第12話 逆襲するは我にあり

「な、何やってるの摩耶ちゃん!?」

 池袋の街頭。頬を張られたエマを庇うあいなの許に、もう一人の少女が駆け寄ってきた。蓮華ヶ丘の二年生だ。

「不良を成敗しただけ! こういうヤツが居るから――」

「それとこれとは話が違うよぉ!」

 おろおろする生徒はエマとあいなの姿を一瞥すると、声を荒げた。

「この二人は二年生! 学年が違うの!」

「じゃあこのセーラー服も蓮華ヶ丘の生徒!? アンタも不良なのか!?」

 見た目だけ清楚な少女にすごまれて、あいなは一歩後ずさる。すかさず割って入ったエマが低い声で唸った。

「手出したら殺すよ?」

「殺せるモンなら殺してみろ!」

 ポニーテールを揺らして、少女はハッキリと叫んだ。白を基調にした、水色と紫の淡い色彩が格調高いワンピースタイプの制服には十字架があしらわれている。おそらく、ミッション系スクールの生徒だろうが、汝隣人を愛せよという聖書の教えは何ひとつ守られていない。

「だから違うの、摩耶まやちゃん! この二人は関係ないの!」

 一方、連れだっていた蓮華ヶ丘の生徒は、おそらくは天然パーマと思われる黒のショートボブ。制服を着崩していないきちんとした身なりは、どこか素朴な少女といった雰囲気を醸し出していた。

「うるさい! 私は絶対に蓮華ヶ丘を許さないからな!」

 捨て台詞のように言い置いて、摩耶と呼ばれた他校生は謝ることすらなしに去っていった。残された蓮華ヶ丘の少女がぺこぺこ頭を下げる。

「ごめんなさい! ケガはなかったですか!? えっと……?」

 少女の心配をよそに、エマは去っていく摩耶を無言でにらみつけていた。そんなエマに代わってあいなが自己紹介するも、少女はぺこぺこ頭を下げるばかりだ。

「私、B組の押桐おしきりさやかです! あの子は和久井わくい摩耶で……その……ちょっといろいろあって気が立ってるみたいで……」

「さやかーッ!」

 遠くから摩耶の声が聞こえて、さやかは「ごめんなさい!」と告げて走り去っていった。後ろ姿が人混みに紛れて見えなくなるまで、あいなとエマはその場に呆然と立ち尽くしていた。

「つかあたし殴られ損じゃん!? せっかくのデートが台無しだし!」

「ま、まあまあ……。また来ようよ……」

 あからさまに不機嫌オーラを放つエマをなだめながらも、あいなの脳裏には摩耶が残した言葉が染みついていた。

 蓮華ヶ丘を許さない。

 その時のあいなはまだ、摩耶の言葉や、彼女が放った気迫の意味など知る由もないのだった。


 *


 ふと、和久井と書かれた表札を見るのは何度目だろうとさやかは考えた。さやかがこの街に越してきたのが小学校入学前のこと。入学後すぐに家が近所だということでよく遊ぶようになって、それからはずっと、和久井家の呼び鈴を押すのがさやかの日課になっている。

「おはよう、さやかちゃん。もうちょっと掛かりそうだから上がってて」

「はーい」

 長年の付き合いで勝手知ったる和久井家だ。和久井家の母親にインターホン越しに挨拶して、玄関を開く。ちょうど和久井家の父親が出てきたので挨拶してリビングへ向かった。テーブルには二人分の朝食が置かれていて、ちょうど彼女が優雅に朝食を取っていた。

「おはよう、さやかさん。もう少し待ってくれるかな」

「あ、うん……」

 淑やかに清楚に、忙しい朝を感じさせないほど余裕を讃えてロールパンを小さくちぎっている。そんな彼女の様子をしげしげ眺めていると、和久井家母の声が聞こえた。

「さやかちゃん、戸締まりよろしくね!」

 和久井家母は、いつも他人であるさやかに戸締まりを頼む。おそらくは冗談半分なのだろうが、信頼しているからこそ言えることだ。実際、さやかにとっても和久井家は第二の家族。だからしっかり守らなくてはと思う。

「うん。行ってらっしゃい、おばさん」

 共働きの和久井家の朝はいつも忙しない。両親共に始業時間が早い職場ゆえに、家族が顔を付き合わせて朝食を取るなんて団欒の時間はほとんどない。


 だから、両親は気付かないのだ。

 ――自分達の娘が、すり替わっていることに。


「……行った?」

「行ったよ。えっと……ちゃんって呼んだ方がいい、かな?」

「そうして。綾耶って呼ばれるのに慣れときたいから」

 両親が居なくなった途端、彼女はロールパンを丸かじりした。スクランブルエッグを押し込み、ミネストローネで流し込む。先ほどまでの名家のお嬢様のような仕草はどこへやら。むしろそんなものは守ってられないとばかりに、ガツガツと食い散らかし、ウシガエルを踏み潰したようなゲップをしてみせた。

