駆逐艦「雪波」の戦い

M.A.L.T.E.R

第三次ソロモン海戦

「艦長! 浅木艦長! お呼び出しです!」

「お呼び出し?」


暦の上では真冬なはずなのに、赤道に近いせいでかなり暑いラバウルの海で第七十一駆逐隊は今日も訓練に励んでいた。別に大規模作戦があるわけでもない。(ラバウルの東、ソロモン諸島では相変わらず激戦が続いていたが。)

輸送作戦にも出る事はない。第七十一駆逐隊に所属する駆逐艦は船団護衛には向いていないから。

半年ほど前に本土からラバウルにやって来たが、ヤシの木はいっぱい生えてても、目に映るのはだだっ広い飛行場の滑走路だけだし、裏にあるもうもうと煙を上げる火山のせいで余計に暑い。海の水はもはやお湯である。

なので、ずっといつ報われるとも知れない訓練を続けるしかないのである。

「一昔前なら大暴れできたんだがなぁ」

あまりにも暑すぎるのでズボンしか着ていない(しっかり帽子はかぶっている)浅木は、泊地の第六桟橋につけられた、自身が艦長を務める艦、雪波と少し離れた所に浮いている白波、青波、荒波を眺めながらそうつぶやいた。

この四艦は太平洋戦争直前に完成した艦隊型駆逐艦の最終型、島風型の七~十番艦である。一度に酸素魚雷を十五本撃てる上、ご丁寧にレーダーもつけられている。しかも、全速だと四十一ノットを叩き出す、世界最強の駆逐艦なのだ。しかし、時代遅れだった。もはや魚雷は航空機の格好の的だ。だから、同型艦も十隻しかいない。

「あの春月型は百隻いるってのになぁ」

春月型は空母を護る駆逐艦だ。雪波たちが矛なら春月型は盾だろう。


それはともかく、呼ばれている以上は行かなくてはならない。

潮風によって大分傷んで、そこかしこに穴が空いている庁舎に入っていく。暑苦しい軍服を着て。

「第七十一駆逐隊旗艦雪波艦長、浅木洋一、ただいま戻りましたッ!」

威勢よく敬礼する。

「ご苦労。さて、全員揃ったようだな。作戦会議を始める」

背もたれが高く、座面も大きい椅子に座るのは大村中将。この南方戦線の指揮を執る人である。

(おっ、七十三駆の井口がいるな……。げっ、七水戦の高田もいんのかよ……。あとは……あれは四航戦の北雲少将か? あとは知らねえな……)

「さて、諸君。司令部から作戦発動の要請が出た。それは、『ソロモン諸島のガダルカナル島のヘンダーソン飛行場に強行上陸せよ』というものだ」

「強行上陸……」

北雲少将が真剣な面持ちでそう反芻する。強行上陸とは、敵の勢力圏内にある要所に被害を覚悟して上陸する事である。

「それでは、具体的な作戦会議に入るぞ」


会議の内容をかいつまんで話すとこんな感じだ。

一、我ら七十一駆逐隊含む艦隊が、囮として敵の注意を惹き付ける。

二、その間に大和、武蔵、信濃の戦艦部隊が飛行場砲撃を行う。

三、夜が明けたら、空母部隊が制空権を取り、その下で上陸作戦を遂行する。


「米軍は戦艦二隻と重巡四隻を含む。苦しい戦いになるだろうが、健闘を祈る……いや、生きて帰ってきてくれ」

(戦艦二隻に重巡四隻か……)

