第5話 迫る危険
二人は、東の森から湖に戻り、今度は西側の森を目指します。
巨木の西側も、やっぱり森です。
けれど、こちら側の森は日がよく当たる、温かい森です。
西の森は、シュジュエにはなじみのある場所です。皓はよく大人たちが食料や生活に必要な材料を揃えるときに行く森なのです。
こんな時でなければ、町の大人数人が、ここで材料を探していたでしょう。けれど、今いるのは、オズワルドとフリアの二人だけしかいません。
さらわれた女性たちの姿も、大きな帽子をかぶった魔術師も、近くにいる気配はありませんでした。
西側の森に入るとすぐ、二人は森から歓迎を受けました。
周囲の植物はキラキラと光り鮮やかな色を見せてくれています。みずみずしく鮮やかな植物の姿は、森からの歓迎の印です。森を歩くなら、必ず日があるうちにといわれている通り、今この場所は、癒しと安らぎを与えてくれる優しい森でした。
「急ごう、オズワルド。陽が落ちるとまずい」
「そうだね。早く助けてあげないと」
二人は、歩く速度を速めます。
こちらの森は、良く町の大人が通るので、必然と道ができていて歩きやすくなっています。
それから、東側よりも背の低い植物が多く生息しているため、光が届きやすく、さまざまな植物が様々な姿を見せてくれています。見ているだけで、楽しくなれる場所です。けれど今は、ゆっくりしている時間はありません。
フリアが、オズワルドが追い付けないほど速く歩いているので、オズワルドは歩くのに精一杯です。オズワルドとフリアは同じリズムで歩いていますが、フリアのほうが背が高いため、オズワルドが早歩きで歩いても、時々小走りも混ぜなければ追いつけないのです。
「なんか、この辺。甘いにおいがするね」
オズワルドは、スンスンと鼻を鳴らして、嗅ぎなれた匂いに癒されます。
近くに咲く大きな花たちが、かぐわしい香りを放っていました。この花は中心に蜜をためるのが特徴の花で、その蜜はシュジュエの好物のお茶の原料でした。
「ソフィアの入れたお茶を思い出すな」
「うん。僕たちが入れるとすごく甘いのに、ソフィアが入れると丁度良くておいしいんだよね」
「そうだったな」
「なんか、お腹すいてきちゃったよ」
「そうだな。いつもなら、夕食を済ませている時間だからな」
二人は、お腹をさすりながら話します。
「この辺で食事にしようよ」
「いいや。夜は歩くなと言われている森だ。少しでも安全そうな場所で食べよう」
二人は、周りを見渡します。
フリアが、向こうに、大きなくぼみの空いた木を見つけます。あそこなら、二人で入っても雨風をしのげそうです。近くには少し丈の長い植物が茂っていて、いざというときにも隠れられそうな場所でもあります。
二人は、その木のそばへ行き、座りました。
オズワルドはさっそく、カバンの中にあるお弁当を広げました。
このお弁当は、コンスタンティンが作ったものです。成人の日の祭典が終わればオズワルドが自分の所へ帰ることはないと知っていましたし、住む場所がないことも知っていましたから、親としてせめてもの心積もりです。コンスタンティンもオズワルドが誰かの世話になると思っていたのでしょう。お弁当はオズワルド一人では食べきれないほどの量です。
お弁当は二つあります。
「これ、フリアの分だよ」
オズワルドは、お弁当を一つ、フリアに渡します。
「うまそうだな。さすが、コンスタンティンさんだ」
「フリアも、父さんの作るごはん好きだものね」
「まあな。コンスタンティンさんの服も最高だけど、料理もうまいからな」
「さ、食べようか」
二人は、木の実で作られたパンをほおばります。
一口食べると、フワッととろけるような触感にうっとりするパンです。
二人は、皓ばしくて少しほろ苦くて、かむごとに甘みが広がる絶妙な味を堪能します。この味は、コンスタンティンにしか出せない特別な味です。
オズワルドは、食べなれた味に思わず笑みがこぼれます。
疲れも一気に吹き飛びそうです。
「父さんの料理も、もう毎日食べられないのかあ」
「仕方ないさ。俺たちはもう、大人に頼らなくても十分やっていける力をつけたんだから」
