第6話 マンゴー朝樋な

      1


 病室から抜け出す絶対安静の大怪我人なんて、よくもまあ。

 真犯人っぽいじゃないか。

 さっきまで生と死の境界を彷徨ってたとはとても思えない。よくて死んだ振り。

「生きてるフリだよ」

 頭の中がだだ漏れかと思ってどきりとしたが、そういうわけではなさそうだった。

 そうでないと思いたいだけかもしれない。

 まさむらさんは、バックミラーをちらちら見ながら。

 そんなことしなくたって逃げられない。逃げるつもりもない。

 逃げるイコール轢き逃げ。

「こんなことしてごめんね。サネを誘き出すには君しか」

「野山放置やのうたらなんでもええわ。あとバイト代な。俺の緊縛は高うつくえ?」

「サネから僕のこと何か聞いてる?」スルーかい。「続柄以外で」

「その続柄がわからへんのやけど」

 縄抜けだったらできなくなかったのだが。生憎と縄でも紐でもない。近いのは、寝袋とか芋虫とか巾着とか。首から上が自由なのがなんとも人道的な。

「なに?兄やん? 似てへんな」

 意識が飛んだ。ぴゅーんと。

 兄やん。がNGワードか何かだったのだろう。

 真っ暗の。かび臭い。

 地下か?

 ちかちか。かちかち。

 思考停止したくなる音が。耳のすぐそばで。単に反響してるだけかもしれない。部屋がとにかく狭くて。そのくせやたらとこだまする。

 いや、車だってああなったわけだし。

 いやいやいやいや。対人はやばいだろ。対物はあれとして。

 なにかポールのような。使徒じゃなくて。力づくの侵入を視覚的に妨害するほう。にしてはのっぺりしてない。ごりごり痛い。

 そいつを背中の補強に、後ろ手で。

 縛られてるならほどけたのだが。何かを握らされてる。なんだろうか。

 かちかち。ちかちか。

 ひょっとしてひょっとすると、

 真後ろから聞こえないか?

 ゆっくり。ゆっくりだ。ゆっくり持ち上げて。

 かちかちちかちか。

 かちかち山だろ、タヌキさんの背中における大賑わい的な意味で。

 笑うしかない。

 笑えもしない。

 きっとあれだ。なんたらセンサが付いてて、片方の手でも離すと途端に。

 焼き芋の気持ちが味わえるという。

 ないわ。

 ないな。

 もしかしてもしかすると、

 真後ろのから心の臓?の鼓動が聞こえて?

 かちかちかちかち。

 どくどくどくどくと、く。

 時間制限があったらたぶん死んでる。死ぬわ。死ぬか。

 兄やん訂正するから助けて。


      2


 白壁の建造物の前に、まさむらが立っていた。まさむらだろう。俺の眼がおかしくなってなければ。

「殺してないだろうな」

「サネ次第だね」まさむらの声だった。まさむらだと思うのだが。「サネがいつも手加減して生きてるってとこを見たい。手を抜いてるってところを見せてほしいんだよ」

 まさむらを下から照らしてた明かりが消える。

 まさむらが見えなくなる。

 芝生に設置されてるライトが一斉に光る。

 巨大な半球状の。白壁も照らされる。

 まさむらが現れる。

「各天宮にヒントを仕掛けた。解くと次に進める。全部を回ると」

「見つけても死んでた、だったら殺す」

 まさむらが微笑む。「サネが僕にそうゆう感情を向けてくれたのは初めてだね。大丈夫。実はだいぶ大丈夫じゃないんだ」まさむらが腹部を押さえる。「傷が開いたみたい」

「お前頭撃たれてなかったか?」

 白壁の斜め右後ろのドームだけが光る。

 ほかが消える。

「そこからスタートだよ」まさむらも消えた。


      3


 一方的に喋っている。誰かに聞いてほしいわけじゃなくて、喋ってるその場にたまたま居合わせただけの。相槌も肯定も否定も賛同も同情も共感も要らない。

「僕の父さんはね、僕の弟が嫌いだったんだ。出来が悪かったから。何をするにも下から数えたほうが早かった。僕はその逆で、何をしようが上から数えてほしかった。僕は弟に勝ってた。すべてにおいて。中身も外身も。負けてるところなんかなんにもなかった。なかったんだ。なかったんだよ、本当に」

