第7話 モンブランを泊め

      1


 さすがに最前列はまずいだろう。いくら閑古鳥鳴き放題の遊園地とはいえ。

 11時30分。

 お子様たちが眼を輝かせて声援を飛ばしているその中心で、

 開演時刻。

 お子様以上に眼を輝かせて前のめりでヒーローの名を叫んでは。

 スーザちゃん。

 好きなのはわかるんだけど、ファンなのも知ってるんだけど。

 止めるべきか。

 でもショーが始まったいまさらしゃしゃり出ていくのも無粋で。

 お子様に大人気の変身ヒーローショー。

 僕は本日、

 スーザちゃんに誘われてデート。というよりむしろ、

 付き添いの保護者?のほうが合ってる。というのも、

 なんでこんなのんきにデート(日曜行楽ともいう)なんかに勤しんでいるのかといえば。

 スーザちゃんに渡された映像ファイル。

 5枚目。それこそが、

 スーザちゃんが目下夢中な孤高の某ヒーロー(絶賛放映中)の、

 これまでの闘いの総集編(過去二回の劇場版含む)が詰まっていたからで。

 正味7時間強。

 それを半強制的に見せられたことでまんまと魅せられてしまった。というのは、

 昨日の今日で突然休みを取るための課長に対する言い訳だが。課長もそれで信じてくれたかどうかは定かではないが。容易く背景が理解できているものだと期待するが。

 このデートもどきと引き換えに、

 この数日に起こった怒濤のような後味の悪い事件の後味をよくしてくれるとのことだ。付き添わないわけにいくまい。

 手下のザコがわらわらと出てきて。

 最前列のお子様(スーザちゃん含む)を至近距離でおどかす。

 おどろおどろしいBGMに乗って悪の親玉が出現。

 いかにも悪的な悪のスローガンを掲げ。

 会場のお子様たち(スーザちゃん含む)を恐怖に陥れる。

 そこに、

 待ってましたと孤高のヒーロが。

 会場のお子様たち(スーザちゃん含む)の声援が最高潮に。

 あれよあれよと言う間に、ザコは蹴散らされ。

 悪の親玉と一騎打ち。

 しかし悪の親玉はその名に相応しく悪の隠し玉を持っており。

 その予想外のパワーアップにより孤高のヒーロはピンチに立たされる。

 もう駄目だ。絶体絶命。

 そこにお子様(スーザちゃん含む)の声が嗄れるまでの声援。

 孤高のヒーロは蘇り。

 悪の親玉をぶっ飛ばす。必殺技のキックで。

 ぱちぱちぱちぱち。

 素晴らしい文句なしの大団円だ。大人気の主題歌が流れる。

「最高でしたわ」スーザちゃんが興奮した調子で駆け寄ってくる。「ご覧になりまして?」

「握手とかしなくていいの?」僕はステージを指す。

 今日も悪の化身から地球の平和を守った孤高のヒーロが、お子様たちとふれあいコーナを設けてくれている。先ほどの声援のお礼とばかりに。

「ちょっとお待ちくださいませね?ムダさん。こちらで、お待ちくださいな」と釘をさし、スーザちゃんは一目散にステージへ。

 お子様をかき分けかき分け、孤高のヒーロに思いの丈をぶつける。

 12時07分。

「満足した?」

「ええ、もう筆舌に尽くせませんわ」スーザちゃんが番号札を片手に戻ってくる。

 お帰りの際、出口で写真と引き換えてくれるらしい。

「なんか食べる?」

「そうですわね。午後のショーにも備えませんと」

「まだ観るの?」

 どうやら午前と午後で演目の内容が異なっているだとか。

 いいよ、もう。勝手にしてくれて。

 屋台的な店で即興的な昼ご飯を胃に放り込み。

 スーザちゃんは手放したゴムのごとく会場へ。最前列を占領し。

 あと二時間以上もある開演時間を待つらしい。

 12時16分。

「セナセキ先生って何してる人なの?」

「財団のことでしたらわたくしには無関係ですのよ」スーザちゃんがストローに口をつける。ずるずると吸って。「なかなかいけますわね。あとでもう一杯戴きたいですわ」

 客を見て文字を書いてくれる路上アーティストならぬ、

 客を見て飲み物をブレンドしてくれる怪しい屋台で購入したジュース。

