒだから。ヨウヒは私たちのだいじな」

 友だち?

 共犯者?

「死んでほしくないんです」

「あら、天罰を下すのがご依頼ではありませんのね?」

「天罰にもいろいろあるのだと、先生から教えてもらいました。私のやり方は少しばかり偏った見方であったと」樫武射月がカップを手に取る。「あったかいですね」そのまま口をつけたがすぐに。「苦い」顔をしかめる。

「まだまだお子様ですわね。成長途上の過ちは正せばおよろしいのよ」スーザちゃんが手を出す。「ムダさん、ガムシロップを二つお願いしますわ」

「はいはい」一つで充分じゃないかとツッコむのはやめた。

 黙ってテーブルの真ん中に置く。二つ。

 その二つが、それぞれ違うカップに入ったのは。

 見なかったことにした。祝多出張サービス二代目店主の名誉のために。

 紅茶を一杯飲み終えるだけの優雅な時間が過ぎる。

 6時35分。

「ありがとうございました」樫武射月がソファから腰を浮かす。「先生に、困ったときはここを頼りなさいと言われていたので」

「万事お任せいただいて結構ですのよ」スーザちゃんが自信満々に頷く。「わたくしとこの、対策課エースのムダさんが組めば不可能なことなどございませんもの」

「お願いします」樫武射月は深々と頭を下げて帰って行った。

「おわかりになりまして?」スーザちゃんが控えめに大あくびする。

 えっと、地場李花が被害に遭って。

 樫武射月が助けを求めに来て。

 砂宇土夜妃が首謀者かもしれない、と。この夏の事件は、

 まだ終わっていない。

 のか?

「整理してもらえる?」

 夏と秋は陸続きなのかどうか。

「大いに眠たい感じですわね」

「仮眠取ろっか?」

 スーザちゃんが遠慮なく大あくびを堪える。

「どうしましょう。首謀者があのソドウヨルヒコだとするとこの事件は複雑怪奇かつ奇妙奇天烈を極めてしまいますの」

 砂宇土夜妃って。

「男?」

 塑堂夜日古

 スーザちゃんがメモに記してくれる。

「ねえ、もしやヨウヒさんも」

 男。

「亡くなっていますのよ。ですからあの塑堂夜日古があの砂宇土ヨウヒと同一人物だとしましても齟齬が出てしまいますし、塑堂夜日古の名を騙っているだけだとしましてもなぜそのようなことをする必要が」ううん、とスーザちゃんが頭を。「頭痛がしますわ」

