第152話 余話 2

 ドアにノックがあった。男は書類から目を上げて、


「何だ?」

「お客様です」


声は屋内の警備を任せている責任者のものだった。


「客?そんな予定はないが、誰だ?」


 予定なしに訪れて、警備主任が建物に入れ、しかも直々に報告してくるとなれば小者ではあり得ない。


「アンドレ・カジェッロ卿です、エガリオ様」

「カジェッロ卿が?分かった、入ってもらえ」


 アンドレ・カジェッロは一緒にドアの所まで来ていたようで直ぐに部屋に入ってきた。男――エガリオ・ザラバティ――が立ち上がって服装を直して迎えた。軽く抱擁して歓迎の意を示す。


「どうぞ、座ってくれ。カジェッロ卿」


 広く豪華な執務室だった。精巧な模様の入った毛足の長い絨毯が敷き詰められ、奥の大きな執務机の後ろには堅い木でできた書類棚が作り付けで並んでいる。部屋に入って5歩の距離にこれも豪華な応接セットが置いてある。ドアから執務机までの線上に置いてあるのはまっすぐにエガリオのいる執務机まで行けないようにしている用心だった。


 アンドレはドアを背にしてソファに座った。


「何か飲むか?」


 エガリオの問いに、


「まだ陽が高いからな、茶で良い」


 エガリオが呼び鈴を振って、顔を出したメイドに茶の支度を命じた。直ぐに茶が運ばれてきて、向かい合わせに座ったアンドレとエガリオの前に置かれた。アンドレが茶器を手に取って美味そうに一口飲んだ。


「いきなり来るなんて珍しいじゃないか、カジェッロ卿」

「公式の訪問じゃないんでな」

「ほう、なにか聞くのが怖い話じゃないんだろうな」

「あんたにとってはいい話だと思うが」

「ますます聞くのが怖くなったな」

「グレンダールのことだ」


 エガリオの眼が光った。少しくたびれたように前屈みになっていた背がピンと伸びた。アンドレが無造作に言った。


「始末して良いそうだ」



 レクドラムはアリサベル副王領の領都になってから人口が数倍に増え、街の広さもそれに応じて広くなっていた。元から帝国との交易拠点として栄えていたが、アリサベル領になって交易量が飛躍的に増えたのだ。さらに帝国からの商人も以前のようにアンジエームやジェイミールまで荷を運ぶのではなく、レクドラムで売りさばいてしまう者が増えた。必然的に王国の商人も増え、それに伴い商人以外の人々も増えた。当然のようにレグラと呼ばれる歓楽街も拡張されていて、現在のところ、戦前からレクドラムの裏社会を牛耳っていたグレンダール一家が半分以上を仕切っていた。グレンダール一家は帝国に占領されたときに街から追い出されたが、アリサベル師団が取り戻すといち早く戻ってきてレグラを再開した。ただ急速に拡大するレグラを完全に仕切るには人数が足りなかった。だからレフの伝手で進出してきたザラバティが徐々に勢力を拡大していて、派手なぶつかり合いこそないものの縄張りを巡って緊張状態が続いていた。エガリオ・ザラバティ自身もアンジエームの仕切りを幹部のダナに任せ、直々に出張ってくるほど力を入れていた。

 エンセンテの領都、ジェイミールの力が落ちている現在、アンジエームとレクドラムの裏社会を支配することができれば実質、王国の西半分の裏の覇権を握ることになる。


 力尽くでグレンダールを排除するだけの戦闘力をザラバティは持っている。さらに言えばアンジエームの傭兵協会も抑えている。いまザラバティの意向を無視して動ける傭兵はいない。つまりザラバティとグレンダールがドンパチ始めても、グレンダールが傭兵を雇うことで兵力を補充することはできない。それなのにザラバティがグレンダールに手を出さなかったのはジン家が許可しなかったからだ。

 グレンダールはエンセンテとのつながりが強い。エンセンテ宗家の傍流になる男がグレンダールを束ねている。ジン家とのつながりの強いザラバティとエンセンテとのつながりの強いグレンダールが争えば代理戦争のようなものだ。


――さすがのレフ閣下もエンセンテとトラブルになるのは嫌なのか――


 エガリオはそう思っていた。




「グレンダールを潰してもいいと?レフ閣下がそう言われたのか?」

「そうだ」

「エンセンテと気まずくならないか?新興のジン家としては,勢いがいくらか衰えたとは言え3大貴族家の1角であるエンセンテと事を構えるのはまずいと思っていたが」


 アンドレ・カジェッロはにやっと笑った。


「さすがのエガリオ・ザラバティも王宮内の情報は少し遅れるようだな」

「何かあったのか?」

「ジルベール陛下の正室が決まった。アルマニウスから輿入れされる。ウージェニー・アルマニウス・マチェレ様だ」

「アルマニウスから正妃が出るのか」

「だからもう遠慮することはない」


 レフ・ジンはエンセンテをはばかっていたのではない、エンセンテからジルベール王の正妃がでるかもしれない可能性を見ていたのだ、とエガリオは気づいた。間接的にでもジルベール王と対立関係になるのを嫌っていたのだと。ジルベール王は彼とアリサベル副王殿下が擁立したようなものなのだから。幼王と言われながらもう成人されたのだ、いつ婚約が決まってもおかしくない。


「分かった。兵隊が集まり次第グレンダールを潰してみせる」

グレンダール一家やつらやくに手を出しているからな、レフ閣下もお冠だ、徹底的にやれとのご意向だ」


 麻薬については何度も禁令が出ている。販売員ばいにんは捕まれば死刑か鉱山送りだ。それなのにグレンダールは薬から手を引かなかった。密売組織を摘発してもなかなかグレンダールの中枢までは繋がらないのだ。


“もう遠慮することはない。徹底的にやれ”


 というのがレフが言ったことだ。


「実行する前日には報せろ。カジェッロ分隊で後詰めをしてやる」

「後詰めを?いいのか」

「ああ、直接手を出すわけには行かないが、ザラバティの手をすり抜ける奴が出ないとも限らないからな、そんな奴は俺たちが捕まえてやる」


 アリサベル師団、レフ支隊の中でもカジェッロの手勢は精鋭として知られていた。特に魔法士は腕が良く上級魔法士長クラスの使い手だった。彼がいれば逃げ出すこともできないだろう。


「そこまでやるのか、レフ閣下は」

「容赦のない方だからな。あんたも王国の西半分の裏社会を握るんだ。閣下には気を遣った方が良いと思うぜ」


 エガリオ・ザラバティは初めて会った頃のレフ・ジンを思い出していた。抜きん出た力をあの頃から持っていた。どういうわけか自分には好意的に接してくれる。だが無条件にそれが続くと思ってはならないのだろう。


「ああ、せいぜい気をつけるよ」



 レグラの掃除は1日で終わった。グレンダールの頭目だった男――エンセンテの傍流でスタジ・グレンダールと言う名前だった――の自宅の隠し地下室から裏帳簿と大量の麻薬が出てきた。それを警備隊に渡して、ザラバティ一家はおとがめなし、となった。スタジ・グレンダールとその側近は公開裁判にかけられ、判決は絞首刑だった。



「久しぶりだな、エガリオ」

「ご無沙汰しております」

「レグラの仕置きはザラバティ一家にまかせる」

「ありがとうございます。何か注意することはございますか」

「そうだな、薬と闇の奴隷売買は許さない。私の気質はわかっているはずだ。エガリオはこっちレクドラムに当分居るつもりだとアンドレから聞いたが、それならいちいち私から面倒な指示をしなくて済む」

「はい、しばらくはレクドラムにおります。アンジエームよりこちらの方が面白そうですので」

「アンジエームはどうするんだ」

「ダナにしばらく任せます」

「そうか、まあうまくやってくれ」

「畏まりました」


 簡単な会話のみでレフの前を辞したエガリオ・ザラバティだったが、気がつくと背中を冷や汗が伝っていた。


「やれやれ、おっかないお方になったもんだ」


 のしかかってくるような圧迫感を思い出しながら、


「あの方は一種の化け物だな。剣呑、剣呑」


 いつの間にかそうつぶやいていた。

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レフ ―異人伝― 真木 @mk_hs025

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