第3話 パパイヤ気配

      1


「早速本題で恐縮だが」総裁はステージから降りようとかマイクの使用をやめようとかそうゆう気はまったくなく。この場を空気ごと支配している気でいたいようだった。「案内してあげなさい」

「ご自分で行かれては?」

 総裁の視線が息子に移る。「連れてきたのは誰だね」

「連れてこいとお命じになられたのはどなたでしたっけ」

「本題ゆうのは?」お前らの団体がこの土地をKREから買ってさえいなければ、こんな如何わしさの本拠地みたいなところなんかに来なくて済んだ気がしてならない。

 白竜胆会しろりんどうかいとやらは、KREの顧客なのだ。しかもとびきり上級の。

「心の臓がどうとかゆうたはったかな」

「神像。神の像だ。なんだ、聞いていたのだね」総裁は意外そうだった。

 息子の信頼関係は限りなくゼロに等しい。その割に連れてこさせている。

 ほいほいついてくるほうもほうだが。

「そちらの社長には本当に世話になった。私たちがここに安住の地を構えられるのもすべてはそちらの敏腕な社長のお蔭だ。心より感謝を申し上げたい。そこで。その返礼と言ってしまっては身も蓋もないのだが」

「なんやの?賄賂? そうゆうんは直接」

「心ばかりで申し訳ないが受け取ってほしい」

 ドラムロールでもあって何かが仰々しく出現するのかと思いきや、特に何も。

 息子がわざとらしくくしゃみをする。わざとに決まっている。

「案内してあげなさい」総裁が言う。

「僕が踏み込むと穢れるだとか伺いましたが」朝頼トモヨリアズマがすかさず言い返す。

「入り口まででいい。私は少しやることがある」ステージの照明が落ちた。

 代わりにステージ以外の部分がほの明るく照らされる。

 特になにがあったわけでもないが。

「どうぞ寛いでいってくれ。不都合はのちにまとめて聞こう」マイクの電源が切れる音。

 内耳が気持ち悪い。水が入ったみたいに。

「僕を継がせたくないんです」朝頼アズマはかまぼこ(板付き)の後ろに回ろうとしていた。いつの間に。「4人きょうだいなんですけど、姉、兄、妹と。兄は宗教なんか、といった感じでここには来たこともありません。その反動なのか姉は、次期総裁の声も名高い。本人もその気で。妹は」

「心の臓なん一個で充分やさかいに」どうでもいい。朝頼アズマのお家事情も。「それむっちゃ重いのと違うん? 運ばなあかんの?パシリがひとり」

「お手伝いしましょう。そのための僕です」朝頼アズマが嘘くさく微笑む。

 かまぼこの裏の切れ目からは、どこかで見たような眩しさの権化みたいなストローが伸びていた。

 急に朝頼アズマが停止する。充分に距離をとっていたので衝突せずに済んだ。

「あれ、おかしいですね。ロックが」

「せやったらジャズでもええわ」

 朝頼アズマがにっこりと微笑む。「では賛美歌でも」天井を仰いで。「マチハ様。僕を拒絶されているのはわかります。しかし、彼をここへ案内するのは総裁の意向であり僕はそれに従ったにすぎません。開けてさえくだされば、僕は直ちに去るつもりです」

 その方向には何もないはずなのだが。

 マチハサマ?

「開けてください」

「なりません」どこからともなく声が。

 さっきの総裁のアレを彷彿とさせるがそれよりかは幾分か柔らかな反響だった。単に音量が控えめだっただけだろう。

「開けることはできません。お引取りを」

「取引の間違いではないのですか? マチハ様、開けることを拒否なさる理由を、僕が開けようとしていること以外でご説明ください。僕はどうしてもここを開けなければいけないのです。総裁の意志ですよ?」