「ちょっと寝たほうがいいんじゃない? やっぱ」

「ムダさんが添い寝をして下さすのならば喜んで」

「それはいいや」

 寝ぼけてたとか言って取り返しのつかない既成事実を作られかねない。

 それでも睡魔と無益な争いを繰り広げることもないわけで。スーザちゃんは何か呪文のようなものをぶつぶつ呟きながら奥の部屋に消えた。

 僕も寝よう。

 スーザちゃんが起きてるんなら付き合おうと思ったが。

 地場李花が心配だが、それは専門家に任せよう。スーザちゃんが言うように、

 僕らは僕らのすべきことを。

 するべきなんだろうけど、今回の事件で。

 対策課がすべきことは。

 なんだろう。

 2F。対策課の事務所。

 ソファに寝転がる前に、万一と思って逃走課長のケータイへ。

 つながらない。

 死んでいるはずの被害者。

 降走満否。

 死んでいるはずの首謀者。

 塑堂夜日古。

 お前に聞きたいことが山ほどあるんだ。

 死んでいるはずの担当者。

 小頭梨英。

 つながらない。


      2


 つながりたい。

 自由主義がもたらしたのは皮肉にもがんじがらめの不自由さで。

 つながったって。

 つながったように錯覚するまやかし程度の。

 手を繋いでせーので飛び降りれば手に入るのか。

 お前らが欲しかったつながりは。

 そんな程度のものなのか。

 説教するのもよろしく指導してやるのも疲れた。

 再結成されたフライングエイジヤは、名こそ当時と同じ音の響きだが。

 やってることといったら。

 まったくのガキのお遊び以下で。

「抵抗してみろって」

 下らなすぎて息を吸うのも忘れた。

 ガキどもが集団で暴行をする映像に触発されたらしく。

 リーダが、俺に覆いかぶさって来た。

「なあ?オズさんよお」

「そうゆうことはあっちでやってよ」ボスが嫌悪の眼差しで。「僕の預かり知らぬところでこっそり」

「交ざりてえなら俺が終わってからだな」

「僕いま何て言った?」

 久永幕透が逆さになっている。俺が、

 逆さになっている。

 特に表情は変わらない。ざまあみろとは思っているかもしれないが。

 残念ながら、

 こうゆうのは慣れている。どうってことはない。

 すんません。

 止めらんなくて。久永幕透の口が動く。

「来ないですね」ボスが監視カメラの映像を切り替え切り替え。「僕らの居場所がわからないんでしょうか」

「おとーさんやおかーさんに連絡してあげよっか?」

 ボスが僕を見る。

 上半身ごと振り返る。

「迎えに来てほしいだけだよ。パパやママが悪かったって言わせて抱きしめてほし」い、が裏返ってしまった。

 窮屈な角度を取らされる。脚が痛いってのに。

 その体位は反則だ。

 折れてるんじゃないだろうか。

「集中してくんねえかなあ」リーダが俺の鼻先に多湿な呼気を突き立てる。「好き勝手ごちゃごちゃゆってねえでよお。もう一本やっちまってもいいんだぜ?」

「僕は加わらないからね」ボスが言う。

「そっちじゃねえよ」リーダが俺の。

 靴を脱がして、足の裏。足首。ふくらはぎ。にかけて、

 手の平を這わせる。

 いまのところ無事なほうの脚を。

「あんた立てなくなったらマジで合わせる顔がねえっつってんだろうがよ。大人しくナいててくんねえかなあ」

「下手くそなんだよねえ。気が散ってしょうがない」

 自棄になって揺すろうとしているリーダをよそ眼に、ボスは監視カメラに向き直ろうとしている。

「誰も来ないよ。もう一回言うね。君たちが待ってる人間は誰一人来やしない」

 暗に、ムダ君たちが来ないことも示唆した。

 来てもらっては困る。自業自得な課長の安否よりも、

 もっとだいじなことが。

 ある。それをわかってくれているからこそ、

 フライングエイジヤのアジトが放置なのだ。

「どーしてそんなにひねくれちゃったのさ」

 久永幕透が、

 一歩進んで。

 二歩近づいて。見下ろす。

「大人の言うとおりにしてバカを見てきたんで」

「まともに考えられるアタマが果たして君らにあるんだったらね」

「そっちが思ってるよりうんと考えてるんすよ。俺らの話を封じるのがあんたがた大人のやり方だ。だったらこっちは」

「ゆうことを聞かない悪い子になるしかないって?」笑えやしない。「そうゆうとこがガキなんだよ。もうちょい賢くならなきゃ。従ったふりして虎視眈々と狙ってごらんよ。穴だらけの理論ともつかないもどきの理論を足元から崩してやるとかさあ」

 久永幕透が、リーダとボスの機能を停止させる。

 一時的に、だろうが。

 俺と話すために。

 話したいがために。

「止まるじゃん?意志の問題だよ」

「遺志の、すよね」久永幕透がモニタを沈黙させる。久永幕透が、

 俺から。

 引き抜く。着衣を直す。

「すっきりすると思ったんすけど」

「アタマでも口でも敵わない場合、そうゆう手段に訴えるしかない。反社会的暴力だ」

「なんで」

 解散させたのか。

 見捨てたのか。

「怒らないんすか」

「話せばわかってくれると思ってたからね」

 解散させて。

 手を離した。

 いつまでも親元にいてはいけない。親のいいなりマシンにしかなれない。

「君らが嫌いになったからじゃないよ」

 愛すべきフライングエイジヤを、

 解体したのは。

「何しようとしてた?ガキども扇動して」

 久永幕透は、

 俺の後ろに回って。

「もっかいやり直すんで」メールを送った。

 それが、

「開始の合図?」

 朝っぱらから。

 腕白なこって。

「案外しんどいんだよ?当てどなくひたすら立ってるのって」

「真似するだけすよ。オズさんが」

 やってたことを。

 久永幕透は、椅子を俺から解放する。が、

 立てない。身体動作マニュアルから、

 立つことに関する一切が虫食いの被害に遭っている。

 地面に吸い寄せられる。ところを、

 久永幕透に。

「だいじょうすか」

 支えられる。

 大きく、

 なったんだ。こんなにも。

 中身はあのときのまんま。

「大丈夫だったらこうはならないね」

 痛い。痛みを通り越して、

 脚の感覚が。

 どっかにいっている。迷子。

「よければ、ここで一緒に」

 死んでくれ?

