第33話 月が満ちようとも
娘、あかりとの暮らしは、大変ではあったけれど、毎日が幸せだった。
あかりは良く笑い、よく泣き、そして怒ったりと、とにかく感情が豊かな子供だった。
仕事のために早くから保育園を利用しなくてはならなかったけれど、彼女の日々の成長を誰かとともに喜んでもらえる。それは私にとって、助け以外の何ものでもない。
ひとり親家庭とはいえ、近くに親族はいるし、私の両親もちょくちょく顔を見せにやってきてくれる。あかりの物怖じしない性格のせいか、ご近所さんたちもよく可愛がってくれて、すくすく成長している。
そんなあかりも、二歳と二カ月を過ぎた。四月になり新学期を迎え、懸命に日々の出来事を私に語ろうとしてくれる。少しずつ言葉が増えてきて、毎日が驚きと喜びの連続だ。
歳が近いこともあって、日菜姉と浩介さんの長男、
みんな結局、親バカなのだ。
そんな最近のあかりの楽しみは、父親の動画を見ること。あかりにとって、父親の姿を確認できる唯一のものが、それだけだったから。
智晴さんが保存しておいてくれたクロードの動画を見せて、これがパパよと教えて以来、食い入るように毎日見ている。
やっぱり、父親がいないことは、幼いながらも寂しく思っていたのだろう。今は飽きるまでは、乞われるままに見せてあげている。
今日も保育園からの帰宅後、夕食を待っている間に、パパを見せてとせがまれる。
「その前に、ひいじいたちになむなむしてね」
「うん」
あかりは仏壇の前に移動して、リンを鳴らして小さな手を合わせた。同時に、今日保育園であったことを、仏壇の祖父母に報告している。女の子らしくお喋りで、どうにも黙ってられない性分のようだ。
とはいえ、まだまだ二歳。よく聞かないと、半分くらいしか何を言っているのか分からないのだけれど。私はそんな娘の姿を微笑ましく思いながら、買い物袋から食材を出す。
それから手を洗って戻ってきたあかりに、自分のスマホで動画を再生させて、手渡してあげる。
「そこで大人しく見ててね、ママすぐにご飯の支度するから。それと、絶対に窓を開けちゃだめよ?」
「うん、わかった!」
返事はいいものの私は心配になり、もう一度窓のカギを確認して、厚い遮光カーテンを閉めた。
今日は、満月。
あかりが生まれてから、私はとても臆病になった。
満月の日は、あかりを絶対に外へ出さないよう、こうして室内で共に過ごすことにしている。私の見えないところで、彼女が消えてしまわないように。
満月の日には保育園を休ませることがある。今日はどうしても間に合わせねばならない仕事があって、心配しながらも行かせた。そして仕事を終わらせ、いつもよりも一時間ほど早めに迎えに行き、買い物をして帰宅したところだ。
彼女が生まれたときに握りしめていた月鏡の石の欠片は、普段は小さなロケットに入れて、首から下げられるようにしてあげている。けれども、今日のような満月の日は、朝から仏壇の中にしまっておく。
せめてあと二カ月。約束の三年が来るまでは、私があかりを守らないと。
「ねえママ? パパと、ともちゃん、にてるね」
あかりがスマホから顔を上げて私に尋ねる。ともちゃんとは、智晴さんのこと。「おじさん」の発音がまだはっきりしない頃に、本人が眉尻を下げてそう言わせていた。彼もまた、すっかり叔父バカだ。
「それはね、パパの弟だから、お顔が似てるのよ」
「おとうと……」
再び動画をリピートさせて、食い入るように眺めている。慣れたもので、どこを押せばリピートできるのか、すぐに覚えてしまった。
こうしてクロードの姿を見せたことが、あかりにとって正しかったか、今でも分からない。彼が戻って来る保証はない。もし娘がいつか父親に会いたいと強く願ったときに、私はどうするつもりなのだろうか。
私の心配を知らず、あかりはいつものように、じっとスマホを見ている。
こうなったらしばらくは動かない。このすきにと、火を使う料理を仕上げてしまうことにした。
そうしてあかりから目を離して、ほんの数分後だった。
「ねえあかり、ハンバーグの味つけはケチャップと照り焼きの、どっちがいい?」
キッチンから居間をのぞいた。
だが、居たはずの場所に、あかりがいない。
座っていた座布団の上に、スマホ。拾い上げてみると、動画が再生されたまま。
「あかり?」
隣の縁側に通じる窓のカーテンは、閉まっている。
仏壇を振り向けば、ほんの少しだけ引き出しが開いていた。そこには、あかりのロケットを入れてあるところだ。
慌てて引き開ければ、中は空っぽ。
私は叫ぶように、あかりの名を呼ぶ。
「あかり!」
その時だった。縁側の窓から、突風が部屋に入ってきた。遮光カーテンは大きくめくれ上がり、吹き込む花弁に私は視界を奪われる。
まさか、外に?
