第4話 神託
顔を針で刺されるような痛みで、目を覚ます。
僕が目を開けると、目の前には巨大な炎があった。視界を覆い尽くし、仰ぎ見る程に高く立ち上る炎の渦。その業火が撒き散らす熱に肌を炙られ、僕は目を冷ましたのであった。
手足を縛られて、石畳の上で僕は転がされていた。
「捕まったのか……」
呆然と呟く。
場所は……ここは石上神社の境内か。清水上村から少し石段を登った、山の斜面に建立された神社。地方の村落としては立派すぎるほどのその神社の境内に、村人達は集っていた。境内で火を焚いているようであった。
そして僕が横になったまま見上げた炎の中に、一本の柱が立っていた。
その巨大な柱に、なにかが縛り付けられている。
なにか?
ナニカ?
視界がクリアになるにつれ、ソレの正体が明らかになる。
それはヒトの形をしたもの。
いや、かつてヒトのカタチをしていたもの。
だがその長い髪は灰となり失われ、全身は焼けただれ始めている。ソレはすでにヒトの形を保てず、かつて四肢があった名残を残すのみになっていた。
焼いてはいけないものを焼く悪臭が、周囲に立ち込めていた。
「そんな……」
僕は思わず声を漏らした。
それは火刑であった。
村の老人達は『火あぶり』をしているのだった。
この現代にありながら、まるで魔女裁判をするように。
「信じられない……」
老人達の狂気の深さを、その深淵を覗き込んだような気持ちであった。
「これが……この村の結末か……」
その絶望的の果てにたどり着いた光景に、涙が滲む。
彼らが今焼いている、焼き殺している少女の形をしたもの……。
等身大フィギュアであった。
あのクソヒロインのフィギュアである。
神主が特注で作ったアレである。巫女服着せられ、かつては石上神社の本尊として祀られていた等身大ヒロインフィギュアである。
どうやらクソヒロインは村を破滅させた魔女として、火刑に処されているようであった。だいたい合っていると言えなくもない。
とは言え、まるでアニメ村おこしの終焉を象徴するような光景である。尽力した僕としては、物悲しいと言えなくもない。だがすでにブチ切れた老人達は、狂ったような笑みを浮かべ炎を取り囲んでいた。
「返せ! 返せ!!」
「返さんか!」
「わしの老後の貯金を返さんか!」
そう口々に叫びながら、何かをフィギュアに向けて投げつけている。
目を凝らして見ると、それは丸い……握りこぶしより一回り小さい塊……。
まんじゅうであった。
ただの一つも売れなかったクソヒロインまんじゅうである。山のように売れ残ったそれを、老人達は力一杯フィギュアに投げつけているのだった。恨みを込めて全力で投げ込むその姿は、まるで高校球児のように若々しい。
その残酷な光景を見て、いつのまにか横にいた楓(こちらは縛られていない)が口元を押さえてうずくまった。その残酷な吐き気を堪えるようにして、彼女は呻く。
「信じられない……食べ物を……あんな粗末に……」
「楓も結構ノリノリだね」
いるよね、そういう反応する役目の人。
ちなみに彼女は甘党で、ケーキよりも和菓子派である。
そしてクソヒロイン饅頭を燃料に燃え盛り、クソヒロインを焼き殺す究極の地産地消火あぶりは、ついにクライマックスを迎える。業火に耐えていた柱が、バキバキと音を立てて崩れ落ちたのだ。フィギュアの残骸が炎の中に崩れる風圧で、ボワリと大量の火の粉が舞い上がる。
「「「バンザーイ、バンザーイっ!!」」」
老人達大喝采。その光景はなんとも地方の伝統行事の趣である。『一年の始めに厄を払うために人形を焼きます』とかナレーションが聞こえて来そうであった。
「いや、しかしこれで溜飲が下がってくれるなら……」
そう思った僕であったが、そう話は甘くなかった。
フィギュアを焼き終わった老人達は、目を輝かせながら僕の方を振り向いたのだった。
「げひひひっ……そろそろ、本番にいくかのう……」
「え、ちょっと待っ」
だがクソアニメで全財産溶かした老人達は、気の触れたような笑みを浮かべて縛られた僕を担ぎあげる。
「「わっしょい、わっしょい」」
老人達が運ばれる先にあるのは、さらに大きな木の柱……先程よりさらに気合が入った処刑場であった。十字の柱の足元には大量のアニメ雑誌やポスター、パンフレットなどが積み上がっている。完全にお焚き上げコースだ。
「ちょっと待ってっ、待って! さすがにそれは無いっ」
暴れて逃れようとするが縛られている上に、多勢に無勢。長年の林業で慣れた手さばきであっさり柱に吊るされてしまう。
「なかったんじゃ……クソアニメなんかなかったんじゃ……」
「そうじゃ、うちの村はアニメ化などしとらん……」
どんなに声をかけても、老人達はうわ言に呟き黙々と火付けの準備をするばかりである。完全にアニメ関連の物を焼き払って、アニメなんて無かったことに空気だ。
だがその時、やっと救いの手は現れた。
「ちょっとっ、おじいちゃんっ、おばあちゃんっ、目を覚まして!」
声を張り上げたのは楓であった。
「哲也を焼いたところでっ、貯金は返って来ないのよ!」
その一言に、皆の瞳に光が帰ってくる。
「帰って……来ない」
「ワシらの貯金が……帰って来んのか!?」
老人達は狼狽えたように口にする。