 上等だ。誰が。

 幽霊と心中なんて。

「見てくれないすか」

 無力なガキどもの、

 アタマの足りない復讐劇。

 立ちんぼストライキ。

「帰るよ。俺が作ったフライングエイジヤはもうない。いる意味もないね」と、強がってみたものの。

 ほふく前進でアスファルトを這う姿を客観的に想像してやるせなくなる。

 しかも、この格好で。

 寒くなったらもうちょっと丈の長いものを選ぼう。スカートは。

「じゃあな」リーダが言う。

「さよなら」ボスが言う。

 久永幕透は、

 何か。言ったかもしれないが。

 聞かなかったことにした。

 引き止める類の文句。

 もし、俺が戻ったら。止められるだろうか。

 駄目だ。

 大人になってしまった創始者の言葉なんか。聞く耳持ちやしない。

 ガキというのは、

 大人に反抗することで存在意義を確かめる。愚かだ。

 どっかの女装野郎みたいに。


      3玉


 店主は常習的に朝帰りする。その仕事柄。

 ドアの前で待ち伏せていた。

 うんざり疲れた顔がエレベータを降りる。話しかけてくれるなと言わんばかりの。

 しかしこちらとて「話が」あるのだから。

 店主は聞こえていないふりをして事務所の中へ。

 追いかける。

「ガキどものことなんですが」

「セキに訊いたってや」店主は、俺に構わず服を脱ぎ捨てる。

 歩いた道筋に仕事着が点々と落される。血痕のように。

「お風呂入りとーてかなん」外したメガネをテーブルに載せる。

 たかが女の裸くらいで。

 女への擬態は衣類なしでは成立し得ない。

「どこに収容れて」

「どこかてええやろ」店主がバスルームに消える。

 開け放つ。

「どこへやったんですか」

 店主は脳天から全身にシャワーを浴びる。

 俺はノズルを奪う。

「返しぃ」手も伸ばさない。視線も向けない。

「答えてください。ガキどもをどこへやったんですか」

 こっちは視線を合わせようと必死だってのに。

「殺した」

「全員ですか」

「嘘やウソ」ノズルを持つ俺の手を覆う。「せやからセキに訊いたらええやんか」

 国立更生研究所。

「あそこにはいません」湯が掛かって俺の服が濡れるがどうでもよかった。「いるはずがない。いるわけない」

「見てきたんかいな。おらんかったん?」

「あそこは更生可能な奴しか容れない」

 店主が嗤う。

「そか。治らんのか」

「治らない場合は、どこに行くんですか」

 店主はノズルを奪還することを諦めてバスタブの縁に腰掛ける。

「知ってますね?」

「知らん」店主はカランに切り替えて湯を溜める。「出てってくれんかな。アチはお風呂は一人でゆっくりしたいん」

「生きてますか」

「殺す価値もおうへんて?」

 湯の出ないノズルを壁に戻してから言う。

「あれだけの数がいなくなれば大騒ぎになります」

「あれだけの数戴いといてなにをゆうとるん?」店主はバスタブの底に足をつける。縁に腰掛けたまま。「大騒ぎになっとるんか?大騒ぎになるだけの価値はあらへんよ」

「どういう意味ですか」

「そんだけの存在ゆうこと」店主は濡れた髪を払う。「いてもおうへんでもどないでもええような存在やゆうこと。捜索願もなあんも出てへんて。哀れなガキや」

「親も誰も捜してないと?」

「いらんて。あないな出来の悪い汚点」

