章灯と拳骨
ゲンさんが夢の中に出て来たのは、火葬が終わって、じいちゃんが作ってくれた小さな仏壇にその遺骨を置いてから数日後のことだった。
写真立ての中のゲンさんは笑っている。その隣には、お気に入りの青い首輪。
仏壇のある部屋は、普段ならあまり近付かないし、ましてやそこに長居することもそうそうないんだけど。
だけど。
ゲンさんと離れたくなかった。
俺はゲンさんが死んでから学校にも行かないでずっとその仏壇の部屋にいた。
いまでいうペットロスってやつだったと思う。
この俺が。
お化けとか幽霊とか、そういうのが全く駄目なこの俺が。
ご先祖様の写真がずらりと並んでいるこの部屋で寝起きしてるんだから、お父さんもお母さんも、もちろん姉ちゃんもかなり驚いていたけど。
ご先祖様の写真の方は極力見ないようにして、その夜も、俺は一人でそこで寝た。
気付くと俺は、何かふわふわしたところを歩いていた。
すると、前からゲンさんが走ってくるんだよ。
俺がもっと小さかった頃、一緒に公園を走り回っていた頃みたいに、とっとことっとこと軽やかにさ。
しかも、ちゃんと言葉が通じるんだ。
ゲンさん、俺の足元をぐるぐるぐるぐる回りながらさ、言うんだ。
「お久し振りですなぁ、章坊ちゃん」って。
やっぱり夢だからさ、思い描いてた通りの声なんだよ。低くて、渋くてさ、ちょっと
「まさかゲンさんとこうやって話せるなんてな」
「あっしも感無量でございますよ、章坊ちゃん」
「ゲンさん、俺のこと『章坊ちゃん』って呼んでたんだ」
「えぇ、章坊ちゃんに
「何だか恥ずかしいな」
その場に腰を落として胡坐をかく。
何せ夢の中だから、念じるだけで色んなものが出て来るんだ。俺はゲンさんのお気に入りのジャーキーを出した。ゲンさんは「どうもどうも」なんて言って、はぐはぐと食べている。
「章坊ちゃん……、あっしがこうやって章坊ちゃんの夢の中にお邪魔出来るのは、恐らくこれが最初で最後になると思うんでさ」
「えっ……?」
いやいや、だってこれ、俺の夢だろ? 夢くらい何回でも……。
「どうしてもお伝えしたいことがございましてね」
「俺に伝えたいこと?」
ゲンさんが俺を見上げている。
口をぴったりと閉じ、その大きな目を潤ませて。
「章坊ちゃん、あっしが死んだ時、たくさんたくさん泣いて下さってありがとうございます。紀華嬢ちゃんも、
「そんな……ゲンさんのこと忘れるなんて嫌だよ」
「いえいえ。何も全部忘れろってことじゃあありませんよ。ただね、いつまでも悲しいままじゃいけないってことです。前を向いて、先を見なくちゃあなんねぇ。特に章坊ちゃんは『これから』の人なんですから」
そんなことをぽつぽつとしゃべり、ちらり、と遠くを見た。
すると、そこには小さなパグがいた。
ゲンさんの子ども……? いや、そんなはずはない。と思う。
「ゲンさん……あれは? 誰?」
「さぁ、いまのところ、あっしにもわかりませんが……。ただ、きっとあれがあっしの『次』なんでしょう」
「『次』?」
「どうやらあっしは次、あの犬になるようです。まさかまた犬だとは。それも、何の因果かまたパグとは」
「生まれ変わり……ってやつ? 本当にあるんだ」
「そのようですな。だからあっしは『次』にいきます。章坊ちゃんも、『いま』に囚われていないで、先に進みましょうや」
「わかってるけど……。でも、寂しいよ、ゲンさん」
ぎゅっと抱きしめると、やっぱりゲンさんは温かかった。
温かくて、ドクドクと心臓の音が伝わってきて、ハッハッて呼吸もしてて。
――あぁ、生きてるって思った。
「いつになるかはわかりませんが、あっしはきっと、あのパグになったら――また章坊ちゃんに会いに行きますよ」
「そんなこと……出来るわけないじゃん」
「出来ますとも。必ず章坊ちゃんの元に参ります。あっしら飼い犬ってぇのはねぇ、何があったって飼い主を悲しませたりしちゃあならねぇんです。そんな顔をさせちゃあいけねぇんでさ。だからね、章坊ちゃんがまた笑って下さるように、あっしはどんな手を使ってでも、必ず章坊ちゃんのところに参りますから」
「本当?」
「本当ですとも。もしいつか、章坊ちゃんがパグを飼うことになったなら――試してごらんなせぇ」
「試す? 何を?」
「お歌を聞かせておくんなさい。きっとあっしだってわかると思います。わかるような仕草をしてみせますとも」
「……わかった。絶対にだよ。約束だよ、ゲンさん」
「もちろん。男に二言はございません。さて、そろそろ時間です。さ、さ、章坊ちゃん。涙をお拭きなせぇ。明日からはきっと学校にも行けますね? さすがに家でずっとふさぎ込まれちゃ、あっしだって章坊ちゃんの前に出て行きにくくなっちまいますから」
「わかった。ちゃんと学校に行くよ。次にゲンさんに会う時には、もっと恰好良くて、男らしい俺になってるから」
「楽しみですねぇ。……章坊ちゃん、お身体にお気を付けて。必ず、必ず参りますから。待ってておくんなさい」
「待ってるよ、ゲンさん」
ずっと、待ってるよ。
そこで目が覚めた。
手はうっすら汗ばんでいて、さっきまで本当にゲンさんを抱いていたようなぬくもりが残っていた。
だけど、夢だから。
俺が、俺自身を前に進ませるために見せた、都合の良い夢だから。
そう思った。
でも、約束したもんな。
次にゲンさんに会う時までに恰好良い俺になってないと。
「ゲンさん、俺、頑張る。ずっと忘れないから」
写真立てのゲンさんにそう誓って、俺は部屋を出た。
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