第4話 レニとの訓練

 ルーンカレッジの朝は早い。5時にもなると、熱心な学生がランニングや魔法の反復練習にとりかかっている。魔術師になるためには体力づくりも必要で、ルーンカレッジを外界と隔てている巨大な壁沿いをぐるりと一周走るのが、学生たちに人気のコースである。


 俺は入学以来、早朝から訓練を積むことが日課となっていた。何事も人と同じことをしていては極みに達することは出来ないものだ。もっとも、魔術に関することならどんな訓練であっても全く負担には思わない。俺にとって魔法とは尽きぬ興味の対象なのである。


 中庭では、流石に派手な魔法を使うことなど出来ないが、基礎的な体力や気力を鍛えることは出来る。ランニングの後、俺は呪文の詠唱態勢に入ったままその姿勢を維持し続けた。


 魔法を使うには非常な集中力が必要になる。これは魔法が使えない普通の人間には絶対に不可能な領域。実際に魔法を唱えることなく、その集中力を維持することで魔法に必要な持久力を養うことが出来るのだ。


 俺の気によって辺りの空気は張り詰めていた。しかし、遠くからこちらへと近づく足音が聞こえ、俺は集中を解きその人物を迎えることにした。


「やあ、きたね。おはよう」


 訓練の約束をしていたレニだ。彼女は慌てて駆けつけたようで、息は荒く身体が汗ばんでいた。


「す、すみません。おはようございます先輩」


「いや、それほど待ってはいないよ。約束の時間のまだ10分前だ」


 俺は懐から懐中時計を出して時間を確認する。自分の訓練の後に、レニを指導する時間をとっていたのだ。 


「ところで君は僕のことを『先輩』と呼ぶつもりなのか?」


 いままで先輩と呼ばれたことがないので、俺は若干戸惑いを覚えていた。これまで俺の周りにいたのは、大抵自分よりも歳上の人間ばかり。だからそれが新鮮でもあるし、違和感でもあったのだ。


「もっと良い言い方があれば変えますが、ご要望はございますか?」


 うーん、そう言われてもな。正直なところ俺は兄弟も居ないし、歳下の扱いには慣れていない。レニは俺の沈黙を肯定ととったようだ。


「ではジル先輩のままでお願いできますか?」


「先輩か。一歳しか変わらないんだがな」


 先輩と呼ばれるのはこそばゆい気がしてくる。


「いいえ、ぜひ『先輩』でお願いします。ジル先輩ってとっても響きが良いと思うんです!」

 

 なぜか強硬に「先輩」を主張するレニに俺が押し切られてしまった格好だ。ま、まあ呼び方などどうでもいい事だ。


 俺は一つ咳払いをすると、本題の訓練に入ることにした。


「さて、君はすでに魔法を使えるのかな?」


「いえ、まだです。家庭教師を雇うこともできたのでしょうが、父はカレッジで正規に学んで欲しかったようです。ですから、ある程度の知識はありますが魔法を使うことはできません。」


 なるほど、それがレムオン=クリストバイン流の考え方なのだろう。魔法に限らず、学問は必ずしも早く学ぶ方が良いとは限らない。人間としての成長に合わせ、正式に学ぶ方が良いという考え方もあるのだ。


「では初めて魔力を扱う段階がかなり難しいことは知っているな。これは初めて言葉を学んだり、馬の乗り方を習うのに近いかもしれない。これまで自分が生きてきた世界の法則とは、全く異なることわりに触れるようなものなんだ」


 俺はなるべく初学者でも分かる言葉を選んで説明を続けた。


「これから教本で初歩的な魔法の呪文を習うと思うが、あの詠唱文はスタンダードで一番学びやすいというだけで、唯一絶対のものというわけじゃない」


「どういうことでしょう? 呪文書に載っている以外の詠唱文があるということですか?」


「そうだ。人間の言葉には、それ自体に宿る言霊ことだまの力がある。呪文とは、この世界のことわりとは異なる方程式へとチャンネルを開く言葉であって、その作用を果たすためなら呪文を変えてしまっても構わないんだ」


 セードルフは教科書的にしか魔法を使えない人間だった。だが、それでは魔法を表面的にしか学んでいないということだ。いやしくも魔術師を自認するならば、魔法の理を解き明かす探究心がなければならない。教科書を必要以上に神聖視するのは三流魔術師のやることだ。


「上級編だけど、呪文を自分なりにアレンジし、魔法の威力や範囲といった効果を変えることもできる。でもまずは、教本に載っている呪文を使えるようになることから始めよう」


 俺は日々呪文のアレンジを探求しているが、その俺にしても初めて習得する魔法はさすがに教科書から学んでいる。


「それじゃあ、一番簡単なライトの魔法で練習してみよう」


 俺はレニを正面に立たせた。ちなみに彼女の格好は運動用のシャツにズボンといったラフな格好だ。レニを見ると、やや緊張した面持ちで立っている。初めて魔法に触れる緊張感、自分の時を思い出して俺も気分が高ぶっていた。


「身体の力を抜いて自然体で立ってごらん。そう、そんな感じだ。そして眼を閉じて身体の内部の魔力の流れを感じ取るんだ。脚から腹部へ、そして胸、肩へ」


 俺は言葉でそう説明したが、実際かなり難しいはずだ。これはあくまで感覚的なもので、言葉では伝え難いものだからだ。レニもその浮かない表情から苦戦していることがうかがえる。魔力を感じ取る、というのは存外難しい。いままで全く使われていなかった感覚を使おうとするためだ。


