第16話 結婚記念日③

 おやつの時間。3時を過ぎ……満腹になった子どものサキとサヤを寝かしつけた真白は、キッチンで夕ご飯を作っている蓮にバレないよう、体勢を低くしてのそのそと接近していた。


「真白、姿勢を低くしても俺からは見えてるからな」

「……っ!」

「俺を脅かすのは全然良いけど、せめて料理を作り終わってからにしてくれ。包丁を扱ってる分、真白に怪我させるわけにはいかないんだから」

「もぅ、蓮くんを脅かそうとしてたわけじゃないよ……」


 接近してたことがバレた蓮にバレ、キッチンからひょっこりと顔を出す真白は、どこか拗ねたように眉尻を下げて訴える。


「じゃあどうして俺から隠れるように近付いたんだ? 脅かす以外にないと思うんだが……」

『コンコンコンコン』と、一定のリズムで華麗な包丁捌きを見せる蓮は、手元に視線を向けながら会話を続けていた。

 

 いくら料理に慣れてるとはいえ、目を離しながら包丁を動かすことが危ないのは誰だって分かること。大怪我をして子どもに心配を掛けさせないためにも、そのような原因を作ってしまうのは好ましいものではない。


「わ、わたしはサキとサヤを寝かせました」

「ああ」

「それが当たり前のお仕事でも、とてもとても頑張りました」

「そうだな。子どもを寝かしつけるのは大変だ」

「なのでご褒美として蓮くんに抱き着きたいですっ!」

「ダメ」

「うぅぅ……」


 蓮は包丁を止め、真白の表情を一瞬伺った後に再び包丁を動かす。

 唸りながら悔しそうにしている真白を見て、明白に分かることがある。

 それはーーこうして抱き着くことが断られると分かってたからこそ、こっそりと忍び寄っていたんだろうな……と。


「わたしは蓮くんのお嫁さんです!」

 そして、ここで諦めるほど真白は弱くない。いいや、大の甘えん坊さんだからこそ諦めないのだろう。


「ああ、俺の大事な嫁さんだ」

「そうですよねっ! それなら蓮くんはわたしを甘やかす義務があるはずですっ!」

「料理が終わったらな」

「むーぅ……。蓮くんのばか……」


 構ってもらえないとすぐにこうなってしまう真白だが、蓮にだって“遅れず”に料理を作るという使命がある。

 遅れずに……とは、もちろんサキとサヤのため。家族を持つ者ならばどうしても子どもを優先に考えてしまうものなのだ。


「そ、そんなに拗ねないでくれよ……。あと数十分で終わるから」

「それならわたしも手伝う……」


 そうして、ペタペタと足音を鳴らしながら蓮の隣にやってくる真白。

 料理を手伝うことによって早く終わらせ、構ってもらう時間を増やしたいという魂胆である。


「んー。出来れば真白には休んで欲しいんだけどなぁ……。あの二人を寝かしつけた後なんだし、疲れてるだろうからさ」

 真白が手伝ってくれるのは嬉しいことに違いないが、絶対に無理だけはさせたくない。

 子どもの寝かしつけがどれだけ大変か分かってる蓮だからこそ、手伝わずにゆっくりと休んでほしい。そんな気持ちが前に出てしまうのだ。


「じゃあ……蓮くんを手伝いつつ休憩します……」

「別に良いけど……どうするんだそれ?」

「こう……です……」


 こんな時、頭を柔軟に働かせられるのが真白の良いところである。

 真白は蓮の背後に回り込み、蓮のお腹に手を回し……ギュッと抱きしめて背中に顔を張り付けたのだ。


「こ、これで……蓮くんを手伝いつつ、わたしは休憩が出来ます……」

「……っ、お、おい……。コレのどこが手伝ってるって言うんだよ……」

「蓮くんにわたしのパワーを送っているんです……。蓮くん頑張れーって。……はふぅ……」

 背中から伝わる真白の甘い吐息。ご機嫌るんるん状態であるのは間違いない。その証拠に、音符マークとハートマークが真白の周辺を飛び回ってるのだから。


「あ、あのな……。料理に集中出来ないんだが……」

「だって時間が勿体ないから……」


 背後から密着するように抱き着かれれば、真白の豊かな双丘が形を変えて押し付けられる。大好きな嫁、真白の胸の感触が背中から伝わっている状態で料理に集中出来る者などいないだろう。


「そ、それはそうだが……、もっと別の時にさ……」

「早く蓮くんにぎゅってしたかったんだもん……。今日は結婚記念日でも、あるから……」

「ったく……」


 蓮の背中に頬擦りをしながら、迷惑のかからない程度で最大限甘えてくる真白。こんなことをされたらもうこちらを優先するスイッチがオンになってしまう。


 蓮は切った野菜を鍋に入れ、台所で手を洗った後に真白にこう言った。


「一旦休憩……っと」

「えっ……うわわっ!?」

 蓮はホールドされた真白の手を強引に解き、行動に移す。

 

