第3話 野望の起源

「ジル、新入生と会ったんだろ? どうだった?」


 部屋に帰った俺にルームメートが話しかけてきた。ルーンカレッジの宿舎は二人部屋になっている。この学園には各国から身分を問わず魔術師候補生が集まって来ており、中にはレニやミアセラさんのような伯爵令嬢や公爵の跡取りなどという人間もいる。


 そう、カレッジは、将来のために高貴で有能な人間とのつながりを得るための場でもあるのだ。そのような権門とのつながりは、宮廷で出世するのにも役に立つ。だから俺も、ルーンカレッジのなかで出来るだけ仲間を作ろうと心がけている。


「いい子そうだ。レニ=クリストバインという」


「クリストバイン? あのクリストバインかよ!?」


 彼の言う意味は分かる。クリストバインという名を聞けば、誰でもこんな反応になるはずだ。


クリストバインだ」


「へー、超絶有名人の娘じゃねーか。うらやましいぜ!」


「何がうらやましいんだ? 大体予想はつくが聞かせてみろよ」


「第一に、かわいーい子とお近づきになれる。これ以上のラッキーがあるか!? 第二に、あのクリストバイン家とお近づきになれるじゃないか」


 俺は思わず笑ってしまった。レニの容姿についてはまだ何も言ってないわけだが。 


 この遠慮のないルームメイト、ガストンに悪気がないことはよく分かっている。ガストンはここフリギアの平民の出で、両親は下町で魔法塾を営んでいる。下町で育ったことから口が悪くなったのだ、というのが好意的な見方だが若干疑わしい。


 ただ、ガストンは口は少々悪いがさっぱりとした気のいい男で、友情にも厚い。俺はそこに彼の美点を見出し、なるべくならその美点を見習いたいとも思っている。それに彼は明るい性格で、付き合うのに気を使わなくて良い。


「俺はそんなやましいことなど考えてないさ。ただの指導する下級生だよ」


「そりゃ、真面目なジルさんはそうかもしれんがさ。実際、指導生と新入生っていうのは、お師匠さんと弟子みたいに長い付き合いになることも珍しくないんだぜ」


 ガストンの言うとおり、この関係は生涯続くこともありうるものだ。もっとも俺とセードルフのようなこともある。


「それにしても、もう新入生の入ってくる季節になっちまったか。あいつら、明後日から魔法の基礎を学ぶのか。大変だろうな」


 同情の色を込めてガストンが言った。魔法というのは至極難しい。基本的に魔法が使えない状態で入学してくる新入生が、魔法の基礎を学ぶというのは、全く知らぬ言葉を一から学ぶようなもので、想像以上にハードルが高いのだ。


 そもそも学校の入学試験を通った段階で、俺たちは一種のエリートと言って良い。なぜなら魔法の力というのは万人に備わっているわけではないからである。魔力を持つ人間はおよそ1000人に1人と言われている。新入生も1000人に1人の才能を持っているということだ。


 しかし、これはあくまで学校に入学を許されたということに過ぎない。さらにこのルーンカレッジを卒業できるほどに魔法を修めることができるのは、その10分の1と言われている。つまり1万分の1の人間だけが、このルーンカレッジを卒業し正規の魔術師になることができるのだ。


 そして魔術師になったらなったで、その中でまた競争があり、優劣が付けられる。俺はそんな中で大魔導師を目指しているのだ。


 ガストンが同情しているのは、恐らく初級クラスのこの最初の段階で脱落していく学生が多いからだろう。


「俺は宮廷魔術師を目指しているわけじゃなし、いっそ気が楽だがな」


 ガストンがそう自慢気につぶやいた。奴がルーンカレッジに入ったのは、実家の魔法塾を継ぐため。経営者がルーンカレッジ卒の正規の魔術師となれば箔がつくというわけだ。


「そのレニって子、才能はありそうなのか?」


「さあ、今日ちょっと会っただけだが、人並み以上の魔力は感じられた。クリストバイン家なら事前にある程度の魔法教育を行っていたりするんじゃないか?」


「お前さんも、入学前から魔法使えたしな」


 俺は軽く頷いた。ルーンカレッジに入ってくる人間の背景はそれぞれだ。多くはルーンカレッジに入ってから初めて魔法を学ぶことになるが、中にはあらかじめある程度魔法を身につけている学生もいる。


 俺は父親が宮廷魔術師であったため、初歩的なことは教えてもらったし、魔法の道具もたくさんあった。ルーンカレッジに入る際に、すでに第一位階の魔法をいくつか使えるようになっていた。伯爵家のレニも、同じような教育を受けているかもしれない。


