エピローグ

29. 狂血のチェイサー

 セイジたちが去ったタツカラを、以降一年にわたり、大量の転移陣が襲い続けた。

 都市規模のものが二回、これでまた一つ廃棄都市が生まれる。

 公園程度の大きさなら五十以上、家屋サイズは数えるのも面倒な頻度で発生した。


 連鎖転移とも呼ばれたこの現象は、人々のパニックを招く。

 もう国を捨てるべきだと主張する者も多く、国軍まで駆り出して不安の鎮静化が図られた。

 連鎖が終われば、今度こそ転移とは無縁の未来が待っているのだと、政府は懸命に広報宣伝を繰り返す。

 根源の破壊によりエネルギーが飛散しただけで、連鎖現象はいつまでも続くものではない――そんな研究者たちの見解は、一年を経てようやく実証されていった。


 転移頻度の低下、各転移円の縮小傾向が、数値として疑いようが無くなったのは二年目のことだ。

 三年目には総数で三十六件の発生に留まり、四年目には大規模転移が見られなくなった。


 短期間で転移が頻発したことで、研究も飛躍的に進展する。

 特務部隊はチェイサー顔負けの突撃精神を発揮して、次々と貴重なデータを持ち帰った。

 転移予報の精度は向上し、避難勧告が半月前に出されるほどに早められる。

 この五年目の成果を以って、遂に年間の人的被害は一桁にまで抑え込まれた。





 ここまで来ても、転移陣の出現はゼロではない。

 転移が在るのなら、遺物もまた数を増やしているということ。チェイサーやスカベンジャーも、未だに活動を続けていた。


 久々に中規模転移が発生しそうだとの連絡を受けて、ニキシマはテダを伴ってタイザを出る。

 かつての追跡屋仲間が残した“黒熊”に乗り込み、車で北上すること三時間半、第九再建都市の近郊が彼らの目的地だ。

 黒熊の後ろには、チームの仲間が三台に分乗して車を連ねていた。


 運転役を務めたテダは暇を持て余し、車中で何度もニキシマへ話し掛ける。

 しかし、危ないから黙れと言われ、助手席で寝たフリまでするチームリーダーに、テダも最後は会話を諦めた。


 第九都市は、ニキシマに居心地悪い記憶を呼び覚まさせる。

 瘡蓋かさぶたで閉じ隠した、古い傷が一つ。

 その傷に触る、まだ新しい思い出がもう一つ。

 国の連中も余計なことをしやがって――そう愚痴りたくなるのを、彼は咳払いで誤魔化した。


 かつてまだ血気盛んだった頃、ニキシマは大物の遺物を求めて、大型転移へ突っ込んだことがある。

 妻と二人、チームのサポートも無く、まるで狂血を思わせる無謀さだ。


 誰よりも早く、転移地の中へ。

 逸る気持ちが、突入のタイミングを誤らせた。

 接近し過ぎた彼らの車は、導雷に貫かれて、転移地の外縁部で立ち往生する。

 もちろん、中の二人も無事には済まず、ニキシマは気を失った。


 再び目覚めたのは、転移現象が終息したあとだ。

 縦に半断された車の残骸から抜け出るのに、三十分は格闘しただろうか。

 この時から彼は、車と同様に半分の人生を歩み始める。


 意識を手放している間に、妻から握らされたらしい指輪は、彼を転移エネルギーから守ってくれた。

 そう、偶然、転移の境界線にいたから助かったのではない。指輪が守ったのだと、ニキシマは固く信じている。


 第九都市に到着した彼は、郊外の予測ポイントへ行く前に食料品店へ寄った。

 また人が移り住み始めた街には、商店やレストランも開業中だ。白ワインをボトルで購入して、東端の市場近くへ赴く。


 転移線の面影も、ほとんど判別しづらくなった。路傍の岩が綺麗な切断面を残していなければ、そこだと気づけなかっただろう。

 テダたちが車で待機している間、彼は独り地表だけを見て目的の場所を探す。

 汲み出しポンプのすぐ近く、現在は花壇になった街路脇がそうだと見当を付け、ボトルの栓を抜いた。


 葡萄ぶどうで作ってないのに、ワインだなんておかしい――そんな苦言を呈した、若い娘の顔を思い出してしまう。

 地表に中身を注ぎながら、結局彼は深い溜め息を吐いた。


 仇を取れる、そう考えたのは間違いだったのだろうか。

 世界は救われた、それで納得していいものなのか。


「お前なら、何て言うかな……」


 空のボトルを握ったまま、ニキシマはうつむいた顔を上げようとしない。

 髪には白いものが混じり、近くを見るのに目を細めるようになってしまった。何を引きずっていようが、時間だけはキッチリと過ぎていく。


 遅くなった彼を呼びに、すっかりたくましく成長したテダが駆け寄って来た。


「そろそろ始まります。急いでください」

「分かった。行こう」


 因縁の地であろうが、彼もまた筋金入りの追跡屋チェイサーであり、本分をないがしろにしたりはしない。

