第2話
依頼人である浅丘夏子を見送った夕は、事務所に戻るとデスクに座りパソコンを起動させる。夏子との面会中にメールが来ていない事を確認して、ウェブブラウザを開いた。浅丘真澄の勤務先である、総合病院について調べるためだ。
「ふむ……」
病院名を検索バーに入れると、一番上には総合病院のホームページが表示される。ページを開くと、住所や電話番号、院長や専門医の紹介といった、基本的な情報が記載されていた。取り立てて、おかしいと思われる記述は無い。
「まあ、そうそうあっても困りますわね……」
今度はSNSで病院関係の投稿を検索する。が、出てくるのは個人的な通院記録や求人情報ばかり。こちらにも目ぼしい情報は無い。
探偵とはいっても、小説やドラマのように事件に首を突っ込んだり、推理で犯人を暴いたりなどという事はまずあり得ない。当然、警察に伝手なども無いわけで、基本的にはこうやって合法的な手段で地道に情報を集めていく必要がある。
検索ワードを変えつつSNSを辿っていると、デスクに置いていたスマートフォンが不意に振動した。画面には、学生時代からの友人である三枝凛(さえぐさ りん)の名前が着信の二文字と共に表示されていた。
通話の方に画面をスライドさせて、電話に出る。
『お、夕。今は事務所か?』
「はい。凛さん、何か御用ですの?」
『いや、特に用ってわけじゃないんだけど、今丁度事務所の近くなんだ。良い時間だから、昼飯でも一緒にどうかなって』
三枝凛とは、高校卒業まで同級生だった。二人ともエスカレーター式だがそれなりに厳しい女子校に通っており、夕はそのまま大学に進んだが、凛は卒業後に新聞社に入社し記者となった。もともと在学中から隠れて新聞社でバイトをしていたらしく、それがバレたためとも言われているが定かではない。ともあれ夕が大学に進んでからも、探偵事務所を開いてからは仕事の上でも付き合いが続いている。
「お誘い、ありがとうございますわ」
『それじゃ、いつものガード下で合流しよう。店はどうする?』
「凛さんにお任せしますわ。それでは、私はもう出ますわね」
『了解、十分後には着くと思うから』
電話口の返答を確認して、スマホを終話状態にする。小ぶりな鞄に財布とスマホ、簡単な化粧道具などを入れて外出の準備をした。
一瞬、服を着替えようかとも思ったが、結局やめる事にした。着ているスーツは友人に会うには少しばかり堅苦しいが、そう言う事を気にするような間柄でもない。
鞄を肩にかけ、愛用の腕時計を左手首に巻いた。事務所に鍵を掛けて待ち合わせ場所のガード下に向かう。真上を電車が二度ほど通過した後、見慣れた軽自動車が夕の近くで停車した。
「……ちょっと過ぎていますわね」
いつもの癖で時計を確かめると、事務所を出てから十一分が経過していた。とはいえ概ね、電話口で聞いた通りの時間である。少しの時間差が気になるのは、もはや習性のようなものだった。
助手席の扉を開けて乗り込むと、運転席には見知った顔。やや跳ねた癖のある短い黒髪と、不敵そうな切れ長の瞳が印象的な女性――三枝凛だった。
「お待たせ。……仕事中だったの?」
凛はスーツ姿の夕を見て、聞く。
「依頼人との面会ですわ。本格的な調査は明日から」
「そっか、繁盛してるようで何より」
互いに独り身の女同士、タイプは違えど遠慮するような仲ではない。軽い会話を楽しみながら、夕は凛が運転する車の心地よい振動に身を任せた。
食事をする店に向かう途中、信号待ちをしていると、不意に凛がとあるビルを指した。
「……この間、あそこのビルに宗教団体が入居したんだってな」
「そう言えば、そんな話を聞きましたわね。たしか、救心会(きゅうしんかい)とか」
宗教団体の名前は、夕も小さなニュース欄で見て覚えていた。
「あんまりいい噂を聞かないんだよ、その教団。結構頻繁にセミナーとか開いてて、入信者も増えてるらしいんだけど」
凛が言うところによれば、信者の家族に入信や寄付を強要し、脱会を様々な手段で妨害するなどの行為があるという。
信号が青に変わり、凛が車を発進させる。宗教団体が入居したというビルは、視界の後方に流れて見えなくなった。
「そうなのですね。初めて聞きましたわ」
「夕も気を付けろよ。……昔から、そういうインチキ宗教に弱いんだから」
高校時代に慈善活動と言われ、凛が言うところのインチキ宗教に騙されそうになったことのある夕は、顔を赤くして反論した。
「もう、いつの話をしていますの! 今はもう大丈夫ですわ」
「ならいいけど」
「凛さんこそ。そんな噂をご存知という事は、首を突っ込んでいるのではありませんの?」
三枝凛は新聞記者である。あまり知られていないような情報を持っているという事は、彼女が宗教団体を追っている可能性があるという事だ。
「そこはまあ、職務上の秘密という事で」
そうこうしているうちに、車はコインパーキングへと入っていった。凛がエンジンを切った事を確かめて、シートベルトを外して助手席から降りる。
「このあたりは初めて来ますわね」
「うん。この間見つけた店なんだけど……」
令嬢探偵は友人の新聞記者と共に、ビル街へと歩を進める。宗教団体の噂話は、既に記憶の片隅に追いやられていた。――この時点では。
令嬢探偵は時間を守りたい クレーン @raguna
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。令嬢探偵は時間を守りたいの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます