第14話 舞い込んだ告発状
赤いリボンタイ――2年生――の生徒は、摩耶を見て軽やかに笑った。
「じゃあ、とりあえず失礼しますわ」
滅茶苦茶な丁寧語を返して、摩耶は自分とは違う本物のお嬢様に個室を譲った。軽く会釈をして個室に入る後ろ姿を見送って、トイレを見渡した。
旧校舎のトイレは壊れている。水道が通じていないからか、本来の用途を為していない。つまりここは用を足すための場所ではなく、クラスから排除された生徒達の居場所なのだ。
綾耶もここに通っていたのかもしれない。その姿を想像した途端、摩耶の怒りの感情が一気に沸点に達した。綾耶を追い込んだ1年C組を許さない。摩耶は、憐れな生徒達の逃げ場を飛び出して、クラスへと舞い戻った。
*
「ぎゃあはははははは!」
あいなは、息を切らさんばかりの笑い声を忸怩たる思いで聞いていた。
「うう……あんまり笑わないでよ、エマちゃん……」
「諦めな。一回ツボったら三日間は同じネタで笑い続けるからさ、コイツ」
あいなが放送室で大失敗を晒した日の放課後。ケタケタ笑うピンク髪のエマを見上げて、あいなはため息をついた。あいなの机の上は、もはやエマの定位置だ。
「にしてもさ。アンタ全然緊張感ないよね」
「き、緊張はしてたんですよ? してたんですけど……」
「サイッコーのタイミングでクシャミだもんね~! くっ、くくく……!」
そしてエマは腹を抱え、あいなは恥ずかしさで頭を抱えた。
「あの放送、なかったことにしたい……」
「ま、結果的によかったと思うけどね、あたしは」
「どこかですか!?」
あいなの必死の抗議をさらりと受け流し、涼しい顔で七海は告げた。
「高坂と差別化できたっしょ」
「差別化……?」
七海はノートの余白に生徒会長選挙のチーム名を書き込んで、説明を始めた。
「あたしらの最大の敵は、『生徒会』。こいつらの売りは何だと思う?」
「それは……やっぱり生徒会だから慣れてることですか……?」
「それは長所でもあり、短所でもあるってこと」
七海は小さく頷くと、ノートに情報を整理する。
チーム生徒会:高坂美玲・比良野寧々。
長所:ベテラン執行委員。現会長、青山花蓮の推薦候補。
短所:強権的・恐怖政治体質。
「で、あたしらはどう? 長所と短所は?」
「ちょ、長所……?」
「は~い、あいなちゃんは超かわいい! パンツも白い!」
「だ、だから~っ!」
「あたしらの短所は、会長候補がクソドジパンチラ女ってこと。で、長所は反生徒会ってこと」
「クソドジパンチラ女……」
復唱して項垂れるあいなを無視して、七海はペンを走らせながら続ける。
「要するにあたしらは反権力。今の生徒会に批判的な連中の票はこっちに流れる上に、選挙管理委員は白河さんの女っしょ?」
「あいなちゃんが取引してくれるなら、26条思いっきり犯しちゃってもいいんだけどな~?」
汚職など知ったことかと舌舐めずりするエマに、あいなの頬はみるみる赤く染まった。取引されるものが何かなんて聞くまでもなく明らかだ。
「根回しも必要だよ、白河さん。手強い敵を倒すなら、味方は多い方がいいから」
「お待ちしてま~す」と笑うと、エマは七海のノートに書き加えた。
チーム清澄白河:白河あいな・清澄七海・逢坂エマ。
長所:反生徒会。超かわいい。
短所:転校生。クソドジパンチラ女(白)。
「で、でも候補者は私達だけじゃないですよね? あの不良――じゃなくて、お二人も出馬するって言ってたような」
「ミシェルともえは受理してないけどね。ホントは無視したいんだけど~」
選挙管理委員であるエマの元には、すべての立候補者の情報が必然的に集まる。あいな達に協力的ではあっても、エマはあくまでも中立だ。立候補をはね除けるようなことはできない。
チームカリスマ:河合ミシェル・美園もえ
長所:男子生徒の強い支持基盤。
