第2話 カリンだいぶ潰れた
1
これをやられるから厭なのだ。本社に足を運ぶのは。
この間は社長を筆頭に、まさむらと
正面玄関から幹部専用エレベータまで花道ができる。両側でオジギソウよろしく頭を下げて「お帰りなさいませ」だ。すべての業務を放り出してまで。誰の教育だ。KREの行く末が思い遣られる。
だいたい俺は社長と決まったわけじゃない。会長が社長を引退する際に開いたパーティでの会見がいまだに効いている。そのときに指名したらしいとかで。俺は生きてたのかどうだったのか思い出せないのに。
「ナニ話したんだよ?」かけゆきがエレベータで待ち伏せしていた。
本社勤務は支給される制服が原則。だが、幹部は自前。社長が眼を光らせているので、基本は正装に統一されている。ふざけたという言葉が服を着ているかけゆきでさえも適応の範囲内。
見たことない上下だった。いちいちチェックしているわけではないのだが。
「もうそんなんで持ちきりよ?」早速ネクタイを緩める。第一ボタンは最初から留まっていない。
「お前が流したんだろうが」なにやら重要なことが話し合われたらしい、と。
もっともらしいことをよくもまあ。暇を持て余してる奴のやりそうなことだ。
「俺も交ぜてほしかったんだけどね」
「それが本音か」
かけゆきは、社長の姉の息子。つまり俺の従兄に当たる。
全然似てないが。
「俺だって参加する権利の端っこはあったんじゃないかなあ」
幹部専用エレベータは、目的のフロアに達する直前で数分止まることがある。
かけゆきが乗っているときだけ。
「あららあ、まーただね。こうも続くと呪われてんじゃないかと思うよ」
「呪いの根源に言われたくない」
「なんか機嫌悪い?」
動かない。
「そんでホントのとこは?どうなのさ」
耳に息がかかる。
面倒なのでかけておいた。
「ゆったほうが身のためよ?」かけゆきが息だけで言う。
「俺のが偉い」
「俺にしてくれりゃあさあ、KREの更なる繁栄と栄光を」
「お前じゃ滅ぶ」
「じーさまがサネを指名したホントの理由。聞きたい?」
聞きたくばこっちを向け。
むざむざ従ってやる余裕すらない自分が一番腹立たしい。
「どしたの? 学ランのあの子にフられちゃった?」かけゆきが冗談ぽく言う。
「シロウを匿ってないか」
動き出した。
到着音。
「なに?シロウさんいないの?」本当に知らなそうだった。かけゆきが嘘を多用するのは日常茶飯事だが、自分にとって得にならないことはしない。シロウを匿うことでかけゆきが享受できる利点は何一つない。はず。「え、どゆこと?シロウさんいなくなった?」
「もうお前黙れ」
知らないことまで知ってるかけゆきの耳に、全関係者中最初に入れてしまったことを後悔する。他言無用だとか緘口令は敷けない。かけゆきの口は閉まらないようにできてる。
「いない?て」かけゆきが言う。
「浅樋うすほについてどう思う?」
「場所変えよっかね」
そもそもの目的だったフロアに社長室があるので、かけゆきの城まで降りた。地下にある。地上にも歴とした椅子があるのだが、ひとりのほうが気楽とのことで、画期的かつ革命的な新システム開発を約束して、地下フロアを自分の住居兼仕事場に改造した。本当に開発してしまうところがすごいといえばすごいのだが。
そのせいで本社のコントロール中枢はかけゆきのおもちゃになってしまった。エレベータ遊びも完全に趣味でやってる。
「適当に座ってよ。最近チャイにハマっててさ」かけゆきが言う。
「知ってるか知らないかだけでいい」手の平がやけにぬらぬらする。「まさむらの父親を殺したのは誰だ」
「それだと殺したってゆう前提ってことになるね。心臓じゃなかったっけな。持病があったとかなかったとか」かけゆきはポットの湯をカップに注ぐ。あらかじめ入れてあった粉末が溶ける。「あーこのなんともいえないもっさり感がたまんないね。どう?サネも」
「如何わしいものが入っていないか」
「信用ないねえ。なんでいちいち上げ底しなきゃなんないわけさ。んなことしなくたってじゅーぶん。て、怒ってる?怒ってるね。ごめんチャイ。なんつて。あ、よけー怒っっちゃった?ごめんごめん。久々だからね、来てくれんの」
ツネが居つくようになって。
ここには来なくなった。来る必要がなくなった。
「なーつかしいなあ。相変わらず?」かけゆきが身を乗り出して言う。
「シロウがいない。俺は、浅樋うすほが監禁してると思ってる」
かけゆきはカップをデスクの際に置いた。そこしかスペースがなかったわけではなくてすぐにまた飲もうと思ってとりあえず置いたのだろう。
その程度の内容と判断した。「マジ?どこまで本気?」
「浅樋うすほがまさむらの父親を殺したそうだ。本人が言ってた」
「それが緊急家族会議の内容? へええ、やっべえ。俺ハブでせーかいだわ。やだやだ。なにそのどろどろサスペンス。ある意味崖っぷち?」
本気にしてない。
浅樋うすほの自作自演虚言劇だと思ってる。
「ちょ、そんなの真に受けてんの?だいじょー?休暇採ったら?」かけゆきはオーバに身振り手振りを付ける。そうゆうときは、大方相当の確率で。
何かに思い当たったがそれを言いたくないがために囮の言動を振舞う。
やはり、知ってる。俺の知らないことを。
俺だけが知らないことを。
「殺したんだな?」
どうして隠す?
