ゲイズ君 後篇

 私はリンダ。この街の冒険者ギルドの窓口業務四十年のベテランダークエルフ。

 胸元に、うなされてるゲイズ君を抱きしめてる、ステキなおねーさんだ。

 谷間が苦しくってうなされてるわけじゃ、ないよね?


「リンダさん、苦しいです……」


 ぎゅーしてるゲイズ君から苦情が。オカシイ。彼は寝ているはず。


「お、おっぱいで、窒息したく、ないです……」


 腹上死とどっちがいいのかしら?

 なんてバカなこと考えてる場合じゃないわよね。


「ごめんねー、てっきりうなされてるのかと思って、大丈夫だよーってぎゅーしてたのよ」


 胸元で「ぷはー」と大きく息を吸うゲイズ君。そんなに苦しかったのか……

 胸に抱かれて死ぬとか男の浪漫って思ってたけど違うのね。七十年以上生きてて初めて知ったわよ。


「いえ、あの、心配してくれることは嬉しいんですけど、過度のスキンシップはですね、僕も男ですので、その」


 あらあら可愛い、赤くなっちゃって。私を扱いしてくれてるの?

 嬉しいなぁ。

 まー、でも、私から見たらゲイズ君は弟かな。

 ……息子でも孫でもないわよ?


「ふふふ、ゲイズ君はまだまだ子供じゃない。おねーさんに甘えても、いいのよ?」

「ぼ、僕だって、とっくに成人してるんですよ。ふ、不謹慎です!」

「その不謹慎なことを知らないゲイズ君はまだ坊やだってことよ」


 ちょっと汗ばんでるゲイズ君のほっぺにちゅっと唇をつけちゃう。「ひゅぉぉ」とわかりやすく硬直する彼が可愛い。もっと苛めたくなっちゃう。


「う、うなされてるのは、リンダさんだって、たまに」

「私が?」


 あら、そうなの?


