第6話 先週選集専修

      1


 どうにもこうにも後味の悪い。

 終わったとは思えない。スーザちゃんは終わったと言って憚らないが。

 19時42分。

 奇しくも同時刻。

 対策課課長・胡子栗茫えびすりトールが、

 公園で少年たち(七名)に暴行された降走満否ふるばしりマイナ(仮名)を保護しここに運んで来てからまだ一日しか経っていない。一日だ。

 長い。

 長すぎる一日。だった、とは付けたくない。

 終わらせたくない。終わっていない。

 まだ、

 一日なのだ。

 スーザちゃんは、祝多いわた出張サービス二代目店主としての仕事があると言ってどこぞへ出掛けてしまったし。胡子栗は、昼前に県警の対策本部で行動を別にして以来顔を見ていない。

 戻ってきてない。対策課に。

 本部長としっぽりやっているんだろう。

 事件も片がついて一息。

 入れてんじゃねえよ。冗談じゃねえぞ。

 お前に問い詰めたいことがありすぎて、

 何て言っていいかわかんないってのに。

 身体は疲労困憊で限界のはずなのに、眼と頭が冴えきってしょうがない。

 居ても立ってもいられないので結局寝るしかできなくて結果、

 ソファに仰向けになって天井の壁紙の点でありもしない星座をつくるだとか、そうゆう非建設的なことなんかやりたくないんだ。

 僕はまだ、

 事件の真相に辿り着けていない。

 考えろ。考えるしかない。

 考えることが、

 僕が持ち得る最大の武器。こんな無粋な射殺道具じゃなくて。

 また、

 あなたが関わっているのか。祝多さん。

 タ=イオワン。

 僕が捕まえ損ねた悪の巣窟。彼女は、

 死んでも尚僕の足元に悪をばら撒き続けている。

 まきびしのごとく。バナナの皮のごとく。

 僕がそれを踏んで痛がったり滑って転ぶのを待ち焦がれている。地獄の果てで。

 だったら地獄の果てまで追いかけて追いつめてやる。

 てのに。そうじゃないのか。

 そうだったんじゃ。

 ないらしい。どうやら。

 ぐだぐだぐだぐだ諦めきれない。認めたくない。

 なんで、

 なんでなんでなんでなんで。

 なんで。

 呼び出しブザ。なんだってこんなときに。

 どうせ、

 課長あたりだろう。ふざけやがって。

「すみません。営業時間外だとはわかっていたのですが」

 ベージュのレェスワンピース。

 20時06分。

 思ってもよらない人物が、そこに。

 性犯罪被害者支援施設イブンシェルタ代表。

 我孫水夏あびスイナ

「どうしてもご挨拶をと」

 髪が短くなっていた。この夏、

 肩甲骨を覆うほど長かった髪を。

 ばっさり。ショートというほどでもないが。

「どうぞ?」

 ご挨拶?