「復讐って何だ?」
まさかお前にまで。
「なんの得になる?今回の」
「ちょ、ちょいちょいちょい。なんだか俺が殺したみたいな言い草」
「どこまで関与してる?」
つく意味のない嘘はつかない。
それだけがいいところだと思ってたのに。
かけゆきは、カップを持ってどこぞに消えた。と思ったら戻ってきて、どかんと椅子に腰掛ける。反動でデスクの上の紙束が床に。そんなことお構いなしでキィを叩く。ディスプレイに入れ替わり立ち代わりウィンドウが現れては消え、現れては消え。とめどないキィタッチが已むと同時に、メイン画面には。
見覚えのある会議室。見覚えのある面子。を俯瞰で。
監視カメラの映像。
「謝んなきゃなんないのは二つ」右手でピース。すぐに中指を折る。「緊急家族会議の内容は筒抜けだった。要するにぜんぶ知ってた。ごめん悪い。あんまりにあんまりな内容だったからね。なかったことにしたほうがいいかと思って。もう一つ」中指を立てる。「サネが知りたがってることを、俺は、知ってる。でも言えない。俺が言うことじゃない。俺は従兄だから。言えない。ごめん」
「本当の兄貴だったら言ったか?」
「社長の許可が下りないね。それと、かーさんに殴られる」かけゆきはそこで笑った。苦笑いと愛想笑いの中間で。「俺は社長の甥でしかないよ。生まれ変わらないと次期社長のポストは約束されない」
ここで粘っても如何わしいチャイを飲まされるだけだ。余計に時間の浪費。
「疑って悪かったな。邪魔した」
別に知りたいわけじゃない。強がりで言ってるんじゃない。できたら関わりたくない。ぜんぶ投げ出してまたいままでのように暮らしたい。
シロウさえ無事で戻ってくれば社長の椅子なんかくれてやる。
ツネが戻ってきてくれるなら、次期社長の座も甘んじて受け入れる。
矛盾。してる矛盾。
「明日まで待っててくれんなら」かけゆきに呼び止められた。
片手にカップを持ってる。中毒じゃないのか。以前、コーヒーの飲みすぎでカフェイン中毒になりかけたことがあるとかないとか。
「確められないこともないかな」
「なにをだ?」
「犯行の一部始終」その大胆不敵な笑いが会長にそっくりだと知ってるのだろうか。「まあ乞うご期待ってね」
大概こうゆうポジションの奴は真っ先に殺される。犯人にとって最高に都合が悪いから。と、ツネが言ってたのを思い出した。
やぶへびだと忠告したところで結果は同じだっただろう。
誰にも言うなと言えば、即日で本社中に知れ渡っている。
するな、やめろ、は鼓舞促進の呪文。
次の日、かけゆきからの連絡は来なかった。朝一で来なければその日一日待ったところで絶対に来ない。自分で宣言した手前、連絡を明日に回したに過ぎない。できないことはしない。やろうだなんて言わない。
エレベータが故障しているとかで、地下へ行けなくなってしまっていた。地下にアクセスできるのは幹部用のみ。
「閉じ込められたってことですか?」
「あたしに訊かないで」社長は錯乱の三歩手前だった。
そうなのだ。
社長のせいではない。
「階段は?ありましたよね?」
行けたら行っている。
その場にいた誰もがそうゆう眼で見る。
なにやってるんだ。と檄を飛ばしたところで。自分で行けばいい。それだけのことだ。非常階段に続く扉にもたれてノートPCと戦っている、かけゆきが。
「え、あ。生きて」
「ヤられた。まさむらさんは?」
真っ先に殺されたのは、
かけゆき本人じゃなく、おもちゃの。
「あー俺公開レイプうううううううううううううううううう」
社員が誰も非常階段に近づこうとしなかった理由がわかった気がした。
2
「そらお前いっちゃん先に殺されるえ」
「もうええわ。ええて。やめたってな」正直うんざり以外のなにものでもない。
「おそらく確実にご本人は知りません。教えてあげてくれませんか。あなたの口から聞けば冷静に受け止められるでしょうから」
社長サン(正しくは次期、だが)の父親が誰なのか。