「涙が見えた時もあります」


 ゲイズ君の指が頬に触れた。

 なんだろう、夢の中でマー君でも思い出してたのかな。


「みんな行っちゃうって、言ってました」


 ゲイズ君の寂しげな声に、私は合点が言った。そっかそっか。みんなが私よりも先に消えてっちゃうのが、寂しかったのか。

 まー、人間と一緒に住んでれば、仕方のないことだけど。頭は理解していても、感情がおいつかないよねー。

 数十年ここで暮らしてるのに、私にもまだそんな感情が残ってたのか。


「そーねー。私はダークエルフで長生きだからさ。人間とは歩調を一緒にできないのよ。どうしても、私はみんなからは遅れていくの。しょうがないんだけどさ」


 過去のことがばぁーっと頭を駆け巡っていく。

 最初に好きになった彼。

 両思いなのになかなかくっつかないカップルがじれったくて、愛の仲介役をやり始めたこと。

 人を惚れさせておいて先に逝っちゃったマー君。

 もう恋なんかしないって誓ったこと。

 私は、いつまでもこのままなんだろうなー。いまさらエルフの里には帰れないし、帰りたくもないし。

 今の生活も、悪くはないしね。


「リンダさん……」

「んあー、ごめん。ちょっと考え事してた」

「涙が」

「ほぇ?」


 ゲイズ君の顔が目の前にある。いつの間に。

 彼の指で瞼が拭われた。

 違う違う、これは涙じゃない。目から出た汗。きっと。バシバシと瞬きして目から出た汗を飛ばす。


「悲しい、ですか?」


 彼の青い瞳が問い詰めてくる。

 悲しいわけじゃない。寂しい、のかもしれない。

 ギルドの人たちとは仲良くしてるけど、いずれ袂を分かつ時が来るから、どうしても一歩引いちゃうのは否めない。

 私はダークエルフ。君とは違うから、私の気持ちは理解できないだろうねー。


「んー、大丈夫」


 にっこり笑顔を返してやる。おねーさんは弱みを見せないのだ。

 でも寂しそうな顔したゲイズ君に、ふにふにと頭を撫でられた。

 むー、なぜだ。


「大丈夫だよ?」


 念押しせねば。でもゲイズ君の目は切なそうだ。


「僕があなたの杖になれればいいのに」


 ゲイズ君が抱きついてきた。私の肩に、顔を埋めるように。ぎゅっと力強く。

 はー、君はあったかいねー。おかげでおねーさんの心も体もポカポカだよ。

 でも、明日は依頼で出かけるんだから、しっかり睡眠をとらなきゃだめよ。ぐいっと押し出さないと。押し出さないと。

 ……でもちょっとだけ、このままでいさせてもらおうかな。





 ゲイズ君が来てからそろそろ一年が経とうとしてる。彼はパーティに入って、もういっぱしの冒険者だ。しかもうちの主力にまで駆け上がった。

 まー、初めて見た時に感じた魔力が多かったからね。当然当然。私の目に狂いはないのだ!

 なーんて妄想しながらいつものように私は受付業務をこなしていると、ギルマスに呼ばれた。


「なんだろ?」


 クマちゃんのお部屋に行ったら椅子に座れと言われた。なんぞ。


「さっき手紙が来てな」


 クマちゃん、もといギルマスがほれっとよこした手紙に目を通す。なになに?


「御ギルドに、弊所属の宮廷魔術師ゲイズ・シュタインハウゼンに似た人物がいるとの情報を得た。ひいては確認したく、近々にそちらに伺わせていただく云々。これ、どしたの?」

「逃亡した魔術師に似てるんだと」

「名前もそっくりだね」

「奇妙なこともあるもんだな」


 私もだけど、クマちゃんもしれっと言い切った上に珈琲を啜りやがる。ぐぬぬ、腹が読めぬ。


「どうすんのよ」

「すっとぼけて嵐が去るのを待つつもりだ」

「できんの?」

「貴重な戦力になったアイツを手放すつもりはねえ。そもそも逃亡しちまうってことは、よっぽど嫌だったわけだろ?」


 クマちゃんが器用に片眉をあげた。ほんと、器用だね。


「ゲイズ君、何か悪さしたのかなー?」

「さーな。まー、アイツのおとなしめな性格からしたら、上司の失敗の責任を取らされたとかだろうなぁ。間違っても女関係じゃねえ。大体ゲイズはねーちゃんの恋人だろ? ちょろっと聞いてみてくれよ」


 さらっと言ってくれちゃうけど、ゲイズ君は弟みたいなもんであって、彼氏君じゃない。うん、彼氏じゃない。

 そもそも、私はもう恋はしないって決めてあるんだ。


「ゲイズ君は違うよ。っていうか、私はもう独り身で生きることに決めてあるから」

「チッ、一年以上一緒に住んでて何もしてねえのか、アイツ」

「紳士だよ、ゲイズ君は」

「おいおい……いつ式を挙げんのかと心待ちにしてんだぞ、みんな」


 天井に顔向けちゃって、なに大げさに嘆いてんのよ。ゲイズ君の面倒を見ろって言ったのはクマちゃんだからね?

 まぁ、ゲイズ君の存在に癒されてたのは認めるけどさ。私の心がわかるのか、キッツイ時だけ、ぎゅーって抱きしめてくれたし。あったかくって、気持ちがいいんだよねー。

 私を求めてくるなら応じても良かったんだけど、それはなかったなー。たまにお風呂でいじくってあげて発散させてたけどね。嫌がってるけど、私の好きにさせてくれるんだよね。

 でもね、恋は別。うん。だって彼は人間だもの。


「あはは、それはないよー。ゲイズ君には人間が似合ってるんだから」

「ねーちゃん……」

「リンダおねーさんは大丈夫だよ」


 そんな上目づかいで見ないでよ。惚れちゃうよ?

 あはは、クマちゃんには可愛い奥さんとお嬢ちゃんがいるもんね。

 でも、その日をもって、ゲイズ君ことゲイズ・シュタインハウゼンは、ギルドから姿を消した。

 私のアパートに〝いってきます〟と書き置きを残して。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る