「うー、魔力を感じ取るというのが出来ません。その感覚がよく分からないんです」


 当然だろう、その正直な答えに俺は頷いた。だが、彼女の導き手であるからには、厳しく接することも必要。俺はわざと発破をかけるような言葉を選んだ。


「この体内の魔力を感じ取れないようだと魔法を使うことはできないぞ」


 レニは神妙な様子で俺の言葉を聞いていた。


「初めは出来ないのが当たり前だから、これはいずれできるようになるものとして先に進もう。魔力を十分に感じ取れたら、今度は丹田に力を入れ、そうだな、イメージとしては流れる魔力を額の中央に収束させ、球体を結ぶようにするんだ」


 これがレニが来る前に訓練していた詠唱態勢というやつだ。ここまでの準備段階は熟達した魔術師であれば一瞬でできるようになるが、カレッジの上級生レベルではある程度の時間がかかってしまう。そこに魔術師としての優劣の分かれ目がある。


「ここまでが呪文を詠唱する前段階だ。実際にはこの集中力を維持しつつ呪文を唱えないといけない。それはかなり難しいことだぞ」


 レニがこれから受ける初級クラスの授業では、まずこの段階までを学ぶことになるだろう。本格的な魔法の詠唱に入る前に、高いハードルがあるのだ。


「そしてここからが詠唱だ。呪文の詠唱は位階の高い、魔力消費の高い魔法ほどその詠唱は長くなる。魔法の発動まで、その時間を如何に稼ぐかということも重要な要素になってくる」


 戦場で魔術師が魔法を使うには、戦士の援護が不可欠である。詠唱する際に攻撃されれば、呪文を完成させることはできないからである。戦闘に魔法を活かす術を磨く魔法戦士や一握りの魔術師なら、戦いながら詠唱することも可能だが、その領域は遥かに高いいただきである。


「今回練習するライトの魔法は最も簡単な魔法で詠唱も短いから、よく練習用に使われるんだ。僕がやってみよう」


 俺は一瞬で詠唱態勢に入ると、慣れた動作で呪文を詠唱する。何千回と繰り返し唱え、もはや無意識にでも唱えることができる。


「ラムシータ・ベル・アラスール 我が魔力をもって闇を照らす光となれ」


 詠唱が終わると、不可視の力場のようなものが形成された。眼には見えないが、魔法の力の集中だ。そして人差し指で斜め上を指し示す。するとその先に光の球体が生まれ、辺りを照らした。


 これが第一位階の魔法・ライトであり、暗がりを探索する際に必須の魔法である。


「この呪文の有効時間は約2時間だ。もちろん自由に魔法を引っ込めることもできる。こんな風に」


 俺は再び集中すると、瞬時に光の球体が消滅した。目の前でレニは呆然と見ている。俺と彼女との間には、はっきりとした力の差があるがこれは当然だ。彼女の頑張り次第では、この差を縮めることが出来るかもしれない。もっとも俺の方も更に高みを目指すつもりだ。


「まずは詠唱態勢に入る練習だな。魔力を感じ取る練習を第一にやるんだ。それと並行して呪文の詠唱の練習。スムーズに言葉を唱えられるようにならないといけない。当面はこの2つを重視して練習するといい。そうすればそう遠くないうちに、ライトなら使えるようになるはずだ」


 多分レニはスジが良い。初めて出会った時から魔術師としての資質を感じていた。彼女であれば第一位階ならすぐに習得できるだろう。


「先輩はライトをいつ使えるようになったんですか?」


「僕か? 僕はカレッジに入る前だった。10歳の頃だったはずだ」


 俺はロデリックに基礎を教えてもらってから、一月後にライトが使えるようになった。もっとも使えるといっても色々ある。詠唱速度や効果時間など、当然初めは満足いくものではない。


「えーー、10歳ですか?」


 レニは可愛い顔で、口を大きく開けて叫んだ。そう素直に驚かれると、なんだか悪い気はしない。


「まあ僕の場合は環境が恵まれていたからだよ。第一に、親が宮廷魔術師だったから魔法の道具に囲まれていたことだ」


 そう、ロデリックには言いたいこともあるが、魔法を教えてくれた恩がある。少なくとも俺はそれだけは父に感謝をしている。


「第二に、身分の高い貴族ではなかったから、礼儀作法やら貴族同士の社交などというものに時間をとられることがなかった。伯爵令嬢であった君とは反対にね」


 貴族の令嬢というやつは、幼い時から貴族としての嗜みを叩き込まれるものだ。礼儀作法、舞踏、各貴族の家紋や由来など。俺は貴族とは名ばかりの家だったから、そんなことを必要とされたことはなかったのだ。


「わたし、ジル先輩に指導していただいて、とても光栄です。先輩の貴重な時間を無駄にしないように一生懸命がんばります!」


 レニはまっすぐな気持ちを俺にぶつけてきた。それが意外にも気持ちがいい。人を教え導くというのも、悪く無い経験かもしれない。初めは指導生になることに義務感しか感じていなかったが、ロクサーヌ先生の思惑に乗るのも悪く無い気がしてきたのだ。

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大魔導師ジルフォニア=アンブローズの戦記 大澤聖 @oosawasei

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