「できることとできないこととがございます。お願いです。お引取りを」力ずくでも踏み込ませたくない、というよりは、切実に頼んでいる。切れ目を生じさせないことを。

 しかし、開けたくないことには変わりない。

「では、総裁をお呼びください」朝頼アズマも是が非でも開けたいとは思ってないようだった。

 総裁の意向は絶対だから、というより、早く終わらせてしまいたい。そのためにはここを開けざるを得ない。そうゆう諦めに近かった。

「彼が信者でないからいけないのですね?」

「違います」返答が早かった。「違うのです。区別はしておりません。開けることはできないのです。どうしても、できないのです」

「はよ帰りたいんやけどな」埒が明かない。仕方ない。口を出そう。「くれるんか、くれへんのか。そんだけはっきりさせたって」

「惜しくなったんでしょう? ご自分で仰っておいて」朝頼アズマに嫌味を言わせたら右に出るものはいない。対立候補がいないからだ。「それならそうと。明示されないから総裁が」

「差し上げます。差し上げますからどうか、この場は」

「誰かいらっしゃるんですか? 僕に見られると不都合な場面が繰り広げられているだとか。でしたら彼が行けばよろしいのでは? 僕はここで待機します」

「中にいてるん?」神の像とやらが。「そんだけ? そんだけの部屋?」

「ご安心ください。食いついたりはしません。ただの像です」

「ヒズイ? 知らないか。ヒズイが」総裁が走ってきた。ストローが狭すぎて速度が出ないようだったが。「なんだ。何をしてる。マチハ様、まだ機嫌を損ねておいでか」

「姉さんが?」朝頼アズマはうんざりした様子で。このまま埒の明かない問答を続けるよりはマシだと思ったのだろう。総裁の話を拾ったほうが。「いないんですか?大学では」

「今日は休みだと云っていたよ。朝から熱心に篭って」

「じゃあ篭ってるんじゃないんですか?」まだ朝だ。そう言わんばかりに。「地天宮ちあまみやでしょう」

 ちあまみや?

「ここかもしれない。今日渡すのだと知っていたからね。見納めに」総裁は光る壁に向かって手を。

 何も起こらない。

「マチハ様。どういうことだね。まさか私にまでそのような」

「違うのです」総裁が喋り終わる前に返答していた。「どうか彼女を、ヒズイさんを一人にしてあげてください」

「いるんだな?」総裁が壁を叩く。ストローごと揺れる。「おい、いるんだろ。ヒズイ。どうしたんだね。出てきなさい」

「姉さん? 名残惜しいのはわかりますが」

 嫌な予感がする。

 こうゆう場合、ミステリィだと。

 いけないいけない。現実とフィクションを混合するようじゃ。

「拗ねてないで出てきなさい。私が言ってるんだよ?」

 朝頼アズマが、なぜか視線を寄越す。「死んでると思います?」

 図らずもまったく同じ発想に至ってしまったのを嘆きたかったが。

「せめて、生きてる思う?て訊いてくれへんかな」身も蓋もなさすぎる。

「アズマ。言っていいことと悪いことが」

「これだけ呼んでも出てこないだなんて。呼んでるのが僕ならまだしも、総裁が呼んでるのに。あり得ません。姉さんが総裁の命令に従わないだなんて。よって、姉さんは総裁の命令が聞こえない状況に陥っている。聞きたくても聞けない状況に。その状況の中で最も確率が高いものを示しただけのことです」

 理は適っているように聞こえるが。

 いかんせん、聞こえが悪い。

「例えそうだったとしても、容易く口に出していいことではない」総裁は壁を叩くのをやめて天井を仰ぐ。

 そこにいるのだろう。マチハ様とやらが。

「尚一層開けてほしい気持ちが高まったよ。ヒズイがここにいるのなら、一刻も早くその安否を確めたい。私は総裁として、ヒズイの父親としてその権利と義務がある。もう一度言う。ここを開けろ」神の像と一緒の部屋にいるとかいうヒズイさんとやらにも言ったのだろう。

 そんなことより気になったのが、マチハ様とかいうのの存在だが。

 神かなにか? もしくは、このSF建造物を制御するシステムの名前?

