序章 9
風が、松の木の青い枝に付いた雪を払う。静かに雪の落ちる音がした。
立ち止まったのは、廃れた山の神のお社の前。
小さなお社だった。
隣には、丸くて可愛いイザナギノミコトとイザナミノミコトがいる。
そのほほえみが向かうのは、この私と災いだ。
いくら調べてもその意味が分からない念仏を唱え、私はやっと、荷が下りた。
あの山の神と道祖神の背には禁域が広がっている。あそこに踏み入れたなら何が起こるだろう。
私と父は知っているのだ。
あそこに踏み入れても、何も起きない。神も居なければ、人もいない。
捨て置かれた風習だけが落ち葉に埋まり、何年も何年も重なって朽ちている。
神を背中からおろして、おさまるべき場所におさめ、ため息を吐いた。
私には本当に特別な力などないのだ。
テレビアニメや児童書に描かれたような魔法とか、そういうものは私にはないのだ。残念だな。
そう思った時だった。
「ユヤ。大丈夫か」
空耳だろうか、人の声がする。
私以外誰もいないはずの場所で、幼い声がする。何度も何度も私を呼んでいる。
神はこんな声の持ち主なのか。
獣道と化した参道の坂道を登ってくるその姿は、ショウヘイの姿をしていた。
「あなたは誰」
私が聞くと、ショウヘイの姿の神は私にげんこつを落とした。
「心配してきてみれば、あなたは誰とか、ふざけんな」
「ここは禁域の近く。私しか来られない場所なのに、まさか、本当にショウヘイ君なの」
「ああ」
肩に触れることができる。息はあがっていて、肩で呼吸している。人間だ。
「何でここに」
「お前、あんな目にあって、しかもこんなことまでさせられて、大丈夫か」
あんな目とは、こんなこととは、いったいなんだろう。
「自分で分かっていないのか。あれはイジメだよ。お前、可哀想だな」
ショウヘイは見ていたのだ。
話を聞けば、クラインガルテンの自宅からふと、地域の人々の行列が見えたので何かと思い、後を追ったとのこと。
それを近くで見れば、神輿に私が乗せられていたのだ。
「市中引き回しの刑とかいうやつかと思ったわ。時代錯誤も甚だしい」
ぷっと私が噴き出すと、ショウヘイは私の体を、ケガがないかと見回した。
「大丈夫だよ。私は、あなたの方が心配。災いを背負った曲原の人間をここまで追ってきた村人には、疫病で亡くなった亡霊とか災いを運んできた悪霊がとり憑くらしいから」
ショウヘイは動じなかった。
「そりゃ恐ろしいな、とか言えばいいのか。残念ながら俺はそういうのは信じないんでね。それよりお前、独りで泣いてんのかと思った」
私は、図星をつかれたわけでもないのに、ぽろぽろと涙がこぼれてきた。
この涙の意味は、念仏の現代語訳と同じように、この時はわかっていなかった。
綺麗な太陽だな。
まぶしくて、たまらない。自分で輝ける星、自分が熱を発する星。
太陽はここにはない。
私は、ショウヘイの背に太陽を見ていた。幻の太陽だ。
「やっぱりな。我慢していたんだ。もっと前から素直になって良かったんだよ。泣きたい時に泣いて、怒りたい時に怒れよ。俺は、あいつら間違っていると思う。自分から可哀想になろうとするな。自分の心くらい自由でいろよ。自分の幸せは、自分で勝ち取れ」
幸せは勝ち取るもの。真実は他でもない自分が信じるもの。正義は奪い取るもの。
あなたはそう言って私を見た。
何も背負わない、小さな、ただの私を。
幼い私は、その時、ショウヘイの虜となったのだ。
私は、最悪な災厄。あなたは、天才で天災。
最高にお似合いの二人なのでは、と思う。
新しい世界を見た気がした。
これまで長い間続いてきた悪習が終わる時が、この時なのだ。
神がこの寂しい世界を掃き清めてくれるという、雪の降り積もる向こうに、眩しい光を見た。
ヤンデレ最終形態。使用人頭にしてくれませんか? 久保田愉也 @yukimitaina
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