「フリアはいいよ。自分の力を生かして、語り部の仕事を見つけたんだから。でも、僕は……」
オズワルドは、手を止めて、ため息をつきます。
「心配するな。オズワルドの力も、そのうち開花するはずだ。今オズワルドがすべきなのは、いつ開花してもよい力が暴走しないように、心を強くすることだ。それから、食べるときは食べること」
フリアはそう言って、オズワルドが持っていたパンをオズワルドの口に押し付けました。
「もがもが……」
オズワルドはパンでいっぱいになった口を、もぐもぐと動かしますが、パンを入れすぎたため顎がうまく動きません。
そんな様子に、フリアは声を出して笑いました。
「オズワルドはいいな。そのままでいろよ」
「もう。僕で遊ばないでよ」
オズワルドは、口の中にあるパンを飲み込んで、叫びました。
「オズワルドは力が開花しないって、悩んでいるけど、俺にだって悩みはあるんだぞ。力が開花したと言っても、まだまだ未熟だ。語り部は、ありとあらゆる出来事を見聞きし、記録し、次世代に繋げるための物語にする。だが、俺が持つ「見る力」は、まだ巨木の町の中でしか見ることはできない。先代であれば、ソフィアたちがどこで何をしているのか見えたはずなんだ」
「それだけできれば、十分だよ。それに、見えなくても、ソフィアたちが無事だって、僕らにはわかるでしょ」
「そうだな。うん、うまい」
フリアは納得しながら、パンをほおばりました。
「あれ? なんか、急に空が暗くなったみたい」
「おかしいな。陽が落ちるには、もう少し時間があるはずなんだが」
二人は、空を見上げます。
空は、まだ日が昇っています。けれど、一瞬暗くなってはまた明るくなり、明るくなってはまた暗くなる。おかしな空です。
今度は、風が強く吹きました。
「なんか、様子が変だよ」
「弁当をカバンにしまって、いつでも動けるようにしよう」
二人は急いで、お弁当をしまいます。そして、辺りの様子を注意深く観察しました。
また、空が突然暗くなります。そして明るく戻ったとき、風が右から左へ吹き抜けました。それが、規則的に起こります。
オズワルドは、フリアの腕をつかみ、葉が茂る草むらへと飛び込みました。
二人が隠れたのと同時に、強い風がブワッと上から下に流れ込みます。
上から姿を現したのは、人面に獅子の胴体、蝙蝠の翼とサソリの尾を持った巨大な怪物でした。
怪物は、大きな口からよだれを流し、辺りを嘗め回すように見まわしています。お腹がすいているのか、狩るのを我慢できない様子で、荒々しく呼吸をしながら、口の中から見える牙を光らせます。
「あれ、マンティコアだよ」
オズワルドは、フリアにささやきました。
「あれが、マンティコア……」
「前に、物語で聞いたのと同じだよ」
「こんなところに現れるなんて」
「見つかったら、大変だよ。静かにしておく方が、よさそうだね」
「ああ」
フリアは、頷いて息を殺します。
マンティコアは、物語で有名な肉食の生き物です。どの物語でも、登場するときは悪役で、その性質は獰猛です。見つけた獲物を骨まで砕いて食べてしまうほど恐ろしく、強い怪物です。もし見つかれば、二人に命はありません。
オズワルドは無意識に、足を震わせていました。
「大丈夫か?」
「うん、平気」
オズワルドは笑顔で言いましたが、額からにじむ汗を見れば、それが強がって出た言葉であることは、想像がつきます。
フリアは、オズワルドを気遣い、肩をたたきました。
「考えるな。余計怖くなるぞ。俺も怖いが、何とか方法を見つけてここを乗り切るんだ」
「うん」
二人は、マンティコアを観察して、逃げるタイミングを計ります。
マンティコアの方は、耳をとがらせて、周囲の音に注意しています。小さな物音でも耳をひくひくとつかって、獲物を探しているようです。
狩る態勢のマンティコアに、二人は身動きが取れません。
そのままじっと耐えていると、マンティコアが突然ぐるりと一周しました。
マンティコアは一転の方向でぴたりと止まり、こちらに近づいていきます。
危ない!! と思った時には、マンティコアが猛スピードでこちらに向かって走っていました。呼吸は荒く、目つきを鋭くして、明らかに獲物。いえ、二人がそこにいると知っている動きです。
