第13話 もうすぐ出ますので

『Good Afternoon,蓮華ヶ丘! ステキな昼休み満喫してっか!? 実は一昨日からサイッコーにクールなイベントが始まってるんだが……おっと、二年と三年はもう知ってるだろうから、ちょっとだけ黙っといてくれよ! これはオレら放送部に託された指命なんでな! だからよーく聞いとけ一年ボウズ!』

 放送室。エマと向かい合って座った男子生徒の声を、あいなは緊張した面持ちでガラス越しに聞いていた。ミキサー役の女子部員と息の合ったアイコンタクトを取る男子高校生のDJが思った以上に聞きとりやすくてあいなは驚いた。さすが都会の高校生である。ついでに言うと、一切方言が出ない――まるでテレビ局のアナウンサーみたいな標準語に一番驚いた。


 蓮華ヶ丘高校放送部。文芸部同様に由緒ある部活である放送部は、生徒会長選挙の告知や政見放送を行うよう校則第28条に規定されている。が、やっていることは9割9分賑やかしだ。もっとも、生徒会長選挙をここまで盛り上がるイベントに育てたのも放送部である。『会長選挙にエンタメを、学校政治にユーモアを』を標榜する彼らの放送は、必然的にとにかく軽い。

「清澄さん、大丈夫ですか?」

「コーサカ先輩、どうしたんです?」

 金魚鉢の外に並んだあいなと寧々は、うずくまるそれぞれのパートナーに話しかける。

「気にするな、寧々……少し……」

「頭痛い……」

 これからこんな、スッカラカンの放送に参加しなければならない。それを思うとやりきれないとばかりに、七海と美玲は頭を抱えたままため息をついた。

 校則に向き合うスタンスは違えど、七海と美玲は似ている。同じようにパートナーを庇う寧々に笑いかけて同意を求めるも、寧々はポンポコ威嚇するばかりだった。タヌキは警戒心が強い生き物だから仕方がない。

『つーわけで、全員耳かっぽじって聞いてくれ! Come on Emma!!』

 金魚鉢の向こうで、選挙管理委員のエマがマイクに宣言した。

『創立50周年のメモリアルイヤーに生徒会長の座を射止めるのはどこのどいつだ! 蓮華ヶ丘生徒会長選挙2018! 開幕でーっす!』

 コールンドレスポンスとばかりに二、三年生の教室から地鳴りのような声が聞こえてきた。選挙が盛り上がる、とかつてエマに言われて不審がったあいなも、この声を反応を知って納得した。

『それじゃ、放送第一回目の特別ゲストを紹介するぜ。三ヶ月にわたる戦いに立候補した命知らずは、まずはこの二組だ!』

「はい。チーム『清澄白河』と『生徒会』入って!」

 せっかちな女子部員に背中を押され、あいな達は狭い防音室の中に入った。防音の都合、床も壁もポリエステル製の絨毯だ。埃っぽい空気があいなの鼻腔をくすぐった。

 余談だが、生徒会選挙の候補者は放送部が決めたチーム名で呼称されるのが通例だ。あいなと七海の場合は、二人の苗字と地下鉄の駅名を絡めて『清澄白河』、美玲と寧々は『生徒会』だ。なお、まだ正式に立候補は決まっていないものの、ミシェルともえは『カリスマ』という名で呼ばれることになるらしい。候補者の特徴をこれ以上なく伝えたあだ名だろう。

 あいな達の準備が完了し、女子部員のCueが入る。DJはアイコンタクトを一つして、軽快に舌を回した。

『一組目の立候補者は、白河あいな! 覚えてるかブラザー&シスター? 白河あいな嬢は記憶にも新しい、あの転校生だ! 右も左も分からねえにも関わらず立候補してくれた勇気ある転校生に喝采を!』

 防音室の中では聞こえないが、外では拍手や喝采が聞こえるのだろう。ガラス越しの眼鏡の女子部員が、まるで指揮者のように拍手が鳴り止むまでの間を取っている。スケッチブックには『ちょっと歓声少なめ』と書いてあった。途端、DJは手元の資料を目で追ってアドリブを効かせる。

『なんだなんだお前ら、転校してきたばっかの生徒を会長に担ぎ上げるのは不安ってか? でも大丈夫だ心配は要らねえ、白河あいな嬢を補佐する副会長は、元生徒会の急先鋒、清澄七海だ!』

 ガラス越しのスケッチブックには『動揺すごい。もっと煽って!』とあった。昔の七海はすごかったというのもあながち間違いではないのだろう。

『んじゃあ、さっそく意気込みを頼むぜ白河あいな!』

 男子生徒もエマも、そしてガラスの向こうの女子部員もマイクを指さしていた。これに意気込みを語れということだろう。名前を言う程度だと聞かされていたあいなは大いに動揺した。