短所:バカ。
「こんなトコかな。アイツらの取り巻きの票数は、あたしらでも生徒会でも奪えない。ただ、組織票以外を集めるのに苦労するだろうね」
ノートに三つのチームを並べて、七海は背もたれに体を預けた。端的で分かりやすい七海の分析に、あいなは目を丸くするばかりだった。
「そうはいきませんよ、清澄七海!」
単身乗り込んできたのは、すっかりおなじみとなってしまったポンポコ声の寧々だった。あいなの頭にぎゅうぎゅうに詰め込まれた戦況分析が、即座にポンポコ寧々の姿で埋まる。
「ポンポコちゃん!」
「ポンポコちがう! 比良野寧々!」
何の意味も成さない威嚇をすると、寧々は七海を指さした。関わりたくないとばかりに帰り支度を始める七海に向けて叫んだ。
「私と勝負してください、清澄七海!」
七海は鞄に筆記用具を入れる手を止めた。冷ややかな視線で寧々を突き刺す。どうやらそれが想像以上に怖かったのだろう、寧々は一瞬怯んだが、臆さずポンポコ立ち上がる。
「しょ、勝負するんですか! しないんですか!?」
「アンタの親玉の入れ知恵?」
「コーサカ先輩には言ってません! 私の独断です!」
突如目の前で起きた七海への宣戦布告に、あいなはよく分からない様子で当事者の顔を見渡していた。眉をつり上げて怒る寧々に、怖いくらいに涼しい顔の七海、そして隙あらば笑おうとニマニマするエマ。結局誰の顔色を見ても、話は見えない。
「えっと、寧々ちゃん? その勝負って言うのは……?」
寧々はフンと鼻息をひとつして、あいな達に歩み寄る。そして周囲に漏れないように声のトーンを抑えて、小さな便せんを机の上に置いた。告発状、とある。
「……今朝、生徒会の目安箱を確認したら、これが入っていました」
水玉模様の可愛らしい便せんにしたためられた内容は、不釣り合いなくらいに差し迫ったものだった。
『告発状。
私は、とあるクラスでのいじめの事実を知っています。被害者を守るため、どのクラスであるか明かすことはできません。
ですが、あなた方が生徒のために行動する生徒会であるのなら、お願いします。被害者である彼女を救ってあげてください』
「いじめの告発状です。こういうことする人達は、本当に、許せません……!」
唇を噛んで、告発状に目を落としたまま寧々は怒りに震えていた。曲がりなりにも生徒会執行委員だ、正義感の炎を燃やしているのだろう。
「とにかく、この犯人は罰せられなければいけません。ただ……」
言い淀んだ空白の中、告発状を読み終えたあいなはようやく気付いた。
「これ、被害者も加害者も、差出人の名前もないね」
「だから手伝えって? 生徒会執行委員の仕事をあたしらにやれって言ってんの?」
冷ややかな七海の態度に、さしもの寧々も言葉を詰まらせた。
「で、でもいじめが起こってるんですよ! 会長候補なのに放っておいていいんですか!?」
「自分達のやったことは棚上げってワケ? エマの髪を滅茶苦茶にしたこととかさ」
「それは関係ありません! 校則を守らないのがいけないんです!」
「あっそ。どうなの、選挙管理委員さん」
「や~。生徒会執行委員の仕事を立候補者に丸投げするのは、干渉じゃないのかな~?」
静かに微笑むエマの干渉という言葉が応えたのか、寧々はそれ以上言葉を継がなかった。正義の炎は一気に消沈した。
「……もういいです。この件は私ひとりで――」
「待って! 私、手伝いたい!」
あいなの宣言に、三人分の動揺の声が響いた。
*
机の中に忍ばせていたスマホを回収して、摩耶はイヤホン越しに昼休みの教室の会話を聞いていた。摩耶の予想通り、聞こえてくるのは綾耶に対しての罵詈雑言のオンパレードだ。
クラスの女子ばかりか男子までもが、綾耶の言動について話し、時折机を蹴るような物音も録音されている。想像していたことだが、綾耶を取り巻くいじめは相当に根深いらしい。
