第10章 滑落

第10章 滑落



 201×年秋。離婚して1人になった僕は相変わらずやさぐれた生活に溺れて、夜には性を求めて街を彷徨うのであった。

 キャバ嬢「まゆ」とはあのあと何度か遊んだが、店に行くのが高く付くので、最近は携帯で「店に来て」とLINEされても「忙しい」としか返さなかった。

 そのかわり「出会い喫茶」にいっては、若い子とは食事を、お姉さんとはホテルで遊んだりしていた。

 第1章で出会った「ピョン」はそんな出会い系喫茶で出会った顔色の悪い子で、僕はなぜか気になって彼女を指名し焼肉屋へ連れて行った。話しているうちにピョンは家出をして彷徨っている女の子で、美味そうに肉とビールを流し込むとちょっと元気になって、僕の家へ泊めてくれ、というのである。名前も年齢も出身もわからない家出少女を匿うわけにはいかないと断ったが、ピョンは不安がることもなく洗濯がしたいと僕の部屋に来たがるのであった。


    *


ピョンはついてきた。僕の後ろを追って、赤い部活の遠征バッグを重そうにしてついてきた。

 私鉄で2駅。マンションの前。

 「あのさあ、絶対にばれないように、家に電話してくんない?」僕は言った。

 「サー! 恋人になるんだもん、監禁も誘拐にもならないから!」ピョンはすっかり元気になって少し酔っているようだ。顔色は良くなったと思う。


 「すごーい、マジ綺麗じゃん! セレブな部屋!」ピョンはそう言って鉢植えの周りを見上げながら、クルクル回った。

 「狭くてすいませんね、ワンルームで。ピョンは寝るとこないから」

 「そんなん、ベッドで一緒に寝よーよ、これダブルじゃん?」僕は身長180センチなのでシングルではなくセミダブルが必要なのだ。

 ピョンは、興味津津でベースやギターやアンプを指さしては「これ何?」を繰り返した。

 洗濯をさせ、シャワーに入らせた。狭いベランダは一気に干し物でいっぱいになった。

 ピョンは短パンに長Tシャツで、肩からバスタオルをかけて携帯でメールしている。

 僕もシャワーに入った。万が一のことを考えて財布を持ち込んだ。金より身分証関係が盗まれたら怖いからだ。

 風呂上がり。「ワインでも飲むか?」「飲む飲む」

 コンビニで買ってあげた菓子を頬張りながら、ピョンは言った。

 「はー幸せ。こんな生活してみたい」

 「寂しいもんだよ。妻に追い出されて、子供にも会えず、ここにひとり寝るんだ」

 「オジサンも事故っちゃった人なんだね、大丈夫、みんな寂しいんだよ」

 ワインはすぐに空いた。ピョンと2人で、サイコロでチンチロリンをした。5円玉、10円玉をかきあつめ「丁!」「半!」で盛り上がった。

 花札もした。馬鹿っ花で、絵札を合わせていく。雨札さえ覚えれば簡単でピョンにとってはグラブルとかより新鮮なのかもしれない。キャーキャー言って「来い!」を連発した。

来ないと「ブー」、来たら来たで、「ぴょーん」を連発する。出来役は僕が教えてあげるのだ。点数を数え、紙に書いて、コインに替える。

「悔しー、飲も、涼ちゃん、ワインもう1本!」いつのまに「涼ちゃん」になっている。

話を聞くと、だいたいこうやって男子にナンパされ、夜は居酒屋で朝まで飲ませてもらい、朝になってマックなどへ行くらしい。彼女にとっては深夜こそがアドレナリンがでる活動期になってしまっている。僕と同じだ。

