5.

 俺がミズーリ州セントルイスを出発したのは、ニューヨークを飛び立った旅客機がランバート・セントルイス国際空港に着陸してから3日後のことだった。

 到着後すぐに出発しなかったのは、銃の手配があったからだ。自由の国アメリカと言えど、銃を所持したまま飛行機に乗れるほど自由かと言われればそうでもない。ついでに言えば、偽造の身分証を使って簡単に銃が買えてしまうほど都合のいい世の中でもない。

 そこで俺は仕方なくセントルイス中のあらゆる店を巡り、使えそうな部品と工具を集めてホテルに籠もった。目的はもちろん銃を自作するためだ。そのくらいの技術はこの数年でしっかり身についている。

 造ったのはルガーMK1をモデルにした減音器サプレッサー内蔵のハンドガン。よく映画でCIAの工作員なんかが使っている暗殺用のアレだ。

 一般的なオートマチックに比べて銃身が細長く、見た目はスマートかつセクシー。それでいて発砲音は実に控え目で大人しい。こういう女がいたらぜひ囲いたいと思わせるような色っぽい銃だ。

 もちろん弾も自前で用意し、郊外でしっかり試し撃ちもした。

 手元に残った銃弾は5発だけだが、その分最後まで微妙な調整を繰り返して精度を上げたから、あとはよほどのヘマをしないことを祈るだけ。いざというときのためにナイフも購入したものの、こいつを使うような事態はなるべく避けたい。

 トロイはセントルイスから車で1時間足らずの距離にある町だった。

 州道162号線をひたすら東へ。車はセントルイスでレンタルした銀のセダンだ。

 州道の両脇に広がる広大な麦畑はうっすらと雪を被っている。クリスマスまであと6日。俺はトロイ市街地の手前にあるモーテルに部屋を取り、それから今回のターゲットの住まいまでドライブに出かけた。

 俺が調べたところによると、トロイは人口1万人にも満たない田舎町だ。

 町の真ん中を東西に貫く州道沿いにはスーパーマーケットやレストラン、ガソリンスタンドといった商業施設が並んでいる。が、そこから少し横道に逸れると、その先は人影もまばらな住宅街だ。

 生まれも育ちもニューヨークの俺には縁のない、閑静な田舎の風景。町の中には枯れ木が多く、立ち並ぶ民家はほとんどが白壁の一戸建てだった。

 どれも似たような色合いの切妻屋根は、今は仲良く雪化粧をしていて寒々しい。夏に来れば家々の白い壁に木々の緑が映えて爽やかな眺めが楽しめるのかもしれないが、曇天を戴いた真冬の今はどうも町全体が沈んで見える。

 俺はセントルイスで買った地図を片手にゆっくりハンドルを切ると、いよいよターゲットの家があるノース・パウエル・ストリートに入った。

 まずはターゲットの家の前をさりげなく通り抜ける。東西に走るウェスト・スロップ・ストリートとの角地にある一軒家だ。

 こぢんまりとした庭つきの平屋建てで、趣味はそう悪くなかった。走り抜けざま、家の中に問題の人物がいるかどうか覗き見る。

 だが生憎、最初の偵察ではターゲットの姿を見つけられなかった。

 まあ、焦っても仕方がない。俺は大きくハンドルを切って交差点を左折し、しばし時間を置くための本格的なドライブに出た。ただでさえ人口の少ない町なのに、見慣れない車が何度も家の前を行き来すれば怪しまれる可能性が高いからだ。

 時刻は午前11時過ぎ。俺は煙草を片手にカーラジオを鳴らし、陽気なカントリー・ミュージックを聞きながら州道に戻って、適当な店で昼飯を取った。

 若いウェイトレスを掴まえて話を聞くと、どうもこの町の夜は暗いらしい。つまりロクな遊び場もなければ日没後に外をうろつく住民も少ないってことだ。こりゃ好都合。

 俺はいかにも田舎の娘らしいおさげのウェイトレスに気前良くチップを払うと、店を出てしばらく観光を楽しんだ。それからウェスト・スロップ・ストリートへ戻り、ターゲットの家がある角を曲がる。