「いえ、ここで。すぐ済みますので」我孫氏は顔の前に手を。「私、この度イブンシェルタ代表を降りることに」

「え」どうゆうことだ。「あの、一体」

「後任は追ってご連絡があるかと思います。現時点で私が申し上げられますのはそれだけです。どうかご了承のほどを」

 眼が、

 合わない。

「それでは」

「待ってください」ドアなんか閉めさせない。「何があったのかとか、そうゆうことはとりあえずそっちに置いとくとしても」挨拶をすべきは、

 僕なんかじゃなくて。

「いま出先で」祝多出張サービス二代目店主は。「知ってるんですか。その」

「私の側に意思はありません。では」

「でも」エレベータになんか乗らせない。「祝多さんがいなくなって、代表を継がれたのは」我孫氏の意思ではないのか。

 正統後継者のはずのスーザちゃんとそれとなく覇権争いをしただとか。

「代表」

「もう代表ではありません。夜分遅く失礼しました」我孫氏が頭を下げて。

 非常階段の扉からするりと。

 追いかけてもよかったのだが、おそらくは。というか確実に。

 彼女には何も知らされていない。

 お払い箱。

 彼女に突き付けられた現実はそれだけ。異も是もない。

 なにが、

 起こっているんだ。

「いまそこでもの凄い美人とすれ違ったんだけど」

 ようやく。

 20時17分。

 到着。

 ふざけた女装は健在。胡子栗茫えびすりトール

「誰だったっけか。ありゃあ」暢気に頭なんか掻きやがって。

 こっちは、

 どんだけ。

「あんれ?我らが対策課課長が無事帰還したってのにさあ、なんもなし?」

小頭梨英おずナシヒデって」

「俺」

久永幕透くえいまくトヲルって」

「俺だね」

胡子栗茫えびすりトール

「なーに?」

「ストマクエイクは」

「俺だよ」

 ここから導き出される唯一絶対の解は。

 昨日から今日まで引き続く一連のこの事件が。

「自作自演だったら殺します」

 右手で。

 照準。

 中てるつもりはなくもない。

「事実だけ話してください」

「真実は?いーの?」胡子栗茫は、

 やる気のない万歳。

 左手の包帯。

「わかってること改めて喋りたくないんだけどなあ」

「あなたの口から聞きたい」

 左手で。

 発射。

 蛍光灯。消える。

 飛び散る。

 遅れて銃声が。

「あーあ、備品壊しちゃってまあ」胡子栗茫がヒールで破片をよけようと。

「動かないでください」

「動かないよ。てゆうかね、足が痛くって。動けないって」

「本当に?怪我してますか」

 足を。右。

「してるよ。一緒にびょーいん、じゃないね。接骨院行ったじゃん」

「僕はその包帯を見ただけです。診察の様子も処置の様子も見ていない」

「じゃあ見る?」胡子栗茫が屈もうとするので。

「そのまま」立っていろ。「僕が見る」

 左手のそれを仕舞って。

 右手で動きを制しつつ。

 右足を。

 さわる。

「足を上げてください」

 靴を脱がせて。

 包帯を。

 ほどく。

「痛いですか」

 見た目ではわからない。

 腫れてもいない。

 変色もしてないし。熱ももっていない。

「痛いね。ものすんごい痛い」

「僕はこの怪我こそが嘘だと思ってるんですが」

「ふんふん」

「久永幕透と小頭梨英が同一人物だったら、あり得ないんですよ。この怪我は」

 誰に負わされたのか。

 HNRecoderも、

 HNPhobosも、

 本当に実在しているのか。かつては実在していたのかもしれないが。

 もしくは、

 かつて実在していた彼らを騙ったまったくの別人だとするなら。

「あなたは誰と戦っていたんですか」

「おとな。かなあ」胡子栗茫が勝手に両手を下ろす。「あー、血が下がる。こうゆうやり方はどうかと思うよ?ムダくん。俺をちょっとでも上司だと思ってんならこうゆうこと極力控えてほしいもんだけどさあ」そして勝手に、

 ソファに倒れ込む。

「あー疲れた。もうね、本部長がしつこくってさあ」

「別に聞きたくないんですけど」

 無意味だ。

 こんなもの、

 撃つ気がないことは。課長にはお見通しなわけで。

「どうなったんですか」ガキとか。「どうするつもりなんですか」ガキとか。

「どーしたらいーと思う?」課長は天井を見ている。「ぜーんぜん、わかんなくって。俺らがどーこーしたとこでどーにもならない気もしてんだよねえ。無力だよ」

 向かいに座る。

「なにか飲みますか」

「それさ、誘ってんの?」課長がぐるりと、

 首を僕に向ける。

「疲れてて使いもんにならなくてもぶち切れたりしないんなら、だけど」

「じゃさっさと体力回復させてください」

 課長が笑う。

「なにその態度。待ってたんだ?ごめんね」

「怪我が治ってからでいいです」

 左手の。

「そんな優しいムダくんにいっこ」課長が天井の隅を見遣って。

 そっちに、

 監視カメラがある。スーザちゃんはいま、

 上にいない。

 あとで録画で見ることになる。

「知ってるかもだけどさ、祝多イワンは」

「知ってます」

 言わなくていい。そんなことは、

 僕が。

 一番信じてる。

「そ、ならいんだけど」

 死んでるわけない。もし死んでたら、

 僕が地獄の果てまで行って。

 生き返らせてやるだけのこと。

「オズナシヒデはたしかに俺かもしんないけどさ」課長が、

 脚を。

 ソファの背もたれにかける。おのずと、

 スカートが。

 重力に屈する。

「隠してください」

「俺の母さんはオズリエイってゆってね」

 ?