 どちらでも変わりないか。

 どちらも神だ。

「一つだけお約束ください」観念したようだ。「ヒズイさん以外にもう一人、水天宮みずあまみやにはおいでです」

 みずあまみや?

 部屋の名前だろうか。さっきの、ちあまみやといい。

「その方はヒズイさんがここにおられることにおいて何の関わりもございません。偶然に、どのようなお導きか、同じときを同じく水天宮で過ごしていたにすぎません。それだけはご承知ください」

「誰がいるんだね」総裁は訝しい顔を。「サズカか」

「妹です」朝頼アズマが要らぬ注釈をくれる。

「余計におかしいじゃないか。どうしてサズカまでがいて」

「それを仰らないでほしいと、今しがた申し上げました。お約束できないというのなら、開けることは」

「わかった。わかったよ。約束しよう。サズカには一切何も訊かない。それでいいかね。早く」

「約束しましたからね? たがえた場合、わたくしは」

 信仰を捨てます。

 切れ目は静かに出現した。

 円形の床。天井の形を見るに、やはりここもドーム状を成している。

 最初に入ったものよりも、次に入ったあれよりもだいぶ小さい。総裁がいたあれは暗くていまいち全景がつかめていないのだが。あの反響具合からいって相当の。外から見えた無駄にでかすぎるアレがさっきのかも。

 それがでかすぎて見えなかったのだ。このサイズのドームは。陰になって。

 板の間敷き。

 中央に、

 円柱の台座が。そこに載っていたのだろう。

 そこに転がっているそれが。

 神像?

 違うものも転がっている。

 神像?

 赤黒い染みが。

 大きいのと小さいのと。

 直立しているものもあった。

 神像?

 それが口を開いて。「私じゃないから」

「ヒズイ」総裁が悲痛な声を。

 それはどっち?

 転がってるほう?

 心臓。

 立ってるほう?

 神像。

「死んでましたね」朝頼アズマが冷ややかに言う。

 死んでる?死んでるのは、

 どっち?

 転がってるほう?

 神の臓。

 心の像。

「ヒズイさんでもサズカさんでもありません」わたくしが「殺しました」

 天の声がそう言った。


      2


 まさむらが?

 俄かに信じがたい。信じたくないのかもしれない。

 父親を殺して。

 なんのために?

 KREのメインシステムに侵入して。

 なんのために?

 浅樋うすほに手を貸す形で。

 なんのために?

 わからない。浅樋アサヒうすほの行動原理は、社長への愛だが。

 まさむらは。

 何を考えているのかわからない。わかろうともしなかった。まさむらと話すことが社長の機嫌を損ねるから。まさむらに近づくことがKREへの背信だったから。

 父親なのに。

 息子は何も知らない。

「シロウさんだけどね」かけゆきは思いついたように言う。「確かにまさむらさんだったら怖いけど、もっと怖いよ。シロウさんだったらさ」

「どういう意味だ?」シロウが?

 なぜ。それこそ、

 なんのために?

「まさむらさんは俺、てゆうか社長かな。気を遣って、こいつの手柄をね」かけゆきは画面をしゃくる。

 両手がキィを叩いて塞がってるので。消去されてしまったという遊びまたは呪いのプログラムを復活させようとしてるのならかなり微妙だが。

「ぜーんぶ俺にくれちゃったけど、ぽいとくれちゃったホントの理由は、シロウさんに敬意を表して」

「シロウが作ったってことか?」

「シロウさんの原案を、まさむらさんが応用したのを、俺がいいとこ取りして実用にこぎつけたって感じ? 三段階なわけよ。俺もあとで知ったんだけどね、シロウさんの案だってのは」

 シロウはそんなこと一言も。

 言わないだろう。シロウなら。

 そうゆう奴だ。決して表に出てこない。本当の実力を隠している。俺が知らないところですべてが済んでいる。完璧に。この結果に辿り着くまでにした過程が底知れない。魔法の類だろうとしか思えない。