「ムダさんもおやりになればよろしかったのに」

「財団てのは? あかい、ええっと」確かあのときもらった名刺がこの辺に。

 あった。

 と思った瞬間手の中にはなかった。

「あ、ちょっと」

「この若者とセキさんとの関係がお知りになりたいのでしょう?」返してくれた。「直接ご本人に訊けばおよろしいのに。わたくしが話すべきことではありませんわ」

「じゃあスーザちゃんが話すべきことを聞くよ」

「何がお訊きになりたいの?」

 そんなの。

 決まってる。

「5年前にも同じことがあったんだね? しかもそのときの首謀者が」

 スーザちゃんが、

 ジュースの容器を足元に置いて。頬杖をつく。

「それの不始末で殉職させられたわけなんだよね? 小頭梨英おずナシヒデは」

「生きていますわ」

「スーザちゃんが助けた。祝多いわたさんの眼を盗んで」

「盗めませんわよ、ママのお目めなど。そうですわね。どうして助けたのか。それがお訊きになりたいのかしら」

「気紛れ以外で説明してもらえるんなら」

「お師匠に反発したくなることってありません? 親でも上司でも構いませんわ。反抗期真っ只中だっただけのことですわ。もしくは、憧れと申しましょうか」

胡子栗えびすりに?」冗談じゃない。「どこらへんのどうゆう具合に?」

「まあ、ムダさん。嫉妬してくださるだなんて」スーザちゃんが微笑む。「わたくしが憧れてやまないのはいまも昔もただひとり。そのためにママにひっついてあの方が住まうこの地へ降り立ったのですわ」

「僕じゃないよね?」

「ムダさんは憧れではありませんのよ。もう、おわかりになっているくせに。いじわるですのね?」スーザちゃんが、僕の肩にねじり込んでくる。

「ごめん。痛いんだけど」

「憧れのあの方も相当に痛かったのだと想像に難くありませんわ。瀕死寸前のところを拾われてヒーロに改造されてしまうだなんて。まったく、どこのボーくんかと」

 ??

 ?

「え、あのさ」どっちが先だ?

「お聞きになっていませんでしたの? ボーくんは、わたくしが拾って」

「それは知ってるよ。胡子栗を?なんだって?」

「改造したのですわ」

「どこを?どうやって」

「そんなこと、わたくしの口からはとても」スーザちゃんは恥ずかしがる素振りで顔を背ける。

「小頭梨英と胡子栗茫えびすりトールの違いって何?」

「まあ、白々しい。ご覧になったのでしょう? わたくし、もう限界ですのよ。ボーくんとよなよな開催されているそれはそれはいやらしいプロレスごっこなど」

 ええっと、だから。

 そうじゃなくって。

「オズリエイってだれ?」

「大王さまのお妃ですわね」

「オズナシヒデってのは?オズリエイと」

「親子だとでも?違いますわ」

 ええっと。そうゆうことだと。

 どうゆうことだ?でも、

 胡子栗はそんなようなことを仄めかして。

「当時不良少女だったリエイさんを補導に補導を重ねられているうちにいつしか芽生えた愛によって生まれたのがナシヒデ。ではないということですわ。おわかりになりまして?」

 小頭梨英リエイの息子が、

 小頭梨英ナシヒデじゃないのか。

「ごめん。わかんない。降参」

「本当に?」スーザちゃんが顔を近づける。「本当の本当におわかりになっていない? ウソをついても無駄ですわ。お認めになりたくないのでしょう?まさかリエイさんが」

 改造を施されて。

「ボーくんになったなどと」

「そうなの?」

「その人体改造を指示したのが、正義の科学者であるわたくしですのよ」

 正義の科学者なんてのはいない。悪の科学者だって。

 いるわけがないのだ。

 そんな、

 だって。

「どう見ても。あり得ないって。だって」

 そんなわけ。

 胡子栗茫が、小頭梨英ナシヒデで。

 小頭梨英リエイってのが?

 ちょっと待って。さっきとんでもない情報が通過してってないか。

「本部長の?」妃だとかなんとか。

「ご存じ、ありませんわね。ボーくんが言っていないのなら」

 ということは。

 ということで?