「はい?」

「字はおんなじだよ。梨英て書いてリエイね。こっからなんかわかる?はい、そこの優秀な部下ムダくん」

 指をさされる。

「名前をもらったんですか」

「うーん、合ってるよーな合ってないよーな」

「どっちなんですか」勿体つけるな。「それより母親いたんですね」

「いるよ。ふつー。せーぶつでしょうに」課長が、足を背もたれに乗せたままスカートの裾をひらひらさせる。

 正直、

 眼に毒だ。とっくに致死量。

「むかしむかし、リエイさんはなかなかの不良少女でした。家にも帰らず街をふらふら。当然悪るーい連中ともそれなりのお付き合いがあったりなかったりで」

「手短にお願いします」

「理性がもたない?」

「尾ひれと胸びれは取ってくださいということです」

「んじゃ背びれだけね」課長が、

 よっ、とゆう掛け声とともに。

 上体を起こす。

「いてててて。無茶してヒビでも入っちゃったかな、こりゃあ」

「オチだけ先に聞きます」

「俺と本部長の関係を曲解してんじゃないかなあってゆう配慮だよ。どー思ってんのさ。実際問題」

「警察の威信を根底から揺らがすものかと」

「じょーだん。ないない」課長が手で払いのける。包帯をしてないほうの手で。「もいっこ。ヒント出すね。俺もあんまし言いたくないんだからさ、そこを汲み取ってもらいたいもんだけど。本部長、あの人あの年で未婚だから」

 それは。

 よけいに。

「曲解を生みましたけど」

「ちがうちがう。結婚する気がないんじゃなくて、結婚できなかったわけだ」

 だから、

 それは。

「そうゆうことだったんでしょうに」

「ムダくんね、あのさ、ぜーんぶきみの歪んだ物差しで測るのよくないと思うよ。結婚できない理由はそれはそれは千差万別ってこと。きみみたいなのがむしろ特殊例なんだからね?それとも祝多イワンとどーこーする気でいたとか?」

 そんなの。

「あなたに関係ないですので」

「関係?大ありだよ。俺はね、祝多のせいで死にかけたんだ。絶対許さないね。大人しく店主の座を譲る?あり得ないよ。なにか不穏なこと企んでて、それの準備のためにここを離れなきゃなんなかったから一番弟子のスーザちゃんに一時的に業務を任せたに決まってるね」

「そのこと、スーザちゃんは」知ってるのか。「祝多さんは」

「だいたいその祝多さんってゆう呼び名がヤなんだけど。まーいーや。戻すよ?本部長が結婚できない理由。人はさ、なんで結婚なんかするんだと思う? その人が好きだから?死ぬまで一緒にいたいから?幸せな家庭が築きたいから?世間体?ぜーきん対策?本部長はね」

 電話が鳴る。

 対策課の固定電話。絶好のタイミング。

「出て」課長命令により。

 部下の僕が受話器を取る。

「はい。対策課」おおかたスーザちゃんだろうと思ったが、

 予想は外れる。

「課長さんはいますか」

「どちらさまですか」声に聞き覚えがなかった。

 課長と眼を合わせる。

 首を振って、

 知らない人からだということを伝える。

「代わってもらえませんか」電話口の声が言う。

「名前も名乗れないような人を生憎とつなげるわけには」

 沈黙。

「あなたは?」電話口の声が言う。

「そっちから名乗るのが礼儀じゃないですかね」

「誰なの?」課長が言う。「嫌がらせ?」

「切りますよ」

塑堂そどうです。塑堂夜日古そどうヨルヒコ

 課長に受話器を横流す。

「ご指名です。塑堂夜日古と名乗る」

「どーやってここの番号調べたんだろうね」課長は手を伸ばして。「はいはい。はーい。そ。そんなこといちいちゆってこなくていーよ。うん。はいはい。はーい。じゃね」受話器を僕に横戻す。「帰ることにしたんだってさ。5年ぶりに」