 午後2時過ぎ、2度目の偵察。いた。

 ダニー・クレイトン。間違いない。写真の男だ。

「Bingo」

 自宅のポストを覗き込んでいる男の顔を一瞥して、俺はそのままクレイトンの横を通り過ぎた。2回目でターゲットの姿を拝めるなんて、今日の俺は運がいい。ちょっとした鼻歌も歌いたくなるってもんだ。

 とにかくこれで初日の目的は果たしたので、俺はそのまま町外れのモーテルに戻った。3時間ほどのドライブで町の地理も何となく把握したし、明日からは次のステップに移行だ。俺は景気づけにセントルイスで買ってきたウイスキーを1杯引っ掛けると、安いベッドに潜り込んで眠った。

 せっかくターゲットの居場所を掴んだのに、今夜にも強襲をかけないのかって?

 馬鹿言っちゃいけない。今回の相手は相当の手練れだ。

 それに、いざ殺しに行ってやつが不在だったらどうする?

 もしくは同居人がいたりしたら?

 俺がダニー・クレイトンについて知っていることと言えば、名前と性別と現住所、そして元ピンツォーロ・ファミリーの一員だったってことだけだ。

 俺の上司は殺しの標的についていつも必要最低限の情報しか寄越さない。その上で標的を慎重かつ確実に殺すには事前の情報収集が不可欠だ。

 標的の周辺環境、行動パターン、性格、趣味嗜好、対人関係――そういうものをできる限り詳細に調べ上げて、ここぞというときに引き金を引く。殺し屋とストーカーは紙一重ってわけだ。

 そんなわけで翌日、俺は普段なら後ろへ撫でつけるだけの髪をいかにも好青年風に整えると、鏡の前でニコッと笑う練習をしてからモーテルを出た。

 向かった先はクレイトンの家――のお向かいさん。

 セダンは通りの向こうに停めて歩き、家の前にクレイトンの姿がないことを確かめてから、俺は見ず知らずの他人が住む家のベルを鳴らす。

「はい、どちら様?」

 出てきたのはずいぶんと歳のいったばあさんだった。『Bleecker Street Movies』の店員のばあさんとどっちが上かな? くるくる巻きの髪は真っ白で時代遅れの眼鏡をかけている。その眼鏡の向こうから、ばあさんは怪訝そうな顔で俺を見上げた。

 だから俺はニコッと微笑み、セールスマン顔負けの営業スマイルを見せてやる。

「ライサ・ゼレンスキーさん?」

 このスマイルがあれば俺もセールスマンに転職できそうだ。

 そんな会心の笑みを浮かべて話しかけてやっているのに、ばあさんはなおも不審そうな顔を引っ込めようとしない。

「ライサ・ゼレンスキーさんですよね?」

「いいえ。私はエルシー・ウェラーですけど、あなたは?」

 そこで俺は初めてショックを受けた――ような顔をした。

「ライサ・ゼレンスキーさんじゃない?」

「そうよ、そう言ってるでしょう。ライサ・ゼレンスキーなんて名前、聞いたこともないわ」

「Oh……これは失礼しました、Mrs.ウェラー。あ、僕はイヴァン・ゼレンスキーといいます。実は、ここへは生き別れた母を探して……知人から、母はここに住んでいると言われたんですが……」

