第15話 主将
「負けるなよ」
その短い言葉に込められた意味。
優勝インタビューの時も信司は噛みしめていた。
先輩は『何に負けるなよ』とは言っていなかった。
毎年、月ヶ瀬高校は優勝候補と言われる。勝って当然と言われる強さ。その強さに憧れ、月ヶ瀬高校に入学する生徒は多い。
激しいレギュラー争いに勝利した選手は地方大会ベスト8を戦う頃に理解する。
月ヶ瀬高校のユニフォームを着て戦う意味を。
勝って当然、このユニフォームを着て戦う以上、負けは許されない。
負けてはならない。
この意識は、月ヶ瀬高校の選手であれば、どの選手も持っている。大体、全員が負けず嫌いだ。
試合に勝つ。
先輩が伝えたかったことはそんなことではない。
信司は寝ても覚めても、あの時の送球のことが頭から離れなかった。甲子園敗退後、新チームに移行し、練習もすぐに再開される。
信司は不安で仕方がなかった。
ちゃんと送球ができるのか不安だった。グランドに立つのが不安だった。いや、むしろ、自分が月ヶ瀬高校にいていいのか不安だった。月ヶ瀬高校にいる資格があるのか不安だった。
「負けるなよ」
その短い一言には、周りの雑音に負けるな。重圧に負けるな。ありとあらゆる意味が込められていた。
そして、何よりも自分に負けるなと言われた気がした。
信司にとって、この一年は克己の一年だった。
あの送球から信司にとっての戦いは始まっていた。最初から自分には退路なんてない。だったら、立ち向かっていこう。
目標は、春夏連覇、いや、公式戦全勝以外にはありえなかった。
ともすれば、危うい覚悟だった。
しかし、信司は負けなかった。
自分は一人ではない。自分一人で自分に勝たなくてもいい。仲間がいる。支えてくれる。
信司には強さと弱さがあった。
信司には弱さを認める強さがあった。
信司には誰かを頼らねばならない弱さがあった。
だからこそ、主将に相応しかった。
そんな信司だから、全員がついて行った。ベンチ入り出来なかったメンバーも含めて信司は、全員とよく話をしたし、全員から話をよく聞いた。
信司は誰からも頼られたし、誰にでも頼ることが出来た。
一方で、信司はチームには誰よりも厳しかった。
練習で少しでも緩んだ態度をとったチームメイトには容赦ない叱責の言葉を浴びせた。試合で消極的なプレーをした選手には怒号を飛ばした。
常に、日本一になることを意識づけた。
常に、最高のプレーをすることを意識づけた。
甲子園で優勝するチームとは何か。
それは派手なプレーで魅せることができるチームではない。
当たり前のことを当たり前にでき、油断のないチームが優勝するチームになる。練習から緩んでいて、試合で締まったプレーができるはずがない。少しでも消極的なプレーが出れば、それは癖になり、いつの日か積極的プレーはなりを潜める。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
その言葉を残したのは、誰だったか。
信司には、苦い苦い思い出になった送球があった。練習で出来ていたことが、試合では出来なくなる。それが、信司にとっての当たり前だ。練習で、できていないことが試合でできるわけがない。
信司は、あんな思いをチームメイトにはさせたくなかった。あのプレーをしている信司の行動には強い信念があった。
信念に揺らぎがない主将の下、全員が最高のプレーをする最高のチームを目指し、まとまったチーム。
それが、月ヶ瀬高校だった。
インタビューで村田監督は次のように語った。
「この世代は私がいいと思った選手を全員集めることができた世代でした。ただ、みんな、個性が強すぎました。誰が主将になっても、まとまらないかもしれない。そう思って、スタートした学年です。ところが、それを安本がまとめてくれた。私では力不足でまとめられなかったでしょう。彼らの学年に安本がいたのはチームにとって幸運でした」
信司は、ようやく胸を張って、月ヶ瀬高校の校門をくぐることができるようになったと思えた。
長い長い高校2年の夏だった。
やっと感じた高校3年の夏は、とても暑く、とてつもなくまぶしかった。
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