「家にですか。その報告ですか」

「そんなこといちいち俺に断らなきゃいけないようなことかねえ。ひときわしょーにんよっきゅーが強いんだよね。最近のガキってさ」

 また電話が。課長につなげ。

 名を名乗れ。

 そっちこそ。

 名乗れないようなら、という。

 さきほどの塑堂夜日古のときとまったく同じ流れを。

 数十回繰り返した。次の日になった。

 僕は電話番をさせられていい加減にしろ状態だったが、課長様は。

 電話に出るたびにそれはそれはもういい具合に、

 顔がほころんでくるという。

 疲れがたまりすぎてテンションがおかしなことになってなきゃいいが。

「あのさ、ムダくん。ガキは侮っちゃいけないね」

 取り越し苦労のようだ。


      2


 四つ目の映像。


 どこかの病院のようだった。

 国立更生研究所ではない。あそこは病院ではないし、

 もしそこが映っているならわかるはずだ。

 見覚えはないが、病院だということはわかる。

 病院特有の白々しさがそれを物語っている。本心でない様子が見え透いている嫌味な雰囲気という意味もあるし、単に照明の煌々とした明るさのことも指している。

 どこぞの大きな(=カネがかかった)総合病院。だと思う。

 まだまだ現役のグランドピアノなんぞを強制的にインテリアに使った仰々しいエントランス。美人に美人を累乗したかのような受付の事務員。リラックスという文字を具現化する途中で明らかに賄賂を受け取った形跡のある嫌味な待合室。

 病院紹介動画?