 言いながら、俺はジーンズのポケットから1枚のメモを取り出した。そこに書かれている住所に目を落としつつ、ちらりとばあさんの顔色を盗み見る。

 ――やったぜI did it

 〝生き別れ〟という言葉が効いたのか、途端にばあさんが気の毒そうな表情を覗かせる。ついでに野次馬的好奇心も。

 OK。こうなったらあとはこっちのもんだ。

「あらまあ、生き別れたお母様を? 確かにここに住んでいると聞いたの?」

「ええ、そうです。このメモにも確かに……ああ、いや、そうか。すみません、間違いました。僕としたことが……母の家はあっちですね?」

 笑いながらそう言って、俺は向かいの家を示した。

 そこそこ趣味のいい平屋建て。もちろんそこはクレイトンの家だ。

 すると案の定ばあさんはますます気の毒そうな顔をして、俺の前で首を振る。

「いいえ。残念だけど、あちらはクレイトンさんのおうちよ」

「クレイトン?」

「ええ、ダニー・クレイトンさん。名前で分かると思うけど男性だわ」

「そんな……いや、でも、それじゃあそのMr.クレイトンに奥さんは?」

「いいえ、いらっしゃらないわ。クレイトンさんはお1人なの。3年前に引っ越していらしたときからずっとよ」

 へえ――同居人はなし、と。頭の中のメモ帳にメモ。こいつはますます好都合だ。

「Oh,Jesus……失礼ですが、それは確かですか? 以前は結婚していて、ここに来る前に別れたとか?」

「いいえ。彼はここへ来る前からずっと独身らしいわ。本人からそう聞いたもの。だからたぶん、あなたのお知り合いの言うことが間違いだったんじゃないかしら?」

「Mrs.ウェラーは、Mr.クレイトンとよくお話を?」

「ええ、彼とは礼拝でよく会うから」

「礼拝?」

「セントポール・ルーテル教会の礼拝よ。彼はとても熱心な信徒で、毎日教会に通っているの」

「Whew……なら、その人が母さんの再婚相手ってことはなさそうだ。母さんは敬虔なカトリック教徒だったらしいから」

 肩を竦め、さも気落ちしたように振る舞い、俺は弱々しい笑みをばあさんに返した。するとばあさんも同情したような眼差しを向けてくる。〝かける言葉が見つからない〟といった様子だ。

 俺はそんなばあさんの前でメモをポケットに捩じ込み、最後まで一流俳優になりきって演技をする。

「ありがとう、Mrs.ウェラー。話を聞けて良かった。突然押しかけた無礼をお許し下さい」

「いいえ、いいのよ。こちらこそ、何も力になれなくてごめんなさい」

「いえ、気にしないで。空振りはいつものことです。もう慣れました」

「あら、そう……ここまでずいぶん大変な思いをしてきたのね。お母様とはもうずっと?」

「はい、5歳の頃から会ってません。だからもう顔もうろ覚えで」

「まあ。それはかわいそうに……若いのにとても苦労しているのね。私みたいな老いぼれには何もしてあげられないけれど、無事にあなたのお母様が見つかることを祈っているわ」

「ああ、Mrs。その慈悲深い祈りに感謝します。僕の母もあなたみたいな人だといいんだけど」

「大丈夫よ。私にも息子が2人いるけれどね、どんなに離れていたって子を想わない親なんてどこにもいないわ。だからあなたのお母様もきっと、あなたともう一度会えることを願ってらっしゃるはずよ」

「そうですね……そうだといいな。いや、きっとそうだと信じて、またイチから出直します。本当にありがとう、Mrs。良いクリスマスを」

「ええ、あなたもね、イヴァン」

 当たり障りのない別れの挨拶をして、俺はばあさんに背を向けた。

 そうしてとぼとぼと歩き出しながら、口には〝してやったり〟の笑みを刻む。

 そこから先の仕事は単純だった。ばあさんの証言の裏づけだ。

 俺はそれから3日間、クレイトンの監視を続けた。クレイトンの家からは見えない位置に車を停めて、そこからじっと玄関先を見つめ続けたのだ。

 至極退屈で骨の折れる仕事だったが、成果はあった。

 クレイトンはまるでロボットみたいな男だ。毎日朝の9時半ぴったりに家を出て、近所にあるセントポール・ルーテル教会の礼拝へ行く。そして11時ぴったりに帰宅し、14時15分になると家を出てポストの確認をする。

