スターティング・ラヴァーズ。

 

 結局そのままお風呂にも入らず、ベッドの上で寝入ってしまったあたしは、翌朝リーバ君に起こされて目が覚めた。

 被っていた上掛けをよけて部屋中見回しても、彼の姿がどこにも見えず、寝起きのぼうっとした頭であたしは首を傾げる。


「リリ、こっち。上だよ」


 なぜか、声が天井から降ってきた。

 言われるままに見上げたあたしは、この部屋にロフトがあったと今頃になって気がついた。

 作りつけの階段が続く四角い穴から、リーバ君が顔を出して見下ろしている。


「登ってこれる?」

「うん、……たぶん」


 階段になってるんだから登れないはずはないんだけど、あたしは高いところがあまり得意じゃない。

 足を踏み外したら、落ちちゃいそうで。


 でも、あたしを待つリーバ君の顔がなんだかとても楽しそうだったから、あたしは意を決してベッドから下り、両手も使ってハシゴみたいな階段を登っていった。

 上で待ってたリーバ君に最後の数段は手を貸してもらって、なんとか登り切る。


 屋根裏の小窓は開け放たれていて、そこから街並みが見えた。そんなに高い場所ではないけど、やっぱりちょっと怖い。

 どうするのかな、と思ってリーバ君を振り返れば、彼は今度は屋根へ続く扉を開け、そこのハシゴを下ろしていた。


「リーバ君、何してるの?」

「今日は天気がいいから、屋根に登ってみようと思って。……リリ、そこ押さえてくれる?」


 なんか、さらっと怖いこと言ってる。

 セイエスって森の民だから、もしかして木登りとか得意なの?

 心の中で身構えながら、あたしはハシゴを押さえつつ天窓を見上げてみた。


 突き抜けるように真っ青な空を白い薄雲が通り過ぎてく。


 本日は快晴、みたい。


「よし、コレで大丈夫」


 ハシゴの上と下を固定し終えたリーバ君は、ためらいもなくハシゴに手を掛け、身軽に天窓から屋根へと登りついてしまった。

 唖然と見上げるあたしを天窓から見下ろし、右手を差しのべて笑ってる。


「リリもおいで」

「え、あたし、ムリっ」

「大丈夫、落下防止の欄干もついてるから」


 そういう問題じゃないの、リーバ君。あたし、不器用でドジでのろまなんだもの。

 屋根の上なんて、怖すぎる。


「ムリ、絶対ムリっ、きっと欄干越えて落ちちゃう」


 必死で首を振って拒否したら、声を立てて笑われた。

 あたしにとっては笑い事じゃないのに、リーバ君は手を引っ込めてくれない。


「大丈夫だって。こう見えても僕は、魔法のエキスパートなんだから」


 あたしの大好きな夜空色の瞳が、そう言い切って優しく笑った。

 だからあたしはもうどうしようもなくなって、奥歯をかみしめハシゴを掴む。


 大丈夫、リーバ君が大丈夫って言ってるんだから、絶対大丈夫。


 自己暗示をかけながら短いハシゴを登り切り、天窓から屋上に這い上がったら、そこは想像していたナナメの屋根じゃなく平らな床が広がっていた。

 しゃがんで待ってたリーバ君が、あたしの手を取って立ち上がらせてくれる。


「どう?」

「うん、大丈夫だった」


 笑顔で聞かれ、なんて答えていいか解らずそう答えたら、リーバ君は得意げに胸をそらせた。


「この宿は、全部じゃないけど屋上に通じている部屋があるんだ。特に何も置いてないけど、出入りは自由だそうだよ」


 そう説明してから、彼は欄干まで行ってそこに寄りかかる。

 あたしもついて行って隣に立つと、リーバ君の視線を追ってそこから見える街並みを見渡してみた。


 今見ている朝霧と煙にかすむ街の風景は、間違いなく、あの高い建物の部屋から見た夜景の一部だろう。

 キラキラした幻想的な雰囲気はここにはなくて、色とりどりの屋根と薄汚れた石壁と、道を行き交う人の姿で満ちた、何の変哲もない朝の光景。

 路地裏を駆け抜けていくストリートチルドレンたちが視界の端に入り、あたしはそれで、ようやく現実に帰ってきた気がした。


「ここも、……ゼルスなんだ」


 ぽつんと口をついて、そんなセリフが出た。リーバ君が首を傾け、黙ってあたしを見る。

 通り過ぎる風に揺れる前髪が、朝の光に蒼く透けていた。月の満ち欠けで色を変える夜闇みたいだと、あたしは彼の瞳に感じたのと同じことを考える。


 この街の夜景があんなに綺麗なのは、この街に降りる夜が寂しさも悲しさも等しく闇色に溶かし込んで、そこで生きる人たちの命の証明だけをキラキラ輝かせてくれるからなのかもしれない、……と、ふいに思った。


 部屋に戻ったら、眠る前にもう一度見てみようと心に決める。

 きっと今なら、前とは違った気持ちであの夜景を眺めることが、できるだろうから。


「……そろそろ戻ろうか、リリ。市場に寄って服を買わないといけないし。今日の夜はシャーリィと打ち合わせする予定でいたから、早めに部屋に帰らないと」

「うん。あたしも、シア君が来る前にお風呂入りたい」


 いろんな不安はあるけど、これからゆっくり一つずつ、考えていいんだと思った。

 十年後の約束も、一緒に旅をするって話も、……リーバ君とあたしの関係も。


 だってあたしはまだ、彼と同じ場所に立ててもいないもの。


 それでもこの数日間で、マイナスだらけだったあたしの心は、ようやくゼロになれた気がする。

 だから、これからはちゃんと頑張ってプラスを積み上げていきたい。


 夢を語るのに恥ずかしくない女の子になって、いつか自分で願いごとを叶えられたら。


 そこまで考えてふと、酒場でオバサンたちに聞いた話を思い出してしまい、あたしは一人そこで、思い切り赤面してしまった。


「……リリ、なんか変なこと考えてる?」

「ふぇっ? ち、ちがっ違うもんっ」


 唐突に隣から覗き込んできたリーバ君に突っ込まれ、あたしは焦って彼に背中を向ける。

 でもきっと、膨らんだシッポのせいで全部ばれちゃったに違いない。


 くす、と背中の向こうで彼が笑った。


「シャーリィが明日、街を案内してくれるそうだよ。もう一人の友人も付き合ってくれるらしいから、リリに紹介するね」

「う、ん」


 リーバ君とシア君のお友達。どんな人なんだろう。……優しい人ならいいな、と思う。


 あたしが育って、生き延びてきたゼルスの街。あたしはいつだって逃げ隠れてばかりいたから、この街の綺麗な姿も、楽しい風景も、面白いモノも……何も知らなかった。

 そういう意味ではあたしも、旅人のリーバ君とそれほど違わない。


 もっとこの街を知って、ここでの友達が増えれば、あたしはこのゼルスという街を大好きって思えるようになるのかな。


 まだ不安だけど、それでも。


「明日、……ちょっと、楽しみかも」


 全然冷めてくれない頬を両手で押さえて冷やしながら、正直な気持ちを呟いたら、背中の向こうからそうだねって相槌が聞こえた。

 リーバ君の指が、促すようにあたしの肩に触れる。


「さ、行こうか」

「うん」


 はじまったばかりの、あたしの初恋。


 どうか、叶えられますように。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きみとはじまるゼロ・ラウンド 羽鳥(眞城白歌) @Hatori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