 画面が切り替わる。

 瀬勿関せなせき先生だ。

 さっきまでの映像は、誰かがハンディカムを持って歩きつつ病院の入り口からエントランスを映したもののようだったが。

 今度のは、

 頭上の監視カメラ。そこからの定点映像。

 それほど大きくない部屋に、

 瀬勿関先生と。テーブル越しに向かい合って、

 女が。

 ひいふうみいよう。六名。

 取り調べ室を彷彿とさせた。

「よろしいですか?」テーブルによじ登らん勢いで、

 最前列の女が声を張り上げる。頭上から見てもよくわかる。

 全身を構築する見事なまでのブランドという鎧。

 あの距離では、嗅覚が麻痺していないとまともに話もできないだろうに。

「うちの○○ちゃんが、そのような?ええ、下世話なことをするわけが。きちんと証拠があってやっているのかしら?」

 ○○ちゃん、のところは律儀に音声修正してあった。ぴー、というやつで。

 スーザちゃん。

 あなたのこだわりのほどがよくわからないです。

「弁護士を呼びますからね」その隣の女が言う。

 負けず劣らずド派手な衣装だ。

 あれですか。このあとド派手ファッションコンテストとかあるんですか。全国大会決勝とかですか。そうですか。

「あなたがたの取った、この甚だしい人権侵害行為はきっちり償っていただきます」

 瀬勿関先生は何も言わない。何も言う必要がないからだ。

 この女たちには、

 人語が通じない。それを重々承知している。

「ちょっと、さっきからあなた、ずっと黙って。聞いているの?私たちは真剣に」

 ほら、話題のすり替えが始まった。

 また違う女。

 衣装こそ一番控えめのようだったが、そのうねうねとうねる髪型に。

 午前中の全てを費やしていそうな決まり方だった。

 それぞれ各々に割り当てられた台本というものがあるらしい。

 ヒットアンドアウェイがごとく、

 一言どかんと怒鳴り付けてはひょいと下がり。次の女に舞台の中央を譲る。

 瞬間湯沸かし器がごとく、

 その一瞬だけぴーと熱くなるが、ほかの女が瞬間湯沸かし器になった状態に同調はしない。

「ぜんぶ知っているのよ?あなたがありもしない事実をでっちあげて私の○○ちゃんたちをここに不当監禁していることは。あなた一体何の権限があって」

「よかった。迎えにきていただけたならそう言ってください」瀬勿関先生は、

 女たちに特に断りも入れずに通信機器を耳に当てる。一言二言呟いている間に、

 その六倍もの金切り声が飛んだ。

「ちょっと、あなたさっきから失礼ではなくって?私たちを何だと」

「親でしょう?彼らの。違いますか」瀬勿関先生は冷静に対応する。

 その冷静さと正論をダブル攻撃で食らった六名の女たちは。

 ぐうの音も出ない。

「わ、わかればいいのよ」緊張に耐えきれなくなった女が負け惜しみを吠える。

「案内します。ついてきてください」瀬勿関先生が、ドアノブに手をつけたところで。

 画面が切り替わる。

 格段に照明が絞られた。廊下?だろうか。

 やはり天井からの定点映像。

 監視カメラより俯瞰の光景。

 女の数が減っていた。一名。一名?

 ほか五名は?

 別行動だとしてもおとなしく待機命令に納得するだろうか。

 瀬勿関先生が壁にもたれて立っている。女は、

 画面下方向に向かって必死で何かを訴えかけている。訴えかけている対象は、

 映らない。巧みに、

 映らない死角にいる。

 照明もそうだが音声も絞られている。ヴォリュームを最大まで上げてようやく、

 微かに聞こえる程度。

「帰らない?どうゆうこと?」女が悲痛な声を上げる。「ママ確かに、お仕事でちょっと遅くなっちゃったけど、でもそれは決して○○ちゃんが大切なじゃなかったとかそうゆうことじゃないの。ほら、○○くんのママ、PTA会長さんでしょう?協力してね、一緒に○○ちゃんを連れ戻そうと」

「聞こえなかったの? オレ、なんてゆった?ママに。帰らないよ」

 画面が切り替わる。

 違う女。

「ママね、見て?おめかししてきたの。○○ちゃんと一緒にお夕飯食べに行こうと思って。○○ちゃんの大好きな」

「うるさいなあ。死ねよ、おまえ」

 画面が切り替わる。

 違う女。

「じゃあ、じゃあね?ママ、○○ちゃんの欲しがってたゲーム?ほら、欲しいってママ憶えてるのよ?だから○○ちゃんが発売日に買えるようにパパに言って」

「そのパパってだれ? こないだ家に来たおっさん?」

 画面が切り替わる。

 違う女。

「お願いよ。ママ、○○ちゃんがいないとどうしたらいいの?死んじゃうわ。お願い。帰って来て。ママ、悪いとこきちんと直すから。ねえ、何が悪いの?どんなことが気に入らなかったの? 言って?ね? どんな小さなことでも直してくから」

「そうゆうとこがイヤだつってんだけど」

 画面が切り替わる。

 違う女。

「この女のせいね?何を吹きこまれたの? 可哀相な○○ちゃん。いまママが助けてあげるからね」

「どうする気?」

「あなた医者?」女が瀬勿関先生を見る。振り返る。

 画面上方向。

「ここの院長先生とは懇意にさせてもらってるのよ?知らなかったでしょ。あなたの首くらいどうとでも」

「らしいぞ」瀬勿関先生が死角に言う。

 画面下方向。

「あーあ、やっぱり」

「え、あ、違うのよ? なにゆってるの?そんなわけ。何を言ってるのかしら。私と先生がそんな」

「僕をここに入院させれば毎日会えるこーじつになるじゃん。ママ、そうすれば?」

 画面が切り替わる。

 違う女。

「さ、帰るわよ」女は手を伸ばす。

 画面下方向。

「どうしたの?行くわよ」

「母さんはなんでオレがここにいるのか知ってる?知らないからそうゆうことへーきで」

「そんなことどうでもいいわ。どうせこの女が適当な理由をつけてあなたをここに監禁してるだけよ。いい?これは犯罪よ? あなたはいま、人格無視の冤罪に巻き込まれてるの。それにあなたは未成年よ? こんなところに容れておくこと自体がおかしいわ」

「母さん、オレ、女の子を」

「やってないわ。あなたは何もやっていないの。何度も何度も同じことを聞かれると人って自分がやったかのように錯覚するものよ。だからしっかりしてちょうだい。あなたは誰の息子なの?母さんの自慢の」