そういえば、父親についての話は聞いたことがなかった。生物学的にいないはずはないので、話さないということは。
いや、社長サンが自分のことを話すのは稀だ。聞けばきっとぺらぺら教えてくれるのだろうが、それを期待している風はひしひしと感じなくはなかったのだが。わざわざ聞いてやるのも癪だし。
実のところ、社長サンのお家事情がどうだろうとどうでもいい。心底どうでもいい。
すでにこの世にいなかったとしても。
つい先日肉を燃やして骨だけになってたとしても。
この沿線に無人駅があるとは。朝頼アズマの余談がうるさくて時間感覚やら平衡感覚やら感覚と名がつくあらゆる感覚がなべて等しく麻痺していたが、だいぶ長いこと電車に揺られていた気がする。
辛うじてぽつぽつと民家が見えるが、例えば自動改札機をハードル競技よろしくぴょーんと飛び越えても、線路脇の柵をよじ登ろうとも、誰も気づかない。咎めない。観光案内もコンビニもなかった。駐車場すらない。
大通り、といってもセンタラインも引いてないような路面コンディション最悪のぼこぼこ道路だが、そこに出ると白いワゴンが停まっていた。道幅が狭いのでどうやって離合するのだろう、と余計な心配をする価値もない。
車なんか来やしない。目的地に着くまでただの一台も車両を見かけなかった。小型特殊でさえも。
ほど悪い(ほどよく、ないのだ)緩やかなカーブをえっちらおっちら上っていく。運転手のテクニックの問題なのか、最悪の路面コンディションのせいなのか、車種がジグザグカーブに向いてないのか、そのぜんぶの相乗効果なのか、酔った。
「すみません。気が回りませんで」朝頼アズマは白々しくペットボトル入りの水を差し出す。五分の一ほど減ってるのが嫌味だった。「よろしければ」
「いらんわ。放っといて」窓を全開にして朝頼アズマのいない方向に傾く。
運転手が気を遣って開放できる窓という窓を全開にしてくれる。しばらくは涼しくて快適だったが、気分も快方に向かっているかと思いきや。
「僕の設計図の半分の出処は」いいから口を開くな朝頼アズマ。「僕を産み捨てると、次期社長の父方の祖父を誑かし、離婚を迫って、いいえ、そもそも不仲だったところにうまいこと楔を打ち込んだといいますか、まんまと転がり込んだといいますか。とにかく酷い女なんです。僕のことなんかすっかり忘れて。KRE社長に狂気染みた愛を抱いてる」
「せーだいどーでもええのやけど」
「もう半分はもう半分で」朝頼アズマはまったく話を聞く気がない。
酔ったのは、運転手でも路面状態でも車種のせいでもなくてこいつのせいだ。絶対そう。そうとしか。
「失恋の傷を忘れるために新興宗教なんかに手を出して。まったくもって始末に負えません。あ、見えてきました」指を差さなくても充分見えている。
電車の中からちらっと見えた謎のアレがまさか目的地だったとは。
早くも帰りたい。
来るつもりなんかなかった。誰が好き好んで新興宗教の総本山なんかに。
入信希望者かと思われる。
運転手が妙にフレンドリィだったのはそのせいだろうか。考えたくもない。
そして、朝頼アズマも如何わしさに如何わしさを累乗したような如何わしい友好オーラをぞわぞわと発する。ああ斯くのごとく如何わしい宗教に嵌っていくのだな、と実感としてわかる。わかりたくもない。
破格に巨大な半球がぼこぼこと地面から生えている。
違う。ドーム状の建造物が。どちらだろうとそう大差ない。
ここから確認できるだけでも、5つ。建造物は無駄にSFなのに、地面が綺麗に駆り揃えられた芝生だったのがアンバランスというかむしろ均衡が取れていると錯覚させるというか。確実に異世界に迷い込んでしまった。
門も柵も囲いもなかった。門がなければ門番もいない。出迎えもなかった。運転手は、人間を二人降ろすと、どこぞへ行ってしまった。
「集会のとき以外は信者の方はここを訪れません。共同生活をしているわけではないのです」朝頼アズマは、一番手前のドーム状でない白壁の2階建てを無視して。その斜め後方に控えるドームに近づいた。