「もしさ、シロウさんだったら」かけゆきが言う。

「そんなわけが」

「そうじゃない。俺だって、そんなこと考えたくないさや?でも、サネに黙っていなくなったなんて、あの人あんなでしっかりしてるから、不当な暴力で連れ去られたんじゃなければやっぱ」

 自分の意志で。

「サネに顔向けできないようなことをやってる」

 電話はやっぱりつながらない。電波の届かない云々電源が入ってない云々。

 俺と話をしたくない。

 それだけだ。

 まさむらは独りで住んでいる。と誰かに聞いたことがある。誰だったか。社長てのは絶対あり得ないし、かけゆきか?案外、シロウかもしれない。

 シロウはまさむらのことをマサ、と呼ぶが。まさむらはシロウのことをシロウさん、と呼ぶのだ。まさむらのほうが年上なのに。本当に?

 本当に年上だろうか。考えたこともなかった。かけゆきよりは年上だろうが、まさむらは。シロウもかけゆきより。いや、どうだったろう。

 こんなにも何も知らない。俺は、次期社長だとかほざける立場にない。

 この番号を鳴らしたことがあったろうか。

 今回が初めてだったらお笑い種だが。種が笑うだけ。俺は笑わない。

「やあ、珍しいね。明日あたり地球が滅ぶかな。僕の立ってる真下だけ」まさむらはすぐに出た。電話を手に持って待ってたとしか思えない。

「どこなら会える?」本社以外ならどこで会おうが社長に知られることはない。どこなら今日いますぐ会えるか。そういう物理的な問題を言った。「だいじな話がある」

「それ僕の死亡フラグだよね? て、使い方合ってる? ユキに聞いたんだけど」

「さあ」ツネもそんなこと言ってた気がするが。話を膨らませるのが面倒だった。

「だよね。いいよ、サネに会うまでは生きてる。でもそうやって意気込むと余計死んじゃうんだったっけなあ。弱ったな」まさむらは苦笑いをしているだろう。日頃から微笑を絶やさない顔付きなので長い付き合いがないと見分けられない。

 ああ、そうか。俺は、

 見分けられる。

「どこがいい?合わせるよ」まさむらは無理をしている。

 俺が電話なんかかけたから。

「どこならいいんだ」

「僕の都合でいいの?」

「俺が呼び出すほうだから」

「いまどこにいるの?」

「どこにもいない。だから好きな場所を言え」

 まさむらが笑っている。くすくすでもにっこりでもない。「どこにもいない、て。哲学的なこと言うね。そうだなあ、サネと一緒ならどこでもいいんだけどなあ」

 優柔不断なのは、相手に合わせすぎるから。

 駄目だ。やっぱ俺は、

 社長の息子だ。

「お前の家がいい。どこだ」

 まさむらのマンションは、KREの管轄外にあった。

 そこまでする必要があったのだろうか。俺が生まれる前から不仲だったのだろうか。俺が生まれてからだろうか。記憶がない。と思い込んでるだけだろうか。都合の悪いことは脳が消してしまう。心を守るためなら脳はなんだってする。

 厄介なインタフォンを鳴らす必要はなかった。エントランスに車が横付けされていて、運転席の窓が全開になっていた。

 まさむらが片手を挙げる。

「家がいいと言ったんだが」

「自慢の車で息子とドライブするのがお父さんの夢ってね。あ、テレビかなんかで言ってただけだから別に僕の本音じゃないよ? 夢にしてはちゃちいよね。そんなの自力で歩けないうちに無理矢理車乗せちゃえば叶っちゃうよって」

 この流れから行くと助手席に乗ったほうがよさそうだった。

「どこ行くんだ」

「ドライブってのは目的地がないんだよ。着いたところが目的地ってわけだ。サネに行きたいとこがあれば話は変ってくるけど」

「いいから出せ」

 時刻は昼を回っている。思いの外、本社で長居したようだ。

 考えるべきことは沢山あるはずなのに、ツネのことばかり気になる。野垂れ死んでないだろうか。いや、それはない。ツネに限ってそれだけはない。どこかで宿を見つけて。腹を減らしてないだろうか。そんなことより、売ってないだろうか。

 売ってないだろうな?

