素数砂漠 その5

「鏡?」


「そうよ。淑女レディたるもの、常に持ち歩くものよ」


そうかな。まあいいや。


「それをどうするの?」


「こうするのよ!」


かーちゃん先輩は、あたしに鏡を向けた。


「鏡合わせの掛け合わせ、出でよ階乗!」


ギラッ!


鏡が光った。あたしは眩しくて目をつぶった。


ゆっくり目を開けると、あたしの横に、ずらっとn人のが並んでいた。


「えっ、なにこれ!」


並んでいる「あたし達」は、みんなあたしと同じポーズを取っている。

でも、遠くに行くほど、「あたし」は小さくなっていた。


「ね、ねえ、あたしどうなったの!?」


「焦ることはないわ。ただあなたを少しずつ小さくして並べただけよ」


それは見てわかるけど。


「今のあなたは、階乗よ! nから1ずつ減らして、1までかけ算するの!」


「えっと……?」


「細かいことはいいわ。次は、あなたに101を代入するわ」


うぇ、代入か。ちょっと嫌だ。

いや、それがあたしの役割なのは、わかってるけど。


たーちゃん先輩が大きなシャボン玉を作った。101だ。

あたしの前にふわふわと飛んでくる。

あたしはそれをそっとつまんで、飲み込んだ。


うぐ、大きくて飲みにくい。でも仕方ない。これがあたしの役割だ。


飲み込むと、横に並んでいた「あたし」の数が減った。

どうやら、100人になったらしい。あたしを含めて、全部で101人だ。


「あなたは今、ただの自然数じゃないわ。101から1まで、1ずつ減らしてかけた数になっているわ!」


つまり、こういうことだ。


101×100×99×98×……×3×2×1


あたしが101で、隣にいる「あたし」が100で、その隣にいる「あたし」が99で……となっているに違いない。


「こ、これでどうするの?」


ちょっと喉を抑えながら質問した。


「そしたら次は、たーちゃん! 2を足すのよ!」


「……ああ、なるほどなのです」


たーちゃん先輩は何かわかったらしい。

ぷぅ、とシャボン玉を作って、あたしの上にふわりと浮かべる。

そしてもうひとつ、おっきなシャボン玉を作って、あたし達101人を全員、中に閉じ込めた。


「これでどうなるの?」


あたしにはまだ、何がなんだかさっぱりわからない。

でも、幼女先輩たちは、みんなわかっているようだ。

xさんも「なるほど」と頷いている。


あたしだけ蚊帳の外だ。いやシャボン玉の中だ。


「ねー、どういうことなの~!?」


かーちゃん先輩が、あたしにビシッと指を突き付けた。


「あなたは今、101から1までをかけた数になっているわ!

 つまり、あなたは今、101×100×……×4×3××1よ!

 だからあなたは今、2の倍数ってこと!」


うん、確かに、2の倍数だ。でもそれが?


たーちゃん先輩が、あたしにラッパを突き付けた。


「2の倍数に2を足しても、やっぱり2の倍数のままなのです。つまりnさん達は、まだ2の倍数なのです」


わーちゃん先輩が、ピコピコハンマーを持ち上げた。


「だ、だから、皆さんは2で割れる合成数なんです! たあぁっ!」


パチンッ!


シャボン玉が割れた!


ひーちゃん先輩が、クールに言った。


「君たちに2を足した数は合成数だ。では次は、3を足してみよう」


たーちゃん先輩がラッパを吹く。

あたしの上に、またシャボン玉が浮かんだ。

そしてあたし達は、またシャボン玉に包まれる。


かーちゃん先輩が言った。

「あなたは今、101×100×……×4××2×1よ! つまり、3の倍数よ!」


たーちゃん先輩が言った。

「3の倍数に3を足しても、やっぱり3の倍数のままなのです」


わーちゃん先輩が言った。

「だ、だから、お二人は3で割れる合成数なんです! たあぁっ!」


ひーちゃん先輩が言った。

「君たちが合成数であることがわかった。では次は、4を足してみよう」


四人が、代わる代わる言う。

「101から1までかけた数は4の倍数よ!」

「4の倍数に4を足しても、4の倍数なのです」

「だから、4で割れる合成数です」

「では次は、5を足してみよう」


「101から1までかけた数は5の倍数よ!」

「5の倍数に5を足しても、5の倍数なのです」

「だから、5で割れる合成数です」

「では次は、6を足してみよう」


「101から1までかけた数は6の倍数よ!」

「6の倍数に6を足しても、6の倍数なのです」

「だから、6で割れる合成数です」

「では次は、7を足してみよう」


ようやくわかった!

あたしは何度も何度もシャボン玉に包まれて、やっと幼女先輩たちの作戦がわかった。


つまりこういうことだ。


101×100×……×2×1 + 2 ←合成数

101×100×……×2×1 + 3 ←上より1大きい合成数

101×100×……×2×1 + 4 ←上より1大きい合成数

101×100×……×2×1 + 5 ←上より1大きい合成数

101×100×……×2×1 + 6 ←上より1大きい合成数

101×100×……×2×1 + 7 ←上より1大きい合成数


この調子で、どこまで続くか?