「話聞いてよ。オレは、たしかにオレはみんなと公園で」

「開けなさい」女が言う。

 瀬勿関先生に、じゃない。

 画面下方向。

「イヤだ」

「開けて」

「ダメなんだよ。母さん。オレは」

「しっかりなさい。泣いてんじゃないわよ。あなたは誰の子なの?母さんの子だったら泣かないでよ。情けない。だからあなたは駄目なのよ。ちょっとしたことですぐに泣く。母さんはあなたをそんな子に育てた覚えはありません。ゆうこと聞けないのなら母さんにも考えがあります」女が向きを変えて。

 画面上方向。

「いいです。戻ります」

「迎えに来たのでは?」瀬勿関先生が言う。

「こんなわがままな子には少しお仕置きが必要です。出直します」

「母さん。ねえ、聞いてよ。オレは女の子にひどいこと」画面下方向から、鳴き声と嗚咽交じりの訴えが聞こえるが。

 女は、

 その一切を無視して。

「こんなカビ臭いとこ早く出してください」瀬勿関先生に訴える。

 喚き声をBGMに。

 画面が切り替わる。

 女は、

 いない。瀬勿関先生以外に。

 人の姿が映っていない。

「なんで来ねえんだ」

 いきなり爆音。スピーカがちり、と鳴動する。

 急いで音声を通常設定に戻す。

 耳の穴が違和感。後遺症的に。

 画面下方向にいるであろう何者かが言う。

「てめえ、ちゃんと連絡したのかよ。留守だからっつって」

「帰りたければ自分で帰ればいい。足があるだろう」瀬勿関先生が、首に提げているカードキィをかざす。

 ぴ、という音がして。

 画面下方向に。格子状の扉が。

 開いた。その中に、

 瀬勿関先生の会話相手がいる。

「なんなら家まで送ってやろう。ちょうど出掛けるついでがある」

「他の奴らは?」姿はまだ映らない。

 その場所から動いていないということだろう。

「心配か。自分だけ迎えに来てもらってないんじゃないかと」

「どうなんだよ。来たのかよ」

「帰ってからメールなりすればいい。仲がいいんだろう?」

「つか、あいつらはともかくオレら、んなことやってねえわけよ。もともとエンザイなわけ。そこんとこわかってる? キレイなおねーさん」

「やってないならなおさら帰ればいい。もたもたするな。私はお前らガキほど暇ではない」瀬勿関先生は、画面右方向へ移動しようとするが。

 後ろから、

 付いてくる気配はない。代わりに、

 笑い声。

「私の背中に何か付いていたか」

「いんや。オレらをふとーにんなとこぶち込んだ落とし前がどんなことになんのかって考えたらよ。おかしくって」下品な笑い方だった。

 この世で一番の下品を詰め込んだお得な福袋みたいな。

 瀬勿関先生が不快になっているのが手に取るようにわかる。

「その落とし前とやらで?私はどうなるんだ」声色には現れていないが。

 僕だったらそこはかとない不快感が込み上げるレベルだ。

「さあね。おねーさんがどんだけの人かは知らないけど、それなりのツグナイってのをしなきゃなんないんじゃない? かーわいそー」

 画面が切り替わる。

 強制終了のような強引さで。

 車内のようだった。三列シートが映る。

 バックミラーの位置にカメラがある。そうゆう視点からの映像だった。

 1列目に、瀬勿関先生。

 2列目は空席で。

 3列目に、さきほどの少年(だろうとは思う)がいるらしかった。が、

 両側の窓はぴっちりとカーテンが引かれており、加えて。

 照明らしい照明が車内の前方にしかないため、

 最前列にいる瀬勿関先生の美しいお顔は拝見できるが。

 少年の顎から上は影に覆われている。フードを被らされているかのような風貌だが、あながち間違いでもないかもしれない。

 相手は未成年だ。

 顔も名前も出すべきでない。果たしてそのような意図があったのかは定かではないが。

「このままケーサツへ?とかじゃないっしょ?」音声までいじられていた。

 プライヴァシィの配慮から音声は変えてあります、のあれだ。妙に甲高い。

 癇に障る。

「オレが何したってえ?しょーこは? ひがいしゃの名前がしょーこさんとか?」少年は自分で口走ったギャグが思いのほかツボだったらしく、声を上ずらせながら笑いだした。

 これが瀬勿関先生の逆鱗に触れていないはずがないのだが、表情からは。

 何も読み取れない。

 さすが。

 見れば見るほど瀬勿関先生の表情は、クールというかそれを通り越して冷徹冷血というか。

「やってねえっつーの。だれか見てたんすかあ?どーなんですかあ」

 別人?

