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高校一年になって間もない頃だった。
クラスメートの池田が、俺にEd Sheeranの「Give me love」を聴かせてきた。
俺たちさ、今度の文化祭でバンド組まない?
唐突な話に、はぁ? と語尾をあげた俺に構わず、池田は身を乗りだす。
笹倉がベースで、郷田がドラム、それで俺がセカンドギター。義道にギターボーカルは譲るよ。
譲るって、なんだよ。
だって、そのほうがウケいいもん。義道、モテんじゃん。
それで、池田の申し込みの真意が見えた。俺はため息をついて、池田を見据える。
お前、バンドやったらモテると思ってるだろ?
あったりまえじゃん!
池田は、力強く、グッドサインを突き出してくる。
笹倉と郷田には、もう了承とってあんだ。だから、あとは義道だけなんだよ。
そのとき俺の脳裏に浮かんだのは、雷男のことだった。中学に入るなり、ギター一本抱えてライブハウスを転々としていた雷男は、いくつかのところで出禁をくらっていた。
というのも、池田のような軽薄な気持ちで、楽器をぷいぷい言わす連中に我慢がならないのだ。これはもう、脊髄反射のようなものらしい。
演奏後の控室での、音楽なめんじゃねぇよ、との一言、それだけでも十分喧嘩を売っているのに、相手がそれに不満をぶつけてこようものなら、即刻乱闘騒ぎ。
俺はその場面に居合わせたことがあるし、小学生の時みたいに雷男を取り押さえもした。ライブハウスの管理者の人に、雷男の代わりに頭を下げまでした。
そういう雷男だからこそ、思い浮かんだのだ。きっかけは池田の軽薄な理由にしろ、あいつは俺がギターを弾きたいと打ち明けたら、なんと言うだろう?
やれば?
雷男の返事はあっさりしたものだった。俺は、絶交覚悟で言ってみたというのに。
えっと、できれば、教えてもらえたりなんかは……?
おずおずとした俺の申し出に、雷男は、すぐに頷いた。俺が拍子抜けしていると、雷男はふいに顔をあげて、にやりと笑って見せた。
俺さ、その池田ってやつは世界でいちばんいけ好かない部類のやつだけど、義道となると話が別なんだよな。
どういうことだ? と俺が呆気に取られていると、雷男はいきなり俺の手をとり、鏡の前に立たせて、なんの断りもなくギターを担がせた。
雷男が初恋の女の身体のように、というくらいていねいに扱っているギターだから、俺は突然持たされたことに緊張していた。
その俺の顎を、雷男の手がつかみ、無理やり鏡のほうへ向かせた。そして、押し包むように後ろから、俺の手に触れてくる。左手の位置はここ、右手の構えは、こう。雷男は、俺の肩に顎を預けながら言った。
音楽史に名を刻むプロフェッショナルに、必要不可欠な要素ってなんだと思う?
雷男の問いに、俺は答えられない。彼はにやりと笑った。
魅力だよ。人の目を釘付けにせずにはいられないような、セクシーで、ホットで、胸がどくんどくんいっちゃうような、そういう魅力。
雷男は俺から離れて、壁に身体を預けて腕を組み、全身を眺めまわす。
俺さ、前々から思ってたんだよな。義道は素質あるって。
素質?
思わず問い返した雷男は、誤解すんなよ、とあっさり発言を翻した。
お前は、プロのミュージシャンにはなれねぇよ。でも、自分の好きな女一人、夢中にさせるってことくらいは、できるだろうってこと。
雷男の見透かした笑い方に、俺の頬は熱くなる。
人知れず、焦がれ続けてついに実ることのなく、少年期の劣情をともなった、俺の醜い恋。
野々宮園子。
野々宮からしてみれば、俺は異性の心許せる友達で、俺も実際そのようにふるまっていた。でも実は、彼女の純粋な信頼に、俺はかなり苦しめられていた。
なぜって、野々宮にはすでに恋人がいて、そいつのことを一途に想い続けて、またその相手からも同等かそれ以上に愛し、慈しまれていたから。ああ、これが本当の両想いってやつなんだ、と白旗を挙げざるを得ないくらい、それはどこまでも完璧だった。
だけど、義道くん、と呼びかけるその声に、胸が弾む。
窓から、一瞬の風が吹く。野々宮の髪が香る。野々宮がこちらを向いて、話しかける。その唇が、ほんの少しだけ、うるおいを帯びて光る。
俺は、自分のなかで高まる想いを扱いかねていた。これを野々宮に打ち明けてしまえば、今までのように笑顔を見せてくれなくなるのはわかりきっていたから。
その頃は、野々宮の夢ばかりを見ていた。
夢の中の野々宮は、俺に組み敷かれていて、いまにも泣き出しそうな顔をして、信じていたのに、とつぶやく。それでも俺は高ぶる感情を抑えきれずに、この後の関係がふつりと途切れるのも構わず、思いを遂げてしまう。
そういう夢を見て、暗い気持ちになっている日に限って、野々宮はとびきりの笑顔で俺の名を呼ぶのだ。
義道くん! と。
雷男は、帰国子女の推薦枠がある他校に進学したから、野々宮のことを話しやすくて、つい悩みを打ち明けていたのだ。
あいつときたら、そんなの押し倒してみりゃいいじゃん、というなんの役にもたたないアドバイスしかしないのだけれど、自分の中でため込んで悪夢を見るよりはよっぽどマシだった。
雷男に振り向いた俺に、あいつは頷いて見せる。
音楽っていうのは、自己陶酔だよ。そこに観客をいかに引き込めるかが勝負だ。お前に百万人を魅了することはできない。だけど、たった一人のために歌って、そいつを夢中にさせることくらいはできるはずだ。そのためだったら、俺はお前にギターを弾かせてやるよ。
雷男は、俺が担いだギターを指先でたたき、これは俺からの軽い餞別、と笑った。
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