大きさは中ぐらいといったところ。そのすぐ隣のものよりは大きいが、白壁の真後ろに鎮座するドームがとにかく巨大の一言なので、まあそんなサイズと見てもらえば。
「本来は信者の方以外を入れてはいけないのですが、僕の連れということで大目に見てもらいましょう。あそこで」白壁だ。「手続きをしていただいて」
「能書きはええわ。はよ」
「そうでしたね。入信希望者になることは万に一つもあり得なさそうですし」朝頼アズマがドームに手を翳すと、長方形に切れ目が出現して。
中に入ることができた。
なんだこのSF。
内部は暖かくもなく涼しくもないし、暑くもなければ寒くもなかった。それがすごく不快で。ぷーん、も死滅する。
入り口だったはずの切れ目はすでになく、どこから入ってきたのかもうわからない。眩暈を起こしそうな高い天井で。
なにもない。
「いわば飛び石ですね。A地点からB地点に渡るための」朝頼アズマの声が四方八方でこだまする。「A地点とB地点の間には激流が流れていまして。ですが、僕らはどうしてもA地点とB地点を行き来しなければならない。そこで造られたのが、ここです。天空から地上に、また、地上から天空へ。急激な変化に慣れてもらうための緩衝材の役割もしていまして」
「どっち?」
背中の真後ろに入り口がある。そこを時計の文字盤の6とすると、2と10の位置だけ壁が抉れている。いまのところ切れ目は見当たらない。
「ええ、そちらで」
「天空?地上? AかBか」
10の位置で朝頼アズマが手を翳す。「行けばおわかりになるかと」
照明の根源の仕様なのか、全方向が白く眩しい。ストローの中を歩いてるみたいだった。小さすぎる朝頼アズマに合わせて造られてるのではないだろうか。腰を屈めることも頭を低くする必要もまるでない。
明るさに慣れたあとに暗さに慣れようとすると、視界が黒塗りになって何も見えなくなる。まさにそれだった。朝頼アズマが手を翳す様子も確認できなかった。
ストローは抜けたのだろうか。
「ようこそ、KREのドル箱くん」あらゆる方向からあらゆる音量で反響する。地声のヴォリュームが規格外な上に、マイクで更に増強させている。鼓膜破壊な耳鳴りが消えないうちに第二声が放たれた。「よくぞ来てくれた。歓迎しよう」
向かって右手側が急激に明るくなる。ようやく暗さに慣れようかとしたところでこれではあんまりだ。ロドプシンが泣き叫ぶ。
かまぼこ板分離前、みたいなステージ上に。
どこかで見覚えのある如何わしい友好オーラの微笑みを湛えたスーツ姿の男が。
ずるずると長いコードを引きずって。手にはマイク。
アレに似てる。あの、アレ。演歌歌手がまさにこれから歌わんとして登場するシーン。微妙に視線が落ちて。高いところから降りてくる。気取って階段を下りて。歌いだすと同時にカメラ目線。
「私が白竜胆会総裁、朝頼ガルツだ」
失恋の傷を忘れるために新興宗教なんかに手を出した。ようには見えない。
まったくもって始末に負えません。それは同感だ。
「父親です」朝頼アズマが小声で呟く。
大丈夫。
それだけはすぐわかった。背丈は遺伝しなかったようだが。
3
「本当に大丈夫なのね?」社長が言う。
「あーひーチェック何回目ですかい」かけゆきが言う。
「もう一回しなさい。もう一回よ。もう一回」
社長が心配する部分、すなわち会社の運営経営に直結するシステムはまったくの無傷だったらしい。触ってるのが実質かけゆきだけなので、奴が大丈夫と言えばそれを信じるほかないのだが。
本当に何度目のチェックだ? 石橋を叩きすぎてかち割りはしないか。すでにヒビは入っている。修復不可能なでっかいやつが。
「なんら問題ありません。はい、終了」もう二度とやらないとばかりに、かけゆきはノートPCの蓋を閉める。「終わりですよ。ホント勘弁」
「どうして手を付けなかったのかしら? 企業テロではないということ?」
