第17話 「戦争」の形。

 こんにちは、斑雪です。最近はもう全くカクヨムに顔を出しておりませんが、生きてます。(こんな駄文読んでくれている方は本当にありがとうございます)

 最近、某感染症はあまりゴタゴタ言われなくなりましたが、某国の「戦争」にかなり注目がいってるようで、国内でも様々なニュースが連日報道されています。

 まあ、かなり偏ってたりしますが、それは今の世界も同じなので、案外どの国も大変で考えることは一緒やなぁと思ってる次第です。

 今回のお話は題名の通り「戦争」のお話です。すこし過激なお話をするかもしれません。また、あまり個人、固有なものを特定しないよう、抽象的にお話しようと思ってますが、時々例として具体的なものを出してしまうかもしれません。そこはご了承ください。

 では、スタートです!


「戦争」が起きました。それは現代っ子達には衝撃的であり、この世界の古参勢も驚いたと思います。

 最近は多くの事件、紛争が起きてはいましたが、とても影響力のある感染症によりそのニュースが遮られていたような気がします。また、ストリーミングサービスやネットによってニュースではなく、自分が好きなものを観る人が多く、それが人々に「平和」を感じさせていた(そう感じたかった)のかも知れません。その平時が脅かされ、多くの人がその「戦争」に注目しました。しかもその「戦争」は私たちからすれば遠方で、世界の中心からは隣国でした。また、その「戦争」を起こしたのは超大国で、覇権国の1つでした。しかもこの「戦争」は超大国の防衛戦争とも解釈でき、一方で侵略戦争とも見られました。(これはです。別に私の考えではありません)

 その「戦争」は初め、すぐ終わるものと誰もが予想していました。私も数か月で終わるものと思っていました。そこまで「戦争」には詳しくなく、文民ですのでそのお国柄やパワーバランスにしっかりとした理解があったわけではありませんが、その超大国の強さはよくインターネットで語られていましたし、作品では主人公のな敵ないし、その協力者でもありました。そんな超大国に小国は負けてしまうだろうと、そう考えていました。

 ただ実際には違いました。「戦争」が終わらないのです。最強主人公に立ちはだかる最強の敵が、小さなものに勝てないのです。イメージとしてはとても意外でした。(別に小国に負けて欲しいなんて考えていませんが)

 そして同時になぜ勝てないのかも考えるようになりました。


 なぜそんな超大国、覇権国家の一つが小国に「戦争」で勝てないのか。それは「戦争」がいかに難しく、そして複雑であるかでしょう。

(今からは持論と謎の考えになりますし、少し説明する順番を変えますので、分かりづらいでしょうが・・・)


 一に、時代がそれを加速させているでしょう。

 昨今、ネットワークがあり誰でも情報を獲得できます。(規制されている国はこの限りではありません・・・)そしてSNSがその役割に大きな活躍を見せています。その「戦争」の映像や、その「戦争」の惨状、憶測やフェイクニュース、そして興味関心を誘導するように「おすすめ」「トレンド」を表示します。つまり、自分が好きなものを見れるものが、ある種の武器になっているのです。時代が加速させているそれとは、情報の量、世論が情報に触れれる機会が多くなったということです。そのおかげで簡単に悪者を作れますし、その悪者はどこまであくどいことをし、そしてどのように世界に害をなすかを知らしめることが出来ます。


 一に、それこそが「戦争」を複雑にします。

「戦争」とは醜いものです。武器を使用し、人を合法的に殺めます。一切の合理性を感じない時すらあり、話し合いすら無いようにも感じます。暴力は悪者と言っている大人たちが国全体で暴力装置を起動しているのです。「戦争」のイメージはまさに暴力でしょう。しかし、大きくなった暴力だけでは「戦争」と言えるのか、そこはよく考える必要があります。答えから述べましょう。「戦争」は暴力だけでなく情報の戦いでもあります。むしろその情報が暴力を複雑にし、「戦争」へと昇華しているように感じます。「戦争」と言えば醜く、悲惨で、暴力的なもの・・・この情報すらも「戦争」の一つなのです。そしてその情報の用法でさらに「戦争」の行く末、勝敗までも決め切ることが出来るのではないかと思います。いや、「戦争」するかすらも決めれるのです。この複雑に絡み合った情報、そしてその量こそが「戦争」を複雑にします。


 一に、情報は「戦争」の形を決める武器となる。

 情報は昔から「戦争」の大切な手段として利用されてきました。その情報戦は私たちがよく知っている日露戦争でも活用されていますし、その後の世界大戦でも勝敗に大きくかかわりました。昔から情報は敵国の中身を壊すために、反社会的な、反政府的な人、思想家、革命家、その様々な人に情報を与え、敵国を戦争どころではない状況へ追いやります。はたまた、へんな要求を突き付けてきた調子づいている新たな覇権国を、その情報を他の覇権国にリークすることで孤立させることすらできます。

 それほどまでに情報とは昔から「戦争」に貢献してきました。むしろその情報をどのように扱うかで戦争に勝てるかすら変わってきます。


 そして今日、ネットワークによりその情報がとても素早く伝わり、さらに政治の根幹である大衆に(ただですら民主的な国が覇権国のなか)、迅速かつ簡単に共有される世界となってしまいました。

 確かに世界の閉鎖的な国はそのネットワークを制限することでうまく国をコントロールしているのかもしれませんが、世界全体は無理でしょう。そして戦争中、敵国ないしは敵国の味方にその情報ネットワークの総締、すべてのネットワークを牛耳る国がいたとしたら……


は昔から変わっていません。すべては情報をうまくコントロールし、暴力を発揮する。これにつきます。しかし、「戦争」の最も重要ながこの半世紀で大きく変化しました。その『情報』の形について行った、もしくはその形自体を変化させた国、その国が世界の覇権国となるのでしょう。



 さて、最後に少し話は変わりますが、最近我々のお隣さんが様々なSNSを作り、様々なインターネットを開発しています。その国は世界で最も国民が多く、古くは昔もっとも大きな覇権国となった国の近くに位置します。この動きは果たして何を意味しているのか、このことは歴史が証明していると思ってよいのではないでしょうか。

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気まぐれ。評論文及び意見文 斑雪 @yukidayo

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