 空が紫色になってきた。気づけば取っておいたシェリー酒まで空けてしまった。

 「や―寝るべー」僕はさすがに疲れてベッドへダウンした。ピョンが「あたしもっ!」

と僕に覆いかぶさった。「酔ったー」といって僕の首に手を回しくっついてくる。

ベッドの上を二人で泳いだ。シーツの中で二人して暴れた。


ピョンとの短いが、楽しい生活が始まった。

 僕は昼に起きると、ピョンはまだ同じベッドの上で、カースーと鼾をかいて寝ている。

 (女はよく寝る生き物だ)なんていう格言を思い出して、(そういえば舞もそうだったなあ、旦那が帰宅しようと、休みであろうと、10時には寝ていたもんな、娘たちができたら、9時には寝てたんじゃないかしら)微笑ましくなった。ガラスの楕円のテーブルには2万円を置いといた。そのまま起こさずそっと仕事に出た。ピョンが出て行こうが、鍵が開いたままだろうが、気にしない。保険証と車の免許とクレカさえ財布にあれば、「どうにでもなれ」だ。

 仕事を終えて夜中の12時に帰宅。マンションに帰ると、ピョンはいた。

 「夕方まで寝てた。超―スッキリ。涼ちゃん、お疲れ様でピョン!」両手で耳を作る。

 「阿呆か、ったくなんも食べてないんか?」

 「昨日の夜、コンビニで買ったつまみは食べたよ、カールがいちばん好き。でもお腹すいた」

 「2万置いてったじゃん」

 「ああ、頂きます! でも家のカギもらってないから、オートロックとかでしょ、出らんないよ」

 僕はそこまで頭が回らなかった自分を後悔した。

 「そっか、ゴメンゴメン。で、何やってたの? いままで」

 「ゲーム。そんでまた寝た」

「うーん、寂しかったろ?」

「べつに。充電できて嬉しかった。洗濯ものも乾いたから嬉しかった」

「それだけか・・・。まあいいや、飯でも食べにいこ」「行く行く!」

駅前の激安焼き鳥チェーン店で勘弁してもらった。ピョンはよく食べるし、よく飲む。

「学校とかどうしてんの?」僕はビールをうまそうに飲み干すピョンに何気なく訊いてみた。

「行ってない。中学は卒業できたよ。保健室とかマジ退屈だから、午後とかに行ってたもん。先生とかよく来てくれて勉強教えてくれるんだけど、悪いなって思って。みんななんか教室に戻すためにウチを全力で応援してくれるんだけど、重いっちゅーの。つか昼間はマジ無理。眠たくて人の話が聞けないの。ネットでゲームして同じ様な子たちと遊んでる。王道ファンタジーや共闘バトルが好きかな、涼ちゃんは何やるの?」

「やらねえよ。ポコポコとかツムツムだってイライラしてできないもんな、高校は?」

「県立。頭いいでしょ? 県立なら頭がいいから高校行ってもいいって、ママが言った。だから結構勉強したよ。5科目もあんだもん、マジきつかった。でも社会とかマジヤバい。0点だよ絶対。でもみんな何点でも入れるってわかった時はけっこうショックつーか、騙されたっつーか、またやる気なくなって学校がしんどくなって、行かなくなったかなー。なんか途中で辞めさせられた」

「親父さんは?」

「いない。つか最近きたオヤジがマジウザい。タイやミャンマーに移住しようとか、意味分かんないことばかり言って、酒飲んで、ママと喧嘩になる。ママは酒で暴れるから、困ってなんもできないし笑、ナンコツ美味い! あたしこれ大好き」

「で、家を出た・・・と」

「ナンコツもう2本! あと唐揚げがいいな。ん?出たんじゃない。ママが出てけって。高校行かないなら約束とは違うって。いつも酔ってるから本気なのか、嘘なのか、分かんないんだよね、あのひと。言ってることと、昨日言ってたこととか全然違うし。ムカついたから友達んち渡り歩いたし。そんでもなんも言わないもん。あのひとダメだわ」