 父は死んだ。

 弟は死のうとしていた。ところを助けられた。

「負けるはずがなかったんだ、僕は。弟はね、滑り込みで入った三流大学で運命の人と出会う。といっても、運命の人は三流大学じゃなかった。彼女は僕と同じ学部でね。僕が彼女を連れて弟に会いに行ったんだ。連れてかなきゃよかったよ」

 彼女は生きている。

「彼女は僕にこそ相応しかったんだ。でも、彼女は僕なんか見てなかった。何の取り柄もない弟に惹かれたんだ。いや、何も持ってなかったから新鮮に映っただけだよ。何も持ってない人間がこの世に存在するのかとね。珍しかっただけだよ。彼女は僕と同じであらゆるものを手にしてたから」

 彼は彼女を欲しい。

 彼女は弟が気になる。

 弟は、彼女に。「告白したんだ。僕のいる前でね。僕のいる前でだよ?僕に認めてもらおうとでも。違うかな。僕と一緒じゃなきゃ会えなかった。僕の前でしか会話が出来なかった。絶対に振ると思ったよ。彼女は優しいから、傷つかない方法でやんわりと断ると。でもね、次の日から僕なしで弟は彼女と会うようになった」

 彼は、彼女を奪い取ろうと思った。取り戻そうと思った。

「父さんに相談したよ。欲しいものがある。でもどうしても手に入らない。どうしたらいいでしょうか、て。流石は父さんだったよ。僕が相談したその夜に、当日中にだよ?彼女を手に入れてきてくれた。どうやったと思う?」

 結果、父は死んだ。

 弟は死のうとしていた。ところを助けられた。

 マチハ様によって。

「そのまま仲良く暮らしてればよかったんだ。4人もこしらえて。白竜胆会は新興宗教だということになってるけど、内容は養護施設に近い。だから4人の子もどこかから拾ってきただけかもしれないね。総裁はね、子どもらになんて教えてると思う?」

 忘れなさい。

 つらいことは。

 忘れてしまいなさい。

「その呪文で弟は」

 すべてを忘れてしまった。


      4


 ヒントもクイズもどうでもいい。とにかくツネが生きてることだけ考えて。

 生きてなかったらお前ら全員。

「さねあつさんだけではここから出ることもできませんわよ」浅樋アサヒうすほの声だった。俺の耳がおかしくなってなければ。

 どこだ?天井からも壁からも床からも聞こえる。

「足元を見てくださいな」新手の皮肉かと思ったが。文字通りの意味で。

 右手が。

 落ちている。

「どうぞ、使ってくださいな」

 どう、使えと。

「わたくしの右手です。これがあればすべての天宮へ踏み入ることができますわ」

 拾えと?