囮部隊には戦艦はいないし、重巡も三隻しかいない。かなり苦しい戦いになるだろう。

轟沈するかもしれない。

そう思った瞬間、浅木は唾を飲み込んだ。

「へへっ、任せとけって浅木。オレはソロモンでもう二回もやってんだ、お手のものだぜ。しかも、そんなにビビってたら駆逐魂が泣くぜ?」

強ばる浅木の背をバシバシ叩きながら言う井口。

「痛えって。…………そうかもな。やってもないのにビビる訳にもいかねえな」

そう言って、立ち上がる浅木。

その事を七十一駆の皆に伝えると、飲んで食っての大騒ぎだった。


そんなこんなで開戦以来、訓練ばかりだった雪波たちに遂に出撃の機会がやって来たらしい。

陽も暮れかけた頃、第七十一駆逐隊を含む囮艦隊は出撃した。

太陽が一周してもう一度夜。

「そろそろ敵さんが出てくる頃だな……。よし、砲雷撃戦の準備に入れ!」

「「「はいっ!」」」

水兵たちの士気が高い声が聞こえる。

浅木が通信機に耳を傾けていると、

『……こちら旗艦浅間! 一九一二、前方右三度に敵艦隊発見! 敵は戦艦二隻、重巡四隻、軽巡二隻、駆逐多数! 各艦戦闘態勢に入れ!』

『『『了解!』』』

という報告がやってきた。

「よし、取り舵一杯!」

浅木は会議で言われていた通り、思いっきり左に曲がる。米艦隊は待ち構える側なので横に長く広がっており、そのままだと戦闘に不利なのだ。

遠くで、敵戦艦の咆哮がうなる。その何秒後かに艦隊の後方に着弾する。

「あっちにもレーダーがあるだろうに……下手くそめ」

聞こえもしない冷やかしを入れてみる。

艦隊が真横を向いた瞬間、

「……撃てッ!」

駆逐艦雪波の六門の主砲がうなる。

それにならうかのように左右の艦が順々に撃っていく。夜闇に一瞬明るくなってはすぐに暗くなる。

「次弾撃てッ!」

夜戦の基本は、撃って撃って撃ちまくる、だ。とにかく数多くの弾を見舞う。駆逐艦の砲撃力などたかが知れているので、とにかく手数で押しきるのだ。

水平線際に見える星たち。

「いいぞ……」

味方の弾は順調に当たっているらしい。

「俺らも戦果を挙げんぞ! 撃ち方、よく狙え! 電探士、どうだ当たりそうか?」

「はい! 次弾当たります!」

ズドン! ヒュルルルルーーーー。

真っ暗なのに、その弾だけはくっきりと見えた。

「雪波」の12.7cm砲弾が敵艦に命中ーー

その瞬間、敵から龍が昇るような炎が上がる。

「主砲弾一発、敵駆逐艦に命中! 炎上中です!」

見張り員がそう報告すると、

「うおおおおお!」

艦中から雄叫びが聞こえる。その飢えた獅子のような獰猛な駆逐魂を感じる。

「よし、そのままトドメを刺せ! そろそろ魚雷装填しろ。……面舵一杯!」

『艦隊右方旋回百五十度!』

浅木が言うのと同時に命令される。

その号令とともに、回っていく。こちらは一弾もまだ食らってなかった。敵は何弾か当たって火を吹いているのもいたが。

> 炎に照らされる島の影の麓で大きく反転する。

艦が曲がるのにあわせて、自慢の主砲たちも敵方を睨んだまま旋回する。

艦首に波が被りかけるぐらい高速で走っているので、陣形から外れないように気をつけて敵に近づいていく。

『皆、大丈夫か?』

浅木は自分の僚艦である第七一駆逐隊の各艦に訊く。

『大丈夫だっつーの。お前、どんだけ艦隊運動やらされたと思ってんだよ……。』

『そうだよ。多分、世界中で一番上手いぜ?』

頼もしい声が聞こえる。その声に浅木は微笑む。

そうしているうちに、「雪波」が切り裂く波が真っ直ぐになる。

「引き続き、攻撃を続けろ!」

「雪波」は敵に弾を撒き散らしていく。

ーー轟音と共に、さっきより高い炎を上げ、浅木にも見えるぐらいはっきりと船体が傾く。

やがて、波間に消えていった。

「敵駆逐艦一隻、撃沈を確認!」

艦内が沸き上がる中、見張り員の報告を浅木は聞く。

「皆、そろそろ俺たちの本気を見せてやろうぜ!」

浅木がそう言うと、水兵たちは魚雷発射管の所に集まる。

皆知っているのだ。駆逐艦の本懐は豆鉄砲のような主砲ではなく、一撃必殺の魚雷であることを。

"駆逐艦の本気"が敵に目を向ける。

「三、二、一、発射!」

ブシュゥゥゥという音と共に十五本の魚雷が水面下に潜る。航跡を残さずにひたすら直進していく。

水兵たちが息をのんで見守る中で、

ドッゴオオオォォォ!!

轟音で以て、撃沈を知らせる。

『敵駆逐艦一隻、撃沈を確認!』

再度、見張り員の声が響く。艦内は更に盛り上がる。

いや、それは油断だったかもしれない。

「よし、まだまだ戦果を上げ……」

そう言いかけた時、浅木の目に敵の砲弾が映る。

「あ……」

ガゴオオォォン!