「企業テロって、社長サマ」かけゆきががくんと項垂れる。「なんてゆう洋画ですか。うちを乗っ取ったって大したもんは。強いて言うならこのシステム自体がヤバいんですが。あ、ええと、まあそういう意味でなく」
社長から鋭角のオーラが発される。「なによ?まだチェックしたいの?」
「いいえ、謹んでご辞退させていただきやすよ」
「ヤバいってなによ? そんな危ないもの使ってるの?」
システム開発は、かけゆきが独力で、数ヶ月間誰とも会わず地下に立て篭もってやったと聞いたが。数年だったか。詳しいことは知らない。
使いこなすことはできるが、誰も仕組みを知らない。
「エレベータが地下に行けなくなったことと、非常階段塞いでそんなちんけなもので対処しようとしてたのはなにか関係があるの? 地下でこっそり処理すればバレなかったんじゃない? どうしてわざわざ出てきたの? あたしを挑発したいの?」
言ってることが滅茶苦茶だ。いまに始まったことではないが。
「ちんけ、て。メインと繋げばどんなちんけでもいじれますよ? 容量食いますけどこいつだって」かけゆきはポケットからケータイを取り出す。「つーかここだけの話ですよ? 社長サマだけの心に留めといてくださいね? 本日のご予定、乾坤一擲の大勝負すか」おそらく張り詰めた混乱の場を和ませようと冗談でケータイを向けたのだろうが。「過激なお召し物で」
そんな下劣な冗談は社長に通じるはずもなく。
払い落とされた。
ケータイが床を転がる。床が滑りすぎるのも問題だろう。
そんな短い丈でしゃがみ込むほうが悪い。
社長は急激に立ち上がってスカートの裾を押さえる。気のせいだと思いたいが顔が上気していた。
幻覚だ。
「バッカじゃないの?なんでそれ、早く言わないの?」
「被害に遭ったのは俺が遊びで作ったもんだけでしてね。根こそぎごっそりヤられました。ばっちりナカで」
「そのいちいち下品な物言いをやめて。地下封鎖して毒ガス巻くわよ」
「すみません。それだけはやめてください」
ということは、つまるところ。
エレベータは正常に滞りなく目的地へ行けることになった。
「そ、サネ。よかったね。俺の呪いは万事解けちゃった。ははははあ」かけゆきは力なく笑う。
「呪いってなによ。解けた?」
「除霊を頼まなくてよくなったってことです。無駄な出費を抑えました。はい、俺ばんざーい」かけゆきは、項垂れたまま力なく両手を挙げる。礼拝に見えなくもなかった。
社長秘書が呼びに来て、時間だとかで。
社長がしぶしぶ向きを変える。「いい?今回のことを、あたしにわかるように。あたしによ?あんただけわかってたって駄目なのよ? 会長に土下座するつもりで心してかかりなさい。わかった? 今日中よ?」報告書を提出しろということだ。
かけゆきは片手を下げて、挙げたままの手をひらひらと振った。
「返事は?」
「へーい。もち、本日中にやらせていただきやっすよ」
そのふざけた返事に思うところがあったようだが、本当に時間が迫っているとかで。秘書にバカ丁寧に急かされる形で、社長は本社を去った。
「さーて、いいもん見せてもらったところで」確実に皮肉だ。かけゆきは、よっこら、という掛け声と共に立ち上がる。
非常階段へつながる扉の施錠が解かれた音がした。
「まずいことになった」かけゆきが言う。
「呪いが解けただけだろ?」
「そじゃなくって。報告書にはそれとなくぼやかしとくけど、あーでもバレっかなあ。じーさまにはなあ」扉の内側へ。かけゆきは手すりに寄りかかる。「実は知らないだろうけどね、こいつ」階段の下に眼を遣った。自分で書いたプログラムのことだ。「こいつね、俺だけでやったんじゃないんだよね」
「そうなのか?」
「そーなの。そーなのよ実は。社長サマも薄々気づいてんだと思うけどさ。俺だけじゃ無理だっての。こんだけヤバいのをさ。かなしーことに」
「一人じゃないのがそんなに問題なのか?」