 切り立てほやほやの。まだほんのり体温の残った。

 本当の本当に手だろうか。

「さあ、早く。時間がございません」

「ツネは?生きてるんですか?」

「時限装置が仕掛けられていますの。ですから、早くと」

 壁が光る。窪んだうちの一つ。

 そこに、当てろと。

 手を。

「死んでしまってもよろしいの?」

 浅樋うすほの切り落とされた右手をつかむくらいでツネが助かるなら。

 壁に。縦に亀裂が入る。

 光の道。狭い。

 その先の、とにかくでかい天上の下にやっぱり。

 右手が。

 落ちている。

 これも右手なので浅樋うすほのものではないだろう。いま右手に持ってるこの右手が浅樋うすほのものだとするならば。

「私のだよ。使うといい」総裁の声だった。やっぱり俺の耳がおかしいのだろう。

 マイク越しなのだが、台風上陸の実況中継みたいにぶちぶち切れる。

「この奥に扉がある」鼓膜にぶすぶすキリを通されてるようだ。

 眩しい。

 光の袂に、簡易ステージが出現した。

「せっかくですが」浅樋うすほの右手をもらったので。「遠慮させていただきます」

「それでは開かない。地天宮に行くのだろう?」ちあまみや?「さあ、時間がない」

 拾えと。

 そんなにたくさん右手もらったって。捨てるにしても呪われそうだし。

 なまぬるい。重い。

 ステージの裏の光る壁に当てる。

 またもストローが。

 突き当りの壁が橙色に、その左手側が水色に光っている。

「そちらではありません」朝頼トモヨリアズマの声。

 もう駄目だ。駄目だろう俺の耳は。数回しか面識のない奴の声なんか憶えてた時点で。

「そこではありません。地下ですよ」

「だからその地下は」橙と、水色と。

「どちらだと思います?」親切なのか意地悪なのかどっちだ。「お好きなほうを。ただし、着火までそう時間は残されていませんが」

 着火?何に。

「教えてくれないか」迷ってる時間と間違えている時間が惜しい。「ツネは」

「厭ですよ。僕だって」

 お前が首謀者か。

 だったらシロウは?シロウとまさむらは何のために。

 右手を当てる。俺のじゃなくて。

 水色ではない気がする。橙の向こうに。円柱が。

 床面からライトに照らし出されて。

 ちん、と到着音。

 中に、

「ツネ」が。

 銀紙に包まれた細長いチョコレート菓子のような。それを背にして座らされている。猿轡も何もない。見た目ケガもなさそうだったが、

 ツネは黙って首を振る。近づくな、と言わんばかりに。

 箱に飛び乗る。と、びーというブザが。それでも構わない。

 縛られているわけではなかった。ただ、後ろ手に何かを。

「なにやってるんだ」

「ええから」持ってるものを離させようと手を。

 右手を二つほど持ったままだった。箱の外目掛けて放る。

 それでもブザはやまない。

「これ」その握りこぶし大の箱を放しさえすれば。触ろうとしたら。

「ちょ、やめ。放したったらどかんやさかいに」

 近くで見る。プレゼントか何かが入ってるやや頑丈そうな箱にしか。

「何言ってるんだ。そんなわけ」

「せやないゆう根拠がどこに」

「小説の読みすぎだ。そんな面倒な」

 しかし、車は爆破した。

 確かに爆発したのだ。あり得ない話じゃない、か。

 耳を近づけてみる。特に音は。

 かちかちかちかち。

 してる。

「どうするんだ」

「せやから早う爆処理やなんやらを」

「間に合わないかもしれない」デジタルの文字盤に光が入ったのが見えた。

 300からスタート。

「5分しかない」数が1減るのと、自分の持ってる時計の秒針の速さが一緒だった。

「5分?」ツネが口の端だけ上げて笑う。「5分ね」

「思い切って放してみたらどうだ」

「どかんが早まるだけやね」

 この、銀紙の塊が凄まじく重いのだろう。持ち上げようとしてやめた。ツネがそんな視線を寄越す。

 びー。いい加減耳が。

「うるさいな」

「おまが降りたったらええのと違う?」

「見捨てるわけにいかない」

「せやけど、さっきっから動いてへんよ?」箱。

「だが」降りた瞬間に下降しないとも限らない。それだけは厭だった。

「なあ、あと」

「見ないほうがいい」

「おまと心中なん厭やな」ツネがあさっての方を見る。

「させない」きっと何か解除方法が。見てしまったじゃないか。

 200を切っている。

 よく見ると文字盤は二段になっており、下段に文字が流れ始めた。新幹線とか電車とか乗ったときに見る、アレに近い。句点を三つほど使って簡潔にニュースを伝える。

「ちょ、急に黙らんといて。終わり?」ツネがもぞもぞと腕を動かす。

 アナタノちちおやハだれデショウ

 こたエヲにゅうりょくシテクダサイ

 のこリ100ヲきッタじてんデかいとうほうほうガしめサレマス

 なんだこれは。

「動かないほうがいい」

「どないしたん?」ツネが身をよじる。後ろを見ようとしている。

 あと30ほどで。

「意図がわからない」

 100を切った。文字が流れる。

 はこノていめんヲおシテクダサイ

「ちょ、なに?」ツネには見えていない。銀紙の裏側で起こっていることなのだ。

「頼むから動かないでくれ」手元が滑りかねない。

 キーボードが出現した。

 こうゆう機械に明るい人間が三人ほど思いつく。操作じゃなくて製作のほう。

「え、なに?どないなったはるの?」

 にゅうりょくシテクダサイ

 50を切った。

 0ニナルマデニかいとうガナカッタばあい

 アナタノたいせつナもの

 ガチリトきエマス

 がちりと消えます? がちり?て。

 妙に低スペックなのが気になるが。「ツネ」

「もう、なんやの?なにが」

「生きてたら話がある」

 せやからそれが死亡フラグやと。ツネが声を張り上げるが無視した。

 簡単だ。

 間違ったら、とは言ってない。単に俺の思いを知りたいだけだ。

 こんなまどろっこしい方法なんか取らずに。

 直接聞け。それができない気の小さい奴が、

 ひとりだけ

 心に当たる。

 生きてるだろうか。話があるのだが。


      5


 生きてる?