 まずい。

 致命的な落ち度だった。急激に連れ戻したくなってきた。

「サネってそんな百面相だった?」

 なんでもない風を取り繕う。

 すでに遅い。

「前見ろ。事故る」

「全然優しくなったよね。前が取り付く島もなかったからかな」

 それは社長だろ?と思ったが黙っていた。

「聞きたいことがある」

「どうぞ。そのために呼び出されました」まさむらが言う。

「ついさっき、本社のシステムが侵入された」

「みたいだね。ユキから聞いた。ごめんね、て言っといて。ちょうど手が離せなくて」

「何してた?」

「アリバイ? 確かに僕が真っ先に疑われるね。そうゆうことだったんだよね?ユキが連絡くれたのは」

 市街地から離れている。信号も車線も少なくなってくる。速度はそれほど出ていないようだった。

「お腹すいてない? 酔ってたりしない?具合悪くなったら言ってね」

「話を進めろ」

「お父さんてこんなじゃないのかな。わかんないね。心配されたことないもんね」まさむらは、ハンドルから手を放して、また握りなおす。「僕のお父さんはね、僕ばっか構っててね。鬱陶しいくらいだったよ。僕に百パじゃなくて、半々で分ければよかったのに。それか半分をお母さんに向けて、そのまた半分を僕らで分ける。弟がいてね。て、こんな話しに来たんじゃないよね? ごめん。本社は?大丈夫だったの?」

「大丈夫じゃなきゃ俺はここにいない。かけゆきがなんとかした。あいつが大丈夫って言ってるんだから」

「そう。よかった。信じてもらえないかもだけど」僕じゃないよ。

「シロウなのか?」

 まさむらは笑わなかった。笑わないまさむらを初めて見た。

 居心地が悪かった。

 窓が全開だったらそこから這い出る算段を考えたかもしれない。どこかでつっかえることがわかってたとしても。

 舌の裏がざらざらする。

「そっか。そこまでいっちゃってるんだ、もう」

 車を停めてほしかった。まさむらの焦点がどこにも合ってない気がした。

「サネは、僕をお父さんだと認めてくれる?一度もお父さんらしいことなんかしてないけどそう思ってくれる?社長を愛したことなんかなくても?父親を殺したくてしょうがなかったとしても?こないだの葬式のとき僕が思ってたこと教えてあげようか。ようやく解放される。ああ、こんなにうれしいことはない」センタラインを越えて、ゆるゆると停車する。サイドブレーキを引いてしまった。「これでトラックでも来たら僕と心中だけど」

「出せ」

「来ないかなあ。来ればいいね」

 俺だけ降りれなくもない。でもそうしたらまさむらは絶対に降りない。

 俺は降りるわけにはいかない。

 まさむらを見殺しにするわけに。

「お前なのか」

 浅樋ゆふすだを。

「違うよな?」

 シロウの居場所を。

 知りたかっただけなのに。知ってるなら。

 なにか、知ってるのなら。

「サネは僕よりシロウさんを取る。そっかあ。そうだよね。僕なんか生きてたって」

「いいから出せ。違うんだろ? 違うならいい。そうだとしても」

 殺したとしても。

 俺には悲劇も感動もない。

「俺はまだ死にたくない。お前を死なせるわけにもいかない。こないだしたばっかでまたやらせる気か。やなんだよ、葬式なんか」死にたくなる。「早く出せ」

 死にたくない。

 まさむらの両手が運転に取り掛かる。足がアクセルを踏む。対向車が来そうな気配はまったくもってなかったが絶対に来ないという確証も何もない。

「死亡フラグだかなんだか知らないが、そんなもんを自分でこさえるな。俺がお前を父親だと認めなかったら死ぬのか?その程度で死ぬとか言うな。もしどうしても死にたかったら俺に知られないようにこっそり死ね。俺の眼の前で死ぬのは許さない。誰が葬式すると思ってるんだ」怒鳴りすぎて疲れた。

 俺じゃないみたいだ。

 こんな奴だったろうか。

 死にたい奴は死ねばいい。そういうスタンスじゃなかったか?

