章灯とグー太(終)

「ただいま……おぉ、グー太」

「わふ!」


 久し振りに帰省すると、真っ先に出迎えてくれるのは、母さんでもなく、父さんでもなく、やはり愛犬である。まぁ、父さんは店があるからそれは仕方ないんだけど。


 機嫌良く尻尾を振りながらやって来たのはパグ犬のグー太。現在9歳。


「あら、お帰りなさい、章灯しょうと。早かったわね」


 そして母さんが顔を出す。

 昔から変わらない、いつもの流れだ。


「もう少ししたらお姉ちゃんも来るから、全員そろったらお寿司でもとりましょって、お父さんが」

「姉ちゃんも来るんだ。何時くらい?」

「そうねぇ……6時……過ぎるかしらね」

「そっか……。まだだいぶ時間あるな」


 そう言いながら、荷物を下ろす。

 ふと下駄箱の上を見ると、使い古されたラジカセが置いてあることに気付いた。

 ゲンさんと海に行く時に持って行っていた、じいちゃんのお下がりのラジカセだ。


「母さん、このラジカセってまだ動くの?」

「ああそれ? 動くわよ。この間お父さんが町内の集まりの時に持っていったのよ。まだバリバリ現役」

「現役、ねぇ。これが現役でもそろそろカセットの方が絶滅するんじゃないかと思うけど」


 かちゃ、と中を開けると、町内の集まりの何に使ったというのか、昭和の歌姫のベストが入っていた。


「わふ!」

「どうした、グー太」


 もうかなりの高齢犬だと思うのだが、グー太はお医者さんからも「この子はまだまだ長生きしますね」と太鼓判を押されたほどに元気で丈夫だ。俺の足にしがみついて、わふわふと吠えている。


「何だ、散歩か? 母さん、夕方の散歩は? これから?」

「これからよ。章灯、行ってくれる?」

「良いよ、行って来る。リードと散歩バッグは? いつものとこ?」

「そうそう。お水だけ新しいの汲んでいってちょうだい」

「はいはい。行こうぜ、グー太」


 どこへ行こうか。

 そういえばグー太の散歩コースってあれから変わってないのかな。


「なぁグー太、どこに行きたい?」

 

 首輪にリードを取り付けながら尋ねる。もちろん答えてくれるわけがないなんて百も承知だ。でもついつい話しかけちゃうのは何でなんだろうな。


「わふ」

「まぁ、そう言うと思ったけど」


 さすがに「わふ」じゃわからん。だけど――、


「なぁ、グー太。ちょっと海に行かないか?」

「わふ!」

「――え? あ? おい!」


 海、という言葉を聞いたグー太が勢いよく玄関に向かって駆け出した。そして、「開けろ」とでも言わんばかりにドアをカリカリと前脚で掻いている。


「こら、グー太。猫じゃないんだから。父さんに叱られるぞ。どうしたんだ。行きたくないのか、海?」


 それには答えず、グー太は尚も必死にドアを掻いている。猫の爪とぎかってくらいに。とりあえずドアを開けると、わずかな隙間から身体を滑り込ませて中に入り、下駄箱の前でスッとお座りをした。


「グー太?」

「わふ!」


 グー太はお座りの姿勢で下駄箱を見上げている。


「どうした?」

「わふ! わうわう!」


 下駄箱の上にあるのは――写真立てと、宅配物受け取り用の判子が入ったケース、それから――。


「ラジカセ? 持って行けって?」

「わふ!」


 ラジカセを持ち上げると、「正解!」とばかりに立ち上がり、嬉しそうに「わうわう」と吠え出した。


 その姿がゲンさんと重なる。

 

「わかった。海に行くなら、これがいるもんな。そうだったそうだった」


 仕切り直し、と、車庫から自転車を出す。クッションが見当たらなかったので、古いタオルを敷いて、その上にグー太を乗せた。




「思い出すなぁ、グー太。お前と初めて海に行った時のことを。……俺はさ、正直信じてなかったよ。だって、俺の夢だからさ」


 海に着き、グー太を抱えて歩きながら、ぽつりと言う。


「生まれ変わってまた会いに来る、なんてさ」


 グー太を砂浜にゆっくりと降ろし、その場に胡坐をかいた。


「そりゃ俺らからしたら、犬の顔って、どれも似てる――ってのは言いすぎだけど、でも、やっぱり、まぁ、似てるかな、くらいだったしさ」


 キュルキュル、とテープを巻き戻す。


「でも、ゲンさんがあんなに念を押すからさ。もしかしたら、なんて思うじゃんか」


 グー太はただ黙って俺の手元を見つめている。


「父さんもさ、本当はもう犬を飼ったりする気はなかったのに、なぜか気付いたらペットショップにいたんだ、とかさ」


 散歩バッグからジャーキーを取り出すと、グー太は俺の「よし」をきちんと待ってから食べ始めた。


「同じ犬種だと俺が思い出して辛いだろうから、違うのにしようかと思ったら、隣のケージにいたお前が猛アピールしまくってさ、『飼ってくれなきゃ死ぬ!』みたいな剣幕だったって。子犬の癖に、って」


 あっという間に食べ終わったグー太は、催促のつもりなのか、バッグをじっと見つめている。


「それでついつい買っちゃうのが父さんらしいけど。でも、そんなの言われたらさ、やっぱり思い出しちゃうんだよ、『どんな手を使ってでも、章坊ちゃんのところに参りますから』って。ゲンさん、そう言ったんだ」


 ちらりとこちらを見るその視線に負けて、ついもう1つ与えてしまう。


「結局、お前は俺が何を歌っても楽しそうに揺れてるだけだったけどさ。良いんだ。グー太がゲンさんの生まれ変わりじゃなくたって。俺の――俺達の大事な家族だよ。――さて」


 テープはとっくに巻き戻っていた。


「一曲歌わせてもらうかな。俺、職場でも結構上手いって評判なんだぜ? それでは、聞いてください『愛燦燦』」


 すぅ、と息を吸う。

 ぴくり、とグー太の耳が動いた。


 きちんとお座りをしていたグー太が、急に伏せをして、目を閉じた。そして、ぱたんぱたんと歌に合わせて尻尾を振る。


 ゲンさんと、同じように。


 もしかしたら、犬は皆こうやるのかもしれない。

 だけど。


「――久し振り、ゲンさん。俺、結構恰好良い男になっただろ?」


 歌い終えた後でそう言うと、グー太は満足そうな顔で「わふ」と返した。


「……ありがとう。俺はもう大丈夫だよ。さ、帰ろうか、グー太」


 グー太は一瞬きょとんとした顔をしてから、やはり元気よく「わふ!」と吠えた。


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ずっと忘れないから。 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa

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