浅木のいる艦橋が揺れる。

羅針盤や地図が散乱する中、浅木は急いで起き上がり艦内電話に叫ぶ。

『被害は!? 被害状況は!?』

浅木が焦る中、水兵の一人が、

『艦橋の左側に被弾! 機銃二基とカッターが壊れました!』

『それだけか?』

『はい……。そうですね。死者もいません!』

(損害が少なくて良かった。機銃なんて使わないし、カッターなんて今すぐ逃げるわけでもないし)

浅木はホッと胸を撫で下ろす。

『皆、油断するな! 死ぬぞ!』

浅木はそう言って気を引き締めると、胸を撫で下ろす。


敵艦の被害も増える中、味方の被弾の報告も増えてきたが、敵味方の数を考えれば好成績だった。

そして二度目の回頭。

本当はこういう風にして往復しながら近づいていくはずだった。

しかし、回りきった所で事件は起こった。

「……なんだ、あれ……? ……まさか」

浅木は前を行く第七三駆逐隊の四艦が思いっきり針路がずれているのを見て、慌てて無線電話に口を当てる。

『どこに行く気だ? 駆逐艦月風』

『ふぇ? え……あ……あの、舵が利かないんです……』

遠慮がちに言う「月風」の艦長。

『な、何だと?』

そう言われて頭を抱える浅木。

確かに島風型は足が速い。それゆえに舵の利きが良くない。しかも古いやつは舵が故障するらしい。

「くっ……」

しかも困ったのは、前を走る「月風」に合わせて後続もそれに続いてしまっている。

そして、第七三駆逐隊は艦隊からはみ出てすーっと敵の前に躍り出てしまう。


それにキラリと目を光らせるのは……戦艦。

次の瞬間、衝撃波が伝わる。


見えたのは……直撃を食らった「夜風」の遺影。

「不味いな……。このままだとあいつら死ぬぞ……」

浅木は唇を噛んでそう呟く。

(どうする? 見殺しにするか? 助けて次に繋げるか?)

答えは決まっている。

そんな顔で浅木は顔を上げる。

「おい、あの駆逐隊を助けに行きたいのだが……いいか?」

「おうよ! あの若造どもに勝利の味を知ってもらおうぜ!」

隣の副長に言うと、笑いながら了承した。


『すいません誠に身勝手な事ですが、七三駆逐隊の救助に入っても良いですか?』

『はあ……。別に構いませんが、援助は出来ませんよ?』

『大丈夫です!』

浅木は無線に威勢の良い返事をして、

「よし、右方転回四十度!」

舵士が舵を切りきるのを認めると

「続いて、両舷全速!」

そう指示する。風の強さが一段と強くなる。

『速度落とせないか? 落とせたら落としてくれ』

『はい、速度は大丈夫そうです!』

七三駆逐隊は順々に急停止していく。

敵がより近くに見えるが味方は自分しかいないーー


そう怖じ気づいた瞬間、無線から

『おいおい、水臭いぜ浅木!』

『そうですよ。ずっと一緒に訓練してきたじゃあないですか!』

頼もしい味方の声が。後ろを振り返ると同じ駆逐隊の「白波」「青波」「荒波」が暗闇の中にいるのが分かった。

『さ、俺が気を惹いてやるからよ、ちゃちゃっとやってくれよ?』

白波が列を外れて、敵の牽制を始める。


『早く乗り移るんだ!』

浅木がそう勧めるものの、人が多いせいで中々進まずもどかしい。

牽制しているのが駆逐一隻なので多くの敵は密集している雪波たちを狙っている。

至近弾も多く、せっかくのタグボートもひっくり返ってしまう。

「くっ……このままじゃ終わらないぞ……」

浅木の顔が不安に覆われる。

白波は先ほどから、敵を引き付けているし青波たちも救助しているが、

> 既に艦隊は気配でも位置が分かるほど近づいている。

敵は自分たちを脅かす存在に気づいたらしい。必死に応戦してくるが、不意はつかれるよりもつく方が有利だ。

空を覆う鉄の雨も敵の方が多い。

それでも『雪波』はあちこちに至近弾を喰らって少しずつその身を削っていく。

(こんなに近づいているのなら魚雷を撃ちたいが……)

浅木は悔しそうにそう思う。小さな駆逐艦でも一発逆転を狙えるからだ。

けれど、戦闘中の揺れる間に再装填するのは危険である。

しかし、あまりにも近すぎるので砲撃どころか機銃でも有効打になっている。

「とにかく撃て、戦果を上げるんだ!」

息をするよりも速く攻撃は繰り出される。


一時間後――いや、浅木たちにしてみれば何時間にも感じられた。

『砲撃部隊が任務を完遂しました! 我ら遊撃部隊も一旦退却しましょう!』

艦橋に響くその声。浅木たちは安堵して敵のいない方の海を見る。

『雪波』の船員だけではなく、他の艦の船員たちも長時間の肉薄攻撃に疲れきっていた。だから、その命令で一瞬でも味方の泊地の方を見てしまう。

ドオオオォォォン!!