ここまでだ。


101×100×……×2×1 + 101 ←上より1大きい合成数


xさんが褒めた。

「素晴らしい方法です。2から101までは、100個。これで、連続する100個の合成数を作れました。

 そしてこの方法は、階乗する数を101より大きくすれば、好きなだけ長くすることができます。

 つまり、100個でも、1000個でも、10000個でも、好きなだけ連続する合成数を作れます」


あたしは今101だけど、1001になれば1000個の合成数を、10001になれば10000個の合成数を生み出せる。


「これで、ひゃ、ひゃっこめです~!」


ぱちんっ!


シャボン玉が弾けた。

100個の連続する合成数が作れたことが、実証された!


同時に、あたしの横に並んでいた「あたし達」も消えた。ああ、さようなら「あたし達」……。


「どうだった、x?」


かーちゃん先輩、支配人さんを呼び捨てなんだ……。


「素晴らしい証明でした。清書しましょう」


xさんがペンを取り出した。

そしてさらさらっと、空中に文字を書いた。


「問い。自然数列において、合成数が百個以上連続する領域を、素数砂漠と呼ぼう。

 最も長い素数砂漠は、合成数が何個連続するか?


 答え。任意の長さの素数砂漠が存在する。

 なぜなら、nを自然数とするとき、数列

  n!nの階乗+2,n!+3,n!+4,…,n!+n

 は、n個の連続する合成数になるからである」


空中に浮かぶ文字列を、xさんはしげしげと見つめた。


「素晴らしい証明です。単に存在性を示すだけでなく、その構成法まで示しました」


難しい言葉を使ってるけど、とにかく感動しているようだった。


「特にnさん」


「はっ、はいっ?」


「あなたの、『見つからないなら作ればいい』というアイディアは、素晴らしいコペルニクス的転回でした。あれがなければ、私たちはずっと道に迷っていたでしょう」


コ、コペ? よくわかんないけど、誉められているらしい。えへへー。


「では、この答えを、お客様に届けましょう」


xさんが、いま書いた答えを、丸で囲った。丸はポンッと鳴ってボールになり、答えを包んだ。


xさんが歩くと、ボールはふよふよと浮かびながら、xさんの後をついていった。


お客様は、まだ砂漠の真ん中でうろうろしていた。


「素数はどこだ、素数は……」


本当に、お客様にはあたし達の姿は見えていないようだ。


「では、このお客様に、答えをお伝えしましょう」


xさんはボールを引き寄せると、お客様の頭にくっつけた。

ボールはにゅるっとお客様の頭の中に入っていく。


するとお客様は、ガバっと顔を上げて、目を輝かせた。


「はっ、そうか! こうすればいいじゃないか。

 階乗を使って、2から足して……。

 うん、これは良い方法をぞ……!!」


フッ


あ、あれっ。

お客様が、消えてしまった。


「お、お客様は……?」


「お帰りになられました。元の世界へ」


「元の世界……」


ゲンジツと呼ばれる世界のことだ。

あのお客様は、人間だ。あたし達の暮らす「数学の世界イデア」とは、別世界の住人。


「nさん。これが私達の仕事です。ゲンジツ世界からやってきたお客様の発する問いに、答えを見つけること。

 それが私達の至上命題なんです」


「それは、はい、わかりました。けど……」


あたしにはまだ気になることがあった。


「あのお客様、最後に、『思いついた』って……。あたし達が見つけたのに」


xさんは笑顔で答えた。


「そうです。お客様たちに、私達の姿は見えません。だから、私達が教えたことを、あの方達は『自分で思いついた』と錯覚するのです。


 私達の仕事は、決してあの方達に知られることはありません。

 しかし、お客様に満足していただければ、お客様は再びこのホテルへいらっしゃいます。

 そして問いを見つけ、このホテルの全容を少しずつ明らかにしてくださいます。


 そうすれば、いつかこのホテルの全てを知ることができるでしょう。それが、私達の目指すところです」


無限への挑戦!

このヒルベルトホテルは、無限の広さがある。その全てを知るということは、無限に挑むということだ。


素敵なことだと思った。


「あたしも、一緒に目指したいです」


xさんは微笑んだ。


「もちろんです。あなたはもう、ここの従業員なんですから」


そうだった。

あたしは今日、ここに就職したのだ。


「改めまして、ようこそヒルベルトホテルへ。

 これから私達とともに、数学をやっていきましょう」


「はい! よろしくお願いします!」


あたしは元気よく返事した。


幼女先輩たちがあたしに群がった。


「よろしくなのです」

「よろしく」

「よろしく頼むわ」

「はわ、よろしくです」


「それでは、遅くなりましたが、ホテルの案内をしましょう」


xさんが言った。


「まずは、従業員の寮ですね。こちらに……」


そのとき、ザザザッと音がした。

xさんが、「失礼」と言って胸元から無線機を取り出した。


「はい、こちらx。はい……はい?」


「えっと、どうしました?」


無線機をしまったxさんは、首を振った。


「すみません、また大きな案件が発生してしまったようです。

 私が向かわざるを得ません。一緒に行きましょう」


「ええっ」


xさんが紙にペンを走らせる。

あたしはxさんの服を掴んだ。


グラッと視界が揺れて、あたしはまた、ワープした。

この世界を少しでも解き明かすために。

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ようこそ、ヒルベルトホテルへ! 黄黒真直 @kiguro

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