 特務部隊からは進入許可証まで発行されており、せっかくの中規模転移を見逃してはばちが当たる。


 車を走らせた彼らは、予測地の外で待機する他チームの車両へ合流した。

 特務部隊が道路を封鎖しており、転移の完了が確認され次第、進入合図が下される。

 ニキシマたちの役割は遺物の収拾で、部隊とは協力関係にあった。追跡屋稼業は、もう久しく半官半民の仕事である。


 忙しく走り回る隊員、計器の調整を繰り返す追跡屋たち。

 転移規模の予測も正確で、彼らのいる場所に危険が及ぶことはなさそうだ。


 導雷が轟き、前方に陣が層を成して展開する。

 いつ見ても美しく、危険な青い渦に見とれそうになった。


「収束確認、遺物収集者は中へ!」


 音が静まり、十分以上が経過してようやく、部隊から通行許可が発令される。

 エンジンを掛けるテダを横目に、ニキシマは後方へ振り向き、この地に来て初めて空を見上げた。


 渦よりもずっと薄い、平穏そのものな青空。

 空に刺さるような、白いタワー。


「こんなもん、何が記念だ……」


 動き出した車の中で、彼は“終息記念・・・・”の尖塔に毒づく。

 帰って来なかった仲間を思い出させるタワーの存在が、彼を第九都市から遠ざける二つ目の理由である。

 一本道を走り、林に差し掛かろうかという瞬間、ニキシマが大声で叫んだ。


「ブレーキ! 左へ曲がれ!」

「左って、薮じゃないですか」

「突っ切ればいいだろっ、いたんだよ!」


 この十年間、彼らの顔を忘れたことは無かった。

 救世の英雄、と呼ばれる三人だ。しかし、そんな二つ名は、彼らに相応しくないとニキシマは思う。


 黒熊に気づき、手を振る男は、やはり彼が知る若者たちだった。

 上下に跳ねまくり、道無き薮を走破した黒熊が、腕組みして待つセイジの前で急停止する。

 車から飛び出したニキシマは、精々厭味を言ってやろうと、三人の前に進み出た。


「お前ら、遅いんだよっ。何年待たせ……」

「何年?」


 ピンと来たミサキが、口を閉じたニキシマの代わりにテダへ質問した。

 今はいつ・・なのか、と。

 セイジたちが消えてから十年の月日が流れ、タツカラは復興の途上だ――そう教えられると、彼らも暫し絶句する。


 ヒナモリ、いやマレーンが「飛沫ね」と簡潔に事態をまとめてみせた。

 膨大なエネルギーで跳んだ時間が、十年で済んだのなら上出来だ、とも付け加える。

 そう言われて改めて街へ視線を向けたセイジは、復興を果たした新築ビルに頬を緩めた。


「成功したってことだな」

「そうさ、棄民の数も激減したし、シェールやクラネガワも今や復興本部の役員様だ」

「へえ」


 セイジはしばらく面白そうにタワーを眺めていたが、飽きたと言わんばかりに頭を振る。

 ニヤリと口角を上げた彼は、拳を握り前へ掲げた。

 ニキシマがそれに応え、自分のかさついた拳で突き返してやる。


「……まあ、うん。オッサン、ちょっと見ないうちに老けたなあ」

「馬鹿野郎、何がちょっとだ。お前らがいねえから、遺物調査が面倒臭かったんだぞ」

「なんだよ、宿題でも溜まってんのか?」


 機能が解明されていない遺物は数十、ゲートらしき遺跡も四つ発見されていた。どれもニキシマや特務部隊では、起動すら出来ない難物だ。


「とりあえず飯にさせてくれよ」

「そうだな。積もる話なら、いくらでもある。お前も質問だらけだろうし、食いながら――」

「あー」


 セイジはミサキに視線を遣り、何を通じあったのか、長話は要らないと宣言した。


「ゲートがあるんなら、起動してみようぜ。どこに通じてるのか気になるだろ」

「早速か! お前は、まったく……」

「休むのは、性に合わねえんだよ」


 起動者なら、何だって動かしてみせるだろう。だが、その呼び名も、彼には似合わない。

 遺物調査はテダの指揮に任せ、ニキシマとセイジたち三人は黒熊で街を目指した。


 腹拵えをしたら、次の獲物を追う。そんな足が先に動くような連中だからこそ、ニキシマも命運を託したのだ。

 十年前に自分が下した判断は、間違っていなかったと、ニキシマは誰にともなく心中で報告する。


 セイジとミサキの二人は、いや、今はマレーンも加えた三人は、止まることを知らない狂血だ。


「お前らは、チェイサーだ」


 何を今さら、と彼らは顔を見合わせて笑う。


 手掛かりは、いつも走った先に在った。

 これまでも、これからも。


 







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狂血のチェイサー 高羽慧 @takabakei

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