 たぶん、先に死なれるのが許せなかったのだろう。

 俺を差し置いて。一番死にたい俺を差し置いて、一人で死ぬのが許せない。

 でも本当は死にたくなんかない。

 死んだら会えなくなる。心残りができてしまった。もう少し長生きしなければならない理由をこさえてしまった。図らずも。

 一方通行という標識を見つけたが見なかったことにした。

「ねえ、サネ。どうしよう」

 シロウさんだったら。

 どうもしない。


      3


 死んでいたほうが、朝頼アズマの姉ヒズイ。

 死んでなかったほうが、朝頼アズマの妹サズカ。

 ついでに紹介しておくと朝頼アズマの兄はマズルというらしいのだが。

 ここで入れ替わりトリックとかが行われてれば。いやいやいやいや考えすぎというかミステリィすぎる展開というか。

 死人なんか見たくなかった。慣れてなくないところがすごく嫌なのだが。

「案外平気ですね」心の声がだだ漏れかと思ってビックリしたが、朝頼アズマが自分による自分の分析結果だったらしい。紛らわしい。「一緒に暮らしてなかったからでしょうか」

 総裁のほうが平気じゃなかった。水天宮とやらから一歩も動けてない。入ることも出ることもできてない。

 入ってないんだから出ることはない。と屁理屈を並べたところで。朝頼アズマが呼ぼうが揺すろうが無反応なので、置いてきてしまった。

「困りましたね」朝頼アズマが呟く。

 妹には何も尋ねるな。そういう約束で水天宮を開けてもらったわけなので。

 当の妹は、どこぞへ消えてしまった。皆の眼が死体に注目している間に。なかなかの視線誘導だ。

「最有力の総裁候補がいなくなってしまいました」

「そこなん?」容疑者になんら追及ができず、挙句見す見す逃がしてしまったことを嘆いたのかと思ったが。

 ないか。

 朝頼アズマは探偵役には不釣合いだ。正義というものがない。

 そんなものが果たして存在すれば、の話だが。

「困りました。本当に。兄さんが継ぐはずあり得ませんから」

「なんやの?継ぎたいのと」

「嫌ですよ。こんな」わざとその先を省略した。どこぞで、或いはどこででも聞いているマチハ様に遠慮したのだろう。「こんなとこ。でもおカネは要らなくないですね」

「ゲンキンやなあ」

「いいえ、あなたほどでは」ぜんぶ知ってるぞ。そんな顔で朝頼アズマは。「僕が総裁になったらKREを買収しましょうか。そうしたら僕のものになってくれます?」

「そらええな」

 敷地の全景図を見たいといったら、すぐに出してくれた。出力という意味で。

 ドームが6つ。

 ドーム状でない建造物が2つ。すべてに名前があるようだった。

 最初に見た白壁は、海天宮うみあまみや。全建造物中最も南に位置する。厳密には南西だが。

 2階建てで事務所も兼ねているという。

「も?」

「ええ、ここに住み込みで働いてくださっている方々の住居がその2階に。1階が事務所なんです」

 海天宮から、2本。ストローが北に伸びていて。

 総裁が日本海をバックに演歌を歌わんばかりの登場をした、木天宮きあまみや。最も西側に。

「これが一番大きいです」朝頼アズマが指でなぞる。円上を。「一応、縮尺も考えて作ってありますので。ほら、一番大きいでしょう? ここで集会を執り行います」

「2階もあるんか」

「ええ、こちらが」海天宮とをつなぐ、2つの平行するストローの、西のほう。「2階に直接アクセスできます」

「ほお、階段?」

「いえ、スロープです。坂になっていまして。なだらかですよ」

 最初に入った、別段何もないドームは、風天宮かぜあまみや。敷地のほぼ中央に位置している。大きさも中間くらい。

「ここに秘密の出入り口がありまして」朝頼アズマは円の真南を指す。「僕らはここから入ったとそうゆうわけです。僕らトモヨリと幹部クラスの信者なら自由に行き来できます。右手さえあれば」