『雪波』の後方から轟音がした。

浅木が身を乗り出して見ると、同じ駆逐隊の『青波』が火を吹いていた。

よそ見しているうちに攻撃されたらしい。

「くっ……。雪波反……」

『いやいい。救助なんてしに来てもどうせ両方とも沈められるのがオチだ。だから浅木よ。お前らは全力で逃げてくれ……。……よし、お前ら青波を攻撃してきたゴミどもに目にもの見せてやれ!』

浅木は引き留めようとしたが、遠くからでも聞こえる『青波』の水兵の怒号を聞くと、帽子を目深にかぶり直し

「……両舷全速」

と命じた。

鉄のアーチをくぐり抜けた後、他の艦を眺めると激戦の後らしく、皆ズタボロだった。

このまま帰れるかと思ったが、そうは問屋が卸してくれなかった。

『大変です! て、敵艦隊が……追撃してきます!』

慌てて言う通信員。それもそうだ。こちらは満身創痍で満足に全速もでない。このままだとやがて追いつかれて全滅するしかなくなる。殿を務めようにも損害が大きすぎて反撃するのも危うい。……『雪波』以外は。

浅木は静かに魚雷の再装填を命じる。

浅木は静かに艦の反転を命じる。

浅木は静かに電話口に話す。

『駆逐艦雪波、反転して殿を果たす……』

浅木は他の艦からの呼び止める声が響く電話を投げ捨てて艦を増速させる。


白み始めた夜空の中、一隻の駆逐艦は高速で敵艦隊に突っ込んでいく――

「うおおおぉぉぉーーー!!」

魚雷を放つ。

そしてその水柱の中を駆け抜けていく。

がむしゃらに砲撃して、銃撃して、爆雷さえも投げて。

ズタボロになりながら、突き進んでいく。


太陽も昇り、暖かい光に包まれた『雪波』は島の影の下、漂流していた。

全力で航行し続けていたせいで燃料がなくなってしまったのだ。しかも、どこを見ても穴だらけだった。

「他の皆は逃げ切れたかな……」

遠い泊地、果ては自らの故郷に思いを寄せる浅木。

すると、

ブオオオーーン……

という音が。

「航空機か! くっ……対空戦闘……用意」

「艦長! そう言っても、機銃は全て破壊されていますし、主砲は弾切れで対空戦闘は望めなそうです……」

申し訳なさそうに言うのを見て、浅木は

「まあ……戦地で死ねるなら本望か……」

と諦めたように言った。

飛行機のプロペラ音が近づいてくる。

「あ、あれ! 敵機じゃないです! 味方ですよ!」

副長の指差す先の飛行機は朝日に輝く。緑色に日の丸。日本機だった。

『こちら、翔鶴所属航空隊。そちらは駆逐艦雪波か?』

雪波の通信室にノイズにまみれているものの、待ち望んだ声がしっかりと響く。

「!! そうだ! こちら雪波!」

浅木が慌てて受話器を取って言うと、諦めかけていた水兵たちがどよめいた。

『司令部からの命令で、貴艦を救助することになった。迎えを寄越すから、そこで待つように、とのことだ』

「ほ、本当か!? 助けが来るのか!」

浅木が声を弾ませると、艦内は喜びの声で包まれた。


命令通りその場で待っていると、昇り始めた太陽を背にいくつかの艦影が見えてきた。

陽光が海面に乱反射してよく見えないが、あれは夜半に飛行場砲撃を見事成し遂げた戦艦部隊だろう。

『貴艦が駆逐艦雪波だな。昨夜の活躍、ご苦労である。では、これから曳航を始める』

という威厳を感じる声が聞こえてくる。さすがは「世界最強の戦艦を率いる者の声」という感じであった。


戦艦の大きな主砲に見守られながら、何個も開けられた穴に護衛の駆逐艦の鎖を結びつけられる。

その作業が終わると、駆逐艦「雪波」の船体が動き始める。


そうして、この海戦一番の功労者は朝日の中ラバウルへと消えていった。

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駆逐艦「雪波」の戦い M.A.L.T.E.R @20020920

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