急いで窓に駆け寄り、カーテンを開ける。すると窓は空いていて、庭に出るときに履く、あかり用の小さなサンダルがない。
日は既に傾き、すぐにでも暗くなりそうな空だ。そして東の空を登ってきた丸い月を目にして、私は青ざめる。
転がるようにして縁側を降り、あかりを探した。
「あかり! あかりどこ?!」
庭にはあかりがいない。ただ春の風に枝を揺らし、祖父の植えた桜が咲き乱れているだけだ。
私は恐怖で身体を震えさせながら、走り出していた。
あかり、あかり。
私を置いてどこにも行かないで。
慌てて飛び出した私に、節子さんが店先から声をかけてきた。
「キヨちゃん、さっき店終いしてたら、あかりちゃんが一人でそこの坂を上っていったのよ、大丈夫?」
「ほ、本当ですか? 急に一人で出たみたいで」
「ええ、止めたんだけど、走っていっちゃって。今からキヨちゃんところに呼びに行こうと思ってたの」
「迎えに行きます、ありがとう!」
「気をつけてね」
私は節子さんにお礼を言って、走り出した。
坂を上ると、神社に通じる道だ。そこ以外にはたどり着けない。他の道だったら迷ってしまうところだった。
急いで坂を駆け上がると、鳥居が見えた。
その先の参道を、大きく育った桜の枝が覆いかぶさるようにして、ピンク色の屋根を作っている。そのすぐ下に、小さな人影が佇んでいる。あかりだ。
「あかり!」
「あ、ママ?」
私に気づき、手を振るあかりの姿に、ほっと胸を撫で下ろす。
「急にいなくなったら駄目よ、ママとっても心配したんだから」
「だって、ひいじいがいこうって。あっちだよってつれてきてくれたの」
「ひいじい?」
子供らしい言い訳。そう思いつつも、あかりの言葉にさらに不安が募る。
急いで帰らないと。そう思って走り寄った時だった。
私に向かって歩き出したあかりが、小石につまづいて転んだ。その拍子に、手に持っていたロケットがぽとりと落ちた。
そして当たった場所が悪かったのか、ロケットが開き、欠片が坂を転がり落ちた。
「まってぇ!」
慌てて拾おうとしたあかり。
「あかり、触っちゃダメよ!」
あかりが手を伸ばした時、再び吹いた突風が、桜吹雪を巻き起こす。
舞い散る花弁に、一度だけ瞬きをした。
次に目を開けると、あかりと私の間を、大きな人影が遮る。
私に背を向けているその人が、あかりが落とした欠片を拾う。そして同時に、あかりが叫んだ。
「わぁー、パパだ!」
大きな人影に阻まれた向こうで、あかりは宝物でも見つけたかのように、嬉々とした声を上げた。
「……クロー、ド?」
私の呟きに、広い背中が揺れて、振り向く。
ああ、クロードだ。
しかし、近づく私に、彼は掌を向けて制止する。
「まだだ、近づくなキヨ」
泣きたくなるような、懐かしい声。
するとクロードは、私の前で付けていた黒い革製の眼帯を外し、その中から石を取り出した。
右手の掌の上に、二つの石が揃う。
月鏡の石が、三百年の時を、世界を巡り、再会を果たした瞬間だった。
「パパ」
石を持つクロードに、あかりがすがる。そのあかりを左腕で抱き上げ、クロードは桜のトンネルから一歩、月明かりの下に出る。
すると彼が差し出した掌の上、大小二つの月鏡の石が、ほのかに光る。
ゆっくりと二つが一つの光になり、クロードの掌からふわりと浮いた。なにがどうしたのかと考える間もなく、その光が揺れて消えた。
「……キヨ」
呆然と宙を眺める私を、優しい声が呼ぶ。
あかりを抱き、私に差し出される手。
何度、夢に見た景色だろう。
何度、もう叶わないと諦めかけたろう。
涙で見えなくなる彼を、あかりごと両手で抱きしめた。
「ただいま、キヨ。そして……ええと、名前をきかせてもらえるかな」