「明日彼女と会うことになっているから、もう少し詳しいことを話してみるさ」


「いつか俺にも紹介しろよ」


 調子のいいことを言いながらガストンは部屋を出て行った。


「そのうちにな……」


 すでに居なくなったガストンに、俺はそうつぶやいていた。


**


 レニに大魔導師になりたいと言ったのは嘘ではない。だが、無論全てを話したわけでもなかった。


 俺が大魔導師を目指しているのは、宮廷魔術師として上りつめれば、個人ではたどりつけない情報を手にすることができるからだ。一番に求めているのは、自分の出生についての情報だった。


 俺は長い間、自分が父ロデリック=アンブローズの子であることを疑ったことはなかった。宮廷魔術師の子として自分も魔術師になるのだ、かつてはそう単純に思っていた。幼い頃から魔法の勉強を始めたのも、子どもながらに父の仕事に誇らしさを感じていたからだ。


 だが世界はそう単純ではなかったのである。


 ルーンカレッジへの入学が決まった時、俺は父の顔があまりに真剣であることに戸惑った。普段は子どもの前でヘラヘラと笑っている父がである。ルーンカレッジに入学できるならもう大人として扱うべきである、ロデリックは恐らくそう考えたのだろう。俺は父の部屋に呼ばれ、その出生の秘密について聞かされたのである。


 13年前、父ロデリックはシュバルツバルトの聖地グアナ・ファルム一帯を警備する駐留部隊に配属されていた。そこはイシス教の聖地であり、世界各地から信者が巡礼に訪れる場所である。父は当時上級魔術師であったが、上級魔術師以下の魔術師が軍の部隊に従軍することは良くあることらしい。


 その日、ロデリックは朝早くに聖地の神殿を訪れていた。前日の夜、軍の指揮官たちの宴会に強引に付き合わされていたのだ。戦士たちの宴会の雰囲気や酒の飲み方は独特のものがあり、知識階級である魔術師は大抵疎外感を覚える者が多い。だが、ロデリックは普通に彼らとともに飲むことができ、朝まで付き合って一睡もできなかったらしい。


 父は聖地の神殿の周囲を散歩して、任務前に身体から酒を抜こうと考えていた。神殿の前にはイシスの像のある泉があった。神殿を訪れる者の多くは、その水を有りがたがって持ち帰る。ロデリックは泉の水で口をそそぎ、頭からかぶって酒精を追い払おうと泉に近づいた。


 泉のふちにはカゴが置かれていた。買い物などに使うようなものではなく、貴族の家にあるような装飾の入った高級なものである。誰かの忘れ物だろうか? ロデリックがそう思って近づくと、その気配を察してかカゴから赤子の泣き声が聞こえてきた。


「おぎゃー! おぎゃー!」


「!?」


 ロデリックは瞬時にそれが捨て子であることを悟った。この世界で捨て子はそう珍しいものではない。戦争はそこかしこで起こり、戦のたびに親の無い子どもや未亡人ができる。子を育てられなくなった親は、生きていくために子を捨てるしかなくなる。


 恐らくは、神殿の前に置いておけば神殿が育ててくれるのではないか、と親は考えたのであろう。とすれば、まだしも良心的な親なのかもしれない。


 ロデリックは赤子を抱き上げた。魔術師になるため魔法の研究に忙しく、妻は居なかった。父は赤子を抱き上げた時、何か幸せな感情に包まれるのを感じていたそうだ。それまで子どもを好きだと思ったことはなかったが、案外自分は子ども好きの人間なのではないかと気づいたらしい。


 ロデリックは、その赤子を自分の子として育てることに決めた。

 

 幼い頃、俺は母親が自分を産んですぐに亡くなったと聞かされていた。当然母親が居なくて寂しい思いをしたこともあるが、居ないことが当たり前になってしまえばそう思い悩むこともなかった。


 父は恐らく、真実を伝えるのは俺が自分で物事を決められる歳になってからで良いと考えたのだろう。認めるのも悔しいが、ロデリックが親として立派であったことは否定できない。


 自分は一体何ものなのだろうか。俺にとって、それは急に降って湧いた重大な事実であり、アイデンティティの喪失だった。ルーンカレッジに入り、ロデリックと離れて暮らすことになったことは、ある意味良かったのかもしれない。なぜなら俺は父に対して何かよくわからぬ怒りのようなものを感じていたからである。


 もちろんそれは八つ当たりなのだろうと自覚していたが、俺は複雑な感情を処理しきれないでいた。そしてそれは今もそう変わっていないのだ。いずれにしても、カレッジに入ったことは俺たち親子にとって調度良い冷却期間となったのである。

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