黎明のナイチンゲール
強いと、小塚は思った。「世の中には腐るほどの才能溢れる人間がいる」、なるほど確かにその通りだ。普通の人間ならば、彼らと競合したところで遠く及ばないと夢をポケットにしまいこむ。くしゃくしゃになったそれを、気づかないうちに捨てている。
彼女は違う。そういった人間と並び立ち、同じだけど違う夢を追っている。その心根を気高いと思った。
「……今日、学校でも陰口を叩かれました。ブスのくせに歌手なんて無理があると」
少女はわずかに視線を落とす。一重瞼が重たそうに瞳を覆い隠した。
「辛くないと言ったら嘘になります。傷つきもするし、陰口を言った彼女たちを呪いたい気分です。でも、そんなことをしたって何も変わらないから」
私が歌手になれるかどうかは、彼女たちは一切関係ない。
それは割りきったというよりも言い聞かせているように小塚には思えた。俯いた一重瞼の内側には、いかほどの苦しみを抱えているのだろう。
夕日が少しずつ落ちていく。先程まで強烈な光で照らしていたものが鈍くなっていく。少女の姿もどことなくおぼろ気に見え始めた。
「聞き苦しい点は失礼しました。でも私、やめるつもりはないから。ここを通るたびに不機嫌な顔をするのは、やめてもらえませんか」
そこで小塚は気づいた。この少女を小塚が水曜と金曜に見ていたように、彼女もまた小塚を見ていたのだと。人通りの少ない河川敷だ。犬の散歩で歩くおじいちゃんはいても、小塚のようなサラリーマンは目立ったのだろう。
社会に溶けきった小塚からの視線を、少女はどう受け止めていたのだろうか。陰口を叩く少女たちと同じように、彼女を苦しめていたのではなかろうか、と。
「それだけです。お引き留めして、失礼しました」
話していくうちに気持ちの整理でもついたのだろうか。最初のきつい眼光は幾分か柔らかくなり、名も知らぬ女子高生は小さく頭を下げた。そしてまるでさっきまで会話したのが嘘のように、河川敷に向かって歌を歌い始める。小塚の姿はもう視界に入っていなかった。
「zi trippio enda ust……」
意味のわからない言語が少女の口から飛んでいく。音符が見えるわけではないけれど、彼女の口からそれが飛んでいくのだとしたら、きっと不格好な翼が生えているに違いない。孔雀みたいに華やかでなければ、燕のように洗練されてもいない。けれど比翼の、目指す場所に行くためのものを、絶対に彼女は持っている。
(何を、柄にもないことを)
小塚は何か声をかけようと思って、やめた。夢を諦め、それを笑っていた小塚から言えることなんて何もない。視界から外れた少女の歌はやっぱり下手だったけど、さっきよりも芯が通っているように聞こえた。
さいわいなことり 有澤いつき @kz_ordeal
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