 音声が変えられているので確証はないが。どことなく、

 違う。

 裏打ちされている人格みたいなものが。

「ねえねえ?エロぉいカッコのおねーさん」少年が、

 2列目の背もたれに顎を載せる。

「オレみせーねんだよお?きょーいくじょー悪いとことか連れてっちゃダメなんだよお。そんなことしたらおねーさん、捕まっちゃうよお。捕まってケーサツ屋さんにごーもんされていろいろ恥ずかしいこときょーよーされちゃうよぉ?」

「私にお前らを逮捕する権限はない。刑事じゃないんだ。見ればわかるだろう」

「でもかそーけんとかぁ?かけーけんとかぁ? あ、かんしきとかって、白衣着てたりしません? ドラマとかしか見たことないんすけどね」

「私は精神科医だ。お前らのようなイカレた性犯罪者のアタマの中を解剖するのが仕事だ」

「イカレた?せーはんざいしゃ?」少年が下卑た笑いを車内に反響させる。

 瀬勿関先生は眉一つ動かさない。

「そうだろう。違っているなら反論を聞いてやる」

「反論、て。センセエ?オレはやってねえわけっすよ。そもそもがちがってるってわけ。オレはやってないし、第一ね、そのひがいにあったってゆう子?どこ行っちゃったわけ? オレにやられたってんなら、オレの前に出てきてこの人がわたしをよってたかってとか、ゆえばいんじゃない? それが決定的な?しょーこ? になんじゃないんすかあ?」

「被害者をお前に会わせるわけにいかない。なぜだかわかるか?」

「はっきょーしちゃうからじゃない?」

「お前が殺されないためだ」

「は?い? センセエ、なにゆってくれちゃってんの?」少年が首をかしげる。

 瀬勿関先生がどうして少年の後ろに座らなかったのか。前に座ったのか。

 ようやくわかった。

 その動作一挙一動を視界に入れないためだ。

 殺したくなる。

「てーことは。なんすか?センセエ、オレのこと守ってくれちゃってるって?」

「そうだ。お前が殺されては私が困る」

「そりゃまあ困るっすよねえ?よけー責任?とか、取れないわけで。みせーねんをふとーたいほした挙句、ひがいしゃにふくしゅー的に殺されたとかって、もう目も」

「困るんだ。お前のようなイカレた性犯罪者は須く私の研究対象として飼い馴らさないといけないからな。みすみす殺されたら残念で敵わない」

 少年が沈黙する。

 瀬勿関先生が続ける。

「ところで、お前らガキが集団レイプした少女だが、お前ら七人を皆殺しにすると言ってたから、お前らの身代わりを病室に寝かせておいたが、なかなかイカレた殺しっぷりでな。つくづく少女の復讐に手を貸さなくてよかったと思っている」

「イカレた殺し方?て、あのお、すんませんすけど」

「聞かないほうがいいぞ」

「どんな殺し方したんすか?ねえ、センセエ、もったいつけずに」

「交換条件だ。集団レイプしたことを認めるか?」

「ちょ。その手で来ますぅ?」少年が、勢いをつけて背もたれにはね返る。

 3列目の。

「ないない。ないっすわ。センセエ。オレ、やってないんでぇ」

「認めてほしい余罪が山ほどあるんだがな」

「余罪って。ケーサツじゃないんすよね? ケーサツっすよ、そうゆうの」

「いたいけな少女をよってたかって。許されることじゃないな」

「やってないってのに。許すもなんも。それにね、センセエ。オレらきちんとしてるんで。もしそうゆう?レイプ?とかするとしても、女はやらないっすよ。あと大変すもん。デキただのデキないだの。責任?とか、負いたくないんで。まだ遊んでたいんで」

「そうか。少女には手を出さないんだな?女にも」

「出さないっすねえ」

「いまのが自白ということで構わないか」瀬勿関先生がカメラ目線をしたところで。

 唐突に映像が終わる。

 映像は、

 あと一つ残っている。が、

 その残りの一つがこれの続きだという保証はどこにもない。


      6千


 Julius 〉降走満否って男なの?

