マー君 後編
私はリンダ。この街の冒険者ギルドの窓口業務三十年のベテランダークエルフ。
クールビューティーな私は失態を見せない。
ん? なんか言った?
「リンダさん大丈夫?」
「やー、のみすぎたーー」
酒場で一杯のつもりが三杯四杯酒瓶ごとってエスカレートしちゃって、現在の私は、マー君に背負われてアパートまで運ばれる最中。
お姫さん抱っこじゃないのはマー君が恥ずかしがったから。でも筋肉質でゴリゴリした背中が気持ちいー。すごーいかたーいたのもしー。
思いっきり背中に抱きつくと「リンダさん当たってる当たってる!」と狼狽える声が、彼の後頭部越しに聞こえてくる。ちょっとした幸せ。顔がゆるんでいくけど、まだこれは見せられないな。
何せ試験はこれからじゃー。
「ふはは、褐色美人の肉弾攻撃だ、まいったかー」
「はいはい、参りました。もう七年も負けっぱなしだよ」
「ふふふ、待たせてごめんねー」
お詫びに耳の下にチュッとしてあげる。
「ふおおおお、今はやめてぇぇ!」
「耐えろ若人!」
私のアパートは街の中心地からはちょっと離れた路地にある。人なんてそう歩いてない。少しじゃれたくらいじゃ周囲に迷惑は掛からないのだ!
酒の神様が乗り移った酔っぱらいは無敵である。ゆえに無敵のチュッチュ攻撃は止めぬ。
「もうそろそろつくぞ」
「うむ、ご苦労である」
「リンダさん呑み過ぎだ」
うるさい。強く吸ってマーキングしてやる。
「ふおおおお、もう玄関です、扉を開けますから鍵を!」
「ん、降ろして」
優しく降ろしてもらって、ごそごそとポケットを探る。ちょっと温まってる金属片。んー、マー君の体温だねー。
扉の前に屈んで鍵穴に刺そうとするけど、うまくはいらない。ぐらんぐらーん。
「ここだよ」
うにうにと揺れる私の手を、マー君が誘導してくれる。
うむ、いい男だ。私がダメな分を差し引いても、だ。
「あいがとーね」
「どういたしまして」
二パッと笑いかけたけど、マー君の顔は固い。緊張してるのが丸わかりだ。
あれ、慣れてない?
マー君って娼館とか行ってないのかな?
よーし、おねーさんがリードしてあげようじゃないか!
「さー入って入ってー」
扉を開けてマー君を玄関に押し込む。そしてそのまま背伸びして、マー君の正面から抱きついた。
んにー、胸板がスゴイ。八十八Fカップの私よりあるんじゃない?
地味にショックだ。
まー、でも、マー君が鍛え上げた身体だもんね。ステキだ。
「あの、その」
「んーなに? 我慢の限界?」
「と、とっくに突破してます」
「よろしい、では試験開始だ」
試験開始の合図に、唇を強奪した。
私は腰痛をこらえ、ギルドの受付カウンター前に座ってる。リンダおねーさんは有能ゆえに簡単には休めないのだ。
明け方まで求められてほとんど寝ていなくっても。
昨晩の試験で腰が抜けて歩けなくっても。
人影が少ない時間にマー君にお姫様抱っこで連れてきてもらっても。
リンダおねーさんは有能のレッテルを剥がされるわけにはいかないのだ。
「マジ信じられない」
マー君は羊の皮をかぶったドラゴンだった。ズルイ。あれには勝てない。
「初めてとか、絶対嘘だ」
何回達したか覚えてない。覚えてるのは「マー君は、ごーかくー」って叫んだことだけ。
「なんか屈辱」
カウンターに突っ伏した。指先まで満足感に浸ってるけど、眠い。
でも有能なリンダおねーさんは、頑張るのだ。がんばるのだー。おー!
マー君と一緒に暮らし始めて数週間が経ったころ。私はいつものようにギルドに出勤した。周囲の祝福もひと段落したころで、マー君は依頼で遠出してる。今日あたり帰還の予定だ。待ち遠しい。
この依頼が終わればまとまった休みを取ることになってる。まぁあれよ、いわゆる結婚式ってやつよ。
ギルドの主力と有能受付嬢だもの、キチンと式を上げざるを得ないわけよ。左指に燦然と光る指輪を見よ! どうだ、まいったか!
私のエルフ生六十ウン年、幸せ度はうなぎ上り状態だ。傍目からもウキウキ度が丸わかりだろうね。
「ちょっとどいて!」
表が騒がしい。馬の蹄の音がけたたましく迫って来てる感じ。その音はギルド前で止まった。
「リンダさんいる!?」
血相を変えた男が、私の名を呼んだ。この感じ、なんか嫌だ。
「ほいーいるよー」
私はそんな疑念を振り払うべく、明るく振る舞った。彼は唇を噛んだままカウンターに歩いてくる。
その顔はダメだ。ダメだ。そんな顔で来ないでほしい。
君が持ってきたであろう話は、聞きたくない。
きっと、ろくでもない話だろう。マー君に関することだろう。
聞きたくない。聞きたくない。
私は、そんな話は聞きたくない!
だが現実は無情だ。非情にも彼が一枚のカードを差し出してきた。ギルドカードだ。
ギルドに属している冒険者は、身分を証明するものとして必ず携帯している、特殊なカードだ。
目の前にあるのは、とある男のカード。
私が良く見てきた男のカード。
まだ駆け出しのころから知ってる男のカード。
ちょっと前から、私の婚約者になった男のカード。
「……これしか、回収できませんでした」
彼は下を向いて、そう言った。
暮れなずむ墓地に、寂しく佇む、ひとつの墓標がある。依頼中に命を落とした冒険者の墓だ。
遠方で命を落とした彼らの亡骸は、持ち帰られることはない。だから、死者はまとまって葬られる。
血のように紅く染められた墓標に、新しく刻まれた名前。その名前に、そっと指を這わせる。
マーカス、享年二十六歳。
若いよねぇ。
なに? 私を抱いて満足しちゃったの?
あの男とは違って、私の傍にいてくれるんじゃなかったの?
嘘付だなー君は。
でも、結局は時間と生活の考え方が合わなくって、すれ違うようになると思うのよね。
ダークエルフの平均寿命は六百年。六十年ちょっとしか生きてない私は、まだまだひよっこなのよ。いくら君が頑張ったって、私を置いて先に逝っちゃうんだよね。
仕方ないよね、種族が違うんだもん。
ありがとね、愛してくれて。
向こうでゆっくり休んでね。
……でも、ひとことだけ言わせて。
「私を置いていくなぁぁぁ! マー君の、バカァァァァ!!」
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