「えっ、えっ!? い、意気込みって!?」

「……なんでもいいから」

 七海に耳打ちされて、あいなは息を吸い込んだ。吸い込んだはいいが、埃っぽい空気が鼻の穴に入り込んでしまい、むずむずする。

 今出してはいけない、今だけはいけない。必死さの欠片もない必死な表情を放送室じゅうに晒して何とか堪えようとしたあいなだったが、ダメだった。


 *


『びゃっくしょい!』

「あはは! バッカだなーこいつ!」

 便座の上に胡座をかいていた摩耶は、放送にのってしまった大きなクシャミに笑った。だが、食べていた焼きそばパンの焼きそばを床にうっかりこぼしてしまって、次の瞬間には怒りの矛先を向けていた。

「くっそー! 白河あいな! 私の焼きそばパン返せ!」

 長いポニーテールを震わせて、摩耶は勝手にキレていた。


 和久井家姉妹の双子の姉、摩耶は昔から、こと妹のこととなるととにかく血の気が多かった。

 北の悪ガキに妹がいじめられた時は習ったばかりの空手で報復し、南の悪ガキに妹がバカにされた時は相手が泣き出すほどの理論武装で応戦した。東の悪ガキに妹がちょっかいをかけられれば、以前ちょっかいをかけてきた西の悪ガキを唆して東西冷戦を引き起こすような狡猾さも持ち合わせていたので、和久井摩耶の行く先々で涙と鼻水と血の雨が降った。

 至るところで血の雨を降らす摩耶と対照的なのが、妹の綾耶である。普通の両親と粗暴な姉に守られてすくすく育った綾耶は、どういうわけだかあまりにも穏やか過ぎる性格となった。言葉遣いはとても綺麗で、笑う時は相手に口元を見せぬよう手で隠す。所作も立ち居振る舞いも美しい。清楚な服装を好み、常にニコニコ笑っている。その様相はまさに王侯貴族のそれだ。

 なぜそうなったのかは摩耶にも、おそらく綾耶本人にも分からないだろう。きっかけは些細なものだったに過ぎないが、結果として一卵性双生児の和久井姉妹は、容姿こそソックリだが性格が180度異なる姉妹となった。それでも姉妹仲が良好なのは、互いのことを理解しているから。親子の縁や長年連れ添った老夫婦の絆すら越えうる理解が、摩耶と綾耶にはある。


 そうした理解があるからこそ、摩耶は気付いたのだ。

 綾耶が、登校を拒否して自室から出てこなくなるほどの、執拗ないじめを受けている。綾耶は何も語らないが、『何も語らない』という態度がより多くのことを雄弁に語っていた。双子の間で、隠し事はできないのである。


 誰かが入ってきた気配を察知して、摩耶は紙パックの野菜ジュースを吸いながら息を止めた。何者かがトイレをノックすると、「入っています」とばかりにノックが鳴った。その隣でノックが鳴るも、同じように返事が為される。どうやら旧校舎の女子トイレは、便所飯のメッカらしい。クラスに居場所がない生徒達が多いのだろうと摩耶は勝手に結論を出した。

 余談だが、摩耶が便所飯をしているのはクラスからの逃避ではない。いじめの証拠を見つけて主犯格をあぶり出すため、教室の机の中にスマホを仕込んで録音しているためだ。

 そしてノックの女子生徒は、最後に摩耶の居る個室の扉を叩いた。居場所のない生徒が居るなら明け渡してあげてもいいだろう。そう感じた摩耶は――綾耶として返事をする。

「しばし、お待ちになってくださるかしら。もうすぐ出ますので」

 言ってから、これだと便秘と戦っている人みたいだと気付いた。丁寧な言葉遣いは難しい。綾耶ならどう言っただろうかと反省しつつ、摩耶は扉を開いた。

 待っていたのは、赤いリボンタイが似合う女子生徒。ヘアアイロンの当たった艶めくロングストレートの毛先が、くるりと内側に翻っている。

 摩耶はひと目見て、綾耶と同じタイプの人間――お嬢様だと分かった。

「あ……」


「すみません、急かせてしまいましたか?」

 目の前の赤いリボンタイ――二年生の女子生徒の立ち居振る舞いを見て、摩耶は確信した。

 摩耶は経験上知っていた。女性は髪が長くなれば長くなるほど、風呂の時間が長くなる。摩耶のようにがさつな者はリンスインシャンプーで適当に終わらせるが、妹の綾耶は姉より長く風呂に入っている。それは念入りなコンディショニングのため。だから綾耶の髪はCMのように孔雀の羽のごとく綺麗に広がる。パサついた摩耶とは大違いだ。

 翻って、目の前の女子生徒はどうか。長い髪は艶めいていて、内向きのカールはまったくと言っていいほど崩れていない。時間とお金と心の余裕がなければこんなことはできない。

 つまり、彼女は妹の綾耶と同じタイプの人種――お嬢様だ。

「ああいえ、もう大丈夫ですわ。出ましたので」

 ただお淑やかに言えばいいというものではない。匂い立つような丁寧語を弄したところで、さしものお嬢様も我慢ができないとばかりに吹きだした。その所作は綾耶と同じ、口元を隠すように笑っている。

「ふふ、ごめんなさいね。なんだか可笑しくてつい笑ってしまったわ」

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