 ええ。

 そう、よかった。

「どうして?」

 光る。

 こわい。また、どこかに。

 落下。

 耳を塞ぐ。

「どうして」

「呼んだのはだれ?」

 呼んだわ。呼んだのだけど。

 まさか、

「来てくれるだなんて?」停電していてお顔が見えない。笑った?ぽい。「来るわけないじゃない。あんなバカみたいな。バカじゃない?」

 雷がこわいから

 やむまでそばにいてください

「あんなバカみたいな依頼?もらったの初めてよ。バカバカしくて。ついね。そんな下らないメール寄越した奴の顔が見たくなってね」

 光る。

 もうやめて。落ちないで。

 お顔が見たい。

 光る。

 ごろごろ。

 ごろごろごろごろ。

「せっかく来てもらったけど、その。ごめんなさい」

「知ってるわ。ここ、あんたのもんじゃないんでしょ?なくなる、てゆったほうがいいのかな」

 どうして。

 どうしてなんで?

 光って消える。

 落ちて消える。

「大丈夫」肩が。手が。

 あったかい。

「だいじょぶよ。だいじな顧客なんだから」

「いいの?わたくしなんかのところに」来てしまったら他のもっと大事な依頼が。

 他のすべての依頼を断って、わたくしのところに来てくれたということ。

 お顔が。

「どうせ碌なもんじゃないわよ。懐中電灯がどうだとか冷蔵庫の中身がどうだとか。知るかっての。ねえ?」

「すごくうれしいのですが。その、やっぱり」

 光る。

 鳴る。

 しがみ付いてしまう。

「だいじょぶ。だいじょーぶ」背中に、

 あったかい。

 隠れるための毛布も。遮るためのカーテンも。

 なんにもない。

 なんにもないけど。

 なくてよかった。あったらきっと、

 来てくれなかった。

 知ってた。わたくしの状況を知ったうえで。

 来てくれた。

「なに?え、ちょっと」

 怖いんじゃない。

「やめてよ。なに泣いて」

 嬉しかった。

 いま、世界でわたくしの味方はたった一人。

 ここに。ここで。

 わたくしのそばにいてくれている。

「ありがとう」わたくしは、

 なにも怖くない。


      6


 着信があった。出ようと思ったら切れた。

 でもすぐまた掛かってきた。

 無言。

「まさむらさん?」

 違う。

「シロウさん?」

 違う。

 だったら、あの人か。「かねいらさん?」

「いつぶりでしたか」

 俺に敬語なんか使ってくれちゃうのは。「すんませんでした。その、おもちゃにして」

「僕の提案じゃありませんよ」呼吸が荒い。電話口に呼気が。「いけない。アタマがぼんやりしてきました」

「いまどこすか。迎えに」

「観たのですね」

 浅樋ゆふすだ殺害の。

「僕に見せるために、て買いかぶっても」

「僕は父親だと思う?」まさむらさんだ。

「サネに聞いてくださいよ」

「そうは言ってくれたけど」

「だったらそうなんじゃないすか」

「大事なサネにちょっかい出すからだよ」

「あなたの提案でしたか」シロウさんだ。

 混線しているのだろう。

 混線せざるを得ない状況。が一つしか浮かばなくて厭だった。

 浅樋うすほだ。

 徹底的に浅樋を絶やそうとしている。

 サネだってそうだろうに。

 半分を、社長サマの遺伝子で構成されているから。いいのだ。

「復讐は済んだでしょう?なにもあなたまで死ぬ必要」

「サネと社長を頼みましたよ」切れた。

 GPSにお伺いを立てるまでもない。

 白竜胆会総本山。病院の駐車場。

 まさむらさんの車。その中に、

 血も何も流れてない。

 同じだ。

 浅樋ゆふすだのときと。

 止まりなさいあなたの心臓は。

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