第29話 明日の命

 月橋病院は石の壁に囲まれた白い二階建ての建物だった。門を抜け玄関の前に来た。病院の中では、白い服と帽子を被った看護婦さん達が慌ただしく動き回っている。私はボーとして立ち竦んでいた……安否を知りたいが、聞くのが怖い。


「そこに立っていたら、邪魔ですよ」

 一人の看護婦さんが私に声を掛けて来た。

「すみません」

「何の用事ですか」

「爆弾の被害に遭った足山旅館の方達が、この病院に運ばれていると聞いています。生存されている方は何名でしょうか?」

「男性二名と、女性一名です」

「その女性のお名前は?」

「分かりません、今治療中ですから」

「直ぐに会わせて頂けますか?」

「治療が終わるまで、奥の待合室でお待ちください」

「分かりました」


 待合室には二台の長椅子が三列に並んでいる。足山旅館から運ばれた方々の家族と思われる人達は、皆疲れ切った表情で座っていた。時々すすり泣きが聞こえる。


 私は一番後ろの長椅子の隅に腰掛けると、一人、自責の念に駆られていた。


 何故もっと早くマイクロフォンを改善できなかったのか。

 何故あの実験を中止させる説得ができなかったのか。


 自分の罪を償う方法はあるのか? 私のせいで多くの人達が苦しんでいる現実を直視しなければならない。私が学んできた技術は一つも役に立たなかったどころか、人を傷付けてしまったのだ。


 そして、私の愛する節子さえも犠牲にしてしまった。


「どなたか、こちらの女性のお知り合いの方はいませんか?」


 看護婦さん二人が、車付きのベッドを運んで来た。長椅子に座っていた人達は立ち上がってベットの脇に群がる。人違いだと分かりため息が漏れる中、私は後ろの方からベッドに横たわる女性をつま先立って覗いた。


 そこには目に包帯を巻いた節子が寝ていた。


「節子、 無事だったのか!」

「真さん、何処?」


 人をかき分けてベッドに近づき、節子の手を握り締めた。


「ああ、ここにいるよ」

「真さん、怖かった」

「もう大丈夫だよ」


 私は布団の上から節子を抱きしめる様にして頬を寄せた。


「お知り合いの方ですか、病室に運びますので一緒に付いて来て下さい」

 看護婦さんに促されて、節子から離れる。ベッドが動き出すと、節子の手を握ったまま付き添って歩いた。


 多数の患者さんが横たえる大人数の病室に着き、看護婦さん達によりベッドが固定された後、木で出来た小さな丸椅子を持って節子の傍に座る。


「節子、生きてて良かった」

「でも、目が見えないの」

「そうか、爆弾が落ちた時、どういう状況だったの?」

「私が廊下を歩いていた時、突然何かが降ってきたの。大きな音がした方に顔を向けたら、いきなり強い風が吹いて、真っ暗になって、庭に転がって……」

 節子は話しながら体が震えて来た。

「もう話さなくていい、ゆっくり静養しよう」

「でも、目が見えないのが心配だわ」

「大丈夫、きっと治るよ」


 節子は目を覆うように巻かれた包帯に、自分の右手を当て様とする。私はその手を両手で取って、きつく握り締めた。


 私は毎日、月橋病院を訪れて節子を見舞いに行き、いつも励ましていた。しかし、私には悩みがある。爆弾が落ちたのは自分のせいだと、いつ節子に告げるべきなのか。


 七月末から八月に掛けて地方都市で米軍の大空襲があった後、六日には広島に新型爆弾が落ちた。たった一発の爆弾で街全体が破壊されたらしい。九日には長崎に同じく新型爆弾が投下され、多くの犠牲者が出た。


 このままでは、日本は本当に無くなってしまうのではないか。


 京都の工場は空襲に遭い、台風ロケットの生産も中断していた。


 八月十日、帝都レコード會社の柳田部長から宿舎に速達の手紙が届いた。

 その内容は、


『宮内庁から東京放送局の予備として、八月十四日の朝までに録音設備の用意をせよとの連絡があった、どの様な録音か知らされていないが、極秘である事と万全をきす事を申し渡された。わが社で一番経験のある旗島君を緊急招集する事が、取締役会議で決定した。至急本社に戻る事』


 急遽私は、東京へ行かなくてはならなくなった。それを説明する為、月橋病院の節子の元へ急いだ。


「節子、急に東京へ行く事になったんだ」

「東京? 甲府じゃなくて?」

「甲府に置いてある荷物をかたずけてから、東京に行くんだ」

「どんなお仕事なの?」

「申し訳ない、これも話せないんだ」

「私たち本当に結婚できるの?」

「もちろんだ、退院したら一緒に住もう」

「でも、私も大事なお話が二つあるの」

「大事な話って?」

「今日の診察で判ったの」

「何が判ったんだい」

「お医者様が、私の目はもう見えないって」

「そうか、でも僕が付いているから大丈夫だよ」

「目が見えなくてもいいの」

「ああ、平気さ。だって愛しているから」

「ありがとう、真さん」

 目の見えなくなった節子は私の手を握ろうと手探りをする、私は直ぐに節子の手を握った。

「もう一つは何?」

「あれなの」

「あれって?」

「これ」


 節子は私の手を動かして、節子のおへその辺りに置いた。


「え、赤ちゃんが出来たの?」

「うん」


「やった~、やった~、やったぞ、やった~」


 周りにいる入院患者は、背を起こしてこちらを見ている。


「静かにしてください! 他の患者さんに迷惑です」

 看護婦さんが走って怒鳴り込んで来た。


 私は人目もはばからず、節子を起こして抱きしめる。そして、


 長~~い時間、口づけをした。 (了)


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幻のマイクロフォン 古森史郎 @460-komori

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