エピローグ

 窓の外にある樹木で鳩が雨宿りをしているのが見えた。

 目視で6羽が確認できる。あの中に、監視カメラを埋め込まれている鳩が混ざっているはずだ。枝で隠れている箇所にいるのかもしれない。焦点を合わせてズームさせれば、他の動物や昆虫も一緒に見つけられるだろう。一枚の絵に沢山の生き物が巧妙に描かれていて、何匹隠れているかを当てるクイズがあったな、と思い出した。


「リストアップが終わりました」


 ツチヤ君が声をかけてくる。今日のために自作したらしい漆黒のメイド服は、喪服というよりも魔女のように見えた。

 写真などは既にデータで貰っている。ツチヤ君には電子化できない小物を選別してもらっていた。


「ありがとう。目ぼしいものはあった?」


 言ってから、不適切な表現という気がした。まるで泥棒みたいだが、当然セドリック氏から許可を貰った上で作業をしている。


 クリスティナ女史の遺品から、僕たちは父の私物を確認しに彼女の住居を訪れていた。大半は、ライゼル博士の家に父が研究のために居候していた時期の生活用品を、クリスティナ女史が捨てずに保管していたものだ。セドリック氏が気を使って、声をかけてくれたのである。


「元々、御父上様からすれば忘れ物、というか、引っ越しの時に置いていったものですから」


 大したものはないと断ってから、ツチヤ君がトレイを取り出す。僕がそう尋ねることを予測して、準備していたのだろう。こういうところが優秀だ。


「ボールペン?」

「万年筆です。名前入りの」


 摘まんで観察してみると、父のフルネームが刻印されていた。父は文房具に興味を示さない人間だと認識している。恐らく、何かの記念品だろう。


「万年筆って名前、誇大広告だよね」

「故障の度にパーツを替えていけば、それぐらいは使えるのでは?」

「取り替えたら、別のものだろう」

「インクは常に新しいものが補充されますが、別物とはみなしません。他のパーツもその万年筆の本質ではないわけですから、取り替えても同じものです」


 テセウスの舟か。ツチヤ君の反論は面白かった。こういう取り留めのない議論ができる時間は貴重だ。


「妹は?」

「図書室にいらっしゃいます」

「こっちで読めばいいのに」

「代表がじろじろ見るからですよ」


 ツチヤ君に一蹴された。あの別荘でシリカさんが着せていたゴシックロリータ程ではないが、今日だって見られる機会が少ないスペシャルな装いなので、それは仕方ないことなのだ。


「欲しい本でもあるのかな」

「お聞きしましたが、データがあるので不要だと」

「だろうね」


 ただの暇潰しだろう。妹にレトロな蒐集癖はない。


「ナイトウを待たせても悪いし、もう行こうか」


 受け取ったリストのチェックを全て承認で返して、僕は立ち上がった。黒いネクタイを緩めて、首を回す。妹にメッセージを送って、エレベータへ向かった。


「私の判断で宜しいのですか?」

「いいよ。遺品なんて言ってもほとんどガラクタだ」


 繊維が解れたシャツや変色したマグカップなんて、受け取っても使い道はない。社会価値以上のものを見出せるような思い出も、僕は持っていない。

 社会価値と言えば、クリスティナ女史の研究設備には何も残されていなかった。幾らかはエージェントたちが捜索して押収したはずだが、明らかに物が少なかったらしい。半年ごとの建て替えの度に、少しずつ運び出していたのだろう。理論化が進むにつれて、大規模な実験設備が不要になっていたと考えられる。


 少しだけ期待していたが、昇ってきたエレベータに妹は乗っていなかった。ツチヤ君に呼んできてもらうようお願いして、僕だけが地上階に出る。

 てっきり部屋にいると思ったが、ナイトウの姿はなかった。外で警戒をしているらしい。もう事件は終結したのに、予算が今月分まで下りているからと無理やりついてきたのだ。


 つかの間の、独り。

 そう思って油断していた。おかげで背後に現れた存在に気付くのが遅れ、驚いて振り返ると、青い髪の女性が立っていた。


――ご用件は、完了しましたか?


 電子的な音声。サリィだった。

 主人を失った介護用のアンドロイドは、きちんと喪服を着ている。誰が着替えさせたのだろう。シリカさんかな、と想像した。


「うん、終わった。セドリック氏にこれから戻ると伝えてくれる? 選んだもののリストは、あとでツチヤ君から受け取って」


――かしこまりました。


 淀みのない完璧なタイミングでサリィは頷いた。中身はアップデートされていても外見が旧式なので、どことなく機械的な印象を拭い切れない。


「君の主人は、物持ちがいいね」


――ありがとうございます。クリスティナは捨てることを嫌っていました。


 どういう反応をするだろうかと思ったが、感謝で返された。僕としては褒めたつもりだったので適切な処理ではある。しかし、微妙なラインだったはず。


 この種の会話プログラムは、称賛と皮肉の区別をどのように処理しているのだろうか。ビッグデータとディープラーニングでも完璧な理解はありえない。少しだけ考えて、そういう場合は人間も区別できないから同じだと気付いた。


「君の主人に、感謝を伝えておいてくれる?」


 意地悪な質問をしてみる。

 サリィは小首を傾げた。彼女には瞼がないので、まるで観察されているような気になる。何となく居心地が悪かった。


――クリスティナは、とても遠いところに出掛けてしまいました。メッセージの伝達は不可能です。


 そういう風に処理しているのか。

 僕は感心して、サリィを眺めた。有限時間内に処理できない存在として置いているわけだ。これなら齟齬は生じない。


「君の主人がいなくなってしまったことは残念に思う。もっと色々な話をしてみたかった」


 そう言うと、サリィは僕をじっと見つめた。


「君はどう感じているの?」


 何と答えるのだろう。もっと介護をしたかった、というのは違うような気がする。しかし、それが彼女の使命でもあったのだ。今、僕の目の前にいるアンドロイドは失業中なのである。