それから、二人が隠れている茂みの前でピタッと止まると、前足が高く上がり、むき出しになった爪がフリアに襲い掛かります。
「こっち」
オズワルドは咄嗟に、フリアの手を引っ張りました。
フリアは、オズワルドの腕の中へ倒れこみ、おかげで爪はギリギリのところでそれて、土が大きくえぐれました。
「フリア、早く」
オズワルドは、フリアの手を引いて夢中で走ります。
背後には、マンティコアの気配がすぐそばにあります。
「俺たちの足じゃ、すぐ追いつかれるぞ」
「うん」
オズワルドは、息を吐きだしながらそう言うと、すがる思いで周囲を探しました。
そして、一か所。何の変哲もない森の中で、見覚えのない意志を見つけました。石の間には、ぽっかりと穴が開いています。
「あそこに入ろう」
「待て。あんな穴、来た時にあったか?」
見覚えのない穴に、フリアは乗り気ではありません。けれど、悩んでいる時間はありませんでした。
マンティコアは次の攻撃の態勢に入り、爪が二人の背中を捕らえていたからです。
「分かった。行こう」
半分自棄になり、フリアは賛成します。
二人は穴に、飲み込まれるように飛び込みました。
「間に合った」
「僕は、もう食べられたかと思ったよ」
二人はほっと胸をなでおろします。
その時、入り口から鋭い爪がヌ~っと入ってきました。
「!!」
二人は腰が抜けて、手を使ってできるだけ奥へ入ります。
寸前のところで長い大きな爪は地面を削り、その衝撃で入り口が土でふさがってしまいました。
「今度こそ、助かったね」
「ああ。ギリギリだったな」
二人は深いため息をついて、言いました。
けれど、入り口が閉ざされてしまったため、辺りは真っ暗で、何も見えません。
暗闇の中で、入り口の方からマンティコアの声と、不可解な音が聞こえてきます。マンティコアはまだ、二人をあきらめていないようです。
不可解な音とともに、入り口付近の土が一層厚くなり、闇も濃くなります。
「まだ、僕らを捕まえようとしてるみたいだよ」
「分かってる。見たか、あいつの大きさ。俺たちの十倍はあったぜ」
顔は見えませんが、二人の声から、二人の顔が青ざめているのが分かります。
二人は、恐怖が今頃になって押し寄せてきて、寄り添うように座っています。片側同士が触れ合って、そこから温かさが伝わってきます。
「あのマンティコアって、いくつかの物語に出てくる、あのマンティコアの事だよね。もしかして、帽子の魔術師が出てくる物語の怪物って、マンティコアの事だったのかも。そうだとしたら、マンティコアを倒さないと、ソフィアを助けられないかもしれないよ」
「いや、まさか」
「でも、それならどうして、マンティコアが僕たちの前に現れたの? 防止の魔術師が現れて、マンティコアっていう怪物まで現れるなんて、まるで呪われた城の物語にでてくる青年になった気分だよ」
「あのなあ。オズワルドは誤解しているようだが、俺は……」
フリアが言いかけたとき、入り口の付近からマンティコアの雄たけびが聞こえてきました。
二人は手をつなぎ、ガタガタと震えます。
「オズワルド、明かりか何かないか? 奥に行って、出口を探してみよう」
「待って。今、探してみるから」
オズワルドはカバンを下ろして、見えないながらもがさがさとカバンの中を探します。
「あったよ。待ってて、今明かりをつけるから」
オズワルドが言ってすぐ、パッと辺りが明るくなりました。
オズワルドがカバンから取り出したのは、ランプです。オズワルドが持っているランプは、花の形をした可愛らしいランプです。火は使いません。このランプの中にある石は、光石と言い、息を吹きかけると光るのです。
オズワルドはランプを使い、入り口とは真逆を照らします。
穴の奥は、道があり、その道はずっと奥に続いているようです。
二人は立ち上がり、奥へ進むことにしました。
ユグドラシルの子 @mikadukineko
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