黄昏の空は微笑まず

@KaiRe

第1話

 鈍色の雲に覆われた薄暗い空は彼の心を代弁しているようだった。夕方、激しい人通りの中一人、彼は空を見上げ立ち止まる。

 頰が濡れた。

 ぼやける視界に映る雲をただじっと見つめ続ける。2滴目が同じ道を通って制服の胸元を湿らせた。ポツリ。空も涙をこぼし始める。代弁というよりはもう彼の心に同調しているようで、また、落涙を誤魔化そうとしてくれているようだった。

「これは、思ったより、心にくるなぁ...」

 言葉を詰まらせながら吐いた静かな呟きは、徐々に大きくなる雨音と側を通る車にかき消され、誰の耳にも止まることはなかった。



「ごめんなさい。君とは付き合えない。」

 長い黒髪、鋭すぎず丸すぎない眼に高い鼻、スッと伸びた背筋で凛とした佇まい、端麗という表現では物足りなさが感じられる彼女、望月遙もちづきはるかの口から出た言葉は彼が予想していた通りの台詞だったが、それでも期待していたものではなかった。喉から手が出るほど望み欲した想いは砕け散り手のひらを通り抜け、心の中で独り彼は膝から崩れ落ちた。


 「うん。そっか。いや返事ありがとね。」


 その日は彼、片倉優哉かたくらゆうやの18歳の誕生日だった。センター試験を4ヶ月後に控えた優哉はとうとう、いや雰囲気に後押しされて遙に想いを告げたのだ。


 授業が終わり、ぱらぱらと人が減っていく放課後の教室で優哉は一人自分の席に残っていた。彼の高校は県内でも随一の進学校で、ほぼ全ての生徒が大学進学を目指す。この時期は多くの生徒が図書館の学習スペースや職員室、予備校等に通い詰め、死に物狂いで勉強に励んでいる。しかし、優哉はこの時期になっても進路を決められないでいた。というよりは就きたい職、やりたいことがないのだ。それでも大学だけは出ておきたい、この気持ちだけが受験勉強を辛うじて維持させ続けていた。


ガラガラ。


教室の後ろの方の扉が開く。視界の端に捉えた優哉の手が思わず止まる。遙だ。


扉の向こうから吹いた風が髪をなびかせ、目にかかりそうになった前髪を首を振って払う彼女の仕草に優哉の心臓は気持ち早く脈を打ち出した。


そのまま彼女は最後列窓際の優哉の席から二つ右隣の自分の席につき、鞄から参考書とノートを取り出し、問題を解き始める。それを横目で確認した優哉はモヤっとした感情を抱きながら再び自分の机の上に開かれた進捗のない参考書に目を落とす。


教室に掛けられた時計の長針が一周した頃だろうか。西の空が紅と黄土色に混ざり合い、鮮やかな、眩い夕日が差し込む時間帯だった。


「片倉君って今日誕生日でしょ?」


突然の問いの投げかけに思考は停止する。右を向くとこちらを見ている遙と目が合う。先程まで開かれていた参考書は筆記用具とともに鞄にしまわれていた。

「俺?」

辛うじてその一言が口から出る。

「今ここに片倉って名前の人はあなたしかいないじゃない。違うの?」


それもそうだ。なんて間の抜けた返しだ。恥ずかしい。


「いや、そうだけど。うん、よく知ってたな。」

「学級誌にクラスのみんなの誕生日が書かれているでしょ。それ見たの。私自慢じゃないけど物覚えはいいから。」


ーそれは、覚えているのは、誕生日?ー


喉の奥から湧き上がった言葉を必死に飲み込む。


「まぁ、受験生には誕生日にうつつを抜かしてる暇なんてないから、こうしてここにいるわけで。」

「でもあなたがここにいるのは珍しいじゃない。私毎日残っているけど他の人を見かけたのは初めて。」


そうだ。俺が今日ここにいたのは、遙が毎日教室に残っていることを知っていたからで、遙の鞄が机の上に置いたままであったことを確認していたからで、そして誰かと、願わくば想いを寄せた彼女と特別な日を過ごしていたかったからだ。


「家族と居づらくてさ。受験だからピリピリしちゃって。誕生日だからって気を遣わせたくもないし。」

「ふうん。」


会話が途切れる。何か話題を出さなければ-


「私は帰るね。誕生日おめでとう。」


一瞬の静寂を切り裂いた二言に優哉が返事する間もなく遙は肩に鞄を掛け、静かに扉を開けて教室を後にした。教室を出る際に窓から差し込む夕日を浴びた遙の後ろ髪は優哉には普段にも増して眩しく感じた。








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