最終話 彼方より
五十センチ径の幅広のタイヤが唸りを上げて回転し、路面に土埃が舞い上がる。
擦れ違う人々の目には、突風のような勢いで駆け抜けていく、今では珍しい
骨董品レベルとも言えるその
――ああ、もう。アビーの話になんてつき合ってる場合じゃなかった!――
中等院からの帰宅前に、友人から持ちかけられた相談にうかうかと乗ったのが失敗だった。
――
そして来年、シェストラが通う中等院では研修旅行で
それまで隣接する星系間のみだった恒星間航行が、科学技術の飛躍的な向上によって遠方の星系への移動が可能になったのは三年前のことだ。この技術革新によって
アビーの悩みは、それ以上にシェストラには理解不能だった。
見知らぬ世界を目に出来る絶好の機会なのだ。シェストラにすれば単身でも乗り込みたいところである。
ヘルメットの下に収まりきらなかった長い黒髪が強風に波打って、操縦席のヘッドレストに激しく叩きつけられる。バイザーには交通管制システムから表示される速度超過の警告がしきりに点滅しているが、そんなことを気にしてはいられない。
――ヤバい、ヤバい、早くしないと通信時間が終わっちゃう!――
それにしても、なんだって受信ポイントが自宅だけなのか。自分の
直接通信は馬鹿みたいにコストがかかるから、私用のために受信ポイントを割り振ってもらっただけでも御の字だと、父は言っていた。父の言うことは頭では理解できるが、そのせいで
普段から見慣れた街並みが、バイザー越しに高速で後方へと流れ去っていく。路面は綺麗に整備されているが、それでもところどころ微かな凹凸をタイヤが拾い、その都度座席に激しい震動が伝わる。幼い頃からこの
途中、何台ものオートライドを躱して前に立ち、通常なら二十分かかる道程を半分近く短縮して、シェストラはようやく自宅にたどり着いた。
飛び降りた
息を切らしながら、被ったままのヘルメットのバイザーを持ち上げたシェストラの薄茶色の瞳に飛び込んできたのは、ひとつの惑星の映像だった。
ホログラム・スクリーンに映し出された漆黒の空間に浮かぶ、青い星。
遠方から届けられたせいか、しばしばノイズが入るその映像に、どういうわけかシェストラは一瞬で魅入られてしまった。
「シェストラ、シェストラだね。聞こえてる?」
映像以上にノイズが混じる音声は、忘れようもない。久方ぶりに聞く懐かしい口調に、シェストラは興奮が抑えることも出来ずに声を上げた。
「聞こえてるよ!」
思わず大声を張り上げながら、シェストラは青い星を映し出すホログラム・スクリーンの前に歩み出る。
雑音混じりの声の主は一度も会ったことのない、だが生まれたときからホログラム・スクリーン越しに何度も対面してきた、彼女の憧れの女性だった。
「良かった、間に合ったね。一番楽しみにしてたあなたが見逃したらどうしようかって心配したよ」
かなりのタイムラグを経て返ってきた声は、いつもの陽気な彼女の声だ。
「ねえ、この星がそうなの? ついにたどり着いたのね?」
前のめりになりそうなシェストラの問いかけに対して、次の返事があるまでまたしばしの間が生じる。その時間差がじれったくもあり、同時に相手がはるか彼方にいるのだということを実感させる。
「そうだよ。もうみんな見飽きてるかもしれないけど、可愛い姪っ子のためだ。たっぷりご覧あれ!」
そう言われてふと周りに目をやると、彼女の家族たちがソファに腰掛けて勢揃いしているということに、シェストラは今さらながら気がついた。
気が急いて周囲が全く目に入らなかった、ヘルメット姿のままの彼女を見て、父が声を立てずに苦笑している。その横で母が窘めるような素振りで、彼女自身が口元に堪えきれない笑みを浮かべている。幼い弟と妹はぽかんと口を開けて呆気にとられた表情で、めいめいに姉の顔を見上げている。
そこまで集中して見入っていたということに、シェストラは急激に気恥ずかしさを覚えた。慌ててヘルメットを脱ぎながら顔を真っ赤にした彼女の羞恥心は、だが画面の向こうから届く声によってすぐさま吹き飛ばされる。
「シェストラ、ちゃんと目に焼きつけてね。この青々とした惑星こそが――」
叔母の声に促されて、再びスクリーンの中に浮かぶ惑星の映像に目を向ける。
この目で見たことはもちろん、映像でも目にしたことがないはずのその惑星の姿は、なぜかシェストラの胸に郷愁を呼び覚ました。自分でも説明のつかない懐かしい感情が、彼女の全身を包み込んでいく。
その惑星は表面の七割を海に、残る三割は緑や茶色の大地に占められている。その上を無秩序な白い雲が、まるで子供が気侭に筆を振るったかのようにところどころを覆っている。この宇宙に数限りなくある惑星のどれにも似ていないようでいて、だがその全てに共通する面影をたたえているようにも思える。
不思議な感慨を抱きながら、シェストラは映像を記憶に刻み込むつもりで、ホログラム・スクリーンに目を凝らし続けた。
あの瑞々しい青さを誇る星こそは、《オーグ》の母星にしてヒトの故郷、母なる星、正真正銘人類発祥の地――
「――“地球”、私たちがずっと《星の彼方》と呼んできた星だよ!」
彼女の声はいつもに増して朗らかで、誰の耳にも心を弾ませている様子がありありと伝わってくる。
「私たちの目の前にはあの、伝説の《星の彼方》がある。こんなに遠くまで来れるだなんて、それをこうして伝えることが出来るだなんて、未だに夢の中にいるみたい」
「夢じゃない、現実だよ。私は今ここで、《星の彼方》を見てる!」
途方もない距離の先にあるはずの《星の彼方》は、ホログラム・スクリーンを通して、これ以上ないほどに実在を主張している。
映像を見た瞬間から、シェストラにとってもはや《星の彼方》――“地球”とは伝説の星ではない。それが現実の存在であることを確信して、少女はこれ以上ない感動に全身を打ち震わせる。
この映像は、彼方と此方を繋ぐ絆だ。
ついに《星の彼方》にたどり着いた人は、きっとその先にある未知を求めて、どこまでも絆を紡ぎ続けていく。
何より今こうして自分がこの映像を目にしている、それこそが脈々と紡がれてきた絆の証しではないか。
「そうだね、シェストラ。どんなに離れても私たちは――」
青い惑星から目を離せない少女に、一層興奮した声が捲し立てた。
「――繋がってる。私たちは、どこまでいっても繋がっているんだよ」
(「星の彼方 絆の果て」 了)
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