 店主の肩を掴む。

 冷たい。

 蝋人形のほうがまだ温かみがある。

「アチが悪いんか」

 冷めた眼。

「どこに行ったのか教えてください」

「知ってどないするん?助けるんか。あんたが?てっぺん殺ったんどこのガキ集団や。その復讐と違うたんか」

 手を放す。

 本当は一秒でも早く放したかった。

「他を」

「他を当たり尽くして茫然と立ち尽くしとったのと違うん?ええのか。アチを追い詰めんで」

「追い詰まりますか。俺くらいで」

「すっかりつまらんおぼこやな。価値おうへんかったやろ?復讐。気ぃ済んだか」

 バスルームを出ようとしたところを店主に押さえられて頭を、水浸しの床に。

 天と地が反転する。

「ついでにアチと戯れてんか」長く芯のある黒髪が、

 俺の顎から首にかけてをくすぐる。

 うぞうぞ蠢く闇色の毛虫。

「話があるんはあんただけやない。アチのだいじなもん、どないにしてくれたんやて?」

 怒り狂いそうだったのは俺だけじゃなかった。

「だいじなものなら名前を書いてください。所有権がいまいちわからなかったもので」

 枯れ枝みたいな指が身体中を這いずり回る。

 耐えろ。それが最上の嫌がらせ。

 嗤って見せろ。

「よーかい露出狂のものじゃなかったんですね。すいません、てっきり」

 不快感。

 異物感。半身の下。

「この落とし前、きちんと払うてくれんのやろ」

「ここで?ですか」

 3Fで。

「下の下の下の下でもええねんけど」

 B2の。

「そっちを選んでも結局はいまここで落とし前とやらをつけさせられるんですよね?元はと言えばあっちが条件出してきたんだけどなあ。真実の見返りとして」

「その真実頼りにアチを揺さぶりにきよったんか」

「あれ?揺さぶられてます?もしかして、もしかしなくても」

 膝を立てる。小突く。

 挟まれる。

 さながら、すりこぎで粉々にされている胡麻の気分。

「地位も人生もなんもかんも棄てての復讐が、女装してガキに犯されまくる方法やゆうて聞いたときは、ここのネジの吹っ飛んだアホや思うたけど」

 生命としての水分を失った枯れ枝が、

 俺のこめかみを撫でる。

「ここまでのずアホやとは思われへんかったわ」

「そろそろ殉職どきですかね」

「なにをゆうとるん?死なせへんよ。アチのもん寝取った罪は、あんたのつまらん命一個で償えるようなもんやない」

 店主は本気で怒っているらしかった。

 まさかこんなに容易く逆鱗に触れることができようとは。

 あの下半身脳のどこがそんなにお気に召したのか。泣いてご教授願いたい。

 そのあとのことは、思い出すだけ容量の無駄遣い。

 でもひとつだけ。

 泥の底のような暗黒の中から、再び俺を単一の個体だと認識させてくれた強烈な一撃。光であり稲光であり。

 あのとき確かに小頭梨英は殉職したが、その代わりに。

 蘇った。

 わけのわからない死に損ない。そいつが、

 生命復活の起源たる雷撃に畏怖やらなんやらを抱くのは、

 当然至極であり。

「ごきげんよう。お初にお眼にかかりますわ。わたくし」

 その少女は、

 死体よりひどい俺をくんずほぐれつの渦から拾い上げて。人体改造を施すことにより、とかく自分好みの、正義のヒーローを生み出すマッドサイエンティストを気取りたいらしかった。