僕は、女の子の話を聞くのが好きだ。オジサンが話したって意味なんかない。

「ふーん、大変だったね。お母さんは殴ったりするの?」僕は訊いた。ピョンはグラスを空けてフーっと息を吐く。

「酔うとね、包丁持って『こんな子に育てた覚えはない、あんたを殺してあたしも死ぬ』って言って暴れるの。モノとか平気で壊すし、ガラス割ったり」

「そんで自分を責めたりはしなかった?」僕は煙を吐いた。

「ああ、リスカ(リストカット)とかあ? あれは生きててごめんなさい、みたいな真面目な子だよ。お母さんゴメンなさいみたいな。チキンレースだよね。やると癖になる。どこまでいけるか、みたいな、フフフ」ピョンは右手のうらを見せた。腫れもののようなひとすじの跡。

「死んじゃいたいって思うんだ」僕は枝豆ばかり食べる。

「全然。狂って根性や同情のためにやる子もいる。ジコチューなんだよ。愛されたいってね。ビルから飛び降りれば一発なのにね」

「そりゃ怖いでしょ」

「うん。だから死なない、梅酒ソーダお願いっ」

「涼ちゃん・・・今日一日だけ楽しもうよ。あたしはそうして生きてる。明日は死んでてもいい。今日、獣神マッシュを倒せるか、クリームコロンが食べれるか、それで充分なんじゃん?」

「なんだよ、獣神マッシュって?」

「ああ、ゲームのキャラね、ほんとムズイんだ、でもゲットしたらガチャ☆5、最高」

「うんん? オジサンには無理かな、わからない」

「じゃ、死ねば?」

「いやいやいや。責任とか義務とかさ、色々あるわけじゃん」

「涼ちゃん・・・ないよ。どうせ法律とか警察とか気にしてんでしょ、チョコミントアイス食べたって、徹ゲー(徹夜でゲーム)したって捕まらないって」

「いやいやいや、ピョンのハードルが低いって。ああ、割り切りだって犯罪だぜ」

「今日いいこと出来なかったら困るでしょ、なんだってやるよ」

「ちゃんとしたバイトしな・・・・うそ。説教できない」僕は焦った。

「男は可哀そうだよね、プライドばっか。自殺して逃げたり、引きこもったり、働けっつの」

「将来とかさ、夢とかさ、無いの?」

「だーかーらー、獣神マッシュを倒せるか、クリームコロンが食べられるか、って言ってるさ」

「うー! どれもあんま欲しくないな。大人になって贅沢になっちゃった」僕は、この国に教育の必要性とか、格差社会のもたらす貧困解消とか、親のネグレクトとか、いろいろな問題について考えながら聞いていたが、それ自体、上から目線だということが分かった。少なくともピョンに生き方を教わっている。僕だって一夜の楽しみのために生きているだけではないか。

「子供欲しい! ・・・けど男は要らない!」ピョンは思いついたように言った。

「わかった、わかった。男ですいませんね」

僕は、ウィスキーも炭酸も薄くて甘いハイボールにムカッとしながら一気に飲み干した。

「飲むベ、飲むべ」「うん、そーしよー」


休みの日にピョンと買い物に出かけた。ピョンのバッグには意味不明なハイカットのバッシュ(バスケのシューズ)や、おどろおどろしいマンガの数々、おどろおどろしいピンクの厚底サンダル、など、これから冬だというのに冬ものの服はほとんどなかった。

渋谷で、ダッフルのコート、ファーのついたセーター、巻きスカート、ジーンズ、ショートブーツなどを買ってあげた。ついでに下着なんかも買ってやった。

もちろん昔のように彼女と店になんか恥ずかしくて付いていけないからカードを渡して、僕は外で待っていた。昔は有希乃に付いていって「試着した服を見て」なんて言われたもんだ。今付いて行ったら完全に変態だ、犯罪者だ。こうして娘のような年ごろの女の子と渋谷を歩くだけでも、油汗が出てくるが、まあこの先ない体験だと思い、どこかで楽しんでいる自分がいた。

