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雷男がよく使うという貸出スタジオに、俺たちは集まっていた。
池田から、曲目を書いた紙を渡された雷男は、気に入らなさそうにちらりと池田を見つつ、受け取った。
それだけでも、俺は緊張していたし、何も言わずに紙片を眺める雷男を、固唾を飲んで見守っていた。
痛みをともなうような静寂に耐えかねた池田が、口火を切る。
俺たちの学校のバンド発表って、だいたい手ごろなJ‐POPか、J‐ロックなんだよ。だからさ、ここは向こうのれっきとした曲で、差別化をはかりたいと思ったんだけど、どうかな?
Queen “We will Rock you”
Queen “Don’t Stop me now”
Deep purple “Smoke on the water”
Ed Sheeran “Shape of you”
Ed Sheeran “Give me love”
ロックの初心者が、知ってる曲をとりあえず並べてみました、みたいな選曲だな。雷男から冷淡に切り捨てられた池田の顔ったら、漫画のがーんってセリフが浮かんで見えるようだった。
でもまあ、いいんじゃねえの? 弾きたいやつを弾きゃあいい。
曲目を返された池田は、ようやくちょっと肯定的な言葉をもらえて、じゃあ、楽譜なんすけど、と差し出したところで、俺、楽譜なんて読めねぇよ、と雷男があっさりと言い切った。
これは俺も初耳で、どういうことだ、という仲間たちの視線にものすごく焦った。
どういうこと? いつもお前、どうやって曲覚えてんの? と俺が尋ねると、雷男は耳を指した。
聞いたら、だいたい弾ける。
俺は、考えもしなかったのだ。優れたミュージシャンが、優れた先生では必ずしもないっていう、その可能性を。
そもそもロックっていうのは、と雷男の言葉は続く。
お前たちみたいに進学校のぼんぼんから出てくるような、音楽じゃねえんだ。ロックは、クイーンズイングリッシュからは絶対生まれなかった。セックス、アルコール、ドラッグ。そういうものからできてるんだよ。
だいたいな、と言いながら雷男は、池田の持っている楽譜を、指ではじいた。
最初っから楽譜を書けるような教養のある連中が作り上げた音楽なら、コード譜なんて生まれっこなかったんだよ。そのよろしい頭でよく考えてみな。
俺たちは、ものすごく場違いなことをしでかしたような、恥ずかしい気持ちにさせられた。どうしよう、という気持ちは俺だって同じなのに、雷男を連れてきた俺に視線が集まるので、この息詰まるような静けさを打ち破らなければならなかった。
わかった。じゃあ、お前はいつもどうやって練習しているんだ? 俺たちの参考になるように、アドバイスをなんかくれよ。
そうだそうだ、と池田が無言で頷くのを横目で見る俺の気持ちなんて全くの無視で、雷男は気軽に背伸びなんてしてみせる。
お前らが俺と同じ方法でできるようになるなんて、ハナから思っちゃいねえよ。まずはその池田ってやつが言うとおり、楽譜から練習してみれば?
もう、椅子からずっこけてやろうかと思った。けれども、そんなリアクションすら許してもらえないまま、雷男はいきなり立ち上がって、ドアから出て行こうとする。
ちょっと、待てよ!
立ち上がった雷男に呼びかけると、振り向きざまに指を一本たてられた。
一か月。まずは、そのくらい練習して、とりあえず全曲通しで演奏できるようになりな。
今日は? と尋ねた俺に、今度は握りこぶしを作って、これ見よがしに振って見せた。
いまこの瞬間楽器を持った初心者に付き合えるほど、俺は良心的じゃねえんだよ。いくらお前のダチだからって、たぶんパンチの一発や二発じゃ済まねえぜ?
池田は激しい音をたてて立ち上がり、直立不動の姿勢をとった。
一か月後! 必ず、通しで弾けるようになってから、またご指導願います!
あっそ、と雷男はかるく頷き、とりあえず俺には、ひらり、と手を振るだけ振って、スタジオを出て行った。
雷男が言うように、たしかに俺たちは私立の進学校に通う、恵まれた育ちで、社会平均から言えばずっと頭のいい連中だった。
それはある程度の、要領の良さと飲み込みの早さを保証してくれる。俺たちは、雷男の迫力に圧倒されて、最初は責め立てられるように集まっては練習したが、だんだん音楽が形になってくると、今度は楽しくなって自然と練習が進むようになった。
一か月で五曲も通しで弾けるようになるのかと心配だったけれど、その期限までにはなんとか危なげなく弾き通せるようになった。
楽器を持って一か月だ。さすがに今日は雷男から誉め言葉の一つも出るだろうと、池田は、るんるんだった。
雷男を前にしても、前回のように怯えず、手慣れた手つきで楽器を整えると、それじゃ一曲目、Queenの「We will Rock you」、聴いてください、と気取る余裕まであった。
俺たちは足を踏み鳴らし、手を叩いた。そして、俺のソロ。
Buddy you’re a boy make a big noise
Playin’in the street gonna be a big man some day
You got mud on yo’ face
You big disgrace
Kickin’ your can all over the place
Singin
そして、コーラス。池田なんかは、超ノリノリでハモってきた。無表情で、それでも聴いていてくれる雷男を前に、俺たちは、イケる! と確信を持ち、ついに池田のセカンドギターがうなった。
Stop!
雷男の英語の罵声を、ひさびさに聞いた。ワンフレーズすら弾き終える前に中断された池田は、訳がわからず立ちすくむ。
だけど、雷男はそれどころではなく、本気で痛む頭を抱えて、眉間にしわを刻み、苦しそうに俯いていた。
まず、と雷男の声が絞り出された。あいつにとっては、俺との付き合いを考えての一生懸命だったんだろう。たとえ、俺たちを一瞬でどん底な気分に落としたとしても。
クラップがばらばらで、聴いてられねえよ。なんだよそのへっぴりごしの音。八百屋か魚屋のオヤジのほうがまだ威勢がいいぜ。
それから、と雷男は容赦ない。義道、お前は英語しゃべってるつもりかもしんないけど、オーストラリア人だってそこまで訛ってないだろうぜ。何言ってんのかひとっこともわかんねえし、そもそもリズムに乗れてねえよ。それに、池田ってやつ、お前のギターから出てるのは音楽じゃない。弦の悲鳴だ。それじゃ、あんまりだよ。
あんまりなのは、泣きっ面になりかけている池田のほうだ。俺はまだ普段の雷男を知っているから、少々心の準備ができていたけど。
雷男が立ち上がっただけで、池田はびくりと肩を震わせてしまう。
貸せ、と言うが早いか、雷男は池田からギターをひったくると、最初から演奏し出した。
そのクラップのキレの良さだけで、俺たちは雷男の気持ち悪さの理由を理解した。歌い出してからは、俺は自分の英語の発音のめちゃくちゃ加減に、赤面が止まらない。
そして、ギターソロ。これが、本当の音。これが、本物の音楽。
雷男はいつものように数音弾いただけで、恍惚とした表情を浮かべ、さっきの気持ち悪さをありったけぶつけるかのように弦をかき鳴らし、観ている方が、こいつこの場でイッちまうんじゃないか? とふざけた心配をしたくなるほどだった。
最後まで弾き終えて、欲求不満を解消した雷男は、長いため息をついたのちに、あと四曲これが続くのかよ、と舌打ちした。
俺たち全員も、そこだけはまったくの同感だった。
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