「群れなきゃ何もできない雑魚のくせに」
人気の少ない旧校舎の片隅、屋上へ続く階段に座り込んで、摩耶は内心煮えくり返りそうな怒りに拳を震わせた。この証拠を教員に突き出して罰してもらう程度では、腹の虫が収まらない。一生掛かっても癒えないような傷を負わせないと気が済まない。
「……あら、またお会いましたね」
聞き覚えのあるお嬢様口調に、摩耶は瞬時に綾耶へと表情を切り替えた。怒りを綾耶っぽさで覆い隠して、目の前の二年生に向けて微笑みかける。
「あ、あら。ごきげんようございますわ」
「ご機嫌よう。お隣、いいかしら?」
「え、ええ。よくってよ?」
育ちのよいお嬢様口調というものがよく分からない。焦りながらも必死に言葉を絞り出して、摩耶は隣に座った本物のお嬢様をまじまじと観察した。トイレの埃っぽい匂いの中では気付かなかったが、品のよい香りが彼女の周囲に漂っている。おそらく、おフランスのお高いシャンプーかボディソープを使っているのだろう、と摩耶は貧困なイメージで勝手に結論づけた。
「……実は、以前にも何度か貴女をお見かけしていて。覚えていらっしゃる?」
お嬢様の問いかけに、摩耶は焦った。摩耶が彼女を見かけたのは、昼休みのあの一件だけ。それ以外で出会っているとすれば、それは摩耶ではなく綾耶だ。
「す、すみませんわ。私、目が悪くて、耳も悪くて。あとその頭も悪くてちょっと記憶があやふやでして。今思い出しますので! えっと~……」
「ふふ、無理しなくともよいですよ。こうしてお話するのは初めてですもの」
「で、ですわよね!」
内心、ホッと一安心した。この二年生と綾耶が何かしら繋がっていたら、摩耶の計画に綻びができることになる。この学校で、摩耶と綾耶がすり替わっていることを知っているのは、幼馴染みで共犯者のさやかだけ。
さやか以外は信用できない。このお嬢様のみならず、お昼の放送で盛大にやらかした白河あいな達会長選挙の立候補者も。
「
突然の自己紹介に、何を言われるかと身構えていた摩耶は放心した。しかし、妙な動きで勘づかれる訳にもいかない。すぐに綾耶の名前を名乗って、お嬢様――姫島華の顔と情報を記憶した。
2年B組。それは、さやかのクラスだ。
「ぐ、偶然ですわね! B組には幼馴染みが居るのですわ! お、押桐さやかさんをご存じ?」
何とか共通項を挙げると、華は俯いた。
「……ええ、クラスメートです。ほとんど話したことはありません」
「そ、そうなんですのね……」
柔らかだった華の雰囲気が一変した。透き通るような肌が、さっと青白く変わる。摩耶はその変化を見逃さなかった。ここのところ毎日、見飽きるほど見た妹の綾耶と同じ顔色だったからだ。
途端、摩耶のスイッチが切り替わった。抑え込んでいた怒りが噴き出したのだ。
「……つかぬ事を伺いますが、姫島先輩。あなたはクラスでいじめを受けていませんか?」
華は虚を突かれたように、体をぴくりと震わせた。蒼白な顔は驚きと恐れと、今にも泣き出しそうな悲しみが浮かび上がっている。答えは聞くまでもなく明らかだ。
「そのいじめにさやかは荷担していますか? もし荷担しているなら言ってください。ここに呼び出して、締め上げて、土下座させます」
「お待ちになって。押桐さんは悪くありませんの……。だって、私を庇ったりしたら彼女まで……」
摩耶は素早くスマホを操作して、さやかを呼び出した。
「綾耶さん、いったい何を……」
「いじめの事実を知りながら、何もせず無視してる時点で同罪です。幼馴染みとして友達として、私はさやかに忠告しなければいけません」
ふたりぼっち革命 ~ 蓮華ヶ丘生徒会戦争 パラダイス農家 @paradice_nouka
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