「あかりだよ、パパでしょ?」
「ああ、そうだパパだ、ただいま……あかり」
「おかえりなさい、パパ。どうしたの? めんめのけがが、いたいの? ママもぽんぽいたいの?」
涙を流す私たちを、心配するあかり。
「大丈夫よ、痛いところなんて何にもないから。あかり、ありがとう」
私たちはあかりを真ん中で抱きしめ、そして幸せを噛みしめた。
満ちた月明かりの元、そうして私たちはあるべき場所にもどることができた。
愛しい人、愛しい町、そして愛しい娘の元に。
それから四か月後。
祖父の命日に合わせて集まった親族の前で、私とクロードは結婚式をあげる。
法事と結婚式が一緒でどうよ? と思わなくもなかったけれど、そもそも日菜姉の結婚だって、祖父の意向で予定を先延ばしすることなく挙げたわけだし、今さらねえ、ということになった。
というか、祖父が私たちを取り持ったと言っても過言ではないので、責任とってもらおうと誰かが言ったのもある。
クロードの戸籍は、意外にもしっかりと残っていた。失踪から死亡届を出せるみたいなので、最悪は死んだことになっているのかもと思ったが、そこは智晴さんが守っていてくれていた。
本当に、彼には感謝してもしきれない。
でも黒田家の両親とは、まだ少し距離をおいている。クロードに起きた不思議を理解するには、もう少し時間が必要なようだ。それにクロードの強い意向で、彼は私の姓を名乗ることになった。つまり辻太郎だ。本当にいいの? と何度も確認したが、飄々とそれがいいと言うばかり。まあ、私の両親は喜んでいるみたいので、いいか。
他にも問題は山積み。彼は学校を出てないので、当面は智晴さんのお世話になりながら勉強をやり直し、働きながらどこかの学校を出るつもりらしい。
智晴さんいわく、元々勉強ができる人だったから、大丈夫だろうとのこと。
その智晴さんとは、とても良い関係を築いている。兄弟がいない私には、本当に羨ましい限り。
そうそう、王様業がどうなったかというと、無事に彼はお役御免となったらしい。本体の方の月鏡の石の効果かもしれないけれど、無事に国の再興を果たし、女王も立派に貴族を掌握し、生まれた息子も順調に成長しているという。そこで約束より半年早く、怪我が元で死んだことになったクロード。雲隠れをしたはいいが、戻るタイミングがやってこない。どうしたものかと思っていたら、あの日突然に戻ることができたそう。
それはきっと、私があかりと石を隠していたせいかもしれない。もし祖父に誘われたあかりが外に飛び出さなかったら、どうなっていたろうか。
あかりは本当にひいじいを見たと言っていたけれど、彼女の言う通り、祖父が私たちを助けてくれたのかもしれない。そう二人で思うことにした。
「あらまあ、可愛いわねあかりちゃん」
綺麗な着物を着せられたあかりに、みんなが声をかけてくれる。花嫁さんみたいだの、天使のようだの。それでもあかりは、朝からむくれっぱなし。
「パパはあかりとけっこんするっていったのに、ひどい」
そんな文句に、親戚はみな笑顔になる。
すっかりパパっ子になったあかりに、彼は鼻の下をのばしっぱなし。新郎、しっかりしろと言いたい。
もちろん彼はあかりに結婚するなんて言ってない。あかりは自分が結婚すると言っているのだ。
そんなあかりを連れて、私と彼は、あの桜の夜のように宮司さんに誘われ、神様の前で誓う。
これから幾度と月が満ちようとも、私たちを隔てるものはなにもない。
完
月が満ちれば 宝泉 壱果 @iohara
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます