6.
かくして迎えた12月24日。
その日、クレイトンは朝の礼拝に出掛けていかなかった。
理由は明白だ。どの教会でもイヴの夜にはクリスマス礼拝がある。クレイトンは恐らくその礼拝に行くつもりだろう。
18時30分。予想どおりクレイトンが現れた。
これからセントポール・ルーテル教会へ行くのだろう。厚手のコートにマフラーを巻いて、薄く雪の積もった道をすたすたと歩いていく。
その歩き方と言い無表情な顔つきと言い、本当にロボットみたいなやつだ。
そんなやつが毎日熱心に神の教えを乞いに行っているのかと思うと滑稽だが、まあ、珍しい話じゃない。
元殺し屋や元マフィアは、引退すると途端に敬虔なクリスチャンになることが多いと聞く。それまで重ねた己の悪行を数え、死後の裁きを恐れるからだ。
やがてクレイトンの姿が見えなくなると、俺は車のヘッドライトをつけてエンジンをかけた。
相手は追っ手に怯えて暮らす元マフィアのオッサンだ。クリスマスだからと言って自宅でパーティーを開くなんてことはまず有り得ない。この3日間で割り出したあいつの行動パターンから考えても、礼拝が終わったらまっすぐ家に帰ってくるはずだ。そしていつもどおりピザを頼む。
俺はその可能性に手持ちのチップを全部賭けて、銀のセダンを発進させた。
田舎町をささやかなクリスマス・イルミネーションが照らしている。
ブロードウェイの華やかすぎるクリスマスとは比べ物にならないくらい質素で淋しいクリスマス。町は静まり返っていて、人影はほとんどない。チカチカと光るイルミネーションだけが唯一の慰め。
だけどたまにはこんなクリスマスもいいのかもしれない。俺はとある路上に車を停めて、シートに身を沈めながらそう思った。
聞こえるのはラジオから流れるお決まりのクリスマスソングだけ。
ニューヨークでは決して味わえない、どこまでも
窓の外で深々と降る雪が、珍しく俺を神聖な気持ちにさせる。
この仕事が終わったら、しばらくこんな田舎の町で過ごしてみようか。何せ6万ドルが手に入るのだ。
こんな静かな日々に身を浸したら、きっと何か新しい発見があるに違いない。
そしてそれこそが、10代の頃から俺が抱えてきた疑問の答えになるのではないか――そんな気がする。
目を閉じ、煙草を咥えたまま、しばらくそうしてじっとしていた。
端から見たら、神に祈りを捧げているように見えたかもしれない。
だがそんな祈りの時間は唐突に終わった。聞き覚えのあるエンジン音。
来た。ピザ屋のバイトだ。
「――よう、
すかさず窓を開け、身を乗り出して手を振った。
するとそれに気づいた相手がバイクを止め、驚いたようにヘルメットを外す。
Bingo。昨日のあいつだった。向こうも声をかけてきたのが俺だと分かると、たちまちそばかすを散らした顔を綻ばせる。
「やあ、昨日の」
「その節はどうも。おかげで無事モーテルに辿り着けたよ。儲かってるかい?」
「ええ、そりゃあもう。なんたって今夜はクリスマスですから」
「だろうな。だが、そんなクリスマスに1人でピザの宅配なんて寂しくないか?」
「それはお互い様でしょ?」
「ああ、確かにそうだ。だが俺が運ぶのはピザじゃなくてプレゼント」
「あなた、サンタクロースだったんですか? その乗り物はソリじゃなくて車に見えるけど」
「最近は軍がうるさいからソリで空は飛べないんだ。だがちゃんとプレゼントは持ってるぞ。働き者の君にはこれだ」
そう言って、俺は小さく折り畳んだドル札を差し出した。
描かれているのは200年前の発明家、ベンジャミン・フランクリン。
要するに100ドル札だ。
「こんなに……いいんですか?」
「ああ、昼間届いたピザがうまかったからな。期待以上の味だったよ。さすがはトロイで一番のピザ屋だな」
「あ、ありがとうございます。店に戻ったら、店長にもそう伝えておきます」
「ぜひそうしてくれ。ところで、これからダニー・クレイトンの家に行くのかい?」
「え?」
「ダニー・クレイトンだよ。知ってるだろ?」
「え、ええ、知ってます。もしかして、クレイトンさんのお知り合いですか?」
「まあ、そんなところだ。だがあのじいさんには気をつけた方がいい。あまり大きな声じゃ言えないんだが……」
言って、俺はわざとらしく周囲に目を配る仕草をしてから、そっと口元に手を添えた。万国共通、〝耳を貸せ〟の合図だ。
チップを受け取るためにバイクを降りていたバイトは、まんまとその合図に乗って身を屈めた。
次の瞬間、俺はそのバイトの頭を掴み、渾身の力で車のルーフに叩きつける。
虚を衝かれたバイトが悲鳴を上げ、その場に倒れた。直後に俺は車を飛び出し、倒れたバイトの首に腕を回して締め上げる。
気道を圧迫されたバイトは顔を真っ赤にしてもがき、何とか腕の中から抜けようとした。だが俺はそれを許さじと押さえ込みながら、如才なく周りに目を配る。
大丈夫だ。昨日こいつが通った道から、多少騒ぎが起こっても人目につかない場所を選んだ。あたりに人の気配はない。
ほどなく若いバイトはぐったりと腕の中で動かなくなった。
それを確かめた俺は素早く後部座席のドアを開け、そこにバイトを放り込む。
そうしてバイトの着ていたピザ屋の制服を脱がし、代わりに俺の着ていたジャケットを被せて手足を縛った。
更に口にはテープを貼り、脱がせた制服に手早く着替える。
それから車の鍵をしっかり閉めると、傍らに停められていたバイクに飛び乗り出発した。もちろん銃はズボンに差してある。完璧な変装だ。
俺はそのまま迷わずクレイトンの家を目指した。
ピザの配達は毎日20時30分。早すぎても遅すぎてもいけない。
途中の信号で止まる度、俺は右腕に嵌めたROLEXの腕時計を確かめた。
目的地に着いたのは20時29分17秒。
クリスマスでも渋滞がないってのは田舎の利点だな。
俺は神の計らいに感謝しながらバイクを降り、ピザの入ったボックスを開ける。
中には箱入りのピザと伝票、そしてツートンカラーのキャップ。
俺はヘルメットを外してサッとそのキャップに被り替えると、伝票に記されている宅配先を確かめる。
イリノイ州トロイ、ノース・パウエル・ストリート217。
ダニー・クレイトン。間違いない。
ふーっと1つ息を吐き、余計なものは全部そこで吐き出した。
ここまでの仕事はパーフェクト。だが油断するな。相手も元マフィアだ。
悪魔は人が油断した隙に付け入ってくる。だが今夜は俺が
ピザを片手に玄関へ回る。ベルを鳴らすと同時に腰から拳銃を抜いた。
ドアの向こうから足音がする。玄関が開いた。標的と目が合う。
「メリークリスマス」
俺はそう言って微笑みかけ、次の瞬間引き金を引いた。1発。2発。3発。
気の抜けるような音と共に発射された弾丸が、クレイトンの右足と右脇腹、そして左胸に命中する。
だが俺が思っていた以上に終わりは呆気なく訪れた。
白い玄関のドアの向こうで、クレイトンが仰向けに倒れている。
「期待外れだな」
もっと派手な抵抗があるかと思ってた。だがクレイトンは生まれたての子ウサギみたいに無抵抗でか弱かった。
こんな男がファミリーの幹部を殺して逃げただって? 何かの間違いじゃないのか? そう思いながら、俺はなおも銃を構えてクレイトンの家に上がり込む。
――殺し屋なら、普通は自分が撃った相手が確かに死んだかどうか確認するだろう。
それはかつてのFartの言葉だ。俺は何故だかその言葉が今も耳に残っていて、よほどの緊急時でない限り必ずターゲットの生死を確認している。コーエンのようなヘマはしない――でないとあいつに笑われるから。
俺は銃口をぴたりとクレイトンの額に向けながら、無感情にその顔を見下ろした。廊下は明かりがついていなくて薄暗い。開け放たれた奥のドアから差し込む明かりが唯一の光だ。
その光の下で、クレイトンは目を開けて俺を見ている。まだ息があった。やっぱり最終確認は大事だな。そう思いながら、俺は引き金をファーストステージまで引き絞る。
「久しぶりだな」
そのとき、聞き覚えのある声がした。瞬間、俺は凍りついた。
驚愕のあまり体が動かない。だが、今、確かに。
血塗れのクレイトンが、俺を見上げて笑った。
「やっと俺の正体に気づいたのか」
低く、憎たらしく、どこまでも人を小馬鹿にしたようなその声は。
「待ちくたびれたぞ、Brat」
そう言って、クレイトンは呼吸をやめた。
俺が4発目を撃ち込むまでもなかった。
けれどその瞬間、俺の手からピザと拳銃が滑り落ちる。
床に当たってぶちまけられたマルゲリータの上に、俺の愛人がダイブした。
俺はそのまま壁に背中をつき、愕然として目の前の男を見つめる。
クレイトンは笑っていた。立ち竦む俺を見つめたまま。
だが、嘘だ。そんなことあるはずがない。
そう思った俺は弾かれたように駆け出し、奥の部屋へ飛び込んだ。
慎ましやかなダイニングキッチンに、使い古された浴室、トイレ、洗面所。
それからクレイトンの寝室に飛び込み、必死で壁のスイッチを叩いた。
電灯がつき、俺は無我夢中で部屋の中をあさる。まるで殺し屋ではなく強盗にでもなった気分で。
そして、見つけた。ダニー・クレイトンという男の正体を示す証拠。
俺はベッドサイドに置かれたそれを茫然と手に取った。
小さなフォトフレームの中の写真には、憎たらしい顔で笑った1人の男と、その男を殺したフランケンシュタインが写っていた。
END.
BRAT&FART 長谷川 @es78_
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