「お前の右手切り落として、俺が使うたら開くん?」

「どうでしょう。試したことありませんので。あ、ちょうど姉さんのがありますし、どうです? やってみます?」

「おま、せーかく最悪やな」

「それほどでも」

 木天宮に刺さるストローはぜんぶで4つ。海天宮とが2つ、風天宮とが1つ。もう1つは、木天宮の北東に位置する金天宮につながっているが、その接続部分が枝分かれしていて、水天宮とつながる。

 ここで、死体が。

 生体と共に。

「神像の安置場所なんです。それだけの場所です。祭壇といいましょうか。なので僕のような穢れた者は侵入を禁じられまして」

「穢れたゆうのは? どないな定義なん? 思想?」

「穢れてない思想ってのを一度見てみたいですね。簡単です。処女童貞じゃないってことです」

「うわ、生々しな」

「総裁も入れません。入らなかったでしょう?そうゆうことです」

「俺も入れへんよ」

「そうですか。よかった。入らなくて」朝頼アズマは意味深に微笑む。意味深を気取りたかっただけかもしれない。「とすると最初から誰も神像を取りにいけなかったんですね? 困りました。サズカも帰ってしまったでしょうし」

「どないするん? ほかにおる?」さっさと受け取って帰りたかった。「ほんまは辞退したいのやけど」

 社長サンの顔を立ててこんなところまでほいほいと。

 追い出されてるくせに。この期に及んでどんな顔を立てる義理が。

 風天宮を時計の文字盤に見立てると、10は木天宮へ、2は土天宮つちあまみやへつながっている。

 大きさは最大の木天宮に次ぐ。敷地の東に位置し、ゲスト用の宿泊施設だそうだ。

 その中央部分の床が円状にくりぬかれており、テーブルを囲む形でソファが4つ。朝頼アズマと膝をつき合わせないように話をしているわけだが。

 またも文字盤に見立てると、7と6の壁が抉れていて、それぞれ風天宮、火天宮ひあまみやへ続いている。

 その間の部分は、6と7が抉れているおかげで変に飛び出ているように見える。しかし、6と7が抉れているだけなので、ぐるりと見回しさえすれば、他の壁が描く円周の一部だということがわかる。その内部に2階へと通じる階段があるらしいが、例によって扉なんか見えない。ただ、天井はアーチ状になってはいない。真っ平。

 なんとなく息苦しい理由がわかった。

 窓がないのだ。如何わしさの権化、朝頼アズマのせいだけではなさそうだ。

「ちょお待ってな。ここ」水天宮。「密室やん。ロックされとったのやろ?」やはり窓はなかったはず。

「マチハ様になら自在に開閉が可能です。本来は僕らでも開くんですが。さっきはどうゆうわけか開かなかったでしたけど」

「穢れ云々と違うん? どーてーやないと解除されへんゆうシステムに変わったゆう」

「サズカが中から鍵をかけたのかも。そうか。そうかもしれません。開くわけがない」

「なんじょうかけたはったのやろ? 立て篭もりシュミなん?」

「姉さんじゃないんですから」朝頼アズマは苦笑する。「姉さんが死んでたのが先か、サズカが入ったのが先か。僕は前者だと思うんですけど」

「自殺ゆうこと? 次期総裁の座狙うとるねーちゃんが死ぬ思うか?」

「それはそうですね。まあ前者を採ったのは、サズカがそんなことするはずないってゆう僕の願望と、姉さんなら自殺くらいあり得るかなあ、くらいの適当な推論ですので」

 ミステリィ路線で考えるな、と脳が騒いでる。実際に騒いだらそれは病気なのだが。

 密室。

「凶器はなんやろ」

「お好きですね。頭が上がりませんよ、素晴らしい正義感に」確実に莫迦にしている。「他人事だと思って」

「他人やし」水天宮で見た状況を思い出そうとしたが。

 倒れていたのが2体。

 立っていたのが1体。

 2体?