「お疲れ様です。昼食の準備が出来たと、サンダさんから連絡がありましたよ」


 返事を待っているとナイトウが扉を開けて入ってきた。

 処理が中断されたらしく、サリィが奥ゆかしく一歩下がる。


「何かありましたか?」

「いや、何でもない」


 ナイトウは不可解な表情で僕とサリィを交互に見た。アンドロイドと会話する習慣はないのだろう。今日に合わせて黒縁になった片眼鏡のランプが黄緑色に灯った。僕とサリィの会話ログを見ているらしい。どうも信用がない。


 エレベータが開き、妹とツチヤ君が出てきた。急に部屋の人口密度が高まったので窮屈な気がする。僕も含めて全員が黒づくめの服装なので、何となく空気まで重く感じられた。


「じゃあ、行こうか」


 外に出ると、もうリムジンが着いていた。僕たちの存在を感知して、自動的に扉が開く。本邸までそこまで遠くはない距離だが、セドリック氏が手配してくれたのだろう。


 全員がリムジンに乗り込む。妹は僕から最も遠い一番後ろの席に座った。

 エンジンがかかり、ゆっくりと動き出す。


 その時、メッセージアイコンが灯った。

 サリィからだ。窓の外を見ると、僕たちを見送るために扉の前に立っていた。頭を下げていて、表情は見えない。


『とても辛い経験でした。』


 内容はそれだけだった。演算に時間がかかったわりにはシンプルだ。言葉を探すという難しさの証拠とも言えるだろうか。


「あのアンドロイドがどうかしたのですか?」


 窓に顔を押し付けていた僕を見て、ナイトウが尋ねる。


「メッセージを貰っただけだよ。さっきまで喋っていたから」

「その場で言わずに、わざわざ?」

「丁度ナイトウたちが入ってきたから、自分が発話する優先度を落としたんじゃないかな」


 喋りながら、メッセージをナイトウに転送した。一行の文字列を見たナイトウの反応は「日本語ですね」というものだった。拍子抜けしたようだ。さっきまで自動翻訳経由の会話ログを見ていたから意外に思ったらしい。


「僕の言語設定に合わせたんだろう。親切だよね」

「アンドロイドにも感情はあるのでしょうか?」


 ナイトウは唐突に言った。

 彼女にしては珍しい疑問だ。


「さぁ。その振る舞いを、僕たちが感情を持っていると見なして、そう呼んでいるだけだろう。人間だって似たようなものだ」


 感情があるかのように振る舞っている。

 生きているかのように振る舞っている。


「本当にそう思う?」


 最後部座席から、妹が言った。

 ツチヤ君が驚いた顔で妹を見ている。今日初めて喋ったのだ。

 すでに妹の視線は景色に向けられていて、僕たちへの興味を失っているようだった。まるで独り言のように呟かれた疑問に、僕は答えられなかった。


「きっと、冷凍庫に入れていたんだ」


 沈黙を返すかわりに、思いついた事を口にする。そういえば、学生時代は日本語専攻だったと言っていたっけ。

 妹は一度だけちらりと僕を見て、再び窓の外に目をやった。

 それで十分だ。


「何の話ですか?」


 ナイトウが訊いた。


「パスタソースだよ」

「昼食は日本料理だと聞いていますが」 


 意味を掴み損ねたナイトウが怪訝な顔をする。


「へぇ、お寿司かな? カルフォルニアロールがあるといいな」

「代表、あれお好きですよね」


 ツチヤ君が含みのある言い方をする。


「美味しいじゃないか」

「積極的な否定はしません」

「スズは」流れの中で、さりげなく話しかける。

「お寿司なら何が好き?」


 沈黙。

 だが、僕は待った。

 本邸に到着して、扉が開く。


「別に、なんでも」


 小さな声で妹が答えた。リムジンを降りて、足早に中へ歩き出していってしまう。僕は慌てて追いかけた。


「ピクルスは?」

「あれは嫌い」

「どっちも酢を使ってるのに」

「そういう問題じゃない」

「うちで栽培してる野菜なら甘いのが作れる」

「関係ない」

「好き嫌いしていると大きくなれないぞ」

「うるさい」

「飢饉で食べ物がピクルスしかない日が来るかも」

「そんな世界なら」妹が僕に向き直る。突然妹が停止したのでぶつかりそうになって、右足で急ブレーキをかけた。触れそうな距離だったが、意に介することすらなく、妹は僕を見上げて言った。

「滅びた方がいい」


 断固とした決意だった。僕が何も返せないでいると、妹は本邸へと消えていった。


「しつこいから抵抗されるんですよ」


 後から追いついてきたツチヤ君は呆れた顔をしていた。


「反応を返してもらえるのが嬉しくて、つい」

「そういうところです、代表」

「いいんだよ、これで」


 遠くに行ってしまったわけではない。時間だって沢山ある。

 いつか理解し合える日が来るだろう。

 食べ物がピクルスしかない日が来るよりは、現実的だ。


 いつだって、やり直すことができる。


 夢を見ることができる。


 現実的なのか、夢みたいなのか。


 どっちだ?


 バトミントンのシャトルのように、行ったり来たり。


 どちらでも同じ事だろう。


 生きているのだから。


 そういえば、生きているんだった。


 ふとした時に、それを思い出す。

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完全になめらかなパプリカ/Can cells need numerical public α? 杞戸 憂器 @gorgon_yamamoto

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