第11話 夕暮れサンシャイン

「逢坂さん! 高い! すごい高いです! すごい高いビルがあります!」

「そうだねえ~」

「人! めっちゃ人居ます! お祭りですか!? お祭りでもあるんですか!?」

「そうだねえ~」

「車! すごい車! 道路もすごく広いですよ! 何車線!?」

 池袋駅東口。駅ビルやデパート、遠くに見える高層ビル群をぐるりと見渡してあいなは悲鳴にも似た歓声を上げた。

「あのさーあいなちゃん、ちょ~っとだけ落ち着こっか? あんま田舎者感出してると悪いオトナにカモられちゃうぞ?」

「そ、そんな怖いことが……!?」

 エマは渋い顔でうんうん頷いた。

「ウチの生徒にも居たらしいんだよね~。エンコーって言葉くらいは聞いたことあるっしょ?」

「はい……なんとなくは……」

「最近はスマホで結構簡単にできちゃうからさ~。あんま甘い言葉に騙されちゃダメだぞ? ま、あいなちゃんには関係なさそうだけど」

 目の前でスマホを散らすエマを見て、あいなはずっと言おうと思っていたことを言う決意をした。

「あの、逢坂さん! アドレス教えてください!」

「いいよ~」

 軽い返事と共に、エマはLINEを立ち上げた。すかさずあいなも立ち上げて、手早く登録する。振ればいいだけなので楽チンだ。

「やった! これで東京の友達1人目ですっ!」

「友達かあ~……」

「あれ~?」

 苦笑いを浮かべるエマを見るに、また空回ってしまったらしい。やはり都会人の距離感は難しい。そう思ったあいなの耳元で、エマは呟く。

「……友達以上の関係になりたいんだけどな、あたし」

「ちょっ、ままっ! 待ってください逢坂さんそれってそれって――!」

 あいなが顔を真っ赤にしてたじろぐと、エマはケタケタ笑った。さしものあいなもようやく、エマが都会人だから気難しい訳ではないと気付いた。エマはただ、あいなをからかいたいだけなのだ。

「からかわないでくださいよ~っ!」

 ぽこぽこエマを叩くあいなの頭を撫でて、エマは楽しそうに笑った。

「じゃ、まずは友達からってことで。エマって呼んで?」

「……もうからかわったりしませんか?」

「それはムリ! だってあいなちゃん可愛いんだも~ん」

 公衆の面前にも関わらずエマに抱きつかれ背中をまさぐられ、あいなは顔を真っ赤にしてわたわたと慌てふためくばかりだった。

「さってと、クレープが待ってるゾ! 行こうぜ、あいなちゃん」

「うう、食べ物で釣られてる気がする……」

「食べたくないの?」

「食べます!」と即答して、あいなは差し出されたエマの手を握った。

「悪いオトナに見つかんないように、あたしが守ってあげる」

「お、お願いしますっ。逢坂さん――じゃなくて、エマちゃん!」

 そして二人笑って、池袋東口からサンシャイン通りへ一歩踏み出した。


 池袋。JRや私鉄各社が集まるこの街は、必然的に多くの人々が集まるるつぼだ。多種多様な属性の人々を満足させるよう発達した街は大きく、華やかでバラエティに富んだの東口方面、大学や劇場の聳えるの西口方面。そしてディープなオトナの世界が広がるの北口方面と三つに分けられる。都会の明部と暗部をぎゅっとひとまとめにした街、それが池袋だ。


 そんな池袋の東側、大きな商業ビルの中を二人は何度となく足を止めながら歩いた。公約通りにクレープを食べて、エマの提案でプリを撮り、すれ違うオシャレな人々を見るたびに足を止めながら、若者向けのショップの前で似合う似合わないと話をする。あいなが思い描いた通りの、都会の高校生活だ。

「私いま、すっごく都会の女子校生って感じがします!」

「それ最高に田舎者くさいゾ~」

 エマに苦笑されても、あいなは何一つ気にならなかったのだった。


「エマちゃん、今日は本当にありがとう! すっごく楽しかった!」

 バーガーショップ。テーブルの向こうでポテトを摘まむエマにあいなは満面の笑みを見せた。これほどウソ偽りない笑顔ができる人間もそうはいない。

「ああ! あんなに真面目だったあいなちゃんが校則破っても平気でいられるような悪い子になっちゃうなんて! いったい誰がこんなことを!」

 芝居がかった台詞を吐いたエマを「お前が犯人だ」とばかりに指さして、二人は同時に噴き出した。

「やー、あいなちゃんが楽しそうでよかったよ。昨日とかホント、人が変わったみたいになっちゃってさ」

「そのことなんだけど……」

 あいなが悪癖のことを告げると、エマは七海のように怪訝な顔をするどころか、「あり得ない」とただひたすらケタケタ笑うばかりだった。それとは対照的に、エマから昨日の出来事を伝えられたあいなの顔は真っ青だ。

「転校初日から私、大失敗してる……!」

「あたしは惚れ直したけどな~? 七海だって、あいなちゃんが覚悟決めたから協力したんだと思うしね」

「清澄さん……」

 本当なら七海にもこの場に居てほしかった。せっかく一緒に生徒会長を目指すのだから、七海とも友達になっておきたい。一番に会話――と呼べるかどうかは疑問だが――したクラスメイトだし席も隣だ。面倒臭そうな態度はとりながらも、あいなにいろいろと教えてくれる。元生徒会だから、校則にも詳しい。