 極めつけは20時半だ。この時間になると必ずクレイトンの家の玄関をピザ屋のバイトが叩く。どうもクレイトンは毎晩の食事をピザ屋の宅配に頼っているらしい。ロシア系のくせにピザ好きとは、とんだイタリア野郎だ。

 張り込み開始から3日目の晩。俺はそのピザ屋のバイトを車で尾行けた。

 俺よりも少し若いくらいの、平々凡々とした顔のバイトだ。この仕事にやりがいを感じているのか、ピザ屋のダサいロゴ入りバイクを上機嫌で走らせている。

 勤め先の勤務体制がどうなっているのかは知らないが、この3日間、クレイトンのところにピザを届けたのは毎回このバイトだった。

 だとしたら明日のピザを運ぶのもこいつの可能性が高い。俺はバイトがピザ屋へ戻るまでの道を記憶すると、やつが店の裏手でバイクを降りたところに車をつけた。

「やあ、いい夜だな」

 運転席の窓を開けて気さくに声をかける。

 ピザ屋のバイトもそれに気づいて、ぽかんとしながらこちらを向いた。

「ちょっと道を聞きたいんだが」

「はい、どちらまででしょう?」

「スーパー・エイト・モーテルだ」

「ああ、それでしたら……」

 と、好青年は親切に道案内を始める。

 ちなみにスーパー・エイト・モーテルというのは、現在俺が宿泊している宿の名前だ。道順なんてこいつに訊かなくても分かる。

「そうか、分かった。ありがとう、助かったよ。こいつはお礼だ」

 心にもないことを言って、俺は窓からチップを差し出した。

 するとバイトはパッと目を輝かせて嬉しそうに寄ってくる。分かりやすいやつだ。この間のばあさんといい、田舎者は騙しやすくて助かる。

「ところで、ここのピザはうまいのかい?」

「ええ、もちろん。トロイで唯一のピザ専門店ですから。店内には立派なピザ焼き窯もありますよ」

「へえ、そいつはいいな。頼めばモーテルにも届けてもらえる?」

「Sure。喜んで」

「じゃ、店の電話番号教えてよ。明日はせっかくのイヴだってのに、仕事でモーテルに缶詰めなんだ。それならせめてうまいピザでも食べないと、やってらんないよ」

「はは、それは災難ですね。ちょっと待って下さい」

 少し多めのチップが効いたのか、バイトはにこにこしながら店の番号を紙に書いてくれた。俺は礼を言いながらそれを受け取って、ときにふとバイトが被っている赤と紺のツートンカラーのキャップを見やる。

「いい帽子だな、それ。イカしてるよ」

「そ、そうですか? ありがとうございます」

「君は明日もバイト? それとも彼女とデートか?」

「残念ながら僕もバイトですよ。せっかくのクリスマスなのに、彼女とは先月別れちゃって」

「Oh,sorry。そいつは悪いことを聞いたな。だが俺としては、寂しいイヴを過ごす同志が見つかって嬉しいよ。まあ、お互い頑張ろうや」

「そうですね。来年のクリスマスこそは、お互いいい相手と過ごせることを祈って」

 そう言って笑い合い、手を振って俺たちは別れた。冷たい風と一緒に粉雪が吹き込んでくる窓を閉め、煙草を咥えて車を発進させる。

 我ながらいい演技だった。転職するならセールスマンより俳優の方が向いてるかな?

 その晩、俺はモーテルに戻ると自作の銃の再点検をしてベッドに潜った。

 明日はイヴだ。そして日が沈めばクリスマス。

 クリスマスと言えば誰もがサンタクロースを思い浮かべるだろうが、何でもヨーロッパにはそのサンタクロースについてこんな伝説があるらしい。

 あの赤服のじいさんは2人の怪人を連れていると。

 その怪人の名はクランプス。

 半人半羊の化け物だ。

 〝クリスマスの悪魔〟と呼ばれるその化け物は、良い子にプレゼントを与えるサンタクロースとは真逆の存在で、悪い子に罰を与え地獄へと引きずっていく。

 そう。つまり俺は明日1日だけクランプスになるってことだ。

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