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みむらは最近義母お菊の許しをえて外に出るようになった。まだ庭先にしか出れないがそれでも外の空気を吸える事を嬉しく思う。
その事を吉宗に伝えると体が外に慣れてきたらいい所に連れていってやると言われた。一日でも早く体が丈夫になってくれたら吉宗と共にもっと遠くまで出かける事ができる。
そうなれば楽しい思い出が沢山増え寂しい思いも少なくて済む、みむらは一人心を弾ませていた。
『道場の方はどうなってるかしら』
みむらは久々に道場に足を運ぶ。門下生は少ないものの皆、真面目で優しい人ばかりだ。新しい門下生が入ったと修蔵から聞いているので挨拶も兼ね顔を出しに行く。
道場をのぞいて見ると懸命に稽古に励んでいる、みむらは邪魔をしないよう黙って眺めていると修蔵がみむらに気づく。
『みむら、体の具合は大丈夫なのか?外に出れるからと言ってあまり無理をするんじゃないぞ?』
修蔵がみむらの名前を呼んだ途端、皆が一斉にみむらを見る。見かけない顔も見受けられるが昔から知っている顔も何人もいた。
『お嬢様!お久しぶりです、お会いできて光栄です!』
この道場で一番若く古株である作兵衛が勢いよくみむらに近寄ってくる。みむらは作兵衛と小さい頃はよく遊んでおりみむらより年は一つ下である。
『えぇ、本当に久しぶりですね。その様子だと元気で過ごしていたようでなによりです。』
笑って見せると作兵衛は頬を赤くさせ照れくさそうに笑い返してくる。みむらからしたら作兵衛は弟のような感覚で会えば親しみを感じ安心する。
『でも、あまり動いてしまうと体にさわるのでは?』
作兵衛の後ろから顔一つ分大きな背の有馬が心配そうに話しかけてくる。
有馬も昔からいる古株の一人で年は二十六歳であまり自分からは話さない無口な男である。
『今は大丈夫ですが、何かあれば兄にも迷惑がかかりますしね。私はこれで』
失礼しますと言おうとした時作兵衛が悲鳴のような声をあげ有馬に突っかかる。
『ちょっ!有馬さんがそんな事いうから久しぶりにお嬢様に会えたのに帰っちゃうじゃないですか!』
『俺はお嬢様の体の心配をしたまでだ、なんならここで具合が悪くなられてもいいのか?』
作兵衛は有馬に詰め寄られ二の句が継げなくなり黙り込んでしまう。みむらが再び挨拶をし立ち去ろうとしたら修蔵に呼び止められる。
『みむら、新しい門下生が入ったんだ。ちょっといいか?』
修蔵に呼び止められ振り向くと兄の隣には白髪で腰の曲がっている皺だらけの顔の老人が笑顔で立っている。
みむらはその老人が門下生と思わず辺りを見回した。
『みむら、こちらのお方が新しい門下生の葉佩殿だ。ご挨拶なさい。』
『え?あの、大変申し訳ございません。私はここの』
『いやいや、よろしいですよ。みむらさんですね。お噂はかねがね聞いております。確かにこれは誠に器量良しの娘様だこと。』
みむらは自分の失態を恥じた。目の前のご老人を勝手に門下生ではないと決めつけた上にその相手に気を使わせてしまった事で自責の念に押しつぶされそうになる。
『本当ですよね、葉佩さん!みむらお嬢様ほど器量良しで品のある方だなんて江戸広しといえどお嬢様だけです!』
作兵衛が意気込んで話すのを有馬がそっと制した。葉佩はそのやり取りを楽しげに目を細め見つめている。みむらは葉佩にきちんと謝ろうと話しかようとするがまたしても葉佩に先に話出される。
『みむらさんはお菓子はお好きですかな?』
『お菓子、ですか?えぇ、私は甘いものは大好物ですので。』
唐突に甘いものは好きかと聞かれたみむらは戸惑いながらも自身は甘いものには目がないので素直に答える。葉佩は嬉しそうに口元に弧を描き笑う。
『ならばよかった、私の倅は菓子職人をしておりまして、時々菓子折りを持って参りますのでその際はお召し上がり頂ければ幸いです。』
申し訳ないと首を振って見れば葉佩は是非ともと懇願してくる。見かねた修蔵がみむらにありがたく頂戴しろと言い兄の言う事に従う。
『ちなみにみむらお嬢様は何がお好きですか?』
『俺は知っていますよ、お嬢様はきんつばが大好物なんですよ!』
作兵衛がみむらが答えるより早く葉佩に教えてあげる。みむらはきんつばが大好物なのを作兵衛は覚えていたのだ。
みむらは小さい時に風邪を引いて何日間も寝込んでしまった事があった。修蔵はとても心配し、つきっきりでみむらの看病をしていた。ようやくみむらの熱が下がりご飯も食べられるようになったのが嬉しかった修蔵はみむらの為に甘いお菓子を買って喜ばせようと思いきんつばを買ってきたのだ。
『兄があの時買ってきてくださったきんつばがとても美味しくて、それから一番好きなお菓子はきんつばなんです。』
葉佩はみむらの話を真剣に聞いてくれる。修蔵は咳ばらいをし口を開く。
『そのきんつばを作られていたのがこちらにいらっしゃる葉佩殿だ。』
みむらは驚き両手で口を覆う、目の前にいるご老人があの時のきんつばを作っていた職人とは思うはずもない。
『いやいや、あの頃は倅に店を継がせる時だったのであまり自分でも満足のいく菓子を作れていなかったのです。それでも美味しいと真に申してくださるのはとても有難い事です。』
葉佩はみむらの手を取りお礼を言う。みむらは戸惑い握られている手を放し自分から葉佩の手を包み込むように握りかえす。
『いえ、私はあの時のきんつばが一番美味しいと思っています。そのあとに別の菓子舗できんつばを買い求めたりするのですが、あの時以上のきんつばに出会っていないのですから。』
『ほっほ、お顔だけではなく御心もお綺麗とはいやはや罪なお方ですぞ』
葉佩は唇に弧を描き笑う、みむらは褒められ恥ずかしくなり手を放してしまう。
新しい門下生は仏の様に優しく温かい人物で道場にいる人たちを和ませてくれる。
みむらは外に出れるようになりこれから様々な人たちと触れ合っていき色んな物に見て触れて人としても成長していく。その第一歩として葉佩との出会いも大きく関わりみむらの思い出に残り桜の花びらの一部となる。
『時にみむらお嬢様は意中の相手などおられるのですかな?』
葉佩の突拍子もない質問にみむらは目を大きくし顔も赤く染まる。
作兵衛が大きな声で驚きみむらを横目で何度も盗み見るがみむらの表情からは心の中まで見ることはできない。
修蔵が一際大きな咳ばらいをし稽古の続きに戻る。皆がみむらに挨拶をしみむらも道場をあとにする、その間、頭の中には暗い部屋の中蛍の光に淡く照らされた吉宗の顔が浮かび上がるが首を左右に振り違うと言い聞かせる。
『吉宗さんは大事なお友達なんですもの。』
その後、みむらは新たな感情が一つ芽生える。
『愛しい』という感情はみむらにとって悲しさしか働かない機能のひとつになるというのをまだ知りもしなかった。
江戸桜 @tatuya4869
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