6.サイテーに泣け
アスファルトに散らされた子ガモの血が夕陽に照らされ、きらりきらりと輝いている。今流れている私の涙もきっと、同じように輝いているんだろう。
私は今、泣いている。いや、本当はずっと、泣いていた。
けれど、分かったところで、私は一体どうすればいいのだろう。
この世界は残酷で食べる私は自分勝手だと知ったうえで悲しむことが、こんなにもつらく寂しいことだったなんて知らなかった。いや、だからこそ私は、自分が泣いているということから目を背け続けてきたのか。
彼に、会いたいと思った。会わないとどうしようもないと思った。
気がつくともう駆けていた。あのベンチに向かって、彼がいるかもしれない場所に向かって、涙を散らしながら。
彼に伝えなければならない。この世界は本当に自分勝手ですね、みなとさんも私も、本当に自分勝手ですね。でもみなとさんも私も悲しんでいるんです、みなとさんは独りじゃないですよ、と。この涙の意味は結局わからなかったけど、そんなの最初から自分で決められるようなものじゃなかったんだろう。とにかく今は、私がひとりにしてしまったみなとさんに、会いたかった。
泣きながら走ったからか、呼吸がとてもへたくそになる。螺旋階段の途中で息を整え、ほっぺたにできた涙の通り道を手でごしりと遮った。彼はベンチにいるだろうか。いてほしいけれど、心臓がどきどきとして上手く話せる気がしない。ひさしぶりに走ったから体がびっくりしているのだろうか。
ふぅはぁと深呼吸をした後、ゆっくりと歩いてベンチに向かう。とんとんとなるべく音をたてないように螺旋階段を下りて、黒く錆びた手すりからひょこりと顔を出し、彼を探す。もみの木がちょうどベンチと被っていてよく見えない。けれどじぃっと目を凝らすと、ベンチの脚の部分になにかがあった。見えたのは、黒いエナメルのいかにも子供っぽいスニーカー。彼だ。
泣きながら螺旋階段をとんとんと下りて、芝生の上にぽすりと降り立つ。元気をなくしてしょんぼりしているモンシロチョウがじっと私を待っているのが見える。さくりさくりと芝生を踏んで彼に近づくと、モンシロチョウがピクリと動いた。
「みなとさん?」
呼ぶと、彼はびっくりして私の方を見た。夕陽に照らされ、ぽかんと口を開けた彼はなんだか金魚みたいに見える。
「ひばりちゃん!ど、どうしたの、そんなに泣いて。あっごめん、俺…」
一気にいろいろなことを言おうとして、彼があわあわする。
「…はい、泣いてたみたいです、ずっと」
私はしっかりと彼を見据えて、もう逃げないぞと力を込めて言う。すると彼も私のいつもと違う様子に気がついたのか、しっかりと私の目を見つめてきた。
「すみません、急に姿を消しちゃったりして。みなとさん、寂しかったですか?」
「…うん、正直めっちゃ寂しかったよ。ほんとに。でもひばりちゃんは、何かを探しにいってたんでしょう?」
彼がにこりと赤子みたいに柔和な笑みを浮かべて、泣きたくなるほど優しい声色で言う。私もそれに応えてうっすらと微笑みながら
「はい、結局、この涙の意味は分かりませんでしたけど。でも一つ、分かったことがあって。…本当に自分勝手ですけれど、やっぱり、みなとさんの言う通り、私は」
瞳いっぱいに溜まった涙が夕陽に照らされ、きらりきらりと視界を彩る。なんだか、麦畑の中に彼と二人いるみたいだなあと思った。すうっと息を吸い込んで、ちょっぴりの決意みたいなものと共に、早く飛び出したくてうずうずしてしまっている言葉を吐き出す。
「私は、泣いているみたいです」
涙がぽろりと流れ出て、黄金色に輝く麦畑からもみの木が揺れる秘密のベンチへと場所が変わった。そうだ、私は泣いている。言ってしまうとさきほど思い出を解放して崩れ去った箱が「今更?」というような感じでさらりと私の心を撫で、なんだか「もういいよ」と言われているみたいだった。
