令嬢探偵は時間を守りたい

クレーン

第1話

 とある街の一角、中心地から少し離れた線路の高架沿いに建っている小ぢんまりとした三階建てのビルがある。車庫となっている一階の隅に設けられた階段を上った先に、『水無月探偵事務所』は存在した。

 事務所内のデスクでPCに向かい、探偵事務所の主――水無月夕(みなづき ゆう)は請け負っていた調査のレポートを作成していた。依頼者には既に報告書を渡しており、こちらは個人的な記録のためのものだった。

 しなやかな指がカタカタと小気味良くキーボードを叩く度に、艶のある黒髪がサラサラと揺れる。肩にかからない長さできっちりと切り揃えられた、上品な印象の黒髪だ。

 真剣な表情でモニターを見つめる、しかし柔和な雰囲気を湛えるぱっちりとした黒い瞳。細いながらもはっきりと通った鼻立ちに、繊細な印象な唇。それらの要素が見事に調和した、やや童顔ながらも美しい顔立ち。

 身長158センチのやや小柄で華奢な身体を包むのは、仕立ての良さそうなグレーのスーツと白のブラウスという服装。スーツと同色のスカートから伸びるほっそりとした脚は、薄手の黒いストッキングに覆われている。きっちり揃えて床に着けられた足元を、ストラップ付きの白いパンプスが彩っていた。

 水無月夕、当年24歳。ここ水無月探偵事務所の所長であり、資産家である水無月家の令嬢でもある。

 資産家令嬢である彼女が何故、探偵業を営んでいるのか――その理由は知られていない。しかし、幼少より名家の令嬢として厳しい教育を受けてきた彼女にとって、高い教養や忍耐力を求められる探偵はある意味で向いている仕事であった。

 大学卒業と同時に探偵事務所を開設して二年。令嬢然とした立ち居振る舞いと誠実な仕事ぶりから、いつしか『令嬢探偵』と呼ばれた夕はこの界隈では少しばかり名の知れた存在となりつつあった。

 外の高架を、電車が通過する音が聞こえた。煩わしく思う事が無いでもないが、このおかげで作業に没頭して時間が過ぎるのを防ぐことが出来るので、夕は事務所の立地を気に入っている。

 レポートの作成を一区切りさせ、夕はモニターから視線を外して事務所の時計に目を向ける。間もなく、次の依頼人との面会時間だった。

 夕はパソコンをシャットダウンさせると立ち上がり、応接スペースの準備に向かう。ソファの埃を払い、テーブルを拭いてお茶の準備をしていると、事務所のチャイムが鳴った。

 時計を見る。十一時まであと五分、依頼人は時間にルーズな人間ではないようだ。

 時間を守る事は、生きていく上で最も大切な部類に入ると夕は思っている。幼少期から厳しく躾けられた事もあるが、何より時間を守る事は約束を守るという事だ。それは他人との約束に限らず、自分で決めたスケジュールを守る事も意味する。

 しっかりと時間を定めて行動すれば、おのずと規則正しい生活を送る事も出来る。そういう己を律した振る舞いが信頼を生むというのが、夕の信条だった。

「あの、昨日電話でお約束した、浅丘ですが……」

 外からは、やや控えめな印象の女性の声が聞こえてくる。

 玄関に向かい、『水無月探偵事務所』と書かれた扉を開けて依頼人を出迎えた。

「お待ちしておりましたわ」

「あ、えっと……」

「浅丘夏子(あさおか なつこ)さん、ですわね。どうぞ中へ」

 所在なさげに立っていた依頼人の女性を事務所の応接スペースに導く。彼女をソファに座らせると、用意した紅茶をテーブルに置いて夕も対面に座った。

「初めまして。私が当探偵事務所所長の、水無月夕ですわ」

 名乗りながら、夕は失礼にならない程度に依頼人の様子を観察する。年若い女性だ。こういう場での振る舞いに慣れていないようで、恐らくは学生。私服の着こなしは最近の流行りを押さえている感じだが、派手な印象はあまりない。

「あ、浅丘夏子です。突然お邪魔して、すみません」

「構いませんわ、丁度前の依頼が終わったところでしたの。それで、当事務所への依頼というのは?」

 敢えて『当事務所』という言い方をしているが、今の所、ここの所員は夕ひとりだけである。水無月探偵事務所は個人経営なのだ。

「はい、人を探して欲しいんです」

 依頼人――浅丘夏子は、ソファに置いた鞄から一枚の写真を取り出した。

 二人の女性が写っている。一人は今、夕の目の前にいる浅丘夏子だ。そしてもう一人は、彼女と肩を組んでピースサインを出している、顔立ちのよく似た女性。

「姉の浅丘真澄(あさおか ますみ)です」

 同居している姉が、姿を消して連絡が取れないという。

 浅丘夏子は市内の大学に通う20歳の大学生であり、その姉――失踪したという浅丘真澄は、夏子の四つ年上で看護師として市内の総合病院に勤めているらしい。現在は、市内のマンションで二人暮らしだという。

 居なくなったのは一週間前で、その日は昼勤だったため夜には家に帰ってくるはずだった。ところが日付が変わっても真澄は帰って来ず、不審に思った夏子が病院に問い合わせたところ、失踪が発覚したという。

「警察には?」

「一応、届けは出してきました。でも、しっかり取り合ってくれなくて」

 深刻な表情を作りつつ内心で、そうでしょうねと夕は思う。警察は人探しだけをやっているわけではない。

「何か、お姉さまが失踪される心当たりは?」

「それが、何もないんです。居なくなる直前も、本当にいつも通りで」

 言葉の端から、夏子が姉を心配している様子が見て取れる。

「お願いします、姉を見つけ出してください」

 テーブルに額を付ける勢いで頭を下げる夏子を制し、夕は思案する。

 人探しの依頼は、事務所を開いてから何度も請け負ってきた。しかしその殆どが、音信普通になった友人が何処に住んでいるのか知りたいだとか、離婚した夫が養育費を踏み倒しているので居場所を突き止めて欲しいといったもので、今回のように突然失踪した人間を探すというのは初めての事である。

「……駄目でしょうか」

 不安そうな依頼人の声に、夕は顔を上げた。

「わかりましたわ。依頼をお引き受けします」

「本当ですか!」

 その後、夕は夏子に料金などの説明をして、二週間の調査契約を結ぶ事となった。夏子が用意出来る費用を考えると、この期間がギリギリの長さになるようだった。ちなみに、水無月探偵事務所の料金は必要経費込みである。

「何か進展があった場合、都度ご連絡差し上げますわ。もし調査期間中に真澄さんの所在が判明した場合は、その時点までの料金を請求させて頂きます」

「はい、わかりました」

「結果如何に関わらず、二週間後に報告書をお渡ししますわ」

 契約書を作成し、夏子のサインをもらってからファイルに綴じる。

「早速ですが、夏子さん。差し支えなければ、お姉さま……真澄さんのお部屋を拝見したいのですけれど」

「すみません。私はこの後、講義があって……。明日の午後でも良いですか?」

「構いませんわ。では、明日の……十四時にお邪魔させて頂きます」

 流石に大学を休ませるというわけにもいかないので、夕は明日に真澄の部屋を訪問する事にした。夏子からマンションの住所と部屋番号を聞いて、手帳に書き込む。

「じゃあ、お願いします」

 夏子を階段下まで見送って、夕は事務所に戻った。

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