表参道の僕のよく行くスペイン料理屋で、魚介のパエリアとスペインオムレツとエビのアヒージョを肴に大好きなティオペペというシェリーを飲んだ。

「ヤバ! こんなに美味しいもん、初めて食べたわ」ピョンは皿が来るたびに目をくるくるさせて写メを撮るので、「恥ずかしいから、やめなさい」と僕は言った。

「海老、大好きなんだ、ウチ。友達に自慢しよ」

「友だちは心配してんじゃないの?」僕は訊いた。

「ああ、うん。地元にいることにしてるから心配ないよ」ピョンは海老を頬張る。

「地元はどこ?」

「ん? ワラビ。埼玉」

「あそう。漢字が難しいんだよな、ワラビ」

「うん。だいじー。ウチら馬鹿でも蕨は書けるよ」

「おう、えらい」

「ねえ聞いて、ウチの高校の子、馬鹿だから、帰りとかみんな一斉に道を歩くじゃん。

車が来てプープー鳴らすわけよ。そしたら車よけたふりしてわざと車にぶつかるの。

『危ないじゃない』なんてオバサンが出てきたらもう餌食だよ。『ぶつかったから金よこせ、じゃないと警察行くよ』ってみんな寄ってたかって脅すの。オバサンなんか慌てちゃって、オロオロしてるから『病院代もらえればゆるしてやんよ』なんて言うとお財布出してお札(さつ)くれるの、女子だよ女子。そのくせヤンキーな車が来ると『ヤベーヤクザかも』って言って逃げるんだよね、心底腐ってる奴ばっかだよ」

「おー、面白いねえ。考えたもんだ。有望なスタントマンだな、中国にもそんな人いっぱいいるらしいね」

「なんか彼氏が半グレして上に納める金がない、とかヤクザ屋さんも大変みたい。みんな女子高生を彼女にしてありったけ貢がせてんの。無実のオッサンの手を捕まえて『何すんだよ痴漢野郎!』とか言ってオロオロしてるとこで彼氏が登場。いっぱい金をせびる、みたいな」

「うーん。可哀想だな。ピョンもするの?」

「しないよー。だいじ、だいじー。あたしはいい子だもん。いい子は学校にいらんないんだよ、あの高校」

 なんとも切ない高校風景が目に浮かぶ。授業なんて地獄絵図だろう。僕は学校の先生にならなくて本当によかったと思った。これじゃピョンのような子も辞めたくなるのは当たり前だ。

「ピョンは彼氏はいるの?」

「ぴょーん。みんな訊くんだよね、オジサンって。どうでもいいじゃん。いないよ、いない。彼氏さんならいるよ」

「うん? どゆこと? 彼氏さんって誰?」

「涼ちゃん。 そんなら嬉しいでしょ? 彼氏とかマジ面倒くさい。お金だの、体だの

なにしてる? とか。ほっとけっつの。ウチは1人で精いっぱいだよ」

「ほー。なんか寂しいね。なんかほら、彼と花火大会にいったりとかさ、手を繋いで学校から帰ったりとかさ、俺は昔そういうの憧れたけどなあ」僕はシェリーを飲み干した。

「いいんじゃない。でもいつか別れたり、振られたり、嫉妬したり、殴られたり、そうなんの目に見えてるっつうの」

「そうやって大人になって成長していくんだと思うけど」僕はちょっと正論を言った。

「涼ちゃんの時代はそうなんでしょ、今はそんなことより自分と友達優先だよ」

「あーそー。クリスマスも?」

「もちろん。その方が楽しいよ。あそうだ、もうすぐクリスマスだね。涼ちゃんは彼女と過ごすの?」ピョンから珍しく僕への質問が来た。

「・・・あのー40過ぎのバツイチオジサンに彼女なんていないのはわかりますよね」

「そっか。だからあんな店来てたんだもんね、クリスマスも涼ちゃんの所にいていい?」

「おれはそもそも泊まっていいなんて許可してないからな(笑)あ、そうだ。俺、イブも25日も休みなんだ。生徒や家庭の要望で26日からが仕事なんだ」といった瞬間、後悔した。迂闊だった。ピョンに仕事なんて教えてなかったから。

「涼ちゃん、仕事、先生なのー?」ピョンは目を細めて獲物をとらえたような表情だ。

「いや! 先生じゃない。教育関係ってとこだ」

「昼に行って夜中帰るって、・・・・・・・まさか予備校?」

「いや!予備校関係。クリスマスは何がしたい?」僕は話題を変えたかった。

「先生が、出会い喫茶っていいんですかあ? 脅迫しちゃおうかなあー」

「馬鹿! お互い様だろ。じゃ、出会い喫茶に行ったらいけない仕事ってなんだよ?」

「先生は痛いよねー」ピョンはシェリーの2本目を注いでくれた。

「家出少女も痛いよねー」僕は防戦一方で汗が出た。

「あたしは先生に監禁されて性のおもちゃにされてるんだわ、ぴょーん」

「怒るぞ、ったく。お互い寂しい者同士。さ、食べろ」


    *


クリスマスイブの休みは、国道16号から横横道路に入り、山下公園で降りて、中華街で食事したり買い物をしたりした。帰りには地元に戻ってピョンと近くの六国山公園の丘陵地までドライブした。懐かしい。有希乃と昔ここによく来たもんだ。

ハードトップにしてある真っ赤な中古の初代ロードスターを駆って、マニュアルの加速を楽しむ。ピョンが「キャーキャー」言って喜んだ。

駐車場に車を停めて、降りた時にはもうかなり暗くなっていた。冬の時間は短いから嫌いだ。アドレナリンが出る頃には夜になってしまっている。

ピョンはこの前渋谷で買ってあげた水色のダッフルのコートを着て僕の手を引っ張った。

「早くしないと真っ暗だよ」そう言いながら駆け足で僕を引っ張るその手は暖かかった。

 デジャブではない。こうして六国山公園に来る時はいつだって12月の夕暮れだ。イチョウや桜の葉がいつもきれいだ。細い丸太を段にした坂を上がる。

 「なんで葉っぱは黄色や赤になるの?」ピョンは荒い息をしながら訊いてきた。

 「そういう木は冬に葉っぱを必要としないんだ。だから木は葉っぱに養分を送らない。だから葉っぱの葉緑素つまり緑の成分が壊れて赤や黄色になるんじゃなかったかな」

 「ふーん、すごいね、さすが先生」「こら」

 「じゃ、なんで緑の木もあるの?」

 「冬も日光を浴びて栄養を取る木だから。クリスマスツリーは緑でチクチクする細い葉っぱだろ。だから冬も凍らないんだ」

 「へえー涼ちゃんは何でも知っているんだね」

 「知らないよ。知れば知るほど知らないことが増えていく、そんなもんさ」

 「知らなきゃ悩まずに済むんだ。でもなんか損してる気がする」ピョンは言った。

 山頂の平地にたどり着き、いつものように都心を望む東向きのベンチに座った。

変わらない。昔と同じように、高層ビルや送電線の鉄柱が、ぼやけて赤く点滅している。近くのマンションはジンジンとした白い光、住宅街はオレンジの光。

「あのマンションの人は幸せかな」僕は呟いた。

「はあ?なにそれ?明るいから?」ピョンは鼻で笑った。

「そうかも」

「何なん? その自分は幸せじゃないけど、みたいなアピール。『幸せだといいね』でいいじゃん、涼ちゃんのそういう自分を憐れんでいるようなとこ、びみょーに腹立つ」ピョンは肩を僕に寄せて言った。

「っつか、あっち。星?」ピョンは右手の方を指さして言った。

「あー金星かな? 金色だ」僕は言った。

「そうけェ? 黄色じゃない?」

「うん、黄色かも」

「どっちよ、はっきり決めて」

「その人の主観だよ。どっちだっていい。土星や火星や水星もいろんな色に見える」

「なんで白っぽいのと赤っぽいのがあるの?」

「太陽系の惑星はその星の特性なんじゃないかな、火星は赤土が多いから赤みたいな。

太陽系以外の星は、表面温度が高いと白や青、低いと赤だけどそれは光の波長の問題

もあるから人間にはそういう色に見えているだけかもね」

「わけわからん。色って物? それとも物じゃないの?」

「色は現象だよ。物として見えない。愛や幸せとおなじ。葉っぱの色も現象なんだよ、今は黄色いが、夏は緑だった」

「うーん、わからない・・・」ピョンは考えてもいないようだった。

 「俺もわからない。わからないことだらけさ。ピョンも俺の前でしか存在しない神のまわし者かもしれない。みんな嘘かも知れない。あそこの葉っぱは赤いけど人間だけには赤く見えるのかも。サングラスかけたみたいに。そもそも赤って見えるのは俺だけか?みんな信じられないよ。学校で教えられただけ。疑わずに信じてここまで来たけど、見事に失敗しちまった」

「またそうやって自分がなんかに騙されたって憐れんでるの?もしかして、キャハー」

「それ、事実かも」(こいつ強えー教えられる・・・)と僕は感心した。

「落ち込んだ?」横から僕の顔を覗くピョン。可愛い。

「いや、鋭い。疑うクセがついたかな。ピョンは俺のこと、愛してないだろ?」

「うん。でも優しい。オジサンはみんな嫌い。みんなそうだよ。生理的に無理。受けつけない。ウザい」

「ギャー! 完敗だな。本音をはっきり言っちゃうんだ、それはすごいことだ」

「じゃ、涼ちゃんわー、どっかのおばあちゃんのオッパイとか見たい? やりたい?」

「その飛躍はねえだろ、或るおばあちゃんには、なにか〈美しさ〉があるやもしれん」

「じゃあそのおばあちゃんと付き合ってHしたい?」

「やややややや。そういう見方はできねーよ。・・・ぎゃー、もしかしてピョン、俺をおじいちゃんだと思っているのか?」

「そうだよ。お金のため。泊めてくれるもん。・・・って、ごじゃっぺ、ごじゃっぺ。おじいちゃんじゃないよ、オジサンでもないよ。繋がった人だから」ピョンは僕の手を固く握った。

 「繋がったヒト・・・。それだけ・・・」僕はピョンの肩が重く感じた。

 「そう。これからは繋がった人を大切にすべきだよ、涼ちゃん」

 「んじゃピョンを大切にするよ」

 「ありがと。なんかね初めて会った時、おでこ、いきなり触ってきたでしょ、ちと嬉しかった・・・ああ、助けてくれるって思ったの」

 「そこかあ? わかんねいし。女子のツボって難しいな」僕は煙草に火をつけた。

 「ちなみにタバコ吸う人、最悪。オエッて感じ。涼ちゃんだから我慢してるけど」

 「うるせいなあ、もういい。俺はたばこ星から来た煙草大魔王だ」

 「最悪。うん。でもいいんじゃん。それが楽しいなら。煙草なきゃ死んでやるとか言うんでしょ」

 「相わかった。事実を決定しよう。俺は煙草が好きだ」

 「最低。若い子には無理だわ。まわりにも迷惑だし。でも嘘ついて頑張っているオッサンとか、無理して若い子にモテようとしているオッサンよりはマシ」

そんなこんなで、六国山公園を後にした。


 夜はピョンが家で、カレーを作ってくれるという。

 キッチンで夢中になってジャガイモを剥いている。どこかで見た光景だ。顔の目の前でジャガイモと包丁で格闘している。髪をポニーテールに結って、ゆるい丈のオフタートルの白いセーターに黒のコーデュロイのショートパンツコーデ。すらっと細く長い脚には太ももまでのアーガイルの赤と緑の模様が横に入った白いニーハイのソックス。なんだかとっても愛らしい。愛おしい。いつかどこかで見た経験だ。

(でも、この視線がいけないんだよな、僕の理性が狂っている。でも可愛いものは可愛いと言いたい。好きなものは好きだ)

「可愛いね」僕は言った。

「ん? なに?」ピョンは聞いてない。

僕は後ろからピョンを抱きしめてそのまま体ごとお姫様抱っこをした。

「ちょ、ちょっと、涼ちゃんどうしたの?」


僕はピョンをベッドへ運び、思いっきり抱いた。今が一番成長しつつある絶頂の女の子の裸を自分のモノにしたくなった。長い長い時間をかけてピョンの体のすべてにキスを浴びせた。