 肩越しに腕を首の後ろに回して反対側の肩につかまり、蓮は真白のの背面から腕を回して胴体を支えると共に、ヒザの下に差し入れた腕で足を支える。

 そうすることによって、真白は上を見上げる形となり、蓮は上から真白を見る形になる。


 横抱きという名の、お姫様だっこ。

 ……蓮だって真白を甘えさせてやりたい。そんな気持ちを我慢して料理を作っていたのだ。


「……サキとサヤに『夕ご飯遅いー』とか文句言われたら、全部真白のせいにするからな」

「えっ、えと……、い、今から……今から、する?」

「何を……って、言わなくていい! ヤらないからな!」


 たったのお姫様抱っこでそのスイッチが入ったことを見抜いた蓮は、すぐにストッパーを作動させる。


「わたしがやだ……」

「ヤダじゃないだろ。こんな時間から……」

「だ、だって今日は結婚記念日だもん……」

「何を言ってもダメだ。そんなことしたら本格的にサヤとサキのご飯が間に合わなくなるし、真白がゆっくり出来ないだろ。……だから取り敢えずはこれで我慢してくれ」


 蓮は真白を抱えたまま大きなソファーに腰を下ろし、そのまま膝枕をさせる。


「我慢出来そうだろ?」

「……できない、です」

「そうか……。それなら俺は料理に戻ーー」

「が、ががが我慢できますっ!」

「よろしい」


 真白と付き合ってもう何年にもなる蓮。その扱い方は説明書級に達している。


 構ってモードが起動したなら構ってくれるまで止まらない真白だが、こうして膝枕でもすればすぐに落ち着いてくれる。全く動くことなくされるがままの状態になっていた。


「はぁ、やっぱり真白の髪はさらさらだな……。どうすりゃそうなるのか……」

 ボブの入った茶髪を優しく撫でながら、素直にそんな感想を漏らす。


「蓮くんにいつでも触られて良いように、ちゃんとお手入れをしてるんだよ……?」

「俺のどこがそんなに好きなんだか……ほんと」

「全部……全部好きです。全部……」

「ぜ、全部が多いなおい……」


 たった一人のために綺麗だと見てもらいたいから毎日お手入れをしている。なんて事実を聞かされて嬉しくないはずがない。


「わたし、蓮くんと結婚出来て本当に良かったって思ってます……」

 そんな真白は蓮に撫でられ、安心したように目を瞑りながら今の想いを告白していた。


「わたしがどんなにワガママを言っても、蓮くんはいつも優しくしてくれる……。わたしのことをいつも大事にしてくれる……。心配性なくらいに気にかけてくれる……。当たり前のことばかり言ってるかもしれないけど、わたしはそれがとっても嬉しい……」

「……」

「蓮くんとなら、わたしはいつでも幸せです……」

「あ、あ……ありがとな」

 

 真白が言い終えた時、蓮はぎこちなく礼を言う。ーー真白の視界をゼロにするべく、大きな手のひらでアイマスクをするように。


「ど、どうしてわたしの目を隠すの……っ!?」

「今の顔は……真白に見られたくない」

「うぅ……み、見たい……! 蓮くんの照れてる顔見たいよぉ……!」


 膝枕された状態で脚バタバタ、顔をフリフリ、蓮の手を退かそうと三重で動く真白だが、蓮の力に敵うはずもなく……抵抗は無駄に終わってしまった。


「はぁ……はぁ……。蓮くん、そろそろ離してよぉ……」

「真白」

「う、うん……?」

「いつもありがとう。……真白だけは絶対に離さないから」


 今日は大事な結婚記念日。お互いに感謝を伝えられた蓮は、真白が願っていることを一つ叶えることにした。

 もちろんそれは蓮だってしたかったことコト。


『ちゅっ』

 蓮は真白の視界を防いだ状態で、唇を押し付けるような激しいキスを長い時間交わす……。


 まだ息を完全に整えられていない真白は、途中で呼吸をしようとするが……それすらも蓮に遮られてしまうほどのキス……。


「はぁ……。真白はこのくらいが好きだもんな……」

「ぷぁ……っ、はぁ……はぁ……」


 真白の口内から真っ赤な舌が見え、呼吸をするその姿はなんとも艶かしいもの……。


「ちゅっ」

「んんっー!?」

 そして、今度は口に触れるだけのキス。


「……さ、さてと。俺は料理に戻るからさ」

 話も終わり、スキンシップも済ませた蓮はまだ中途半端だった料理に取りかかろうと立ち上がろうとする。

 だが、この行動を妨害したのは未だ蓮に膝枕されている真白だった。


「ふ、不意打ちはだめだよ……。も、もう一回……だよ」

「も、もう一回……?」

「蓮くんだけずるいもん……。わ、わたしからもする……」


 瞳をとろんと変化させた真白は、顔を上気させてそうおねだりしている。キスをする側とされる側。この二つの感じ方は全く違う。だからこそ真白は二つを体験しないと気が済まないのだ。


「わ、分かったよ……」

「キス……わたしからだからね……」

「ああ」


 ーーそして、蓮は真白のキスを承認したことを後悔することになる。


 なんの申し出もなく、蓮の口内に舌を潜り込ませた濃厚なキス。

 これをされたことによって、蓮にもあのスイッチが入ってしまったのだから……。



 結果、家族の食事は外食となりました……。

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