ぽろぽろぽろぽろと泣き続けていると、私の身勝手な言葉を聞き届けてくれた彼がすくっとベンチから立ち上がり、私の涙をその白く骨ばった大きな手でさっと温かく優しくぬぐった。彼もまたもういいんだよというような笑みを浮かべて、波のさざめきみたいに穏やかな声で言う。
「うん、そうだね。確かにすごく自分勝手なことなのかもしれない。…でもさ、俺はひばりちゃんの涙を見て、すごく安心したんだよ。それに」
彼はそこで言葉を止めて、言おうかどうか迷うというような曖昧な笑みを浮かべながらモンシロチョウを私の左頬にとまらせ、聖人みたいに笑ってこう言った。
「それに、もし俺が食べられてしまうようなことがあったら、その時は、君に食べられたい。ひばりちゃんみたいに、ちゃんと悲しんで、泣いてくれるような人にさ」
彼の真っ黒な鏡みたいな瞳。そこには泣きながらぽかりと口を開けて、あくび途中の猫みたいに間抜けな表情をした私が映っている。
「…だからさ、そんなものでいいんだよ。意味なんていうのは」
ざあっと風が吹いて、彼の尊い言葉を一音も漏らさずに私の耳へと運んだ。私は今の彼の言葉を、今後一生忘れることはないだろう。本当に、彼にはかなわない。そして、私も同じだった。それがすべてだった。私も彼と同じように、彼みたいな人に食べられたいと思った。いや、彼に、食べられたかった。
「私も、同じです。私も、みなとさんに食べられたい。みなとさんみたいに優しくて、あったかい人に」
そう言うと彼は驚いて、頬を女の子みたいに紅く桜色に染めた。え、う、と声を漏らして、鏡の瞳をモンシロチョウの羽で覆ったあと、静かに、今度は動揺しながら私に言う。
「…ひ、ひばりちゃん。そんなセリフ、他の人に言っちゃだめだからね、絶対」
「なに言ってるんですか、みなとさんにしか言いませんよ。ふふっ」
「だ、だから、そういうことを…」
黄金色に輝く美しい世界でそんなじゃれあいみたいな会話を繰り返す私たちは、本当にどこまでも身勝手だった。身勝手で、自己満的で、サイテーで、自分勝手。だから私たちは生きていられる。
泣いているとわかったところで、別にそれが突然尊いものになるわけじゃない。なんなら他の特に何も考えていないような人と変わらない。ただ私が悲しんでいるだけだ。悲しいから、悲しんでいるだけ。ただ、それだけ。
じゃあ、そんなのただ損をしているだけじゃないかと言われれば、本当にそうだと思う。残酷な世界と自分勝手な自分に辟易しながら悲しむなんて、ちょっとばかげているなあとまで思う。でも、それでいいんだ。それでいい。
私たちは、何かの気持ちを受け止めたうえで殺せるくらい自分勝手だ。それでいて気に入らないものは平気で吐き捨ててしまえるぐらいサイテーで、ちゃっかり命に感謝しちゃえるぐらいには自己満的だ。そして、生きている。
でも、そんな自分勝手でサイテーで自己満的な私の涙に、安心してくれる人がいて、手を添えてくれる人がいて、君みたいな人に食べられたいと、言ってくれる人がいた。愛してくれる、人がいた。
本当に、損で、ばかげていて、残酷で、身勝手で、サイテーで、悲しくて、自己満的で、どうしようもないほど苦しいけれど。ああ本当に、私たちはどうあがいたって救えないなあと思うけれど、
けれど、それはぜんぜん悪いことではないなあと、そう思うのだ。
──命がべったり──
命がべったり 井桁沙凪 @syari_mojima0905
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