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 CT画像とレントゲンが反射板に貼り出される。

 幸い、内臓系に重大な外傷はなし。頭部も脳震盪を起こしているものの、ヘルメットのおかげで脳機能の障害は見られない。

 右下腿の打撲、助骨折、骨盤骨折、これらは比較的軽度。

――そして、深刻なのが、右上腕部の裂傷および、右鎖骨と右肩甲骨の骨折。

 右腕!

 映し出されたモノクロの画像を前に、俺は思わず口元を押さえていた。吐き気が込み上げそうになるのを、俯いてこらえる。

「交差点で、信号無視をした飲酒運転者が、患者の左側から激突したそうです。患者は乗車していたバイクから激しく右方向へ吹っ飛ばされ、主に右半身に外傷を負っています」

「手は?」

 どうにか持ちこたえた俺は、顔をあげて尋ねた。

「左右の手については、かすり傷程度の外傷しか確認されていません。警察側から入った現段階の情報では、衝突時、とっさに手をかばっていたとのことです」

 ああ、雷男。お前は、こんなときでもRaioだってことを忘れないんだな。まったく、感服させられるよ。

「空いているオペ室は?」

「2番です」

「すぐ用意して」

「了解しました。既に患者は搬入済みです」


 鬼手仏心。

 それが、祖父の口癖だった。

 祖父は長野の上田の出身で、十六歳だったので赤紙は来ず、終戦を迎えた人だった。

 大空襲あり、との新聞の報せを見て、いてもたってもいられず、家を飛び出し、はるばる東京へ駆けつけたのだという。

 義道家は上田でずっと個人医院をしてきた家系で、俺の曽祖父にあたる人物は、当時軍に徴集され、軍医として勤めていた。

 祖父には二人兄がいたが、いずれも赤紙を受け取り、ついには帰ってこなかった。

 お国のためにと思っていた、と酒豪だった祖父は、酒を飲むたびに言っていた。父や兄たちが心身賭しているのに、自分はいったい? という思いがよほど強かったらしい。

 だから、曽祖父から聞きかじりの医術で、それでも裂傷の縫合や火傷の治療くらいはできるからと、母や姉妹たちが止めるのも聞かずに、家を飛び出したのだ。

 遼、俺はな、大馬鹿ものだったんだ。お上の言う通り、これは聖戦で、いつか神風が吹いて、兄さんたちは戦勝パレードしながら帰ってくるって、そう信じていたんだ。

 ただ、祖父が目の当たりにしたのは、そんな理想とはかけ離れた、一面の焼け野原と、焼け出された人々の、鬱々とした表情だったのだ。

 それは、生粋の痛みだった。

 生身の身体ではなく、魂に刻み込まれる、永遠に消えない傷。

 母を失った幼子が泣いている。その身体の火傷に薬を塗ってやっても、泣き止むことはない。逆に、背負っていた赤ん坊が煙に巻かれて息絶えて、その亡骸をかたくなに離さない母親がいる。自身も傷だらけで、いくら治療を申し出ても、その耳に声が届くことはない。

 燃え尽きた家を悄然と見つめている少女の横顔には、おそらく一生消えない火傷がある。くずれてくすぶる家の下に、母さんがいるんだと、自分の手が血まみれになっても、木材をどかそうとするのをやめない少年がいる。

 なあ、遼。こういう風景の先に、平和な理想郷があるなんて、そんなバカげた話はないだろう?

 微々たる治療を施しては一人死に、焼かれた街で、遺体が荼毘にふされる。それでも祖父は、自分の持つ不完全な医術をふるうのを辞められなかった。

 鬼手仏心、鬼手仏心、と心の中で唱え続けていたらしい。祖父の心はとめどなく涙を流していた。その心に反して、祖父の手は、医術を施す際に裏切らなかった。

 だから、鬼手仏心。

 心は仏のように優しく憐憫に満ちながら、手は裏切ることのなくするどい鬼のような強靭さ。


 雷男の身体にメスをいれたとき、心にしびれが走った。

 それでも、患部を開けば、次にすべきことは頭に浮かんできて、そうすべき通りに手は動く。手術の間中、俺は自分でも不思議なくらい、適切に処置を施せていたはずだった。

 けれど、俺の額の汗を拭いていた岡崎さんのガーゼが、ふと目の端に触れるのを感じた。その一瞬だけ、手が止まった。

 知らないうちに、涙がこぼれていた。いま、自分がメスで切り開いているのは、俺に音楽の世界を教えた友人、雷男であり、たくさんの人々の心の琴線を震わせてきたRaioなのだということを、どうしても心は忘れることができなかった。

 涙は次から次へと流れてくる。

 一人の医者の立場として言えば、この程度の怪我なら、日常生活に不便のない程度の回復は、まず間違いない。

 だけど、こいつはRaioなのだ。彼の黄金の右腕は、戻ってくるのか?

 心はいつまでも震えている。けれども、頭は妙にしんと静かで、手はすぐに動き出した。

 ああ、これが鬼手仏心ということか。

 酒を飲むだけ飲んで早死にした祖父が、草葉の陰で微笑みながら頷いた気がした。

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