「あなたは本日このときよりわたくしのものですのよ」

 ボーくん。

 朱に咲き誇る少女が付けてくれた名前は、きっと。

 暴君でなく。

 亡君の。ほう。


      3


 スーザちゃんが血相変えて僕を起こしに来た。

 7時03分。

 あれから三十分も眠れていない。でも別に平気だった。

 元の職場に比べたら全然。

 人間的な時刻にのっとったそれ相応の活動ができている。

 ああだから僕は、

 怨みがましく時刻を確認する癖ができてしまったんだろうなと。

「これをご覧になって?」スーザちゃんは小型のノートパソコンを僕の膝に叩きつけた。

 監視カメラの映像。

 街のそこかしこに仕掛けてある。システムに侵入して、スーザちゃんのマシンに流出するように。

 よく考えなくてもすさまじい犯罪行為なんだけど。あんまし気にならなくなっている。

 それがスーザちゃんの魔法。

「見て下さいましな。クソガキが」

 映っていた十六分割すべての画面に。

 横一直線に並んで。

 車道を睨む形で立ち尽くしている。学校の制服。

 私服もちらほら。

 私服の学校の生徒だろう。もしくは、制服の概念が存在しない。

 十代。それ以下。

「具体的に何やってるの?」道端に並んで立って。「ストライキじゃあるまいし」

「それが近いかもしれませんわね」

「で、何やってるの?」ストライキ紛いなんかして。「何か利点が」

 あると信じているのだろう。信じさせられたか。

 相手は、まだ十代のガキだ。

 危うい思想に転びやすい年代。

「いま、大王さまが緊急で対策本部を設置しましたが」

「一斉補導の算段?」

 立ち尽くすガキどもは、一点に車道を見つめている。すぐ隣に、

 手の届く距離に。

 同じ仲間がいるというのに。口もきかずに。

 することと言えば、

 ケータイをいじるくらいの。

「相手は未成年ですもの。逮捕というわけには参りませんわ」

「そうゆうことじゃなくて」あらゆる稚拙な想像力が後手に回った感が否めない。「どのくらいの数がやってるの?把握できてる?」

「区内の学校はほぼ勢揃いですわね。小中高合わせて二十ほどですから」

「そこの全校生徒がこれに参加してたら」単純計算で、

 単純計算ができない。

 小学は六年で。中学は三年で。高校も三年で。

 少子化で数は減っているとはいえ。少なくとも、

 千単位?

 冗談じゃないぞ。

 スーザちゃんが十六分割を切り替え切り替えして呟く。

「本日は平日ですのよ。クソガキは学校でお勉学に励まなければなりませんのに」

 フォーマルやジャージ姿の大人が数人で、ガキどもに何かを訴えかけている。熱心に。肩や腕を掴んでその場を移動させようとしている。

 おそらくは、ガキどもの通う学校の教員。ちらほらと、集合しつつある。

 無意味でかつ逆効果だ。

「止めようよ、せめて」勘違いな方法論を。

「ご父兄のお迎えを待っているのですわ」

「帰るかなあ」そんな単純な。

 ことらしい。ちらほらと、

 その場を離れるガキもいる。大人に連れられて。

 残されたガキに。

 手を振って。じゃあな。

 さよなら。と、言葉を交わして。

 なんだ、

 無視しているわけじゃない。

 交わす必要がない言葉は、発さないと。そうゆう。

 もっと深い部分での心のつながりでもって、

 待ち続ける。ひたすらに、

 両親の迎えを。

「PTAの緊急連絡網のほうが効果が望めそうだけど」

「すでにやっていますわ」スーザちゃんがケータイを見せる。

 本部長は承知だということだ。

「ただ、捉まらないご父兄が予想以上に多くて」

「そんな下らないことで電話してくるな、て?」

 そんなことをやってるから、

 この惨事。

 気づかない。気づけないからこそ、

 ガキどもは立ち尽くすしかなかった。黙って待ち続けるしかない。

 家に帰ってこないのなら、

 親の働くこの街の往来で。車道を見つめているのだって、

 車は大人の象徴。仕事の象徴。

 駅のホームにずらりと並んでいる列もある。バス停に。タクシー乗り場に。

「どうする?」行ってみる?「僕らが説得してどうにもならないだろうけど」

「説得すべきはクソガキではありませんわ」スーザちゃんがパソコンを折り畳む。

 僕に車のキーを渡す。

「げ、何人いると」あの数の両親を一軒一軒。

 考えただけで。

 頬が引き攣る。営業外回り用スマイル。

「クソガキはクソガキの頭では何も考えられませんわ。クソガキの統率者がカリスマ的に命令を発し何ら疑うこともなくその通りに突っ立つことにしただけのことですの。お得意でしょう?」統率者の親を。「説得だとかお説教だとか」