そんな当たり前の事すらわからないほどに、正気を失っていたのか。
そして楓の言葉は続く。
「確かに今回の件の一番の原因は哲也よ。アイツが変に煽らなければ、こんな事態にはならなかった……でもっ、その言葉を頭から信じて、ノリで無茶な投資を続けたのは哲也じゃなくて自分自身の責任じゃないっ。それをまるで、全部聖也のせいみたいにっ……」
楓の言葉に、俺は胸を打たれる。
「楓……」
いいヤツだとは思ってたが、まさかこの空気の中でここまで言ってくれるとは。
そして楓の言葉はさらに加熱する。
「何よりねっ。哲也が今回の馬鹿騒ぎを引き起こしたのはっ、この村の未来を考えたからなんだからっ。誰よりもこの村が廃れて欲しくないと思ってるのっ」
だって、と彼女は叫ぶ。
「だって哲也はこの村の事が大好きなんだからっ」
「それをあなたたちはっ!」
その叫びに、老人達は水を打ったように静まり返る。
誰もが黙したまま僕と、楓を見ていた。
ごうごうと、焚き火の音だけが神社の境内にこだまする。
だがやがて、一人の老婆が口を開いた。
今となっては村内唯一のアニメショップ店長、石原トメ婆さんである。
「楓ちゃんの言う通りじゃ」
彼女はしわがれた声で、悲しそうに続ける。
「ワシらは、目を逸らそうとしてたんじゃよ……ワシらは……この村はもう終わったんじゃ……伸るか反るかの勝負に負けたんじゃ……それに気付きたくないばかりにと、哲也坊を追いかけ回して……」
そして老婆はキリリと顔を上げると、こう言った。
「安心せい。若いモンばかりに責任押し付けたりせん。この村は終わったんじゃっ。ワシらもすぐに後を追い見事果てて見せるぞよっ」
そして彼女は持っていた灯油タンクを担ぎあげると、
ざゔぁあー
頭から灯油を被ったのであった。
「「「「おおおおおおおっっ」」」」
トメ婆の漢気に、老人達が感嘆の声を挙げる。
「「やっぱりおかしくなってる!」」
僕と楓は同時に頭を抱える。
やはり全財産を溶かしたショックは、老人達の精神に致命的な負荷を加えたようであった。トメさんに感化された老人達は、手に手に灯油をかぶり始め、あるいは可燃物を抱き抱え始める。
「待ってっ! 待ってっ! みんな落ち着いて!」
今にも焚火に飛び込もうとするトメさんを、楓は羽交い締めで止める。だがこの人数……今にも誰かが火の粉で引火しそうだ。
「まずい……このままではクソアニメのショックで集団焼死怪奇事件が起きた村として名を馳せてしまう……」
そんな事で有名になってしまうなんて……もう誰もこの村に移住しようとしないだろう……特にクソアニメのショックでというあたりが致命傷だ……。
「何か……何か……爺さん達を思いとどまらせるには……」
そう必死に考えようとした瞬間だった。
ぐらり、と地面が揺れ始めた。
「地震……?」
震度2……いや3ぐらいだろうか。
柱に吊るされているせいで大きく感じるのかもしれないが、かなり強めの地震だ。あれほど荒れていたじい様方も、立ち止まって辺りを見回している。
そして……これを見たのはきっと僕だけであっただろう。
小高い山の斜面にある神社。その境内の中でも更に高い位置に縛られた僕だからこそ、それが一望出来ていた。
清水上村の村名の由来になった、村落が面する湖。
その水面が揺れているのが見えたのだ。
地震の揺れではなく、まるで湖の中央から大量の空気が湧き上がってきたかのようにボコボコと泡立っているように見えたのだ。
「湖底にたまったガスが、地震で湧き出たのか……?」
そういう現象を聞いた事があるような、無いような……。
だがそれを見た瞬間、なぜか僕は思いついてしまったのだ。
その取り返しのつかないアイデアを。
まるで降って湧いたように……と言うよりは、むしろ魔が差したかのように……あるいは何かに囁かれたかのように……。
その致命的なアイデアに魅入られたのであった。
地震が落ち着いて一息つく老人達に、僕はこう言ったのだった。
「まだ清水上村は……負けてない」
そう言ってしまったのだった。
だがその瞬間、僕の中では全てのピースがピタリと重なったような気がしていた。一年あまりかけた村おこし、そしてその失敗……今日の出来事……火あぶりも、トメ婆の傷心自殺未遂も……全てが一つの方向に向けてハマった気がしていたのだ……。
だがそのパズルのピースに、何者かが細工をした事には気づいていなかった。混ぜられた不純なピースを使って組み立てたパズル。それが醜悪なモザイク模様になっていることなど、まる気づいていなかったのだ。
そしてその醜悪な絵画を、皆の前で開帳してしまう。
「邪神を、崇拝しよう」
僕はそう口にする。
流れるように僕の口から騙られる、清水上村の第二復興計画。
魅入られたように聞き惚れる老人達を前に、僕は延々とかたり続けた。
あとで楓に聞いたところ、まるでそれは僕ではないような……まるで託けられたような語り口であったという。
そしてここから、本当の怪談は始まる。
『架空邪神崇拝奇譚シズカミ村』
ご当地名物、邪神そば! 白木レン @blackmokuren
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