「待って。待ってね。整理するから」本部長が結婚できない理由。

 できるできないじゃない。

 できないさ。できるわけがない。

 相手(当時)が結婚可能年齢に達していなかったんだから。

「しなくて結構ですわ。ムダさんはわたくしの」から先を封じるために。

 僕が出来る手っ取り早い防御策は。

 唇で唇を塞ぐようなロマンティックじゃない。

「あンのペドがああああああああ」お子様もドン引きな音量で叫ぶことだ。

 僕の楽園を返せ。


      2


 対策課のソファでふて寝をしていたら、

 季節感丸無視の生脚が見えた。逆さに。

「なんだ。お前だけか。朱咲スザキは」

「朝からデートだってさ。かわいい部下とられたー」

「それでこんなところで油売ってるのか」瀬勿関せなせきシゲルが笑う。逆さに。「荒種あれくさが寂しそうにしていたぞ。顔でも出してやれ。部下に対抗してデートしてきたらどうだ」

「やけに喋るね。どしたの?生理終わった?」

「朱咲がいないなら帰るか。邪魔したな」瀬勿関シゲルが背中を向ける。逆さに。

「俺に言うことない? ご主人じゃなくってさ」

「ないな。あったとしてもお前には言わない」瀬勿関シゲルがドアに触れる。

 逆さは解除。

「待って。俺が拾ってきた女の子だけどさ」

 降走満否ふるばしりマイナ

「朱咲は?」

「センセの口から聞きたい」

 瀬勿関シゲルが、

 俺を見る。

「五年前に死んだ。お前ら警察が殺した。まさか知らないとは言わせない」

「イブンシェルタの利用者なら」

「私にも責任がある?そうだ。私にも責任がある。だがな」瀬勿関シゲルは、

 冷静だった。

 少なくとも俺よりは何千倍も。

「お前らがあのときあの子に取った対応が少しでも人道的だったならあの子は死ななくてすんだ。あの子は二度死んだんだ。一度目はよってたかって肉体的にレイプした男どもに。二度目はよってたかって精神的にレイプしたお前らにだ」

「じゃあなんで生きてたの?あの子は」

 誰なのか。

降走満否ふるばしりミツイナの抜け殻に新しく生まれた降走マイナだ。彼女は男という男を怨んでいる。怨んで怨んで怨みきっている。その男どもに同じ、いやそれ以上の苦痛を与えるために、自らが最も憎む連続レイプ魔となり、この世の男という男を滅ぼすために蘇った」

「センセの非人道的な人体実験の犠牲となって」

「彼女が望んでしたことだ。私は彼女の手助けをしたにすぎない。それともお前は彼女のそれを止める権利があるのか?どの口でやめろと言える? その口で彼女を殺しておいて」

「彼女、じゃないよね?」降走満否は。「俺が保護したときは」

「身に覚えがあるだろう。彼女はお前と同じ」

 改造。

 したと。

「手術の方向性としては真逆だがな」

「本当にそれ、望んだわけ?」

 男になりたいと。

 男の身体的機能がほしいと。

「お前はどうだ?望まなかったのか?なりたかったんだろう?よかったじゃないか。これでもうどちらの穴を使っていいのか悩む必要もなくなる。そもそも一つしかないんだからな」

 議論を交わしている実感がない。

 かわされている。

 届いていない。すべて、

 瀬勿関シゲルの足元に不時着し、

 それを瀬勿関シゲルの高いヒールが無にする。

「具合はどうだ? 快楽は得られるか?」

「センセの野望の餌食になっている気がする」

「よくわかったな。さすがは私が」から先は聞きたくなかった。どうせ、

 また地下に戻して研究観察実験したいだとか。その手の。もう、

 懲り懲りなんだ。地下も、

 あんな暗いところに有象無象と一緒くたに閉じ込められるのは。

「どうした?不具合がありそうな顔色だが。臨時点検が要るか」

「センセのやり方だと生物的オスは絶滅するんじゃないかなあ、て。そうゆう最終目標があるんなら話は別だけどさ」

「だとしたらどうする?」

「男は精子製造工場として家畜化するべきだね」

 瀬勿関シゲルが、

 科学者の顔で嗤う。

「論文は日本語でしか書かないんだがな」

「俺も滅ぼす?」

「お前は違うだろう? そう信じている」

 裏切るな。

「裏切るも何も最初から仲間じゃないよね?」

「そうだったか? 私はお前を仲間と思っているが」瀬勿関シゲルに、

 一方的な同情心を抱かれている。同じ目に遭った同じ志を持つ、

 同じ。

 世界を望む。違う。

 俺は、

 そんなこと望んでいない。じゃあ何を望むかと言えば。

 少なくとも、

 瀬勿関シゲルとは相容れない。

「残念だけど違うっぽいよ。センセの理想の妨げになるとなったらまたいつでも」小頭梨英を殺した祝多イワンのように。「殉職させてくれていーけどね」

「命を粗末にするな。お前の命はお前のものじゃない」

 スーザちゃんのものであり、かつ。

「センセのもんでしょ?」

「わかってるじゃないか」瀬勿関シゲルは、

 俺の脚と脚の間にある人工物を触診して。

 正常に機能するかどうか執拗に定期点検して行った。

 自分でくじいた右足が痛い。


      7女


 塑堂そどう接骨院。端っこがちょっとだけ欠けてる看板も、

 ぱっと見民家にしか見えない外観もそのまんま。

 表、つまり患者さんと同じところから入ると怒られるから、

 裏、つまり患者さんとは違うところから。入らないといけないんだけど。

 怒られるかな。

 怒られたいな。

 木曜・日曜祝日休み。

 今日は日曜。駄目だ。

 怒られるがどうとかいう前に、この戸は開いてない。

 裏から回っても、休みの日ってたいていここにいない。

 確かに、居住スペースと合体した建物ではあるけど。

 いないかもしれない。

 五年ぶりに帰ってきても。

 憶えてないかもしれない。

 五年前に死んだ息子のことなんて。しかも、

 息子は五年前に死んで。

 いまは似ても似つかない僕が。

 ここに、

 立っている。

 信じてもらえないことはわかっている。でも、

 あの人に。

 あの人が、

 帰れと言ってくれたから。

 帰りたいと思った。帰ってもいいかもしれないと思えた。

 この気持ちが変わらないうちに、

 さっさと帰ってしまいたい。まだ帰れると錯覚できている間に。

 裏口。というか、

 塑堂家にとってはこっちが表なんだけど。

 ぴんぽん。

 鳴らすのはおかしい。それでは他人。

 僕は、

 他人じゃない。別人でもない。

 紛うことなき、

 本人。

 塑堂夜日古そどうヨルヒコ

 砂宇土夜妃さうどヨウヒ

 当人。

「ただいま」

 自分にも聞こえないような声しか出なかった。聞こえなかったから、

 実は言ってないのかもしれない。

 わからない。

 返事もない。

「ただいま」

 今度はちょっとだけ聞こえた。

 返事はない。

「ただいま」

「おかえり」

 誰かと思った。きっと、

 この人も思っただろう。僕もそう。

 そっちにいる人だって。

「おかえりなさい」泣いている。

 泣いて、

 くれるんだ。私のために。

 五年会ってないだけで、こんなにもこの人たちは。

 おじいさんとおばあさんになってしまった。

 僕なんか、

 夜日古でもなんでもなくなったってのに。

「夜日古」

「夜日古」

 僕は首を振りたかったけど、

 首を振った本当の意味に気づいてもらえないだろうから。

「お父さん。お母さん」

 お母さんが僕にすがりついて泣く。

 お父さんが僕の頭を撫でる。

「よかった。夜日古。信じていた。お前が死ぬはずがない」大きいけど枯れ枝みたいな指で。

 違和感。

 脳天を走る。

 気づいたら、僕は。

「ごめん」

 お父さんから離れていた。

「いや、すまない。私も」お父さんの表情が陰る。

「怖いことは何もないのよ?」お母さんが笑顔で両手を広げる。「大丈夫。私たち、親切な人たちからすべて聞いているわ。あなたがどんなにつらかったか。どれだけ悩んでいたか。触れてはいけないと思っていたの。触れたら壊してしまいそうで。ううん、怖かったのは私たちのほう。もう逃げないわ。あなたを受け止める。あなたがどんな姿だろうと、私たちのだいじな夜日古だってことには変わりないもの」

「そうだ」お父さんが頷く。「夜日古。いや、夜日古じゃないんだったか。なんと呼べばいいんだろう。お前のことは。教えてくれないか。何と呼べば」

 違和感。

 なに、この。

 キモチガワルイ。きもちわるい。

 キ■チガ■■イ。

 だれ、これ。

 こんな人は、

 知らない。僕の知ってるお父さんとお母さんじゃない。

「ねえ、夜日古」

「夜日古? どうしたんだ」

 僕は、

 夜日古でもなんでもなくなったかもしれない。

 夜日古じゃないのかもしれない。

 だけど、ここに帰ってきたってことは。

 あなたたちの知ってる塑堂夜日古として。

 もう一回、

 五年前からやり直したかったからなのに。ちがう。

 違うよ。

 ちがう。

「僕は」

 砂宇土夜妃じゃない。

「僕は」

「夜日古?」お父さんが近づいてくる。

「大丈夫よ」お母さんが近づいてくる。「こっちへいらっしゃいな」

 来ないで。

 それ以上、

 いい人ぶって僕に安心を与えようとしないで。そうゆう態度だから、

 死んだ。

 塑堂夜日古は、

 死なざるを得なかった。僕が、

 塑堂夜日古が、

 本当にしてほしかったのは。

 そうじゃない。わかってない。

 聞いてよ。

 僕の声を。

 聴いてよ。

 僕の思いを。

「夜日古」お父さんが僕に触ろうとするから。

 いけないんだ。

 リーダが連れ去られる前に僕にくれたこれで、

 風を切る。僕は、

 お父さんを切ったわけじゃない。風を、

 切っただけ。

 お母さんの悲鳴が聞こえる。

 僕は、

「あなたたちが嫌いだ」トヲルが、

 犯した犯罪行為を思い出す。あれは確か、

 どっちだった?

 父を殺して母を犯す?

 母を殺して父を犯す?どちらでも、

 大差ない。

 だって最後はどちらも殺してしまう。

 順序が違うだけだ。だったらどちらを、

 先に殺したほうが救われるだろう。僕が、

 平穏を取り戻せるのだろう。

 無事に、

 塑堂夜日古に戻ってこれるのだろう。あのとき、

 僕がしてほしかったのは。

「どうしてケーサツに届けてくれなかったの?」

 そうすれば、

「あの人が来てくれたのに。あの人が」

 小頭梨英が、

 僕を助けてくれたのに。

 トヲルを助けてくれたときのように。

「あなたたちは、僕を助ける気なんかなかった。僕をいなかったことにして、僕に何も起こってないことにして布を被せただけだ。誰にも見えないように。誰にも気づかれないように」

 それのどこが、

 受け止める?逃げない?

 馬鹿馬鹿しくてやってられない。

 リーダからもらったナイフで、

 お父さんを傷つける。穴を空ける。

 お母さんが僕にすがりつく。

 やめて。やめて、と。

 泣いたって赦さない。

 死んだって赦さない。

 あなたたちには、

「正義がない」

 だいじな息子があんな目に遭ったら、ふつーは。

 息子をあんな目に遭わせたあいつらを殺してやりたいだとか。

 死刑にしてやりたいだとか復讐してやりたいだとか。

 思うのが、

 親ってもんじゃないの?

「やめて、もう。やめて」お母さんが刃先を素手でつかむ。

 あの人みたいに。

 あの人は、

 リーダのこの刃を素手で受け止めてくれたって聞いた。そんな人が、

 僕のお母さんならよかったのに。

 お父さんなら喜んで帰ったのに。

 ちがう。

 現実は。

 お父さんだったものが血まみれで倒れてて。

 お母さんだったものが。

 わからない。わからなくなった。

 殺されたのかもしれない。

 お母さんだったものに。まあそれも、

 考えてないわけじゃなかったけど。そうすると、

 お母さんは僕を殺した罪で。

 死刑になればいい。

 さよなら。

 塑堂夜日古。

 ばいばい。

 砂宇土夜妃。

 ありがと。えっと、名前。

 なんだっけ。

 なし?

 リンゴ?

 強烈な赤が流れ込む。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エリストマスク 伏潮朱遺 @fushiwo41

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