 スーザちゃんが見遣る。

 対策課の入り口。そこに、

「命からがら帰って来てまーだ働かせようって?」

 ぼろ雑巾みたいな身なりで、

 髪も滅茶苦茶。肌も薄汚れて。

 床に這いつくばる。

「正義のヒーロは楽じゃないってね」

 胡子栗。

 7時26分。

「いままでどこ」というか。

 何かが変だ。

 重力に押しつぶされたのかなんだか知らないが、床に這いつくばってないで立てばいい。足があるんだから。

 幽霊じゃあるまいし。

 幽霊だってそんな体勢は取らない。直立不動の。

 直立、

 できないのだ。

「その足」

 まさか。

「ごめーん。やっちった」手を貸してとばかりに万歳。「おねがーい」

 近寄って肩を。

 そのままソファに転がってしまった。

 力が入っていない。

「痛くありませんの?」スーザちゃんが慎重に脚を触る。「どうやってこちらまで?」この足で。

「正義のヒーロはびゅんびゅん空を飛べる」

「こんなときにふざけないでください」

 いま、瀬勿関先生を。

 呼ぼうとした手を止められる。

「よーかい露出狂はこん中にしかきょーみないよ」胡子栗が頭蓋をつつく。もう片方の手で。「怪我とかその程度のことで人外なお手を煩わせちゃあいけない。そんなことより、満を持して対策課出動だ。課長命令ね。わーお、久しぶりー」

 見た目にはわからないが。大のおとなが、

 自力で立てないというのだ。

 これが甘えでなくていったいなんだと。甘え?

「どのような無茶をしたらこのような大惨事に」スーザちゃんが首をかしげる。

「それはさ、必殺技はキックだからさあ。こう、ね」胡子栗が折れていないほうの脚を振り上げる。

 ゆっくり下ろさせた。

「いい加減にしてください。二度と歩けなくなったら」

「なってもなんでも、ガキんちょが困ってたらさ。手を差し伸べてあげたいわけだ。なにせ胡子栗茫くんは正義のヒーロとして誕生したってゆう裏設定がね」

「さっきからなにわけのわかんないこと言ってんですか」

「課長命令が聞けないっての?むだ無駄なムダくん。俺は君をそんなふうに育てた覚えは」ごねにごねる胡子栗だったが。

 地図をモニタに表示させたスーザちゃんの顔は、

 清々しいほどに晴れやかで。

「参りますわよ。いざ」

 塑堂そどう接骨院。

 胡子栗が苦笑い。

「その前に着替えさせてくんない?」


      4


 迎えに来てくれるメンバはいい。でも、

 迎えに来てくれないメンバもいる。

 羨ましく思わなくていい。

 遠慮もしなくて構わない。

 帰りたくなったら帰ればいいし、

 疲れたらやめていい。

 メンバは律儀にも立ち去るときに書き込みをしていく。

 お陰で、いま。

 誰がどこに残っているのか。一目瞭然で。

 Recorder 〉絶対ェ来ねえよ

 Phobos 〉来るかもしれない

 久永幕透としては、

 Stomachache 〉無理にやらなくていいから

 Minor 〉みんな元気?

 降走満否ふるばしりマイナだ。

 新規メンバにモラルの向上を訴えて返り討ちに遭った。と聞いている。

 Stomachache 〉いまどこらへん?

 Minor 〉寝てる。股痛くって

 Recorder 〉デキちまってねえのか?

 Minor 〉子宮なんかあるわけないじゃん

 Phobos 〉それはお大事に。頭とか

 Minor 〉トヲルくんさあ、面白いこと思いついちゃったんだけど

 Stomachache 〉ほどほどにな

 Minor 〉まだ何もゆってないじゃん。いい?いいよね?やっちゃっても

 Stomachache 〉そこに、いるんだね

 きみを、マイナを。

 返り討ちに遭わせた新規メンバが。

 病院送りになった。と聞いている。

 なにも同じ病院に送らずとも。

 ケーサツ関係の病院だからしょうがないのか。

 Recorder 〉おもれえことやっちまうわけだな?

 Phobos 〉搾取する大人への復讐なら止めない

 Minor 〉ふっふーん。二人はあたしの味方だね

 降走満否が。やろうとしていることは。

 久永幕透の域を超えた、

 復讐の形を採ることは。自明。

 Stomachache 〉他の方法はない?

 Minor 〉うずいてしょーがないんだぁ

 殺人。

 Stomachache 〉マイナは幸せ?

 誰でもいい。男なら。

 降走満否は男根を根絶やしにしようとしている。

 似ている。塑堂夜日古と。

 それしかないのか。

 Minor 〉あたしは男がだああああああっい嫌い

 Recorder 〉やっちまえばいんじゃねえの?

 Phobos 〉天罰だ。僕も支持する

 止められないのか。

 フライングエイジヤでは。

 止めてほしい。

 オズさんなら。

 Minor 〉止めたら殺しちゃうよん

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