私は、幸せになって いいんですね

 私を汚した相手の顔を私は一人しか覚えていない。

 監督と呼ばれていた女みたいな顔をしたやつ。カメラを回しながら、気持ち悪い笑みを、にたにた浮かべていた。


 多分、法によって裁かれていると思いつつ、もし、その男に再会したら、私はどうするだろう、と考えると


 衝動的に、後をつけて、それから……


 それから、多分。


 どうやって、殺してやろうか、考える。


 それぐらい、憎かった。


 自分の身に起こったことは、もう取り返しがつかない。

 汚れてしまった体は綺麗にはならない。

 わたしがこれから誰と結ばれることがあっても、それが誰であろうと申し訳なさ過ぎて自分の身に起きたことを話すことも出来ない。

 そんな事態を招いた男たちを本当は全員、皆殺しにしてやりたい。


 そう思っていた。


 今日、ある女性の保健士さんに話を聞いてもらっていた。

 自分に好きな人がいること。

 好きな人に対して自分が抱えているものを話すことは到底できないこと。


 でも、その人は優しいから。


 多分、私の身に起こったことを話したら怒ってくれるんじゃないかな、ということを話した。


「私は……幸せになる資格、あるんですかね」


 そう言った私に保健士さんは、沈黙したあと、言った。


「そういう体験をした福倉さんだからこそ、幸せになる資格があるんじゃないでしょうか」


 と、言った。


 その言葉に、はっと 胸を突かれた。


 胸の奥に硬い小石のようなものが詰まって、私の目に熱いものがこみ上げた。もう少しで私はその場で、泣きそうになっていた。


 殺してやりたいほど憎かった。

 ……いや、現在進行形で殺してやりたいほど憎いことには、変わりない。だけれど。


 それと同じくらいの分量で、私は幸せになりたいと、幸福になりたいと願っていることに気が付いた。


 好きな人の声を聞くだけで元気になれる。

 好きな人の笑顔を見るだけで、胸が温かくなる。

 好きな人にまた会えると思うだけで、心に灯りがともる。


 もし、私があの汚らしい男たちを手にかけたら、私の家族や、大切にしているともだちや、私の好きな人はどうなる?


 自分の中にある 自分がバラバラになりそうなぐらいの憎しみを飲み込んで、私は保健士さんに言った。


「私は、自分なんかが、幸せになる資格はない、と思って生きてきました」


 玩具にされた過去は、消せない。上書きはできない。だけれど。


「いっそのこと、風俗業に勤めることも考えるぐらい、追い込まれていました。だけれど、やっぱり嫌なんです」


 ごめんなさい、ごめんなさい、と。


 何度も、何度も、付き合ってくれた 人たちには 心の中で謝ってきた。自分の過去を話すことは無くても、汚点として、引け目として、ずっと引きずってきたことだった。


「私は、幸せになっていいんですね」


 今日、私は好きな人と電話をする約束をしている。

 その人の声が聴ける、というだけで涙が出そうなほど幸せになれる。

 年明けにその人にきっと会える、というだけで 心が 踊りだす。


 その人とどうなるかはわからない。わからないけれど、まだ 手も握ったことのないその人との縁を大切に育てていきたい、とは思っていて。


 ふわっと温かい風が吹いた。 涙が、零れ落ちた。 好きな人の笑顔が頭の中を駆け巡った。


 駄目だ、もう、私は 人を殺すことなんて出来ない。私は臆病者だ。 だけれど。


「当たり前ですよ。福倉さんは、幸せになって、いいんです」


 その言葉が、何かの傷をそっと塞いだことは確かだった。

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私は汚れている 福倉 真世 @mayoi_cat

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