哄笑するアウトサイダー
甲斐ミサキ
永遠なる哄笑
清々しい目覚めだった。
底のまるで見えない
黒毛黒瞳の牡猫がうずくまっていた。夜の帳が訪れるとメネスと名付けた仔猫はセレファイスに住まうマルタ猫の長との会合に顔を出しにいき、彼が目覚める頃合いを見計らって帰ってくるのであった。胸に疼きを与えてはヤクの乳をねだるのだ。
気持ちの良い朝だった。ダンセイニなら、あるいはマッケンなら、ブラックウッドなら、ホジスンならどのように描写してみせただろう。彼はメネスに与えたヤクの乳が余ったもので喉を潤すとうららかな陽気が差し込む窓辺に置かれたお気に入りのタイプライターの前に陣取る。
流浪の王子イラノンの旅路についての考察が脳裏をかすめて詮無いことだと気づいた。もはや黄昏時に老いに老いた自分がアラビアの道なき流砂へ歩むことはない。旧世界で失われた青春といくばくかの美は
タイプライターを前に、彼はアーサー・ジャーミン卿を「白い類人猿」という題名でウィアード・テイルズに発表されたことについてあらためて徹底論戦を張る心づもりでいた。人種主義者である彼にとってコンゴの都市が白人文明の源であるという恐怖は何事にも耐えがたい
この地より下界を眺めて思うところがある。彼の記した神々は単なる地球外生命体にしかすぎず彼らの信奉者が勝手に彼らの本質を誤解していることに関して。
「脱神話的」な特徴こそ彼が強調したいものであって、幻夢譚よりは地に足がついたもののように思える『外なるものに対する感覚』を表現したいがための物語サイクルにおける因子の要素の一つ、真摯な文学作品、例えばヨグ=ソトースなど己の未熟な発想の産物と云えると考えていたのだが、ミスカトニック・ヴァレー神話が広まるにつれて彼の知りえぬところで存外に神々は生を宿してしまった。人造の疑似神話を当初、およそ彼は真剣には捉えていなかったが、一般的な人間の法や利害や感情など宇宙の深遠さ広大さ、時間、空間、次元の巨大さにはまったく無意味であることは真理であると考えていた。含むところはあるが、彼と同じ人種である作家仲間が用いる汎用的な人造魔神としての寄る辺をアザトースやナイアルラトホテップに求めてくれたことを嬉しくも思っていたのだ。用いられれば用いられるほどに汎用的な人造魔神たちがより優れたものになってゆく。そんな見返りとしてクラーカシュ・トンのツァトゥグアやハワードのブランなどを登場させて見せたのだった。
彼はヘンリー・アンソニー・ウィルコックス青年が彫り上げた頭足類の特徴をもちながらも異形の翼を生やす芸術的知性をまるで感じさせぬ冒涜的な虹色の斑紋が特徴的である珍妙なる浅浮彫を改めて眺めやる。タイプライターの横に鎮座したそれはいかにも稚拙な悪夢の産物であったが、
ユゴス星を訪ねた。月へ赴くガレー船にも乗った。ハイパーボリアで
見よ、今や奈落の底に君が生み出した、全てを罵り無窮の中心で冒涜な言辞を吐き散らかしているお方、時間を超越し絶え間のない混沌。君の世ではなにものにも崇拝されず、ではありながら君の未来世においてはあらゆる宇宙において崇拝なされる彼の、魔王アザトースを生んだ君にこそ最大の幸あれかし。
厳かに宣言し黄色いローブの膝を屈して絹の仮面を剥いだ。
哄笑はあがらなかった。創造主にかしずくその無貌に浮かぶ表情たるや。
H.P.Lは今や識っている。
一二八年前、一八九〇年。八月二十日。
プロヴィデンスで生を受けたときには実存しなかった神性たち。
今や神話は神話ならず。無窮の血肉を宿した実存在であることを。
イア! ラヴクラフト フタグン!
あれほど笑みを浮かべるのが苦手だった自分が、無表貌であった自分が、頬を緩め相好を崩してにこやかな表情を浮かべているなんて。血色の良い両頬に
なんという恐怖なのだ。笑いと怪奇とはコインの表と裏なのだ。
快哉を叫び面長のかんばせが哄笑した。
物語は続くのだ。永久に。何度も連環を繰り返し滅びと再生を繰り返すのだ。
ゲラゲラとした主の笑い声にメネスが抗議するかに一声鳴いた。
哄笑は止む気配を見せず延々と続くことであろう。
そは永久に横たわる死者にあらねど
測り知れざる永劫のもとに死を超ゆるものなり
(了)
後日譚:筆名
哄笑するアウトサイダー 甲斐ミサキ @kaimisaki
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