 Shoko 〉見ればわかる

 博士と先生とのやり取りを観戦しつつ、今回の報告書をまとめる。

 以前の患者・降走満否を財団に盗られたのは痛手だったが、

 先生は特に私を責めることはなかった。

 先生の手に余ると言ってしまうと失礼かもしれないが、

 降走満否は、

 先生の領域を逸脱していた。すなわち、

 私の手にも負える患者ではなかった。という言い訳をつらつら並べたいだけ。

 わかっている。自分でも。

 Julius 〉今度の20名に参戦させることにしたよ。生き残れるかなあ

 Shoko 〉その下品な催しを廃止すべき

 Julius 〉きみのとこの弟子がやってる人体実験と何が違うんだろうね

 Shoko 〉わたしのは研究。あなたのは趣味

 Julius 〉趣味だろうが世の中のためになればいいわけだよね?結果を出しさえすれば

 Shoko 〉少年少女を集めて殺し合わせることのどこが世の中のために

 Julius 〉なってるよ。善良な一般市民が被害に遭わない。犯罪者は死すべし

 Shoko 〉それがあなたの理論なら文句は言わない

 Julius 〉違うね。世論だ。俺の役目は世論を支持する形で研究を進めること

 先生ならば、

 降走満否をどうしただろう。

 Shoko 〉治らないから殺すのか

 Julius 〉死刑ってのはそうゆうことだよね

 Shoko 〉治らないと誰が決めた

 Julius 〉俺じゃないね。きみだ

 Shoko 〉更生不可能のレッテルを貼っているのはどこの

 Julius 〉きみが編み出したあの画期的な更生プログラムがそれを物語ってる

 思わず手が止まる。

 それを、

 いまここで、指摘する意味。

 私が見ている。聞いている。

 先生の創った更生プログラムを実践運用している私に。

 先生への不信というさざ波を立てようとしている。

 Julius 〉ちょうどいい機会だ。はっきりさせておくよ

 Julius 〉更生プログラムに向く、というか乗ってくる、成功が見込める対象にしか

 Julius 〉更生プログラムを適用しない。てことは裏を返せば

 Julius 〉更生プログラムに向かない乗ってこない、つまるところの更生不可な

 Julius 〉性犯罪者がいるってことの証明にしかならない。以上証明終わり

 Julius 〉何か反論ある?

 Shoko 〉更生不可能だからといって互いに殺し合わせるのがいいとは思わない

 Julius 〉更生不可能だからといって地下深くに幽閉しておくのがいいとも思えない

 先生を非難するとみせかけて暗に、

 先生の一番弟子である私を非難している。

 7年前に捕らえた連続レイプ殺人鬼を、いまだに。

 どうともできずに生かしている。

 この不出来な私を。

 Julius 〉じゃあ更生不可能な性犯罪者に対するいい処遇を提示してみせてよ

 Shoko 〉次の学会で

 Julius 〉楽しみにしてるね。さぞいい論文が上がってくるんだろうな

 Shoko 〉あなたならナサトをどうするのか

 Julius 〉参考にしようったってダメだよ。そだね、ヒント

 Julius 〉7年前なら手が打てたのに

 Shoko 〉ぎりぎり未成年

 Julius 〉それもあるけど、遅すぎだよ。民主主義の功罪だね

 Shoko 〉さようなら

 Julius 〉ばいばい。ちびっこ

 直ちに先生と連絡を取りたかったが、先生がそれを望んでいない以上。

 私の頭で考えるほかない。

 先生はいま、

 どこにもいない。

 助手のゴトーが呼びに来る。わかってる。

 登呂築無人とろつきナサトの診察時間だ。

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