「やっぱり似合ってるね、蓮華ヶ丘の制服」

「むしろこっちの方が好きだな。ワンピースは窮屈で苦手なんだよね」

 ニヤリと笑うと、はその場でくるりと回った。白いブラウスに、一年生を意味する紺色のリボンタイ。グレーのプリーツが細かいスカートが波打つように翻る。

「……ということは、本当にやるんだね。バレないかな」

 不安を口にしたところで、彼女は鼻を鳴らした。

「バレるワケないでしょ。誰も気付かないって」

三田女ミタジョの方はどうするの? 欠席が長引いたら流石に……」

「黙って見過ごせると思う?」

「それは……」

 離席した彼女を見送って、さやかは耳を澄ませた。荒々しい洗面とトイレのドアの開け閉めは聞こえるが、本当に聞こえて欲しい音は聞こえない。せめて、一人分余った朝食のミネストローネが冷めないうちに、食べに降りてきてくれればいいとさやかは思う。

「行こ、さやか。案内して」

 リュックサックを背負った彼女は言った。

 蓮華ヶ丘を許さない。その意志が籠もった口調と瞳に押されて、根っからの臆病者のさやかもようやく、彼女の共犯者となる決意を固めた。

「そうだね、ちゃん」


 蓮華ヶ丘高校、校舎四階。階段を上がった先、長い廊下の真ん中に、一年C組の札がせり出している。それ自体はどこの学校にもあるオーソドックスなものだ。

 違和感のあるリボンタイを締め直して、綾耶は歩き出す。標的は1年C組、開け放たれた教室の中に足を踏み入れた。

「おはよう」

 途端、1年C組の生徒達はそれまで続けていた歓談をぴたりと止めた。

 綾耶の挨拶に、返事は返ってこなかった。だが、それは思惑通りだ。綾耶はすぐさまクラス全員の顔を見渡し、その表情をひとりひとり検分していく。まるで犯人捜しをするように。わずかな動揺でも見逃すつもりはないとばかりににらみつける。

 そして綾耶は確信した。


 和久井綾耶が不登校になった原因は、この蓮華ヶ丘に原因がある。


 ぐるりと教室を見渡し、綾耶は座席表を確認するまでもなく自分の席を理解した。

 机に花瓶が置かれ、花が生けられている。

 座席に近寄ると、机に並んだ無数の罵詈雑言が見てとれる。

 バカ、アホ、ブス、死ね、キモい、消えろ、帰れ。

 小中学生レベルの語彙力に、綾耶は思わず笑ってしまった。ここまで低レベルの行為を晒して平気でいられるような、相当に頭が悪い連中なのだ。そして同時に、はらわたが煮えくり返るほどの怒りがこみ上げた。この程度の知能しかないような阿呆どもに、彼女は居場所を奪われたのだ。おおよそ生きる価値のない、こんな人間のクズどもに。

「なあ、花瓶退けてくんないか?」

 大声で、クラス全員に聞こえるように綾耶は告げた。聞こえないはずはない、教室中に響く声で、1年C組の全生徒に対して最後通牒を突きつける。

 当然、綾耶の言葉に従う者は居なかった。全員、何事も起こっていないとばかりに聞こえていないフリをした。この時点で、綾耶のターゲットは決まった。そして――


 音を立てて花瓶が割れた。綾耶が、花瓶の乗った机ごと、全力で蹴っ飛ばした。床には花瓶の欠片と、その中身が散乱した。床に落ちたミニ向日葵の花を足蹴にして、これから先、お前達はこうなるとばかりに踏みにじる。


「……全員、覚悟しとけよ。お前らが、お前らの学校生活もメチャクチャにしてやるからな」


 生徒達は、驚愕と困惑の色を隠せなかった。

 そもそも、何が起こっているのか気付いていないのだ。

 自分達がストレスのはけ口にしてきた和久井綾耶に姉が居ることを。

 それが、声も顔も姿すらも瓜二つの一卵性双生児であることも。

 そしてその姉が、尋常ならざるほどに妹を想っているということも。

 

 綾耶は、長く伸びたストレートの黒髪を留めてポニーテールを作った。普段通りの慣れた髪型にすると、闘志が湧いて口元が緩んだ。

 どうやってこのクラスを崩壊に導こう。考えれば考えるほど妙案が沸いて可笑しくなって、綾耶は――和久井摩耶は立ち尽くしたままくつくつと笑っていた。

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