「そーゆー意味じゃなくってね。うーん、と、そだね。結論から言う。うすほの奥方が殺したっての、アレ、マジだわ」
よくわからない。わけがわからない。
ちっとも欠片もわからない。
「社長サマが企業テロっつったの、アレさ、社長サマの手前切り捨てたけど、あながち間違いでもないかもよ」
「全然話が見えないんだが。テロ?なのか」
「そ、うすほの奥方のね。クーデタかも。乗っ取ろうとしてっよ。うちを」
「呪いが解けたこととどう関係する? 何かわかったんなら」
「ごめんごめん。俺もちょい混乱しててさ。順番に言う。昨日サネに言っといたアレ、見つけたよ。でも見せらんない。未成年にはね」
別に見たくもなかった。「本当だったんだな? 浅樋うすほが」
「奥方が殺したのは間違いないわけよ。んで、問題んなってくるのが。奥方がひとりで殺せるのかってこと。とっくに定年しちゃってるけど曲りなりも成人男性を、あんなガタイのいい野郎をね、あんなか弱そうな奥方がひとりでヤれんのかってことさよ」
どうやって殺したのか。
かけゆきは見たのだろうか。
「協力者がいる。しかも困ったことに裏切られると相当まずい立場のね。あ、まずいってのはうちにとって、てゆう意味ね。俺にとっても、なんだけど。だから呪いを解かれちゃったわけだよ」
「もっとわかるように言ってくれないか。協力者?裏切り者がいるって」
KRE内部に。
「誰だ」
「と思う? たぶん、当たってる」かけゆきは自分の口から言いたくないみたいだった。余計なことだけはべらべら喋るのに。「俺へのせーさいなわけよ。もっとちゃんとやらないとぶっ壊すぞ、てゆうね。けーこくでもあるわけね」
浅樋うすほの協力者と。
KREの裏切り者は、同一人物で。
さらに、かけゆきと共にシステムを開発した人物とも。
誰だ?
「社長サマが2番目に抹殺したい男。てゆえばわかる?」
1番目じゃないのか?
「ヤバかったんだよね。サネが来る前にさ、異変に気づいてこっから脱出したんだけど、ちょうど社長サマに出食わしてさ。そーゆーとこ無駄に鋭くていらっしゃるもんだから。俺もそんときだいぶ動揺しててさ。つい、ゆっちゃってたってわけよ。社長サマの耳に入れちゃならない名前をね」
1番目が他にいる?
ああ、そうか。それが。
浅樋ゆふすだ。
浅樋うすほの復讐が、このことだとしたら。
「SOS出しちゃったんだよね。絶対駆けつけてきてくれるもんだと思ったけど。サネが連れてきてくれたんだと思ったけどさ、来るわけないんだよね。だって、他ならぬ自分が起こしたんだから」
企業テロ。未遂を。警告を。
なんのために?
「まさむらさんだよ」こいつ「生み出したの」
4
忘れなければ。
はやく。早く。
忘れなければ。
彼女が私を嫌いになるはずがない。
彼女は無理矢理結婚させられたのだ。
胎の命を人質に。
殺せるはずがない。優しい彼女にそんな惨いこと。
忘れなければ。
はやく。早く。
なにもかもを。
彼女を苦しめた巨悪に対する復讐を決意するには私はあまりにも弱かった。
私に何ができる?
彼女の結婚相手を殺す?まさか。
彼女を無理矢理犯したあの男を八つ裂きに?まさか。
忘れなければ。
弱い私にできることはそれだけだ。
はやく。早く。
なかったことに。
何もなかった。彼女とも。
彼女は最初から存在しなかった。
出会う前に戻っただけのこと。
忘れなければ。
なにもかもを。
もし、彼女が望んで結婚したとしたら?
忘れなければ。
もし、彼女が私を捨ててあの男を選んだとしたら?
忘れなければ。
もし、もし万が一に。彼女が。
あの男を愛していたとしたら?
私に近づいたのはあいつに近づくための口実で。
私はまんまと騙されただけだったとしたら?
忘れなければ。
忘れなければ、すべてを。
あの男はまだのうのうと生きている。
忘れなければ。
あの男は、
私と血がつながって。
忘れた。
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