 元・生徒会。その言葉が妙に引っかかった。

「……清澄さん、なんで生徒会を辞めたんだろう」

「さあ。蓮華ヶ丘七不思議の一つだよね~。まあ今作ったんだけど」

 どうやらエマも知らないらしい。それもそのはずだ。エマと七海は別に友達じゃない。追う者と追われる者の関係だ。ただその関係はもう終わってしまったが。

「そういや伝え忘れちったけど、ありがとね。あいなちゃん」

「何がですか?」

 エマは困ったような、それでいて照れくさそうにはにかんで見せる。

「あん時、あたしのこと庇ってくれたっしょ? 会長に直談判してさ」

「でも、あの時は……」

 エマの嫌がる顔を見てられなくて割って入ったものの、結局どうすることもできなかった。屋上へ行ってからの記憶は曖昧でも、生徒会室でエマを押さえつける寧々や美玲、花蓮の姿は、あいなの脳裏に焼き付いている。思い出すだけで、悔しさが胸にこみ上げた。

「いーのいーの。校則マニアな七海でもお手上げなんだから、あいなちゃんが責任感じる必要ないって。実際、黒染めしろって言われて無視してたあたしにも問題はあるんだし」

「問題があるのはエマちゃんじゃなくて校則だよ……」

 あいなの言葉に、エマは憂いの色をにじませた。

「あたしさ、こんな顔して金髪でしょ? だから昔っから、どうにも目立っちゃってね。結構ツラい目とかにも遭ってきたんだよ。お前は日本人じゃないからダメだー、なんて。心は完全に日本人のつもりなのにね」

 改めてエマの姿を見る。ハーフとは言え、欧米人の色が強めに出ているエマにアジア人らしい面影は見当たらない。彫りは深く鼻も高く、そして色白だ。天然の金髪の持ち主は、眉毛まで金髪なのだとということをあいなは初めて知った。

「だから蓮華ヶ丘の校則を知ったとき、またかって思った。どこまで行ってもあたしは、あたしらしく生きてちゃいけないんだって思っちってさ。正直、諦めてたんだよね」

 「でも」とエマは続ける。

「あいなちゃんは庇ってくれた。それどころか生徒会に乗り込んでケンカまで売ってくれたじゃん? 惚れ直したっつーか、もう完全に堕とされたよね。恥ずかしいトコ見られちったし、もういっそあいなの女になっちゃう? みたいな」

 急に冗談めかして語り出したエマに、あいなは飲んでいたオレンジジュースを喉にまらせた。けほけほ咳き込む向こうで、楽しそうなくすくす笑う声が聞こえる。

「もう、急に変なこと言わないでくださいよぉ……」

「ごめんごめん、なーんか照れくさくなっちってさ。こんなこと誰かに話したこともなかったし」

 言いかけたあいなの口に、エマがポテトを押し込んだ。

「これが友達ってヤツかもね」

「友達――むごっ!?」

 白い肌をほんのり薄紅色に染めたエマは、あいなが口を開くたびにポテトを放り込んだ。まるで、あいなの口を封じて、余計なことを言わせないようにするために。

「な、なんでポテト責めするんですかあ~!」

「ナイショ」

 エマは楽しそうに笑っていた。都合、二人前近いフライドポテトを食べることになったのは言うまでもない。晩ご飯は少し減らそうとあいなは誓った。


 夕暮れの池袋は、大勢の人でごった返していた。平日にも関わらず歩行者天国同然のサンシャイン通りを駅へ戻っていると、エマが急に足を止めた。

「お、ウチの生徒だ」

「え?」

 エマの指さす先に、見慣れた蓮華ヶ丘の制服が見えた。白のブラウスにグレーのプリーツスカート。学年ごとに色の違うリボンタイは赤。あいなやエマと同じ二年生だ。その隣には、蓮華ヶ丘とは違う、ワンピースタイプの制服を着た少女が居る。どことなくお嬢様学校らしい、清楚で気品のあるデザインだ。

「あ、こっちに気付いたみたい」

 その少女が、あいな達の方へつかつかと歩み寄ってきた。まっすぐ人混みをかき分けながら近づいてくる両目は確実にこちらを見据え、ほとんどにらみつけている。

「あの子、なんか怒ってない?」

「う、うん……」

 少女は二人の前で足を止め、清楚な外見とはほど遠い、怒りと憎しみの籠もった目でエマをにらみつけ、問いかけてくる。ほとんど詰問に近い。

「つかぬ事をお伺いしますが、あなたは蓮華ヶ丘の生徒ですね?」

「そうだけど?」

 瞬間、清楚な少女は全くの予備動作も見せずエマの頬を張り倒した。

「ひゃあっ!? だ、大丈夫ですか、エマちゃん!?」

「なんで!?」

 頬を張られたことの怒りよりも驚きや疑問の方が勝っているエマへ向けて、少女は宣言した。

「お前みたいな不良が居るから、蓮華ヶ丘はダメなんだ!」

 気品ある制服と清楚なポニーテール姿からは想像できないほどの気迫が、目の前の少女から放たれていた。

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