35話 「わたしの名前はメアリー・スー!」と、ナナコは言った。

 日の出が早くなってから毎日、大岡シロウ(4)は午前3時に目が覚めることになり、その習慣は新学期がはじまってからも続いていた。夜明け前の空は鴉色の闇が濃い紺色に変わり、金色の太陽が大地の影の中から生まれると、シロウが通っている学校の屋上の、さらに先に設けられた見張り塔から見渡せる町の景色は薄青から金色に変わる。西に広がる高層ビル群は灰色から純白に変わるそのような素晴らしく、健康なのか不健康なのか不明な生活を、ナナコ(7)とはじめるようになったのは、夏至の前後からだったろうか、と、シロウは回顧した。正確には、ナナコはムツキより1時間前に起きていた。学校には1時間半前に着いて、体育館の倉庫からテニスの練習用マシンを出して並べて、テストをして、過去のデータ分析にもとづき、球を磨いて、重さをはかって、セットする。練習用の球は狐の子供が化けたようなもふもふ感と、ほどほどの軽さがあった。

 今日が最後のマシンテストであり、ムツキがそのテストにつきあう最後の日となるはずだったので、シロウは予備機も含めて3台の機械のチェックとセットをおこなった。ヒトの背の倍ほどもある実験機を並べるのに、一年生の5人、つまり源氏イハチ(8)・内田フタバ(2)・小泉クルミ(9)・江戸川ミナト(3)、それに謎の知的生命体で女装男子のトオルはシロウの手伝いをした。服を着替え、ネットを張り直し、白線を引き直し、隅の雑草を抜いて、手にしたラケットに不備がないかを確認した。男子のふたりはおしゃれでない体操服、クルミはハーフパンツ、ミナトとトオルは色の違うスコート・パンツだった。

     *

「ナナコをぎゃふんと言わせてやろうぜ」と、前日トオルは他の4人を誘い、今どきそんなこと言うキャラはいないだろうと思いながらも、クルミはその企画に乗ることにした。なんで同じ2年生のイツカ(5)とムツキ(6)は、シロウとナナコのサポートしないんですか、とミナトは聞いた。それがねえ、ふたりはそういうのあまり得意ではないんだよ、というのがシロウの答えだった。

 あー、たしかに、どう考えてもイツカは体育会系じゃないねえ。だけどムツキもそうなの。腕力と体力はあるんだけど、持久力と脚力に難があるんだ、と、シロウは説明した。

     *

 その日も太陽は早朝からがんがん照りまくり、準備段階でトオルとナナコを除くほかの者は汗をだらだら流した。しかし弱い風は秋をそろそろ感じさせるような涼しさを帯び、空の雲は薄く空に広がり、しだいにその影を濃くしていた。

「わたしの名前はメアリー・スー!」と、ナナコは張り切って言った。もしこの世界にメアリー・スーがいるとするなら、まさにナナコはそうだったかもしれない。メアリー・スーとは、スタートレックの二次創作から生まれたキャラで、わかりやすく言えばチートな逆ハーレムヒロインみたいなものである。

「さあ、誰が一番に死にたい?」

 最初にダメージくらったのはクルミだった。

 練習用マシンから排出された球を、両手持ちでナナコはクルミにめがけて打ち返した。まさかガチ勝負とは思っていなかったクルミは、半ば怯えた姿勢で、かろうじて顔面にラケットをあてたため、そのラケットの上部がクルミの額にあたって弓形のあとがついた。クルミが受け損なった球は、へたりとネットにゆるく止まり、イハチは素早く回収に向かった。コートの上でナナコと対戦をしていたのは、前列の向かって左からクルミ・ミナト・フタバ、そして3台のマシンをはさんで最奥にトオル、という布陣だった。

 用心している前衛の3人に対して、ナナコは次の球を下からすくうようにして上に打ち返した。校舎の3階の高さほどのロブは、風力・風向を読み取ったナナコの判断通り、ラインぎりぎりのところで相手のフィールドに入るはずだった。

 ふっ、とトオルは鈍い笑みを浮かべると、ラケットを通常のものから、フェイスが規定上認められている最大のものに持ち替え、思い切り球に向かって風を送った。ふらふらと球は、ライン外に落ちた。

「アウト」と、シロウは試しに言ってみた。

「どうして! 試合途中でのラケット交換はいいの? ボールに風を送るのは?」

「そこらへんのルールは、実はよくわからない。そんなことしたヒトはいなかったから。あと、トオルはラケットを振り切っていないから、トオルがアウトってことはない」

 この件に関して抗議をしようと思えば延々とできるんだろうけど、とりあえずナナコはあきらめた。

「今度は、トオルが前衛になって!」と、ナナコは言った。

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虹色ダーティ・コンフィデンス(NDCまたは物語部員の掟とその細則) るきのるき @sandletter

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