「涼ちゃん、気持ちよくてもう我慢できない、早く! 早くあたしの中に入ってきて!」

ピョンの体の中に僕という体を刺しこんだ。ピョンは体位を変えるたび何度も絶頂を迎え、絶叫して脚のつま先まで痙攣させた。2人は狂ったようにお互いの体を合体させたまま喜びの声を叫びあった。薄紅色の乳首が綺麗な乳房が円を描くようにして激しく揺れている。ピョンはいよいよ両手、両脚で僕の背中を手繰り寄せて力いっぱいしがみついて叫んだ。

「涼ちゃん、もう死ぬ! 一緒に来て! もっと奥まで来て繋がって! 行こ!行こ!」

「ピョン! イクよ! 絶対死んじゃう限界を越えてごらん! ほら! 俺も行く!」

「ウンギャーー!」ピョンの絶叫。僕は渾身の力でマシンガンを記憶が無くなるまで撃ち続け2人はイキ果ててしまった。


「いやーこわい」ピョンは恍惚とした顔で性の余韻からなかなか帰ってこられないようだった。

「こわい? なにがこわいの?」

「ああ、疲れたってことさ、栃木弁」「ええ? 蕨(わらび)って埼玉だよね」

「うん。小さい頃は宇都宮。だからときどき栃木弁になっちゃう」「ふーん、そうなんだ」

「ね、カレー食べたらDVD借りに行こ。なんかアニメが見たい」

「うん、いいよ、ついでにビールやワインも買いに行こう」

レンタルビデオ屋に行ってディズニー物を選んでカウンターに行った。カードは元妻の財布にあることに気づいて焦った。

「いいよ、涼ちゃん、あたしカード持ってる」ピョンは財布からカードを出した。

「ありがとうございます」サンタ姿の店員のお兄ちゃんがカードを返してくれた。裏になっていて名前が書いてある。

(島崎涼葉・・・)

「見―ちゃった! ピョン、島崎涼葉っていうんだ」僕はカードを取りあげて笑った。

「んもー。うさぎだよ。うさぎ。ピョンでいいよ。匿名希望。でもりょうの字が一緒だからなんか運命感じちゃう」ピョンがそういた瞬間、

「島崎・・・」が稲妻のように僕の脳に落ちた。

「あのさあ、宇都宮って栃木だよね。島崎さんだよね、島崎」

「そうだよ、もう恥ずかしい。庄司さんって言われたらいやでしょ」

「馬鹿! そんなこたあ、どうでもいい。あのさ、お母さんの名前は?」

「ヤダよ、そんなのどうでもいいじゃん」

「よくない!」僕は思わ大声でず叫んでしまった。周りの人が振り返る。 

「どうしたの、涼ちゃん? お母さん知ってるの?」

「あー、そのー、漬物屋さんに島崎さんって友人がいたんだ」

「うそ! カクマン物産っていう漬物屋だよ、ジイちゃんち」

「彩花ちゃんって大学の友人がいたんだ」僕は慎重に堀を埋める。

「あ、それ、あたしの叔母さん。東京の大学に行ってたって聞いた事がある」

「涼葉ちゃん・・・さ。彩花叔母さんは今何してる?」

「やめて! 名前で呼ばないで。モー。あたし自分の名前が大っ嫌いなの」

「わ、わかった、ごめん。叔母さんは結婚した?」

「うん。でも離婚した」

「そ、そうか。大変だったね、あ、人のことは言えないな。叔母さんはどうしてる?」

「さっきの会社で事務してる。ねえ、涼ちゃんもしかして叔母さんと付き合ってたの?」

「イヤヤヤヤ、友達友達。ゼミが一緒でね、よく演劇を見に行ったりしたんだ」

「ふーん。じゃ彩花おばちゃんのことが好きだったんじゃないんけえ?」

「いやいや、美人で俺なんか全然だったよ」

(とにかく帰ろう。頭を静めて冷静になるんだ)

震える寒さの中、車の中でピョンは、いや涼葉は、彩花のことについて質問ばかりしてきたが、僕はうわの空で適当に返事をして聞いてなかった。

 僕がピョンの父親である、そんなことが判明したら・・・、いや、いずれピョンは彩花叔母さんに僕のことを話すだろう。いや話さないか? 

