第16話 閉幕

 夏の甲子園は、下馬評の通り、月ヶ瀬高校の優勝で終わった。


 例年、夏の甲子園が開催されている最中、高校野球に密着したテレビ番組が毎日放映される。対戦校が紹介されるが、時間が割かれるのは、負けた高校だ。


 勝った高校は先があるのに対し、負けた高校はそれまでだからだ。

 負けた高校にもドラマはある。勝った高校は後で紹介される可能性があるから、後回しにされる。


 もっとも、決勝戦の日は違う。翌日は試合がない。番組も終わる。

 番組のエンディング、テーマ曲に沿って、編集され、その年の甲子園の名シーンを集めたものが流される。そして、例年、最後のアウトの瞬間、マウンド上に集まる優勝校の球児達でその夏の甲子園は締めくくられる。

 それまでの想いの集大成がそこに込められている。

 優勝校はそれだけの価値のあることをしたのだし、優勝シーンはテレビ映えもする。優勝シーンこそが一番の名シーンと言っていい。

 

 しかし、今年は違っていた。

 途中、月ヶ瀬高校の優勝シーンが挿入されたものの、その姿よりも、マウンドを降り、代打を見送る滝波の姿が大きくアップで映し出された。そして、9回、最後まで声援を送るスカイブルーの応援席、そして、忍原高校の下級生の姿を映し出し、その年の番組は終わった。


 下馬評通りの結果に終わった甲子園をつまらないと言う人がいる。強いものが勝って、何が面白いんだと。

 強豪校を無名校が倒していく。

 ジャイアント・キリングと言われる勝利。


 その勝利は感動を生む。

 強大な敵に知恵と工夫、友情、そして熱情をもって挑み、勝つ。少年漫画において、主人公が最初から強いことはなく、様々な困難を克服し、負け確実と言われた状況をひっくり返す。このパターンが繰り返し使われるのは、それがやはり面白いからだ。


 野球は必ずしも実力通りには決まらない。

 実力に差があったとしても、ある程度の基礎があれば、勝敗は時の運に委ねられる。その揺らぎが野球を魅力的なものにする。


 実力があっても、勝ちきれないこともある。一回負けたら終わりのトーナメント戦では、一球にかける球児の思いの強さが勝敗を分けたと言われることもある。

 下馬評通りにいかないから、高校野球は面白い。


 それも一つの真実だろう。


 次々と有名校を破り、決勝戦まで来た忍原高校は今回の甲子園大会の主役だった。負けたといえども、やはり主役は主役なのだ。

  

 そう今年の主役は、月ヶ瀬高校ではないのだ。おそらく、来年も、月ヶ瀬高校は主役たりえない。

 月ヶ瀬高校は、悪役。

 倒されるべきラスボスなのだ。今年は、倒せなかった。でも、来年以降倒す高校が出てくるはず。忍原高校も来年再度挑戦してきてもらいたい。

 

 春夏連覇の偉業も、悪役が成し遂げたら、それは偉業としては見られない。強いからそういうこともあるだろう。その程度かもしれない。

 

 2年生の東原駿はそのテレビを見ていた。もちろん、他の選手も一緒だ。


 分かっていたことではあったが、テレビの扱いはひどかった。

 来年も東原駿は戦わなければならない。

 マスコミが、観客が、そして、時には審判までもを敵に回すことがあるかもしれない状況で。


 東原駿の学年は、今の学年ほどスターがそろっているわけではなかった。

 これは宿命だ。

 強い学校に入り、その中でレギュラーをとるというのも、一つの選択肢ではある。しかし、強い学校があると、逆にその学校を倒したいと思う生徒が他校に流れてしまう。強い学校があり、その学校を倒したい学校がある。倒した学校は強くなるが、また、その倒した学校を倒したいと思う生徒が違う学校に行く。

 その繰り返しだ。


「駿、どう思う? 正直に答えていいぞ」

 佳史が聞いた。

「……やっぱり、ひどいですね。毎年見てますけど、月ヶ瀬高校ってこういう扱いですよね」

「ま、仕方ない。ずっと強いからこういう扱いを受ける」

 佳史が続けた。


「弱い悪役がいて、そいつらを正義の味方がやっつける。かませ犬がいて、それはそれでいいが、最終局面でも弱い悪役がいて、正義が勝ちましたって言っても面白くないだろ? ストーリーは強い悪役がいないと成立しないんだ。甲子園はよくも悪くも巨大になりすぎた。ビジネスとして大きくなりすぎた。そこには商業的に成り立たせるために、ストーリーが必要なんだ。俺はそれを悪いこととは思っていない。そうでなければ、下手すりゃプロ野球も成り立たないし、俺たちも野球が出来たか分からないからな。月ヶ瀬高校ってのはそういう役割を担っている。俺は月ヶ瀬高校は強くなければならないと思ってるし、ずっとそうでいて欲しいと思う。だから、お前らにも頑張っていって欲しい。月ヶ瀬高校って話がずっとできるように。ま、この話も前の副主将がしてくれた受け売りだけどな」

 

 そこまで言うと、佳史は笑った。主将の信司が3年生のまとめ役なら、副主将の佳史は下級生のまとめ役だった。

 

「堅い話はそのあたりにしようぜ。なんせ、優勝したんやからな」

「そうだな。『終わりよければ全てよし』だ」

「二人とも、せっかく佳史がいい話してるんだからさ。もうちょっと先輩らしい言葉はないのか?」

「ん? よし、ええで。俺もええ話するわ。駿、つよなり。それだけでええんや。野球、やってて楽しいやろ? 勝ったら楽しいやろ? 他のことは気にせんでええんや。……よっしゃ、ええこと言うた」

 全員が笑った。

 

 甲子園には様々な高校球児が集まる。

 一度負けたら終わりのあまりにも残酷な試合形式にかけた高校生達。残酷さ故に、そこには儚さと煌めきが残る。無名校も有名校も一度負けたら終わりなことには変わりはない。 

 無名校にストーリーがあるのなら、有名校にもストーリーはある。

 甲子園にまで出る球児達が努力していないわけがない。そこにあるのは、純粋な想いだけだ。

 一生懸命に青春を駆け抜ける球児達に上下はない。

 

 どこかの夏のグラウンド、小学生達が話していた。


「月ヶ瀬高校、強かったな」

「うん、すごかった」

「やっぱり、すごい」

「ああいうふうになりたいな」

「うん。上手くなって、ラスボスって言われるぐらいになりたい」

「最後の越えるべき壁って感じがするもんな」

「よし、練習しようぜ」


悪役にもファンはいる。


(了)

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俺たち、ラスボスだってよ 水瀬 由良 @styraco

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