「なあ、おったの2人?」

「だったと思いますよ。おった、の定義にもよりますけど」

 おかしい。全部で3つだった気がしてならない。

「もしかして、神像です?」朝頼アズマが膝上の小型ノートPCを操作して。「これでしょう?」

 倒れていなかった。

 立っている。写真。

「ブロンズだったか真鍮だったか」朝頼アズマがカタカタとキィをいじる。「中が空洞ならアレですけどこれが凶器なら重すぎませんか? もっと手頃な物だって」

「そげな重いもん運ばせよ思うたん? 宅配便やなんやらで送りつけたったらよかったのと」そうだ。どうしてそうしなかった?

 わざわざ呼びつけて。

 見せたかった?さっきのアレを。

 考えないわけではなかった。最初からそうだと決め付けるには、白竜胆会とやらの、総裁、加えて朝頼アズマの狙いが皆目見当つかない。

 ここにいる全員が出演者の。飛び入りの客にだけ台本が与えられていないだけの。

 ミステリィ仕立ての演劇だという可能性。

「なあ、神の像見れる?」

「受け取る意志があると取ってよろしいのなら」人を殺すのに使ったかもしれない凶器を持って帰る悪趣味があるのか。という意味。「犯行現場に舞い戻る前に、僕らは大事なことを忘れています。お気づきですか? 不審な死体を見つけたら善良な一般市民として真っ先にすべきこと」

「不審な死体やあらへんのやろ?」

「まあ、そうですね」

 これで死体が消えていたとしたら。

 死体消失。

 凶器になったかもしれない神像まで消えていたなら。

 凶器抹消。

 水天宮に戻ると、

 前者は消えており。血痕も血の海もなくなっていた。

「入ってもよろしいですか?」完全に事後承諾だった。朝頼アズマは屈んで床を検分する。「よくも短時間のうちにこうまできれいに拭き取りましたね」

 後者はそこにあった。

 転がっていない。

 立っている。中央の円柱に。

 またも天の声がした。「地天宮に来ないでください。マズルさんが」

 死んでいます。

 ストローの突き当たり。朝頼アズマが手を翳す。

 開いた。

 来るなと言っておいて。

 金天宮かなあまみや

 天井部分がステンドグラス。

 緑や赤や白や紫や茶や桃や黒や橙や青や灰や黄の。

 光が降り注ぐ。背筋をやわやわと撫でられたような厭な。

 振り返ったところで誰も。

 これが、

 マチハ様?だろうか。

 中央に。

 またも円柱。

 水天宮のものよりもだいぶ大きな。

 ちん、と到着音がして。

 円柱に切れ目が。エレベータ。

 流れ出る。

 赤黒い潮。

 壁に寄りかかって脚を投げ出して座らされて。

 兄です。

 という朝頼アズマのいらん注釈を待ったが。

 表情が削げ落ちている。

 動かない。

 動けない肉体の。

 傍らに。

 乗り合わせていた。降りてくる。

 朝頼アズマの妹。

 朝頼サズカは、またもお決まりのセリフ。「私じゃないから」を、吐いて立ち去る。

 止めろ。

 お前だろ。

 止められない。

 お前しか。

「わたくしです」天の声が庇う。庇っている。罪を被っている。

 神だから。

 地上のあれこれはすべて神の仕業。そうとでも?

「わたくしが殺しました」

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