有希乃は中絶なんてしていなかった。栃木に帰って涼葉を産んだんだ。

「ママね、昔から好きな人がいるって、お酒ばっかり飲んでるの、それでも新しい父親らしき人が来て、いつもママを慰めてんの。南の国に行って何もかも新しく始めようって。あたし、ママが昔好きな人の子供なんだと思う。スターのような人で、有名人で、今は立派な学校の先生になってるって高校に入った時に、言われた」

「・・・・・・」僕は返事に困った。

僕の脳裏に陽香理と聖花の顔が浮かんでは消え、娘というものがどんなに愛おしいのか、喉を掻きむしりたくなった。初めて立った時、抱っこして買い物していた時・・・。                                

漆黒のロードスターのフロントガラスに、白いものが貼りついては水滴になった。

「雪だ、雪だよ、涼ちゃん!」

「ふー・・・初めてだ、雪のメリークリスマスなんて珍しい」僕は助手席の涼葉を抱き寄せた。

「雪のメリークリスマスか、有希乃っていうんだ、ママ。なんか偶然が続くね。」涼葉は財布からなにやらメタルのペンダントを取り出した。〈QM Ryo Treasures You〉

「ほら、これ。Ryoって書いてある。コイツがママの人生狂わせたんだ」

「・・・・・・あのね、涼葉ちゃんは、本当のお父さんに出会ったらどうする?」

「殺してやる。ママもあたしもそいつに捨てられたんだもん」

涙が止まらなくなった。僕の滂沱の涙を見て涼葉も何かを察したのだろう。

「うそ・・・うそよね・・・ぎゃー!」と言う涼葉の叫び声までは記憶している。僕は、おそらくそのあたりで気が狂ってしまったんだと思う。記憶がない。


    *


気がついたら精神病院と思われる監視室に繋がれて、1週間。閉鎖病棟に移ってもう1年だ。心配ない。明るくて清潔で、丘の上にあって見晴らしが良くて、いい病院だ。

それはともかく、僕は今、全力で駆け抜けた人生を俯瞰して見る。ずいぶんとまあ僥倖に恵まれて皆さんに助けられながらリクガメを追ってきたものだ。なかなか出来ない幸せな体験、出会い、成長なんかもさせてくれた。どうやら僕はここまで自分という意思があって自分の希望と欲望を追い求め動いてきたのだ。そうして何かをつかみ取った瞬間に訪れる充足感の後には必ずや新しい欲望が産まれ渇望するようになっていく。自分でボールを頭上に投げては、落ちてきたボールが頭に当たって痛てえ、痛てえと神を恨んでる。投げたのは自分じゃないか。もうこんな滑稽な自分には愛想が尽きた。

 僕は家族も金も仕事も家もどうやら全てを失ったらしい。僕には記憶という財産しか今は残っていない。それさえ怪しいんだから嫌になっちゃう。病院の廊下を日がな往復して、いつも悪魔の歌を口ずさんでいるから有希乃に叱られそうだ。

果てしない欲望がどうか道徳的にあなたを導くよう願っている。

If you wanna dream on , you must be a demon, singing a demon’s song・・・ 


おわりに

おまえは何と取っ組み合って闘おうとしているのか。その敵は手ごわいのか。だったらありったけの力で戦わなければならない。ただ1つ注意しておこう。怪物と戦っているうちに、おまえもまたいつしか怪物と化してしまわないように。

 なぜならばおまえが深淵をずっと覗きこむならば、深淵のほうからもおまえを覗きこんでいることになるからだ。

                 

フリードリヒ・ニーチェ 

「善悪の彼岸」より

                                     了。

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ピョンと僕と残酷と(カクヨム版) 青鷺たくや @taku6537

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